老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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伊勢雅臣先生の  国際派日本人養成講座  より転載しています。

地球史探訪: ラスト・エンペラーと「偽」満洲国
 日本は最後の清国皇帝を傀儡として、
「偽」満洲国をでっちあげたのか?

--------------------------------------------------------
 弊誌をあなたのホームページ、ブログ、メーリング・リスト、
メール・マガジンなどにご紹介ください。転載も大歓迎です。
ご紹介先のアドレスを記載して、本メールへの返信でお知らせ
下さい。薄謝として、本誌総集編(電子ブック版、¥800)
を贈呈します。
--------------------------------------------------------

■1.最後の皇帝の東京裁判での証言■

 清国の最後の皇帝であり、後に満洲国皇帝となった愛新覚
羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)は、東京裁判にソ連側の証
人として召喚され、「満洲国においては自分は日本軍閥の傀
儡(かいらい)に過ぎなかった」と答弁した。

 当時、溥儀はソ連に拘留されており、日本が満洲を侵略した
とするソ連の望むとおりの証言をしたのである。

 満洲事変当時、溥儀が陸相・南次郎に宛てた親書の中で、
満洲国皇帝として復位することを希望すると書いていた事実を
突きつけられても、溥儀はそれを偽造だと撥ねつけた。

 この強弁には弟の溥傑(ふけつ)でさえも憤慨し、日本軍
閥はわれわれを利用したかもしれないが、われわれも彼らを
利用したということを、どうして証言しないのかと、兄のふ
がいなさを嘆いたという。[2,p401]

 溥儀が清国皇帝として北京の紫禁城で成長し、後に生命の危
険が迫って日本公使館に逃げ込むというドラマチックな場面で
常に溥儀の側にいたのはイギリス人教師レジナルド・ジョンス
トンであった。ジョンストンは、その体験を『紫禁城の黄昏』
[1,2]という浩瀚な本にまとめている。この本の日本語訳監修
者の渡部昇一氏は次のように述べている。

『紫禁城の黄昏』が、極東軍事裁判(東京裁判)に証拠書
類として採用されていたら、あのような裁判は成立しなかっ
たであろう。

 こう言うだけで、本書の価値を知るには充分である。も
ちろん、何が何でも日本を悪者に仕立て上げたかった東京
裁判所は、本書を証拠資料として採用せず、却下した。
[1,p8]

■2.清国と満洲■

 さて清国皇帝が満洲に逃れて、そこで再び皇帝となった経緯
を理解するには、清国と満洲との歴史的関係を知っておかなけ
ればならない。

 清国とは、1636年に満洲族の愛新覚羅氏が建国した国である。
満洲族は漢族とは言葉も文字も習俗も異なるまったく別の民族
であった。清国は1644年に北京を攻略して、首都を移した。そ
れ以来、シナ本土は、満洲族による異民族支配の下にあった。
その後シナに革命が起こって清国は滅ぼされ、溥儀は故郷の満
洲に戻って満洲国の皇帝となったのである。

 しかし現在の中国は、溥儀は日本の傀儡であり、彼が復位し
た国を「偽満洲国」などと呼ぶ。さらに「満洲」という地名も、
「東北」と呼び変え、あたかもシナの一部であるかのように見
せかけている。

(注: ジョンストンの著書では、「中国(Chung Kuo)」と
「シナ(China)」を区別して使っているので、弊誌もこれに従っ
ている。「中国」は中華民国、または中華人民共和国の略称で
あり、シナは歴史的に漢民族の住んでいた地域を表す地理的概
念である。満洲は満洲族の住んでいた土地であり、当然、シナ
には含まれない。)

 おおよそ、これが満洲族とその皇帝のたどった歴史であった。
今回は溥儀が満洲に帰還するまでの時期を、ジョンストンの記
述を通じて辿ってみよう。そこから、日本が本当に「悪者」だっ
たのか、も見えてくる。

■3.ロシアから満洲を取り返してやった日本■

 19世紀末、清国は西洋諸国に領土を蚕食されていた。光緒
帝(溥儀の先代)は日本に倣って近代化路線をとり、国勢回復
を目指した。しかし、叔母にあたる西太后がその試みを絶ち、
光緒帝を監禁してしまう。清国は再び無気力な状態に戻った。

 1989年当時、満洲に住んでいた英国の商人たちは、「ま
さに現実のものとなっていくロシアの実質的な満洲併合」
について語っている。英国の宣教師の指導者も「私のみな
らず、私のもとで働くどの宣教師も口をそろえ、満洲とは
名前だけで、ことごとくロシアのものと思われると明言し
た」のである。

 これは、眼前にある今の満洲問題の背景を理解しようと
する者なら、絶対に忘れてはならない事実である。シナの
人々は、満洲の領土からロシア勢力を駆逐するために、い
かなる種類の行動をも、まったく取ろうとはしなかった。

 もし日本が、1904年から1905年にかけての日露戦争で、
ロシア軍と戦い、これを打ち破らなかったならば、遼東半
島のみならず、満洲全土も、そしてその名前までも、今日
のロシアの一部となっていたことは、まったく疑う余地の
ない事実である。[1,p43]

 満洲がソ連のものとなったら、次は朝鮮であり、そして日本
の独立も風前の灯火となる。日本は生き残りをかけてロシアに
決死の戦いを挑んだ。

 日本は、1904年から1905年、満洲本土を戦場とした日露
戦争で勝利した後、その戦争でロシアから勝ち取った権益
や特権は保持したものの、(それらの権益や特権に従属す
る)満洲の東三省は、その領土をロシアにもぎとられた政
府の手に返してやったのである。その政府とは、いうまで
もなく満洲王朝の政府である。 [1,p105]

■4.共和国の中の皇帝■

 1908年8月、光緒帝の弟である醇親王の子で、3歳にもなら
ない溥儀が第12代皇帝として即位した。同年11月14日に
光緒帝が亡くなり、翌日、西太后も没した。死期を悟った西太
后が、光緒帝を毒殺したという説もある。父親の醇親王が摂政
となったが、無知無力な人物であり、再び、政治的停滞の時代
が続いた。

