老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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今週の山本先生のコラムでは、小生の未知の事についても触れていただいていて、大いに勉強にもなりました。



山本善心の週刊「木曜コラム」<第181号>2008.05.15
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                         時局心話會代表 山本善心

今週のテーマ

チベット騒乱の仕掛人

 3月10日、チベットで大規模な反中国デモが行われたが、このデモがな
ぜ突然暴動に変化したのであろうか。商店街近くの車両は放火され、商店の
シャッターやドアが破壊される映像が世界に放映された。しかし略奪・放火
された商店で生き残った18歳のチベット人女性は、「デモ隊数人が店内で
略奪・放火したが、犯人の若い男達の言葉はチベット語ではなく中国語で
した」と述べている。

 中国では70年前から、チベット暴動の火付け役は中国の特務兵士と私
服警察だと見られてきた。彼らはチベット僧侶や市民に変装し、今回と同じ
ように寺院に放火、商店を襲撃し、チベット人のデモ隊に銃の発射などを繰
り返してきた。その都度中国人が「これはダライ・ラマ法王が命令したもの
で、チベット人は諸悪の根源だ」と言ってきたが、今回の暴動と酷似してい
まいか。

 中国共産党の戦略・戦術の基本は、敵側にスパイ工作員を送り込んで敵
側が暴動を起こしたかのように見せかけ、それを根拠にデモ隊に乱射する
というものだ。これらチベット事件の全貌を示す資料や記録(中国人記者・
唐達献による)が残されている。

 中国人はどのような悪事を行っても自己を正当化し、謝罪や反省をするこ
とはない。いかなる事実や証拠を見せつけられても、自分たちの罪は絶対
に認めないのである。毒入りギョーザ問題でも、一部を除くすべての日本
人は「真犯人は製造元の天洋食品だ」を考えていよう。封印された製品の
中から大量の殺虫剤や農薬が出てきたという、動かしがたい事実があるか
らだ。

 現地の声によると、今回の暴動は中国人がチベット人に変装して起こした
もので、座り込みで抗議した僧侶数十人に人民解放軍が発砲・暴行したこ
とが事件の発端だという。このような事態がなぜ、同じように繰り返されてき
たのか。

 
中国がチベットを侵略


 1912年の清朝滅亡後、チベットは独立宣言を行ったが、1949年の中国
建国の2年後、人民解放軍がラサに侵攻。その後は中国共産党幹部がチ
ベットの政治制度や宗教・伝統文化に介入して、共産党思想を人民に強要
した。

 その後、チベット語は仏教語とされ、学校では中国語教育を強制した。建
物や施設、道路の名前までチベット風のものは消され、中国風に塗り変え
られたとのことだ。

チベットは仏教国であり、武器を持たない平和主義、非暴力路線が国是
である。平和憲法と平和主義を掲げて自国の防衛を怠る国は必ず他国か
ら侵略される、というモデルケースに他ならない。


チベット人虐殺の歴史


 ダライ・ラマ14世は70年代後半に独立要求を取り下げ、88年には公式
に独立の可能性を放棄した。ダライ・ラマの平和主義、非暴力路線、高度
な自治要求という曖昧な姿勢は国家の資格を失うもので、仏教国だという
甘えは済まされまい。

 なぜチベット人は毎年のように暴動を繰り返してきたか。 『ダライ・ラマ自
伝』(文春文庫)によると、チベット蜂起に対する中国側の制裁として、磔、
生体解剖、打ち首、焙り殺し、撲殺、生き埋め、斧で引きずり回して殺す、
「ダライ・ラマ万歳」と再び連呼できないよう舌を抜くなどの残酷行為で、数
十万の人が殺されたとの記録もある。

 ダライ・ラマは中国がチベット人を迫害している状況を国際社会にアピール
し、1989年ノーベル平和賞を受賞。パリ市議会から今年4月21日、パリ名
誉市民の称号が贈られた。


毛沢東は「チベットは外国」と容認


 1936年、アメリカ人記者エドガー・スノー氏が延安で毛沢東にインタビュ
ーした。その中でチベット地区に長征の途中、紅軍が食糧補給や宿泊のこ
とでチベット人に世話になったとの話に及び、毛沢東は「それは我々が外国
に負っている唯一の債務だ」と述べている。さらに1945年、毛沢東は「チベ
ット民族による自立防衛力を強化せよ」と忠告した。

