老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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これが、我らが政府?自民党?
どちらも、いらないです。不要。
責任という言葉が日本政府と政党には存在しない。

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080702AT2C0101P01072008.html

日本版政府系ファンド、公的年金10兆円運用 自民検討チーム案
(日経新聞7月2日)


 日本版の政府系ファンド(SWF)創設を目指す自民党国家戦略本部のプロジェクトチームの報告案が1日明らかになった。運用原資として公的年金基金の一部、約10兆円を活用することを想定。政府が全額出資する運用会社を設立し、株式や不動産などで運用利回りの向上を狙う。


 「SWF検討プロジェクトチーム」(座長・山本有二前金融相)が3日に開く会合で報告案を取りまとめる。関連法案の早期提出を目指すが、自民党や政府内には元本を損なうリスクが高い運用への慎重論が根強い。損失が生じた場合の責任の所在を巡って国民の合意形成が必要との指摘もあり、実現には不透明な面も大きい。(10:39)

この山拓国賊以外の何者でもない。
議員の資格なし。

選挙民の皆様。
皆様方の恥。汚点の証明ですよ。


山崎拓氏をめぐる過去のエントリと裁判について ≪抜粋≫

 (国を憂い、われとわが身を甘やかすの記 2008/7/2)

 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/629146/


※2006年7月15日のエントリーからの引用だそうです。


 《先日、自民党の山崎拓元副総裁が、政府・与党内の敵基地攻撃能力保有

論に対し、「専守防衛に反し、重大な憲法違反になる」と述べ、安倍晋三官

房長官や額賀福志郎防衛庁長官を批判したことが話題になりました。イザの

ブログでも、いろんな意見が表明されているのを拝見いたしました。



この人は、本当は自分が総理・総裁になりたくて仕方ないのに、周囲もマ

スコミも「やれ」と言ってくれないので、将来ある後輩たちの足を引っ張っ

てうさ晴らしをしているのかとも勘繰りましたが、もう一つ、重大な事実に

思い当たりました!。



それは、山崎氏は、れっきとした中国の政府機関の人間だったということ

です。



山崎氏は首相補佐官の重職にあった昨年5月、中国の政府機関であり、中

央政府・地方政府の政策立案に携わる中国第2のシンクタンク、上海社会科

学研究院の客員研究員に就任しています。事務所によると、「現在はもう辞

めており、報酬はもらっていない」とのことですが、一時は日本政府と中国

政府の両方に所属していたことになります。



また、山崎氏は韓国の国立慶尚大学校の客員教授でもありますから、日本

に敵基地攻撃能力を持ってほしくない中国、韓国の気持ちは痛いほど分かる

のでしょうね。

加瀬先生は、仰っています。
「心やさしい民が住む国だったのに、金銭だけを追求する獰猛な民になってしまった。万葉集や、古今集がこの国の心を表していたのに、猛々(たけだけ)しい企業が株主総会を控えて発行する報告書によって、置き替えられている。西洋にもベネディクションといって、よき言葉を発すれば、身のまわりの現実がそのように変わるという言霊(ことだま)信仰があるが、いまの日本にはマルディクション――悪しき言葉が充満している。」

改めて、御皇室のことに思いを馳せました。
加瀬英明先生のコラムより転載しました。


題 名 : 皇室のありかたに疑問

  東宮の動きに危機覚える

畏友である西尾幹二氏が皇太子殿下をお諫めする論文を、月刊誌『WiLL』五月号(『皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます』)に寄稿している。

天皇が持つ摩訶不思議な力

天皇は日本が太古の時代に国家となってから、今日まで国民を共同体として束ねてきた。天皇は大八島国(おおやしまくに)を知(しら)しめす――治められる、すめらぎ、すめろきとして、日本を統(す)べてこられた。その摩訶不思議な力をもって、わが国に継続性と安定をもたらしてきた。
もし、天皇に対する独特な民族信仰が存在しなかったとすれば、日本は隣国の中国や、朝鮮半島と同じような政治文化を持つことになって、まったく違った国となっていたはずである。
天皇は日本にとって、掛け替えのない貴重な財産である。
今上陛下の御健康が心配されている。そのようななかで、皇太子殿下と妃殿下が国民から不信感を招くようになっていることは、わが国の将来にとって由々しいことだといわねばならない。まことに畏れ多いことであるが、皇室をお護りするために、一部に「廃太子」が望ましいという声すらあることを、憂えなければならない。