 1911年、辛亥革命が起こり、翌年、中華民国が成立して、孫
文が臨時大統領に就任した。しかし、皇帝は一切の政治的権力
は剥奪されたものの、その地位は保全され、宮廷は維持された。
少年皇帝はそのまま紫禁城での生活を続けたのである。

 王政を倒し、国王を殺害したフランス革命やロシア革命と比
べれば、奇妙な妥協に見えるが、それは漢民族の間でも共和国
政府よりも皇帝への忠誠心がはるかに高かった、という実態を
踏まえたものだろう。

 清朝は漢民族を異民族支配したが、それは圧政とはほど遠かっ
た。宮廷の無気力と官吏の腐敗は甚だしかったが、過去3百年
間に渡って、民衆は自由に暮らしていた。西洋諸国や日本の外
圧がなければ、革命などは必要なかったのである。

 アメリカ人学者ウェルズ・ウィリアムズ博士は、著書『中国
総論』の中で次のように述べている。

 シナ人は個人的に不公平な課税に反抗したり、互いに結
託して不当に厳しい役人を殺害、放逐したりするが、その
一方で、彼らの皇帝への計り知れない畏敬の念ほど、シナ
の政治で注目に値するものはない。[1,p166]

■5.皇帝の家庭教師■

 しかし、共和制が始まっても、国内抗争は止まなかった。
1913(大正2)年には第2革命が起こり、袁世凱が大総統となり、
孫文は日本に亡命した。1915年には袁世凱は皇帝になろうとし
たが、第3革命が勃発し、翌年死去。1917年には帝政復古を図
るクーデターが起こったが失敗。軍閥間の抗争が激しくなった。

 ジョンストンが少年皇帝の「帝師(皇帝の家庭教師)」となっ
たのは1919年だった。溥儀は13歳になっていた。この時点で
の大総統は、袁世凱の友人で、学者や官僚としての立派な経歴
を持つ徐世昌だった。

 徐世昌は、共和制が失敗して民衆が旧体制を支持した場合に
は、溥儀を皇帝とする立憲君主制をとることを考えていた。そ
してその際には、溥儀が立憲君主にふさわしい役割を演じられ
るよう教育したいと考え、英語と初等の西洋の学問の師として
ジョンストンを招いたのである。

 教え子の皇帝と私との関係は、当初から友好的で仲睦ま
じいものであったが、時が経つにつれ、ますますその関係
も深まっていった。・・・

 陛下が最も興味を持ったのは、世界の時事問題(ヴェル
サイユ条約前後のヨーロッパの出来事も含まれる)、地理
と旅行、初歩的な物理科学(天文学も含む)、政治学、英
国憲政史、そして自国シナの政治の舞台で日々繰り広げら
れる劇的な諸事件である。

 私たちは、これといった手順を踏むわけでなく、このよ
うな話題についてシナ語で自由に話をする。したがって当
然のこと、あれこれと話をしているうちに時間がとられ、
英語の学習時間も削られることになる。[2,p31]

 紫禁城に閉じ込められた少年皇帝の目は、中国国内の動乱と
世界の情勢に向けられていた。

■6.満洲、蒙古の独立を望む声■

 この間にも、中国の国内情勢は混乱の度を増していった。

 一般大衆の意見はというと、当時のシナの多くの地域で
人々が共和国に幻滅しきっていたことは間違いない。共和
国はよいことを山ほど約束しておきながら、貧苦以外は、
ほとんど何ももたらさなかったからだ。[2,p57]

 ジョンストンはこう述べて、証拠の一つに中国で発行されて
いる欧州人による新聞の次のような記事を紹介している。

 増税したことと官吏が腐敗したことにより、国民は満洲
朝廷の復帰を望むようになっている。満洲朝廷も悪かった
けれども、共和国はその十倍も悪いと人々は思っている。
満洲王朝を恋しがる声は人里離れた辺鄙なところで聞こえ
るだけでなく、他の地方でも満洲朝廷を未だに望んでいる
のである。[1,p58]

 満洲王朝を望む声は、当然ながら、満洲および蒙古(モンゴ
ル)では一層強かった。蒙古族は、満洲族がシナ本土を征服す
る際に協力し、その後、清国に属して、清朝皇帝に忠誠を誓っ
てきた。だから、漢民族が独立して共和国を作っても、それに
従う理由はさらさらなかった。外蒙古はすでに1912年、中華民
国が成立した際に独立を宣言している。

 同時に、日本の後ろ盾を得て、満洲を独立させようという動
きも、ジョンストンの耳に届いていた。

 同年(1919年)の7月20日、私は個人的な情報筋から
次のような報告を受けた。「張作霖は君主制を復古しよう
と企んでいるが、その意図は翌年の秋に奉天で若い皇帝を
帝位につかせ、同時に日本の保護下で満洲を独立国として
宣言することだ」というものだった。[2,p70]

 日露戦争でロシアを駆逐して、満洲を返してくれた日本の力
を借りようという考えは、ごく自然なものだったのだろう。

■7.招かれざる客■

 1924年11月5日、大規模な内乱の中で、反乱軍の一部が紫
禁城に乱入し、溥儀に3時間以内の退去を命じた。溥儀はごく
わずかの身のまわりの物をまとめ、父・醇親王の邸宅に身を寄
せた。ここも反乱軍の監視下にあったため、ジョンストンは危
険だと考えて、皇帝を連れだし、受け入れ先を捜した。

 私はまず日本公使館に向かった。そうしたのは、すべて
の外国公使の中で、日本の公使だけが、皇帝を受け入れて
くれるだけでなく、皇帝に実質的な保護を与えてくれるこ
ともでき、それも喜んでやってくれそうな(私はそう望む
のだが)人物だったからだ。[2,p344]

 ジョンストンは日本の芳沢公使に皇帝を保護して欲しいと懇
願した。公使はしばらく考えてた後、その懇願を受け入れた。

 溥儀は数カ月間、日本公使館で保護された後、天津の日本租
界に移り、同地で7年もの亡命生活を送った。この間、日本政
府は溥儀を利用しようという素振りすら見せなかった。