 しかし1949年、スターリンは「チベットをわざわざ独立させて中国の(手に
入る)領土を失うべきではない」と忠告、米ソ冷戦構造という社会主義と資本
主義の陣取り合戦の中で「中国は領土問題に寛大すぎてはいけない」と中
国に勧告した。(2006年、第3期チベット大学学報の胡岩氏論文より)

 後年、毛沢東の寛大なチベット政策は変更され、平和主義を国是として自
衛能力を持たない平和主義のチベットは「中国の神聖な領土」として併合さ
れた。


チベットの観光開発


 チベットは中国南西部の高原地帯に位置し、ヒマラヤ山脈(平均標高40
00m以上)に囲まれている。区都ラサの自治区人口は600万人(チベット
亡命政府発表)とみられる。ほとんどがチベット仏教を信仰している。

 2006年に青蔵鉄道が開通して、観光事業や不動産の乱開発が行われ、
経済的侵略と中国人の移住流入が加速。今や現地のチベット人には何ら恵
みもなく、文化、自然、宗教の生存環境が破壊により、むりやり中国に同化
された。

 さらに中国政府は、1000億元の総予算でチベットに大空港と180ヵ所の
観光プロジェクトの建設を計画中だ。国内外からにわかに注目されてきた観
光と資源の開発が計画されている。


資源の宝庫と軍事基地


 もともとチベットはダライ・ラマを中心とするチベット仏教の世界であったが、
「民族解放」という名の下に漢族化されつつあり、チベット語も話せない状況
になっている。中国のチベット侵略を正当化するためのごまかしとすり替え
に、世界は翻弄されるとの見方が大勢だ。

 チベットは美しい自然を誇る仏教国であるが、中国は米国の主要都市や
インドを射程に収めるミサイル基地をチベット各地に点在させている。

 チベットは美しい自然や環境を持つ観光資源の宝庫と期待されている。さ
らに河川や雪解けから得る美味なチベットの水は、今後中国の救世主とな
ろう。同時に豊富な天然ウランや鉱物資源(金・銀・銅)、オイルシェール(石
油を含む水成岩)など、資源は無尽蔵だ。中国にとってチベットは、自然と
資源の宝庫なのである。


聖火リレー中国旗で殴打


 さて長野の聖火リレーでは、日本在住の中国人留学生が大挙して動員さ
れ、チベット人や日本人に対する暴力行為があったと聞いている。日本の警
察は、抵抗するチベット人や日本人を助けようとはしなかった。しかも日本側
にはたくさんの怪我人が出ているというのに、中国人の違法行為はあえて
見逃している。マス・メディアがこの事実を報道しないのはなぜか、インター
ネットではこの問題で抗議が殺到した。

 知人のA・T氏は筆者宛に「長野聖火リレーでは日本の地でチベット人に対
する暴力と同じ無法行為が白昼堂々と行われている。こんな時こそ“人権こ
そが命、人権を守れ”と言う市民活動家の声が聞こえてこないのはなぜか」
という意見を寄せた。日本人はチベット人と同じ犠牲者だというのだ。

 聖火リレーの行く先々で、聖火リレー走者と伴走する青ジャージ集団(北
京五輪に備えた特殊部隊)や、沿道を埋める中国旗と中国エキストラの異
常な光景を眼にしたものだ。すべてが中国優先、中国一色の聖火リレーで
あった。中国のやることなすこと一切に目をつむる警察の行動矛盾は、日
本の衰退現象に見える。

 
胡錦濤の訪日


 5月8日、約10年ぶりに来日した胡錦濤国家主席の歓迎レセプションがグ
ランドプリンスホテル赤坂で行われた。これは日中友好7団体の主催によ
るものだ。胡主席は会場に15分遅れで到着したが、2000人を超える友好
団体の参加者が万雷の拍手で出迎えた。

 さて、胡主席は会場で「日中関係は最も重要な二国間関係の一つ」と強
調。「日本は戦後平和国家としての歩みを堅持した」と積極的に評価した。
訪日の目的は日中関係の修復にあると考えられるが、反日デモの反省と、
日本企業の撤退防止など、日中関係の修復が中国の課題であり訪日の
目的だと強く感じられた。