無私の精神と皇統から発する責任

もっとも、王制をとっているどの国をとってみても、皇太子にそのときどきの民族の理想の男性像にかなった教育が施されるものである。
昭和天皇は皇孫時代から、明治の日本の理想の男性像にあわせた訓育を受けられたから、あの明治の優れた精神を体現されていられた。明治の日本をつくった徳目を備えていられたことから、天皇の一挙一動が多くの国民に感動を与えた。
昭和天皇は歴史によって翻弄されたために、なみなみならない御苦労をされたが、何ごとについても真摯に取り組まれて、無私の精神に徹されたから、国民によって敬愛された。昭和天皇は皇統から発する御責任をよく弁まえられていた。日本の最高の祭主として、宮中祭祀も熱心に行われた。
今上陛下も天皇としての御役割を、見事におつとめになられている。天皇としての御役目を心得ていられるから、侵しがたい品格を備えていられる。
今上陛下も同じ世代の日本の理想の男性像を、現わされている。父帝と違ってお洒落(しゃれ)であられ、洋楽を好まれ、皇后陛下とときにはダンスを踊られ、家庭を大事にされるマイホーム主義者でもあられる。

世俗的に見える皇太子・同妃殿下のありよう

皇太子殿下も新しい世代の日本の男性の理想像の影響を、お受けになっていられる。新世代型の愛妻家でおいでになられ、皇太子としての御立場に顧慮されて、国民とのあいだに距離をお置きになるべきであるのに、妃殿下というよりも、御愛妻の期待にそうことに努めていられるように拝察する。
今日の日本の男女は自分を共同体の一員として位置づけることなく、自己を中心に据えて、自分の欲望を充足することに人生の軸をおいている。そのために一族や隣近所や国家とのあいだの絆が弱まって、一族から国家社会まで支えてきた利他心が薄れているのは、嘆かわしいことである。
皇后陛下と皇太子妃殿下とのあいだには、三十年近い世代の差がある。このあいだに日本の国民精神も、大きく変わった。
もちろん、皇后陛下は経済的にまったく不自由がない家庭にお育ちになられたが、それでも「手鍋下げて」嫁がれるという時代精神を、身につけられていた。このような言葉は、今日のあまり必要がない商品が溢れた日本において死語となってしまった。
敢えて不敬な言辞を用いれば、皇太子同妃両殿下は同世代の日本の一般の男女と、あまり変わらないようにお見うけする。
今日の日本の若い世代の夫婦は、親や家を大切にすることがない。同族を意味した「家」という言葉も、死語になってしまった。一族によって構成された家が、歴史を通じて重んじられたというのにいまでは家は住宅しか意味しなくなった。
私は三十年ほど前に、ラジオのお喋り番組をもっていた。相手役の女性アナウンサーが結婚する相手に、「私はあなたの妻になりますが、嫁にはなりません」といったと聞かされて、暗澹としたことがあった。そのころから、多くの妻が夫を「主人」といわずに、「連れ合い」と呼ぶようになった。

衝撃的な皇太子殿下のご発言

殿下に今日の世相が悪しき影響を及ぼしたとすれば、われわれは臣下として恥じ入らなければならない。結局のところ、皇室という一大傑作である文化財をつくったのは、二千年近くにわたって、美しい国をつくってきた国民だった。皇室のありかたを壊すことがあったら、靖国神社の社頭に詣でて、国体を護るために散華した御英霊にお詫びしなければならない。
私も月刊誌『WILL』(平成十七年二月号)に、東宮殿下に苦言を奉(たてまつ)る一文を、恐懼しつつお認めしたことがあった。花田紀凱編集長が『皇太子殿下に敢えて諫言申し上げます』という題名をつけたが、『皇室 戦後最大の危機』という副題がそえられていた。
私は殿下が御成婚のときに、妃殿下に「自分がお護りします」と仰せられたことに、殿下が国民をよもやお信じになられないのか、私たちの不忠をお叱りになられたのかと思って、皇室をお護りすべき臣草の一人として、衝撃を受けた。皇室と国民の一体感が失われたとすれば、忌々(ゆゆ)しいことだった。皇国の歴史で歴代の皇太子がこのような発言をされたのは、はじめてのことだった。
その後、東宮殿下のお口から「人格」、「プライバシー」という御言葉を仰ぐことになったが、なぜ、高御座(たかみくら)をお賤しめにならなければならないのかと思って、慄然とした。殿下はその徳をもって、国民から超然とされていられなければならないはずである。