 それどころか、日本や、日本の租借地である満洲の関東
洲に皇帝がいては、日本政府が「ひどく困惑する」ことに
なるという旨を、私を通して、間接的に皇帝に伝えたほど
である。[2,p368]

 日本政府にとって、溥儀は招かれざる客であった。

■8.龍は古き故郷に帰って来た■

 1930(昭和5)年、ジョンストンは溥儀と別れ、イギリスに戻っ
た。翌1931年9月、満洲事変が勃発。ちょうどその直前に、ジョ
ンストンはイギリスの外交関係の任務を得て、中国を再度、訪
問し、天津で溥儀とも再会していた。

 11月13日、上海に戻ってみると、私的な電報で皇帝
が天津を去り、満洲に向かったことを知った。

 シナ人は、日本人が皇帝を誘拐し、その意思に反して連
れ去ったように見せかけようと躍起になっていた。その誘
拐説はヨーロッパ人の間でも広く流布していて、それを信
じる者も大勢いた。だが、それは真っ赤な嘘である。

 ・・・皇帝が誘惑されて満洲に連れ去られる危険から逃
れたいと思えば、とことこと自分の足で歩いて英国汽船に
乗り込めばよいだけの話である。[2,p393]

 1932年、関東軍(大日本帝国陸軍)は満洲国を設立し、溥儀
を「執政(最高行政官)」として招請した。

 皇帝が北へ向かうと、彼の乗った特別列車はあちこちの
地点で停車し、地方官吏やその他の役人たちが主君のとこ
ろへ来て敬意を表するのを許したのである。・・・

 龍は古き故郷に帰って来たのである。[2,p394]

 その後、溥儀は満州国の皇帝となった。満州国は関東軍の庇
護のもとで、五族協和(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古
人)のスローガンを掲げ、平和な国土作りに邁進した。戦乱の
続くシナ大陸から毎年100万人以上の民衆が万里の長城を超
えて、豊かで平和な満洲国になだれ込んでいった。[a]
(文責:伊勢雅臣)
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伊勢雅臣先生の「国際派日本人の情報ファイル」より転載しています。
こんな人も日本人と称してマスコミに登場し登場させていた。

筑紫哲也の民族差別
伊勢雅臣

■1.「白い煙が見えます。温泉のようです」■

 TBS『NEWS23』のニュース・キャスターだった筑紫
哲也氏の偏向報道ぶりは国際派日本人養成講座451号「筑紫哲
也の描く異界」 [a]で紹介したが、この人の「異界人」ぶりは、
際立っている。

 阪神・淡路大震災の際には、ヘリコプターで現地に飛び、あ
ちこちで火災が起こっている様に、「白い煙が見えます。温泉
のようです」と口走った。白い煙の下で多くの人が焼け死んで
いるかも知れないなどとは、考えもしないようだ。

 ヘリコプターが地上に降りると、スーパーマーケットに並ぶ
被災者の長蛇の列に近づいて「社会主義の国みたいですね」。

 その後、都市災害の専門家と並んで歩いている際には、右手
の人差し指と薬指に煙草を挟んでいる様子が映し出された。瓦
礫の中には生存者もいる可能性があり、ガス漏れの恐れもある
中を煙草片手に歩いている姿をテレビで見た女性は、こう語っ
ている。

 友人と三人でテレビを見ていて、タバコがハッキリ映し
出されたとき、なにコレ、ふざけるんじゃない! と思わ
ず叫んでしまった。その後TBSに抗議の電話をいれたけ
どぜんぜん繋がらなかった。[1,p81]

 TBSに繋がらなかったのは、抗議の電話が殺到していたか
らだろう。しかし、これでも懲りないのが、筑紫氏の本領のよ
うだ。

 異様な発言ぶりは、北朝鮮の拉致事件の際にも発揮された。
平成14(2002)年9月に小泉首相が電撃的な北朝鮮訪問を行い、
金正日が拉致の事実を認めた後で、一月ほど経った『多事争論』
の中で、こう発言したのである。

 拉致された人、そして亡くなった人たちに何らかの過失
があったとすれば、それは「日本人」に生まれたというこ
とでしょう。[1,36]

 日本人に生まれたことを「過失」と言い、拉致され殺された
人たちにも責任があったとする思考は、常軌を逸している。拉
致被害者の家族の気持ちを逆なでする発言である。

 筑紫哲也氏は、普通の日本国民に対しては、一片の同情心も
持たない人間のようだ。

■2.犯罪報道における民族差別■

 筑紫哲也氏はオウムや北朝鮮拉致の被害者、大震災の被災者
など一般国民には、一片の同情も見せないが、逆に深い同情心
を寄せる人々がいる。北朝鮮、韓国、中国などの近隣諸国、お
よび、国内では同和団体などの「弱者」である。

 平成18(2006)年5月12日に各局が一斉に報じた在日韓国
人・禹時允(ウ・シユン)による過去最大級の覚醒剤密輸事件
も、『NEWS23』のみは報じなかった。ところが、その4
日後に日本人共犯者2人が逮捕されたニュースは報じている。
この時はさすがにナレーションで禹時允の名は紹介されたもの
の、彼が在日韓国人であるという事実は伝えられなかった。

 平成17(2005)年4月に、韓国籍の牧師・金保(通称:永田
保)が信者の少女に性的暴行を加えたとして逮捕された事件に
関しても、『NEWS23』は「『神の祝福』牧師が少女に暴
行 逮捕(婦女暴行容疑)永田こと金保容疑者」(4月6日)
と報じたのみで、金保が韓国籍である事実を全く伝えていない。

 ところが、同年11月30日に、ペルー人が女児殺害した時
には、「広島女児殺害事件 ペルー人の男を逮捕」と、名前で
なく国籍を暴露している。

 同様な配慮は北朝鮮に対しても見られる。平成15(2003)年
5月におきた在日朝鮮人系商社「明伸」による北朝鮮へのミサ
イル部品不正輸出事件では各局が大きく報道しているにも関わ
らず、『NEWS23』は「部品供給をしているのは日本でし
た」などとナレーションを入れ、「明伸」が在日朝鮮人系企業
であることは伏せたままだった。