 しかし中国の覇権主義体質に一歩も揺るぎはない。ましてやオーストラリ
ア、北朝鮮、台湾、チベットに見られる中国の影響力と支配力という大きな
流れに、日本も呑み込まれようとしている。胡主席の対日柔軟姿勢は歓迎
するが、一方中国の覇権主義が日本国の盛衰・存亡に関わる危機も迫っ
ていよう。日本の政局は、与野党が目先の瑣末な問題で政争に明け暮れ
ているときではないと直感した。

次回は5月22日(木)
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益々酷くなるチベットへの弾圧
地上最悪の作戦ともいえる。
小生のチベット関係の情報は、断りさえあれば転載自由です。
今や「せい火リレー」は人目につかない、トンネルの中を走ればよいのだ。
日本では、リレーのコース変更
「恵那山トンネル2車線を片側トラック走行で片側を走行させる。出口がゴール。」
襲撃されないで、邪魔が入らず安全なコースです。

中国武装警察、チベット僧侶400人を拘束=ラサ市

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/04/html/d58222.html

 【大紀元日本4月22日】

中国政府はチベット人への弾圧がエスカレートしたため、チベット情勢は一層緊迫な状況になっている。チベット亡命政府緊急協調チーム関係者は、4月18日午前2時ごろに、中国政府の武装警察は再びラサ市セラ寺に突入し、400人の僧侶を拘束し、ラサ市郊外のドゥイロンデチン県のレンガ工場に監禁していることが明らかになった。ラジオ自由アジアが伝えた。

 チベット緊急協調チームのゲサンさんは18日深夜2時ごろ、セラ寺の僧侶約400人が40台以上の中共軍用車に強制連行され、ドゥイロンデチン県のレンガ工場に監禁されたことをこのほど明らかにした。中国共産党(中共)の軍隊は先週の月曜日から金曜日にかけて、甘粛南部、青海、四川地区の僧侶を大規模な逮捕を行った。情報筋によると、1週間で少なくとも700人の僧侶が強制連行され、僧侶たちは恐怖の中で生活しているという。

 一方、セラ寺に約700人がいた僧侶は今では老僧と子供約100人しか残っていない。記者はラサ市の公安局に僧侶たちの逮捕について確認したが、公安からは「知らない」との返事だった。

 実際、10日ほど前から、中共はチベットのすべての寺院に対して、中共の国旗を掲げるように要求し、法制宣伝チームを各寺院へ派遣し、「愛国主義」教育を施し、僧侶たちにダライ・ラマと境界線をつけ、対立するように求めた。これに対して、僧侶たちが抵抗し、一部の僧侶は中共からの圧力に耐えられずに寺院を離れた。

 ゲサンさんは「最初に拘束されたデブン寺の僧侶たちはセトウ区の洞窟に監禁された」と語った。その前に、「暴徒」と称され拘束された約800人の僧侶はラサ市のある倉庫に監禁されている報道もあった。

 一方、北京五輪のトーチは5月にチベット入りすることで、中共は対外的チベットに入るための「通行許可証」の発行はすでに全面的に中止し(チベットでの勤務者を除く)、チベットへの立ち入りを禁止した。当局は旅行会社に対して、外国人旅行者および中国国内旅行者の受け入れは禁止した。地元の寺院もすべて閉鎖された。旅行社によると、ラサ市では外国人の影は1人もいないという。

 アナリストらは、ラサ市の現在の情勢からみると、北京五輪トーチはチベットを通過した後に、中共当局は各寺院に対する圧力は暫らく続くとみている。アナリストらは、甘粛省南州および四川省阿壩州等地区の武装警察は北京五輪終了後の9月に撤退する予定でいることから、ラサ市に駐在している武装警察もそれより早く撤退することはないとし、これから先の3ヶ月間、チベット情勢の緊迫が続き、僧侶への大規模な逮捕の可能性は排除しないと分析している。

 
(翻訳/編集・余靜)

(08/04/22 09:07)