皇室は国民の鑑のはず

殿下が妃殿下をお護りになるために転地療法の場として、オランダまでお出かけになられた。国内に御用邸が用意されているうえに、風光明媚な多くの保養地があると思われたのに、両殿下が外国でなければ御心をお休めになれないと思し召されたのだった。私たちが八島国(おおやしまくに)の美称をもって呼ばれた国を、高速道路や、醜い高層ビルや、広告板によって汚してしまったことに、慙愧に堪えなかった。
私たちは「あきつ神わご大君(おおきみ)の天の下八州(やしま)のうちに」と、万葉集に歌われた秀麗な国を受け継いだはずだった。私たちが国土とともに、皇太子同妃両殿下の御心まで傷つけてしまったのだったら、何と罪深いことだろうか。
心やさしい民が住む国だったのに、金銭だけを追求する獰猛な民になってしまった。万葉集や、古今集がこの国の心を表していたのに、猛々(たけだけ)しい企業が株主総会を控えて発行する報告書によって、置き替えられている。西洋にもベネディクションといって、よき言葉を発すれば、身のまわりの現実がそのように変わるという言霊(ことだま)信仰があるが、いまの日本にはマルディクション――悪しき言葉が充満している。
皇太子同妃両殿下が都内の高価な〃三ツ星〃レストランに行啓された御写真が、週刊誌に載っていたのを拝した。下情を御視察になられたのだろうと、お察し申し上げた。両殿下は笑みを湛えられていた。
国見をされて、贋物の内装が施された俗悪な場を、笑顔をもってお堪え下さったのは、日嗣の御子と御妃が備えられている聖徳だったのだろうか。かつて仁徳天皇が国見(くにみ)をされて、いっそう質素な日々を過ごされたという故事を思って、わが国の惨状に涙した。
皇室は日本国民にとって鑑(かがみ)であるとともに、国民の姿を映しだす鏡である。私たちが麗しい国を破壊しているが、両殿下を御批判申し上げる資格がいったいあるものなのかと思う。
           (2008・6)

世界日報に中條さんの記事があった。
幼少のころの記憶を取り戻した。
正にこの通りである。
日本から日本が消えつつある。


叱ることを忘れた日本人 (世界日報 07/12/19)

「恥の文化」をどう守る/躾に必要な「叱り」の仕組み

(社)日本国際青年文化協会会長 中條 高徳


■叱られる情景も懐かしい戦前


 わが国の家庭でも、学校でも、職場でも生活するあらゆる場で「叱る」こ

とが下手になり、叱ることを忘れてしまった感がある。

  叱られて 叱られて

  あの子は 街までお使いに

  この子は坊やを ねんねしな

  夕べさみしい 村はずれ

  こんと狐が なきやせぬか


 戦前の懐かしい童謡である。街にお使いに出るのも、子守りをするのも子

供の役割であった。戦前の生活の場では、うるさい母親が大方(おおかた)