 平成17(2005)年10月に、拉致被害者を監禁したとされる
朝鮮総連系病院に捜査のメスが入った時には、『NEWS23』
は拉致との関連を伏せ、単なる薬事法違反事件であるかのよう
に報じた。おまけに、在日朝鮮人たちが捜査にあたる警官を取
り囲んで罵り暴力を振るう映像も、他局が報じて日本社会を騒
然とさせたのだが、『NEWS23』は報道しなかった。

 犯罪者・犯罪企業が韓国籍や北朝鮮籍の場合だけ、その国籍
を隠したり、犯罪そのものを報じないというのは、あからさま
な民族差別である。

日本的雇用の典型である「終身雇用制」が失われ、われもわれもと雇用制度の変更を展開してきた。
これが近代的雇用制度であるかのごとく。
この結果が今日の雇用問題である。
雇用制度も日本の文化の一つであることを考えると、日本の破壊はあらゆるところで展開されている。

日本的とは何か、あらゆるところで再検討が求められている。



伊勢先生の 「国際派日本人養成講座」より転載しています。

 進化する日本的経営

 日本企業は終身雇用制を武器に、バブル
崩壊後も力強い進化を続けてきた。


■1.「失われた10年」ではなく「再設計の10年」■

 1958(昭和33)年に『日本の経営』を出版し、日本的経営の
強さの秘密を解明したジェームス・アベグレン氏が、半世紀を
経て、その続編とも言うべき『新・日本の経営』を世に問うた。
そこではこの50年の日本企業と日本経済のダイナミックな躍
進ぶりが、豊富なデータや実例をもとに描かれている。

 それらのデータは、日本人自身が描いている、「バブルに踊
らされ、『失われた10年』に低迷した日本経済」という自画
像は、まったくの誤りだということを示している。

 アベグレン氏は、こう指摘する。

「失われた10年」という言葉が不用意に使われることが
少なくないが、1995年から2004年までの10年間をそのよ
うに表現することはできない。この言葉はまったく馬鹿げ
ている。この10年は失われたどころか、じつに活発に効
果的に使われてきた。・・・

 この10年は日本企業が戦略と構造を再編する決定的な
動きをとってきた時期であった。きわめて重要な再設計の
10年であり、停滞していたどころか、緊急に必要だった
新しい制度をつぎつぎに確立した10年であった。[1,p25]

 アベグレン氏がどのような事実から、「失われた10年」と
いう言い方が「まったく馬鹿げている」と言うのか、見てみよ
う。

■2.鉄鋼業界復活の奇跡■

「再設計の10年」に見事な進化を遂げた分野の一つが、鉄鋼
業界である。鉄鋼業界は長年にわたって、総合メーカーが、新
日鉄、日本鋼管、川崎製鉄、住友金属、神戸製鋼所と5社もあ
り、過当競争の状態になっていた。

 しかも先進国においては、鉄鋼産業は衰退していくものと思
われていた。イギリスの鉄鋼産業は崩壊したし、アメリカの主
要鉄鋼メーカーが次々と倒産していた。

 1980年代半ばにバブル経済が始まると、各社は新規分野に活
路を見出すべく、猛烈な事業多角化に乗り出した。エレクトロ
ニクス、情報通信、バイオテクノロジー、都市開発等々。しか
し、バブル崩壊とともに、これらの新規事業は大部分が苦境に
陥り、平成5(1993)年には、5社が揃って赤字となった。

 それから10年。鉄鋼業界は見事な変身ぶりを見せた。平成
16(2004)年の国内生産高は1億1千万トンと、利益ピーク時
の平成2(1990)年度の1億2千万トンに近い水準に復帰した。
しかも、これを9万2千人と、ピーク時の13万8千人の三分
の二の人員で達成している。労働生産性が3割ほども向上した
わけだ。

■3.奇跡の秘密■

 日本の鉄鋼業界は「先進国では鉄鋼業のような成熟産業は衰
退していく」という従来の定説を見事に覆した。どうして、こ
んな奇跡が起こりえたのか。

 まず日本鋼管と川崎製鉄は、鉄鋼事業を統合してJFEスチ
ールを発足させ、また新日鉄、住友金属、神戸製鋼所は提携を
深めていった。企業統合により、生産・経営・研究開発の効率
を飛躍的に高めたのである。

 さらに新規事業を大幅に整理し、本業に経営資源を集中して
いった。そして研究開発に巨額な投資をした結果、国内のエレ
クトロニクス産業や自動車産業向けの高付加価値の鋼材に重点
を移した。

 国内の先進的産業への高付加価値商品の供給が中心となり、
輸出比率は低下を続け3割となっている。輸出の最大の向け先
は韓国で、ここには生産コストが世界最低と言われる鉄鋼メー
カー・ポスコがあるが、高付加価値製品においては日本企業が
圧倒的な競争力を維持しているのである。

■4.終身雇用は維持■

 鉄鋼業界の復活の陰には、もう一つの奇跡がある。大量解雇
を行わずに、復活を遂げたことだ。

 行き過ぎた多角経営を整理したり、本業の鉄鋼生産での効率
化のためには当然、人員を縮小する必要があったが、それを新
規採用を絞り、定年による自然減や関連会社への出向など、終
身雇用を維持したまま実現してきた。それだけ業績的には苦し
い期間が長引くが、それに耐えてやってきた。

 福利厚生も高い水準で維持されてきた。新日鉄では1万4千
戸の社宅があり、5千人分の独身寮がある。持ち家融資制度、
子女の教育支援融資制度がある。さらに勤続年数が15年を超
えると、15万円の旅行引換券と10日間の特別休暇が与えら
れる。バブル後の苦しい中でも、こうした高水準の福利厚生を
維持したまま、終身雇用制が守られてきた事は、特筆に値する。