伊勢先生の 国際派日本人の情報ファイル より転載します。

このことは、報じられていたそうですが、当時は認識していませんでした。はじめて知った感じです。

中国の他民族支配の企みが、良くわかります。


チベット仏教の根源を破壊しようとする中国

■転送歓迎■
-------------------------------------------------------------------


 今回のチベット騒乱のきっかけの一つとなったのが、中国政
府が昨年9月1日に導入した「チベット仏教活仏転生管理規則」
であろう。

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ、それに次ぐ地位の
パンチェン・ラマは活仏(仏の生まれ変わり)として、死去し
たのち、そのまま別の人間に生まれ変わると信じられている。
後継者は預言や神秘現象などをもとに高僧らが探しだし、特に
ダライ・ラマとパンチョン・ラマは、相互に後継者を指名し合
う仕組みだ。

 この後継者を中国共産党政府の許可制にするというのが、こ
の「規則」の狙いである。産経新聞(平成19年8月7日)は
次のように報じている。[1]

 中国政府は活仏(生き仏)の転生を中央政府の許可制と
する「チベット仏教活仏転生管理規則」を9月から導入す
ると決定した。高齢のダライ・ラマ14世の後継者問題を
にらんだ措置とみられるが、宗教の伝統を無視した管理強
化にチベット族の不満は高まっており、今月初めには四川
省のチベット族自治州でチベット族と公安当局の衝突も発
生。ダライ・ラマ14世帰還のめどが立たないなか、現地
の混迷は深まっている。・・・

 だが宗教の伝統を中国政府の都合のよいように改変する
やり方に信仰深いチベット族の不満は高じており、8月1
日には四川省の甘孜チベット族自治州理塘県で行われた競
馬大会の会場で、チベット族住民100人前後と公安当局
が衝突する事件が発生。電話取材に答えた理塘県当局者に
よると、「チベット族男性が会場の舞台にあがり中国仏教
界を攻撃する発言をし、国家の公共安全を脅かした」のが
きっかけだという。男性は拘束中だ。

 ダライ・ラマ14世は1959年以来、インドに亡命中
で、中国政府から「国家分裂活動家」のレッテルを張られ
帰国を禁じられているが、チベット族の間では今も「宗教
最高指導者」として崇拝されている。この影響力を断ち切
ろうと、中国政府は95年にダライ・ラマがパンチェン・
ラマとして指名した当時6歳のゲンドゥン・チューキ・ニ
マ少年の代わりに、17歳の現パンチェン・ラマ11世
(ギャンツ・ノルブ)を選定し、98年から北京で「教育」
している。

 しかし記者がこのほど、パンチェン・ラマの本拠地チベッ
ト自治区シガツェを訪ね、チベット族の農民家庭に飛び込
み取材を行ったところ、ほぼ全員が「ニマ少年が本物。今
のパンチェンは偽物だから、ダライ・ラマの転生者は探せ
ない」と迷わずに答えていた。現パンチェン・ラマへの不
信感があるうえに、反発を招く制度が導入されたことで、
現地の宗教的混迷は深まるばかりだ。

 チベット仏教徒にとって、最高指導者ダライ・ラマ、パンチョ
ン・ラマへの信は信仰の根源であろう。中国政府が勝手に選ん
だニセ者を押しつけられては、その信仰の根源が破壊される。

 我が国にたとえて言えば、マッカーサーの占領軍司令部が皇
室の血統など無視して、勝手に操りやすい人物を指名する、と
いうようなものである。

 チベット民族の怒りは、このような深いところから発してい
ると考えられる。

彼の国に、人権という概念は存在しない。彼の国に生活する人は、指導者にとって家畜以下の存在といえる。
チベット人の人口の推移は下降ばかりしている。

今や彼の国が存在することが、罪悪となってきた。

チベット亡命政府:中国青海省で百人以上が逮捕される
________________________________________

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/04/html/d15285.html 

【大紀元日本4月20日】

インドのチベット亡命政府の情報によると、中国西部で新たに発生した抗議活動でおよそ100人以上のチベット人が逮捕されたという。中国メディアは、この事件について報道はしていない。

 チベット亡命政府とチベット民主人権センターによると、4月17日木曜に多方面から青海省で発生した抗議に関する情報を得た。それによると、ラマ僧22人が同仁県(チベット名レコン)で平和デモを行い、13日のデモ中に逮捕された僧侶の釈放を当局に要求したという。

 この22人が逮捕された後、ラマ僧とその他のチベット人数百人が集会を行い、釈放を求めた。警察はさらにこれらのデモ活動を行った多くの人々を逮捕し、僧侶の寺院を包囲したという。