の叱り手であり、平生(へいぜい)は余り文句は言わないが恐い(こわ)父

親がうしろに控えていた。



 母親に叱られても、その言いつけを守らない時は「お父さんに言いつける

わよ」が何処の家の母親も使っていた常套語(じょうとうご)であった。



 外で遊ぶことの多かった戦前の子供たちが間違いをおかしたり、弱い子供

をいじめたりすると、必ずと言っていい程、何処にも恐いおじさんがいた。

あたり構わず「この野郎、こんな事をすると承知せんぞ」と大きな罵声が飛

んできたものだ。あの村に行っても、かの町に行っても、国民の暮らす場が

繋(つな)がっているように見えた。



 叱る母親たちの表現が、隣の家でも、裏の家でも似通っていた。「そんな

事をしたら先祖さまに申し訳ない」「そんな事をしたら子孫に恥を残す」

「隣の人に笑われる」「神様に罰があたる」「お天道(てんとう)さまが見

ている」などなど。そして何処の家でも、三代ぐらい一緒に住んでいた。つ

まり、おじいさん、おばあさんが一緒に住んでおり、ひどく叱られた時の大

方のなだめ役は祖父母であった。



 家庭では、その家族全員が一緒に食事をしていた。神さまや仏さまに「頂

きます」と手を合わせ祈ってから食事を始めるのを常とした。「箸の持ち方

が悪い」「迷い箸はいけない」「お米はお百姓さんの八十八回手を掛けた大

切なもの、一粒でも残したら目がつぶれる」とかその都度(つど)うるさく

叱られたものだ。



■先祖と隣人がよく見えた生活


 筆者の子供の頃は、わが家は箱膳(はこぜん)(食器一切が箱に収まり、

その蓋(ふた)が膳となる)であり、父親が箸をつけない限り、食事が出来

ない程うるさかった。



 でも子供心にも家族の絆の強さが感じられた。鎮守のお社(やしろ)のお

祭の日は、総出で境内の清掃や、のぼりを立てたり、まん幕を張り巡らした

りしていた。元を正せば、その社殿も、神輿(みこし)も、のぼりも悉く

「氏子」と呼んでいた住民の寄附によるものだった。「奉賀帳」なるものが

廻ってきた。誰が定めるのでもなく、「阿吽(あうん)」の呼吸の如く豊か

さの順に名が並んだ。尻の方にいる貧しい人も頑張れば名前が上の方にいけ

る機会の均等のあったことは見事だった。こうした事をひとつでも怠ると

「村八分」という「社会の叱り」即ち制裁があった。その事実を見たことは

ないが無言の叱りの言い伝えであった。



 この様に見てくると、戦前のわが国の生活の場は、はっきり見える縦糸、

横糸で織りなされた生活の場であったことに気づく。つまり先祖がよく見え、

隣人が常に横にも裏にもあるという生活であった。つまり悪い事をしたり、

先祖をけがすような事をしたら隣人に笑われるという恥の文化であった。



 近隣に恥をかかないよう躾ることが「叱る」という行動につながり、人と

してしてはならない事を絶対させないのが「叱る」原点であった。会津若松

藩で子供たちに説いた「ならぬことは絶対ならぬ」の心なのだ。母親に嘘を

ついたり、ごまかそうとした時には中條家の「土蔵の米櫃(こめびつ)の制

裁」が待っていた。暗い土蔵の隅に畳一枚ほどの大きな米櫃があった。子供

にとって恐ろしいまでの「叱り」の仕組みであった。



 更にしたくはないが、人間として、しなければならない事をさせるという

裏打ちをして躾は完成するが、それをしなかった時こそが強い「叱り」の行

為となっていたのだ。



 斯くして世界に類(たぐい)ないうるわしい日本が誕生していた。ややも

すれば人の道を踏みはずさんとする時、為すべきことから逃げようとする時、

強く叱ってきたからこそ、類い稀れな信義に厚い礼儀を重んずる日本民族が

誕生したのだ。



 ところが六十二年前、この国は大きな戦争をして、そして敗れた。勝者に

よる占領支配が七年近くも続いた。戦争の常として、勝者こそが正義の全て

であるかの如く行動し、歴史すら悉く勝者の手で綴られる。



■戦前の良い点は教育に活かせ


 負けたことによる自信の喪失と占領政策が相重なって、日本人の多くが、

戦前のこの国の有り様(よう)が全く悪かったと捉えている。「叱る」こと

すらが戦前の悪い習慣と捉えているのがその最たるものであろう。



 戦前の日本の全てが良かったと主張しているのではない。悪かったことは

潔(いさぎよ)く訣別し、良かった点に一日も早く気づかねばならない。親

が子供を叱れず、教師が友達感覚が是なりとし、部下を叱れない上司の氾濫

など、目に余(あま)るものがある。国技である相撲の世界に迄、弟子を叱

れない親方が続出している。スポーツの世界でも鬼の監督と呼ばれたバレー

の大松監督や松平監督のような強い愛情に裏打ちされた強い叱りの出来る人

が少なくなったようだ。



 学校にも熱血先生がいる。生徒を厳しく叱ったら、叱られることのない子

供は母親に泣いて告げる。血相を変えた母親はその先生に文句をいう。斯く

して先生のやる気は萎(な)える。



 実際にあったPTAの話である。占領軍の置き土産の一つであるこのよう

な情けないPTAは即刻解散すべきであろう。



 石原慎太郎知事もエッセーの中で「叱るべき相手に好感を持たれようと思

う心は、実はその人間の弱さ、卑しさを露呈したものでしかない」と論じた

が、まさに至言である。