「終身雇用制」という用語は、アベグレン氏が日本企業の雇用
慣行を分析して、「終身の関係(lifetime commitment)」と名
付けたところから、広まったようだ。その後、「終身雇用制は
終わった」と繰り返し主張されてきたが、事実はそうではない。

 平成4(1992)年と平成12(2000)年を比較すると、日本企業
の平均勤続年数は10.9年から11.6年と伸びている。また
労働人口の中で勤続年数10年以上の比率も、42.9%から
43.2%と上昇している。バブル崩壊も含んだ期間だが、日
本企業全体で終身雇用制は維持されてきたのである。

 朝日新聞が平成15(2003)年7月に広範囲な産業の大手百社
を対象にした調査でも、88社が終身雇用制を維持する、と回
答している。

 最近は、派遣という新しい雇用形態が導入され、現在の経済
危機で派遣斬りが社会的に問題とされているが、これについて
は後で触れる。

■5.「事業は整理しても、人員は整理しない」■

 日本企業はバブル崩壊後の苦しい時期にも関わらず、終身雇
用制を維持してきたわけだが、逆に、終身雇用制があればこそ、
バブル崩壊後の事業再構築に果敢に取り組むことができた、と
言えるのではないか。

 たとえば、赤字になった新規事業を店仕舞いしようとすれば、
アメリカ企業なら、その部門の従業員を解雇してしまえる。当
然、従業員からの強い抵抗があるだろう。「まだ打つ手がある」
などと理由をつけて事業整理に反対し、それをトップが強引に
押し切っても、翌日からみな新しい仕事探しに奔走して、店仕
舞いの処理などは手を抜くだろう。はた迷惑を受けるのは顧客
の方で、当然その企業全体に悪い印象を持つ。また他の部門の
社員も、次は自分たちの番かと、戦々恐々としていなければな
らない。

 こうした形で赤字部門を斬り捨てれば、財務的には短期間で
V字回復を実現できるが、社内の志気や顧客の評判という精神
的な面では、長期的な悪影響を残す。

 一方、日本企業の終身雇用制では、赤字事業を閉じるにして
も、人の方は最後まで面倒を見る。社内の他部門に異動させる
か、あるいはその事業を他社に売却する場合は、人もそのまま
転籍させることで雇用は確保する。これなら、従業員の抵抗も
少なく、店仕舞いも最後までちゃんとやる。そして顧客に迷惑
がかからないよう、細心の注意を払うだろう。

 また撤退する事業から余剰人員を受け入れた部門は、人件費
増をカバーすべく、さらなる生産性向上や売上拡大を目指す。

「事業は整理しても、人員は整理しない」終身雇用制のやり方
では、業績の短期的なV字回復は望めないが、顧客との関係や
社員の志気を大事にすることで、中期的にはより強い企業体質
を作るアプローチである。

 外部から見れば、派手なV字回復などないだけに、「失われ
た10年」に見えるだろうが、多くの日本企業はその10年を
かけて着実に強い体質を作ってきた。鉄鋼業界の奇跡は、その
見事な一例である。

■6.「企業は社員の共同体」■

 合併により企業規模を拡大し、また行き過ぎた多角経営を改
めるなど、日本企業はバブル崩壊後に着実な変革を進めてきた
わけだが、こと人に関わる部分については、頑固に終身雇用制
を維持してきた。アベグレン氏は言う。

 ・・・日本の経営システムを特徴づけているのは、人間
にかかわる部分であり、日本企業の文化はこの部分に基づ
いている・・・ 日本企業は何よりも社会組織である。企
業を構成する人間が経営システムの中心に位置している。
会社ではたらく社員が利害関係者の中心である。会社とい
う共同体を構成しているのは、社員なのだ。[1,p27]

 もっとも、企業を従業員の共同体と考えるのは、日本だけで
はない。経営学者のピーター・ドラッカーは、こう指摘する。

 アメリカとイギリスを除けば、先進国の中で会社が株主
のためにあると考えている国はない。これはまったく異質
の考え方である。ほとんどの国は、会社は社会の調和のた
めに、雇用のためにある。日本では社会の現実をみれば、
雇用が最優先されている。ドイツでもそうだ。[1,p217]

 当のアメリカにおいても、ビジネス・ウィーク誌の調査によ
れば、大企業500社のうち、177社が同族経営となってい
る。そしてこれら同族企業は、他の企業に比べて、収益性も成
長性もはるかに高い。同誌はその理由をこう分析している。

 団結心が強い一族のリーダーが指揮をとっているので、
意思決定は容易だし早く、ふつうの企業なら逃すような機
会をうまく活かすことができる。家族主義の企業文化になっ
ていることが多いので、従業員の回転が少なく、経営を引
き継ぐ人材を育成できる。一族のCEO(最高経営責任者)
は外部から招聘されたCEOとは違って、一族が将来にわ
たって会社に関与していくことを知っているので、事業へ
の投資を積極的に行う可能性が高い。[1,p224]

■7.終身雇用制は強い武器■

 日本企業が先端技術商品や高付加価値製品で勝負する上でも、
終身雇用制は強い武器となる。

 高度な製品開発を行うためには、様々な分野の専門技術者が
集まって、緊密なチームワークを行う必要がある。こうした専
門技術者を育成するためにも、終身雇用制においては、社員が
長年、自社のために働いてくれる事を前提に、教育・育成にじっ
くりと金と時間をかけることができる。またお互いに長年、一
緒に仕事をやっているので、チームワークも容易である。

 製造現場においても、作業員は高度な設備を使いこなすため
に、常に技能を磨き、作業ミスやムダをなくすための改善活動
を展開する。一人当たりの平均改善提案件数が年間数十件とい
う企業は珍しくない。

 小売業においても、商品知識を蓄えたり、仕入れ方法や展示
方法を工夫するなど、熟練と創意工夫が求められる。こうした
店員を育てるためにも、終身雇用制は有効である。平成18
(2006)年にアパレル大手のワールドが販売子会社のパートやア
ルバイト約5千人を正社員化するなど、ここ数年、多くの産業
分野で正社員化の動きが広がっていたが、これも派遣・パート
・アルバイトなどで低賃金化を図るよりも、正社員化して意欲
を高め、生産性や業務品質を高めた方が良いという判断からで
ある。