 また、新華社によれば、現在政府は青海省にあるチベット仏教ゲルク派の6大寺院の一つタール寺を修復している。中央政府はこの工事に対し、およそ350万米ドルかけているという。

 
(翻訳・市村)

改めて中華思想の非道性が浮彫りになっています。
中華思想は。近代思想としては馴染むものではありません。
少し長文ですが、じっくりお読みください。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 より転載しました。
   平成20年(2008年)4月17日(木曜日)弐
        通巻第2161号  臨時増刊増大号
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

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 http://www.melma.com/backnumber_45206/



宮崎正弘のチベット紀行
@@@@@@@@@@@

(下記の文章は2003年刊の拙著『いま中国はこうなっている』(徳間書店)からの再録です)。


▲ダライラマ法王の肖像が消えていた

 宿願だったチベットへ行ったのは夏の終わりだった。
四川省の成都で乗り換えた。 チベット各地を歩いて改めての発見は、ダライ・ラマ猊下の写真、肖像の掲示が皆無になっていた事実だ。
 北京はこうもえげつない行為を平気でやってのける図太さがある。中華思想の病理、愛国攘夷の典型的歪み。
それにしてもなんと恐るべき歴史改竄作業であろうか。
由緒あるラマ教の寺、寺、寺で「偽パンチェン・ラマ正当化」のキャンペーンが、静かに巧妙に開始されていた。

 四川省の成都に一泊し、翌早朝の飛行機でラサへ向かった。折から凄まじい豪雨で出発が遅れ、待たされた満員のロビーで奇妙な光景をみた。
 なんとラサへ向かう人民解放軍の兵士で待合室がごったがえしているのだ。待機していた兵隊はおよそ三百。皆、一様に若く、ニキビが多い。寝袋を背にして水筒を提げている。どれもこれもまだあどけない顔をしている。「もしやラサへ?」と尋ねると、そうだという。
(この少年らが、命じられればチベット人へ鉄砲を向けるのか?)

 チベット駐留部隊の交替が民間の飛行機での輸送でも行われている現実は新鮮な驚きである。たとえ軍人割引料金があるとは言っても、随分と人民解放軍は財政的にも裕福になったものである。
 若い漢族の兵士らは給食だけでは足りないのか、さかんにビスケットなどの買い食いをしている。小遣い銭があるわけだ。

結局、四十分遅れで搭乗となったエアバスは340人の定員。民間人は私を含めて十人程度、残り330人が兵隊とあいなった。
(まるで兵員輸送機だ) 
ラサへの飛行時間は二時間、雲海から下界が見えたかと思うや、四千メートル級の山間の急な稜線をすれすれに機は下降した。
乱暴なランディングで着陸時には椅子が飛び上がるかと思うほど激しい衝撃。中国で初めての体験だった。ともかく無事ラサ空港へ着陸した。
機外へでると風がひんやりとしてい、肌がひやっと寒い。高度は富士山山頂に等しい。 

その直後に西安から着いたエアバス同型機からは中国国内からの観光団が、どっさりと降り立ち、飛行場ではやくもピーチク・パークチと携帯電話相手に怒鳴りあっている。何とも喧しい風景である。
中国人ツアー客らは写真も自由に撮影している。
近年、中国経済の猛烈な成長とともに中国人自身が国内名勝を旅行する。ラサは国内観光地としてもの凄い人気があり、北京、上海、西安、成都などからの飛行機は満杯。値引きは一切ない。ちなみに成都ーーラサ間の飛行機運賃は邦貨換算四万円(往復)だった。 

外国人のチベットへの入境は現在団体ヴィザでしか認められていない。
従って成都にある旅行社が五人づつ編制しなおし、即席パックツアーに仕上げて、当局から許可を貰う。もう一つの方法は青海省のゴルムトで許可を貰い、バスで入る手段、しかしバスだけで四日もかかりバックパッカー以外、このルートからチベットへはいる外国人は居ない。

ラサの飛行場からの凸凹道は、いまやアスファルトに替わり、ランドクルーザーで一時間半でラサ市内へ着く。
もう一本のハイウェイを建設中で、隧道工事を付帯するがいまのところ2005年完成という。

私を乗せたランドクルーザーは、百キロのスピードで河べりの道をぶっ飛ばした。
しかしラサ川(キチュ河ともいう)は所々氾濫し、褐色の水が道路を冠水させている。土砂崩れが多くて所々で土石を排除するブルドーザが作業をしていた。渋滞箇所が多く、二時間近くかかってようやくラサ市内に入った。

途中でみた郊外の風景は荒涼としてうら寂しく、人の通りがいやに少ない。
十年ほど前までは、このあたりでも風葬が見られたという。 
ブルドーザやショベルカーのリース店は開発ブームだと言うのに閑古鳥が鳴いており、店の看板は文盲の人が多いせいか絵解きだ。それに小さく中国語、チベット語が併記されている。

酸素が薄いので、二時間のドライブだけで早くも疲労がでて、ぐったり。酒は飲まない方が無難と助言される。
投宿したラサホテルは数年前まで「ホリディ・イン」と資本提携していた老舗、いまはチベット資本だという。ロビィに隣接する売店には簡易用の酸素ボンベまで売られている。このホテル、一泊二万円もする。なるほど、チベット旅行は高くつくわけだ。
部屋にもボンベ取り付け装置が付いている。高山病にかかる観光客がよほど多いのだろう。


▲毛沢東がダライラマを陪席させる曼陀羅に驚く

 昼飯のあと、二時間ほど休憩してから、まずはダライラマの離宮へ行った。
 すこしベットで横になれたので高山の薄い空気に馴れた錯覚がある。
法王の離宮は「ノルブリンカ」と称せられるが、一部しか公開されていない所為で印象としては小体な王宮群のあつまった公園のよう。軽井沢の簡素な仏教寺院といった感じである。

初っぱなから驚かされたのはダライラマ猊下に対する、あまりの不当な扱いである。
嘗て猊下の謁見された応接間に、ピカピカの曼陀羅が壁画になっていたが、そのチベット歴史の絵物語の最終場面が、なんと、なんと。毛沢東が右にダライラマ猊下、左にパンチェンラマを従えて、陪席させるかたちをとり、さらにその周りが周恩来と劉少奇という構造なのだ。
完全に暴君がチベットを支配し、聖人と従えて統治している絵図ではないか。

この衝撃はラサ市内の殆どの寺をめぐっても同じだった。
ポタラ宮殿は壮麗で神々しい。写真でイメージしてきた観光地点としての印象より遙かに壮大かつ狷介孤高として聳え立っている。
外国人観光客は正面玄関からではなく後方の門からクルマごと後宮の丘を登り、いきなり裏口から入るシステムになっている。入場料、なんと七十元! 
バター油の臭いが充満しており、宮殿内に一歩足を踏み込むと暗がりだが、立錐の余地のないほど外人観光客でぎっしりなのだ。
朝一番で入場したはずなのに、この数百数千の外国人は一体どこから湧いてきたのか、と訝る。 

なかには韓国人、台湾人の団体も目立つ(余談ながらこれら両国の物見高い団体ツアーは、中国の奥地の何処へ行っても出くわす。言葉と仕草で直ぐに分かるが、最近の日本人ツアーは実におとなしく、行儀が良い)
宮殿の中では英語、韓国語、フランス語、ドイツ語、そして日本語が飛び交うが、ここに中国語のガイドの大声が被(かぶ)さる。

いまや中国国内の観光団がイナゴの大群となってラサに押し寄せ、彼らの夥しさと喧しさは形容しがたい。土産の買い方も乱暴で、しかも大量に買う。台湾も韓国も真っ青で、まさに「中国的」風景である。
こうして漢族の観光団体は、傍若無人にお喋りをつづけ、巡礼にきているチベット族を押しのける。
さてポタラ宮には千の部屋があると言うが、どこにもダライラマの写真がない。私はどの部屋でも目を凝らして探したが、何処にもないのだ。

外国の大使館に天皇陛下の写真がないような転倒した風景である。
所々に先年、なくなったパンチェン・ラマ十世の写真のみが、さりげなく飾られている。 97年頃からダライラマの写真、肖像は一切禁止命令が出たからだという。
ジョガン(大昭寺)を中心に旧市街はチベット人居住区となっている。
ポタラ宮以南の新開区は高層ビルやデパートが並び、漢族の居住区で、両区域を結ぶ幹線は「北京東路」と名付けられている(チベット民衆が何と呼んでいるか、知らない)。 
南北を走る道路は「娘熱路」、ガイドにハンサムな男でも居たからか?と命名の由来を尋ねるとチベット語の音に漢字を当てただけ、と言う。


▲胡錦濤総書記は弾圧の張本人 一体、誰がチベットの歴史を改竄しているのか?