 終身雇用制は、我が国のような高度な産業社会によくマッチ
した制度である。100社中の88社もが「終身雇用制を維持
する」と回答しているのは、この点を多くの企業が認識してい
るからであろう。

■8.終身雇用制は厳しい道■

 一方、ここ数ヶ月の急激な大不況で、派遣切りが大きな社会
問題になっている。マスコミのセンセーショナルな取り上げ方
には問題があるが、終身雇用制になじんだ日本人の感覚からし
て、ドライな派遣切りには抵抗を感じるのも事実であろう。

 高付加価値商品でグローバルな競争に打ち勝っていこうとす
る企業なら、派遣社員利用による人件費削減などという安易な
逃げ道に走らず、正社員の終身雇用により、人材育成と技術開
発に取り組む事が正攻法だろう。単純な作業は自動化するか、
低賃金国に移せばよい。

 一方、従業員の方も、終身雇用制においては、何年も外国に
単身赴任したり、気に入った仕事につけなかったり、という厳
しさがあることを自覚しければならない。派遣社員のようにい
つでも好きなときに辞めて「自分探しの旅」に出る、などとい
う気ままさは許されない。企業という共同体の中で生きるには、
全体のために自分を犠牲にしなければならない場合もあるので
ある。

 終身雇用制とは、企業にとっても、社員にとっても、ある意
味では逃げ道のない厳しい仕組みである。そして退路を断って、
人材育成と技術開発という正攻法で変革の道を歩み、立派な業
績を残してきたのが、多くの日本企業であった。

■9.「日本人はいつも将来を悲観的に、現状を否定的にみており」■

 こうした分析をもとに、氏は言う。

(日本の)過去50年の実績と、今後の100年の見通し
は、海外で称賛を受け、国内で誇りにするに値するもので
ある。[1,p45]

 それなのに、この点を自覚していないのが、最も問題だと氏
は指摘する。

 21世紀に日本が直面している問題のもっとも深刻な点
は、この自信のなさ、とくに若者の無気力だといえる。日
本人はいつも将来を悲観的に、現状を否定的にみており、
事実を客観的に分析すれば根拠がないことがはっきりして
いても、こうした見方が根強いのがたしかな現実である。
[1,p16]

 悲観的・否定的なニュースばかり流す一部の偏向マスコミに
流されることなく、我々は「過去50年の実績」に誇りと自信
を持ち、「今後の100年」に向けて、我々の強みをさらに磨
いていかなければならない。
(文責:伊勢雅臣)

日本の歴史も知らない日本人を育成してなんとも思わない文科省、教育委員会にほとほと呆れるばかりです。

まず第1弾は、全国で必須にすべきです。
第2弾が国民の立場で書かれた教科書です。
日本のことを知らない日本人は「国際人」とは通用しないでしょう。


◆高校の日本史、広がる必修化 理数系でも国際人の「教養」

 (産経 2009/2/11)


 ■日本人としての誇り持たせる


 高校の学習指導要領で選択科目とされている日本史を必修化する動きが広

がっている。横浜市は平成22年度から全市立高校での必修化を発表し、理

数系新設校では国際的に活躍する科学者の「教養」として今春から先行実施。

神奈川県立高校では25年度から必修化される。いずれも郷土史に重点を置

き、自国の文化や歴史を発信する基礎力を育て、日本人としての誇りを持た

せる教育が目標だ。今日は建国記念の日。歴史をどう教え学ぶか課題を探った。



 ■独自の新科目も


 4月に開校する横浜市立横浜サイエンスフロンティア高校(横浜市鶴見区)