 総書記になった胡錦濤は安徽省の生まれで、清華大学卒業組のエリートである。
胡は革命元勲から第四世代に属し、悪く言えば「顔のない、薄っぺらな印象」しか残らない。胡錦濤は1988年当時、チベット書記(つまりチベットで最高ポスト)だった。おりから勃発したチベット暴動を武力弾圧した張本人である。
チベットの聖都「ラサ」はチベット語で「神の地」という意味である。
この「聖域」を中国は軍事力を投入して踏みにじった。

革命後、中国がチベットになした悪の業績は、血生臭い惨事、極悪非道という以外、言葉がでてこないほどの凄まじき殺戮、弾圧、宗教破壊だった。
1959年、いたたまれなくなったダライ・ラマはインドへ亡命し、臨時政府を樹立した。
中国は居残ったパンチョン・ラマに対抗心を煽り、北京に都合のいいように政治利用し、なんとしてもダライ・ラマ十四世の精神的影響力を排除しようと躍起になった。

1987年から、ラサに暴動が断続的に起こり、89年には戒厳令が敷かれた。
世界の人権活動家、民主活動家が立ち上がり、北京に抗議したが、日本政府はこの列に加わらなかった。ハリウッドでは「セブンイヤーズ・イン・チベット」や「クンダン」などを映画が作られ、フィルムを通じて世界の世論に訴えた。
北京の猛烈な妨害工作にかかわらずダライ・ラマ十四世にはノーベル平和賞が贈られた。

チベットのしきたりではダライ・ラマの後継者はパンチョン・ラマ(阿弥陀仏の化身)が指名し、パンチョン・ラマの後継はダライ・ラマが指名する。
しかし歴史的にみても屡々対立が起きる。
パンチョン・ラマ十世が本拠地のシガツェにあるタシルンポ寺で急死したのは、胡錦濤と会見した六日後。いまも暗殺説が根強く胡との関連を云々するチベット人がいる。
ダライラマは霊童ニマ少年を「パンチョンラマ十一世」と認定した。ところが北京は95年二月に突如、このニマ少年を拉致し、一方的にノルブ少年を後継者と指名した。

ノルブ少年は2002年7月5日に十三歳の儀式を中国政府公認で行い、「江沢民主席の教えに従い愛国の活き仏になります」と誓わされた。 
チベット仏教第三位の高僧カルマパ十三世は00年一月にインドへ亡命し、ダライラマ政府に身を寄せた。カルマパは中国が指名した経緯があるが、仏教の教えにそむく中国の「愛国虚言」には乗せられなかった。


▲経済的にチベット「援助」の実態は資源の搾取

2001年7月17日、胡錦涛国家副主席が率いる中国中央政府代表団がラサを訪問した。
これは1951年の「チベットの平和解放に関する協定」締結から50周年に当たるので、その「祝賀」行事に参加したものだ(「侵略支配」を「平和」と言い換える中国の図々しさ!)。

胡はチベット書記時代にラサ暴動を軍を出動させて鎮圧し、多くのチベット青年を拷問のすえ獄中死させた張本人だが、それ故に北京中央の「覚え」めでたく、異例の出世と遂げた。 
01年6月下旬に北京で開かれた第4回チベット工作会議で「チベットを現代化建設の前列に進ませる」方針が決まった。
あまりに開発の遅れたチベットを放置すればするほどに人心の荒廃が進むとの懼れからである。
中央政府は新たに312億元(約4500億円)をチベットに投資するとした。青海ー西蔵鉄道をはじめ、ゴルムトーーラサ間に鉄道を敷設(これだけで三億三千万元の予算)するなど合計117のプロジェクトを進めている。 

これは「チベット住民の生活向上」が目的とされるが、実際には工事のために夥しく入植する漢族、とくに独身の中国人達へのアパート建設などに投じられており、羊、やくの毛皮なども漢族の商売人が流通ルートを独占している。

とはいうもののダライ・ラマ14世の影響力は依然として絶対的なもので、漢族のいう「平和」とは「チベット侵略と支配の恒久化」でしかない、と多くのチベット民衆は認識している。
チベットの篤実な民が健忘症にかかり、北京に擦り寄って、長年の中国共産党への怨念、その暴力支配への恨みを物質的な文明プロジェクトで晴らすことが出来るなどと北京の考えることは、あまりに非精神的で、即物的過ぎる。