では、「日本史A」を必修科目として2年次に履修させる。教科書の内容に

加えて、横浜検疫所に勤めていた野口英世にスポットを当てたり、外部講師

による講話や科学史など、独自の内容を盛り込む予定だ。



 理数教育に重点を置く同校では、日本史を「国際的に活躍する科学者、技

術者としての教養」と位置づける。内田茂・開設準備担当部長は「日本人が

世界と競争して現在の地位を獲得したことを理解させ、優秀な先人の知識、

技術を継承するプライドを持ってもらいたい」と話す。



 25年度から全県立高校で必修化する神奈川県教委では、「日本史A」

「日本史B」を選択しなかった生徒に、県独自の新科目「郷土史」「近現代

史」のうち1科目を履修させる。



 新科目では郷土に関連する内容を取り扱い、県立図書館や歴史博物館など

と連携した課題追究研究、作業的・体験的学習、研究発表など、生徒が主体

的に取り組む内容を中心に構成。「学んだことを自分の言葉で表現できる力

を養う」(県教委)という。



 ■教科書改善も必要


 日本史必修化をめぐっては、18年9月に神奈川のほか東京、千葉、埼玉

の1都3県の教育長が連名で必修化を求める要望書を文部科学相に提出した。

背景にあるのは、神奈川県や横浜市で約3割の生徒が高校で日本史を学ばず

に卒業するという、履修率の低さだ。



 「友好提携都市との交流事業などで海外に行き、そこで日本のことを説明

できなかった生徒もいる」と神奈川県教委。国際交流が活発化する一方で、

高校生の日本に対する「理解不足」が表面化しており、県教委は「海外で日

本について語れることが、日本人として誇りを持つことにつながるのでは」

と期待する。



 日本史教育に詳しい福岡県立高教諭の占部賢志氏は「日本人としてのアイ

デンティティーを学び、さらに異文化交流の歴史を教えることで、国際的視

野を持った日本人を育成することが大切だ」と、必修化の意義を強調。その

一方で、「教科書の内容を現行の3倍程度に増やし、史実の詳細を描き込む

ことで、イデオロギーが入る余地をなくしてほしい」と教科書の改善の必要

性も指摘する。



 横浜市立中教諭で「先生、日本のこと教えて」の著書がある服部剛氏は

「必修化が他の都道府県にも波及してほしいが、必修化だけでは手放しで喜

べない。学ぶべきは日本人からみた日本の歴史であり、国民の立場で書かれ

た日本史の教科書が必要だ」と話している。

朝日新聞の記事に実質反論した田母神前空幕長の発言が纏められています。

リンクも参考になります。
いろんなところでご活用されては。


伊勢先生の「国際派日本人養成講座」よりの転載です。

 言論封じる「空気の支配」
「日本はいい国だったと言ったら解任された」
田母神俊雄・前航空幕僚長

■転送歓迎■


■1.「ぞっとする自衛官の暴走」■

 待ってましたとばかりに朝日新聞が吠えた。田母神(たもが
み)俊雄・航空幕僚長が民間企業の懸賞論文に応募した事で更
迭された事件に関して、「空幕長更迭 ぞっとする自衛官の暴
走」と題した社説である。

 こんなゆがんだ考えの持ち主が、こともあろうに自衛隊
組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒
くなるような事件である。[1]

 この朝日新聞社説に対して、田母神氏は、こう述べている。

「日本は侵略国家ではない」という私の主張にここまで過
剰に反応するとは、こちらがぞっとさせられた。

 とにかく内容に立ち入らずに、入り口で議論を封じてし
まう、あちら側にいる人たちのいつもの戦法だ。・・・

 私は時事通信の記者会見で「もうそろそろ自由に発言で
きる時期になったと思った私の判断が間違っていたかも知
れない」「この程度のことすら言えないようでは民主主義
国家とは言えない、北朝鮮と一緒だ」と語ったが、それが
本音である。[2,p13]

 両者ともに「ぞっと」したわけだが、どちらが「ゆがんだ考
えの持ち主」か、事実を見てみたい。

■2.「実証的データの乏しい歴史解釈や身勝手な主張」■

「入り口で議論を封じていまう」戦法は、この朝日社説に如実
に表れている。

 論文はこんな内容だ。

「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害
者」「我が国は極めて穏当な植民地統治をした」「日本は
ルーズベルト(米大統領)の仕掛けた罠(わな)にはまり、
真珠湾攻撃を決行した」「我が国が侵略国家だったという
のはまさに濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)である」--。

 一部の右派言論人らが好んで使う、実証的データの乏し
い歴史解釈や身勝手な主張がこれでもかと並ぶ。[1]

 田母神氏の「ゆがんだ考え」に対する反論はこれだけだ。
「実証的データの乏しい歴史解釈」と言うが、たとえば論文に
は、以下のような一節がある。

 満州帝国は、成立当初の1932年1月には三千万人の人口
であったが、毎年百万人以上も人口が増え続け、1945年の
終戦時には五千万人に増加していたのである。満州の人口
は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良
かったからである。[2,p218]

 これが「実証的データに乏しい歴史解釈」であり、「身勝手
な主張」であろうか。これを「ゆがんだ考え」と言うなら、よ
り「実証的なデータ」を出して、反論すべきではないか。

 そんな努力も一切せずに「ぞっとする」「ゆがんだ考え」と
斬り捨てる方こそ「実証的データに乏しい歴史解釈」「身勝手
な主張」だ。自由主義社会の言論機関がすべきことではない。

 なお、これ以外にも実証データを見たい読者は、たとえば
弊誌既刊[a,b,c,d,e]を参照していただきたい。実証データが
「これでもか」と並んでいる。

■3.中国軍幹部の見識■

 実は、田母神氏は中国軍幹部とも歴史論争をしている。平成
16(2004)年、統合幕僚学校の海外研修で、田母神氏は校長と
して、学生を引率して中国を訪問した。

 総参謀部ナンバー2の範長龍・参謀長助理と面談した時のこ
とである。範中将は、とうとうと語り始めた。自分は瀋陽軍管
区(旧満洲)の生まれで、子供の頃から両親や親族から日本軍
の残虐行為を繰り返し聞かされ、到底忘れることはできない、
と言う。

 範中将の話が終わる様子がないので、田母神氏は手を挙げて
話を遮って、次のように発言した。

 平和な時代にも暴行はあるし殺人もある。それだけを取
り上げて残虐行為が頻繁に行われたという中国側の歴史認
識にはまったく同意できない。日本軍が実質満州を統治す
るようになってから満州の人口はどんどん増加している。
それは満州が豊かで治安が良かった証拠である。残虐行為
が行われる場所に人が集まるわけがない。

 そして日本はアメリカから原爆投下や東京大空襲で、民間人
に対する無差別テロを受けたが、それに対して謝罪要求をする
ことはしない。中国は日中会談のつど、それをやっていて、そ
れが日中関係を阻害している、と語った。

 範中将はややびっくりしたような表情をしたが、「歴史認識
の違いが日中軍事交流の妨げにならないようにしたい」との趣
旨を語った。範中将のこの答えは見事な見識だ。朝日新聞の社
説子よりも、はるかに思想・言論の自由をわきまえている。

■4.「政府の基本方針」■

 朝日の社説子は、5万人の航空自衛隊のトップである空幕長
が「政府の基本方針を堂々と無視して振る舞い」と非難してい
るが、この「政府の基本方針」とは村山談話のことである。

 村山談話とは、平成7(1995)年8月15日に村山富市首相が
閣議決定に基づき発表したものだ。村山は日本社会党党首だっ
たが、自民党との連立により、たまたま首相になっていた。

 村山談話の中に次の一節がある。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争へ
の道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略
によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し
て多大の損害と苦痛を与えました。

 朝日新聞は、これを「政府の基本方針」と見なして、「日本
は侵略国家ではない」と主張する田母神論文を、「ゆがんだ考
え」と非難しているのである。

■5.議論を封じて成立した村山談話■

 そもそも、この村山談話がどのような経緯で閣議決定された
のか、見ておく必要がある。[f]

 平成7(1995)年、戦後50周年を機に、村山首相は談話と同
内容の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議案」を国
会で決議しようとした。