ただしロシアに「タタールのくびき」があるように、嘗て吐番(チベット)は現在の雲南、四川、青海から内モンゴルにかけて支配し、元と組んで漢族を挟み込み、西安を軍事陥落させた。漢族にはそのとき以来の「吐番のくびき」が潜在的メンタリティに内在するのは事実であろう。

実際に内モンゴルから寧夏回族自治区、青海省を連続的に歩いてみると、紛れもなくこれらは「チベット文化圏」である。
随所にラマ教寺院があり、黄みがかった茶色の僧衣をまとう若い僧らが、そこかしこで経を読んでいる。 
参詣客は絶え間なく続き、信仰は完全に蘇っている様を読みとれるのだ。

かように漢族のチベット族への支配は表向きの融和、事実上は巧妙な民族差別がある。
たとえばレストランへ入る。といっても観光客の入れるような清潔な店はラサ市内ですら、数えるほどしかない。
入り口は貧しい身なりのチベット人が楽器を弾いたり、土産を売りつけようと必死でまとわりついてくる。ポタラ宮では少女に足を捕まれ、ずっとまとわりつかれて苦笑いをする観光客が何人もいる。

食堂の経営実態はと言えば、季節的な漢族の経営者が内地から一族郎党をごっそりと引き連れて、観光シーズンだけの商売に来ている。
カフェも簡易旅館も、土産屋、民族舞踊館など、みなそうだ。

聞くと重慶、成都からの商売人が多く、食堂の味はチベット風味は少ない。どれもこれこれもなんとなく四川風だ。麻婆豆腐、キャベツの肉入り、小龍包、殆どがチベットらしからぬ辛さ。
もっとも土地の産物はじゃがいも、裸麦、菜の花くらいしかなく、野菜、牛肉などは中国内地からの「輸入」に依拠している。スイカまでそうだという。


▲漢族vsチベット民族との心理的溝、職業的差別

土産屋も大概が漢族の経営で、季節労働者がワンサカ、内地から押し寄せる。 
一方、チベット族の土産屋は国営なのか、売り子は客が入店してきても、一瞥するだけでまったく売る気がなく、客をそっちのけで賭けトランプに興じている。
従業員同士がカネをかけている。
絵画、仏画(タンカ)、仏像、絨毯などチベットの名産はところ狭しと並んでいる。絵はがきが隅っこに置かれている。いずれもなかなかの値段で、高価なタンカが無造作に飾られている風景に出くわすと他人事ながら万引きにあったらどうするのか、こちらが心配になる。

タクシーは九割方が漢族の運チャン、人力車は対照的に99%がチベット族と見受けられた。要するに就労チャンスは圧倒的に漢族が有利なシステムが作動しているようだ。
米国人相手のレストランやカフェが多いのは、それだけ欧米の観光客、それも長期滞在者が多いからで、アメリカ人女性が経営する名物料亭「DUNYA」では、店の名をプリントしたTシャツまで売っている。それも一枚68元! チベット人は手が出せない金額だ。 

ポタラ宮は写真でイメージしてきた印象より遙かに実物は高く、複雑な宮内となっていて、やはり所々にパンチェンラマの写真のみ。休憩室には江沢民の揮毫がかかっている。屋上にきて写真を撮るのは外国人だけで、チベットの巡礼者らは黙って経文を唱え、階段の脇をすり抜けてゆく。

途中、立入禁止ゾーンから扉が突如開かれて、なかから漢族の武警察がぬっと顔を出す。寺の所々は公安警察は悠然と、かつ公然と見張っているのである。
郊外にあるセラ寺へも行ったが、この河口恵海が留学したことで有名な名刹もパンチェンラマの写真だけだった。
ダライラマの瞑想した室が残るデプン寺はもっと郊外にあるが、台所に巨大な圧力釜があって写真を撮る場合は入場料とは別に十五元も要求される。観光ずれが甚だしいが、何処にもダライラマの肖像さえない。
こうして中国はチベットの正当な「歴史」を懸命に塗り替えた。 

(この紀行文は、近く写真を十数葉加えてHPに再録します)。

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