 しかし、この決議案には超党派の反対意見が強く、国会で成
立する見通しは立たなかった。そこで村山首相は、同じく社会
党の土井たか子衆院議長と一計を案じ、平成7年6月9日、
「本日は本会議なし、各議員は選挙区に帰られたし」との通知
を衆議院内に回した。

 多くの議員がこれを信じて帰郷したその夜、土井議長は本会
議開催のベルを鳴らし、議員総数509人のうち、265人が
欠席するという異常な状況の下で、わずか230人の賛成で決
議を成立させた。開会が7時53分、決議後の散会が7時59
分という早業であった。

 しかし、参議院の方は、衆院でのあまりにも汚いやり方に審
議すらせず、決議案は宙ぶらりんの状態になってしまった。

 そこで村山首相は、同年8月15日の閣議で、少数のスタッ
フで作成した談話を事前説明もなしに、読み上げさせた。「閣
議室は水を打ったように静まり返った」。突然出された談話に、
閣僚は誰ひとり反論できず、閣議決定とされたのである。

 朝日新聞の言う「政府の基本方針」とは、国会内でも閣議で
も議論を封じ、多数派の隙をついて騙し討ち的に成立させたも
のなのである。民主主義国家にあるまじき成立プロセスであっ
た。

■6.「村山談話は言論弾圧の道具だ」■

 田母神氏は平成20(2008)年11月11日に参院の外交防衛
委員会に参考人として招致された。2時間半の審議の後、国会
を出ようとする田母神氏は、追いかけてきた記者にこう語った。

 村山談話の正体が本日分かった。村山談話は言論弾圧の
道具だ。自由な議論を追求することができないなら日本は
北朝鮮と同じだ。[1,p70]

 審議の冒頭から北澤俊美委員長(民主党)は「本委員会は参
考人の個人的見解を表明する場ではありません」と釘をさした
上で、こう言った。

 論文事案は制服組のトップが自衛隊の最高指揮監督権
を有する内閣総理大臣の方針に反したことを公表するとい
う驚愕の事案であり、政府の文民統制が機能していない証
であります。・・・昭和時代に文民統制が機能していなかっ
た結果、国家が存亡の淵に立ったのは、忘れてはならない
過去の過ちであります。存亡の淵に立った最初の一歩は、
政府の方針に従わない軍人の出現とその軍人を統制できな
かった政府、議会の弱体化でありました。[1,p71]

 田母神論文を「文民統制が機能していない証拠」と決めつけ、
それによって政府を追求するための審議だったのである。

 毎日新聞の同日夕刊も「この日は通常の参考人招致と異なり、
田母神氏が委員の質問だけに答える形式をとった。田母神氏が
持論を一方的に披露することを警戒したため」と報じた。

■7.発言を封じられた「参考人」■

 実際に、田母神氏は二度にわたって、発言を封じられている。
一度目は、田母神氏が次のように発言した時である。

 ただ私は村山談話で批判されているが、村山談話と私の
論文は別物だと思っています。村山談話はどの場面が侵略
とも具体的に言っていない。自衛官にも憲法19条、21
条、23条の自由が、、、

 ここで委員長は「参考人に申し上げます。冒頭の委員長発言
の趣旨を体して発言してください」と田母神氏を遮った。

 もう一回は、こう述べた時である。

 で、私も今回びっくりしていますので「日本はいい国だっ
た」と言ったら解任されたと。そしてまた責任の追及も
「いい国だと言ったような人間をなぜ任命したんだ」と言
われる。(このまま)しゃべっていいですか。

 北澤委員長はまたしても「参考人、質問者はそこまで質問し
ていません」と発言を制した。

 北澤委員長は「内閣総理大臣の方針に反した」とか「政府の
文民統制が機能していない」と冒頭で決めつけたが、田母神論
文のどこがどのように「内閣総理大臣の方針に反した」のか、
文民統制上、自衛官はどこまで言論の自由が持てるのか、とい
う本質的問題に対しては、議論を封じているのである。

■8.我が国の言論の自由を蝕む「空気の支配」■

 何の根拠も示さず、何の議論もなく騙し討ち的に成立した村
山談話が金科玉条とされ、それを批判する言動は、これまた何
の根拠も示されずに、「ゆがんだ考え」「ぞっとする」とまで
罵倒される。

 自由な議論の場であるはずの国会でも、田母神氏の発言のど
こがどう問題なのか議論もされず、氏の自由な発言も許されな
かった。

 こういう情景から思い起こされるのは、山本七平氏が名著
『空気の研究』で提起した「空気」という概念である。

 いわば彼を支配しているのは、今までの議論の結果出て
きた結論ではなく、その「空気」なるものであって、人が
空気から逃れられない如く、彼はそれから自由になれない。
・・・従って「空気だ」と言われて拒否された場合、こち
らにはもう反論の方法がない。[3,p14]

 村山談話に込められた「日本は侵略国家」という自虐史観、
そして「文民統制」の背後に潜む「軍の暴走」という強迫観念、
これらは戦後の日本を拘束してきた「空気」なのであり、その
「空気」を批判する人は、「KY(空気が読めない)」として、
たちどころに左傾マスコミや野党から問答無用の集中砲火が浴
びせられるのである。

■9.「空気の支配」を打破するには■

 我が国が国民の多数意思に基づく真の自由民主主義国家に脱
皮するためには、こうした自由で理性的な議論を封ずる「空気
の支配」を打破しなければならない。

 その兆しはある。田母神氏の著書[2]は、硬い内容のわりに
はベストセラーとなっている。またヤフーの世論調査では「幕
僚長という立場で政府見解に反する論文を公表したことに、問
題があったと思いますか」という設問に対し、投票総数9万7
千票ほどのうち、「まったく問題なし」46パーセント、「ほ
とんど問題なし」13パーセントという結果となった。

 朝日新聞などによる「空気の支配」を打ち破るのは、国民一
人ひとりの事実と理性に基づく自由な言論活動である。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(446) スターリンと毛沢東が仕組んだ日中戦争
 スターリンはソ連防衛のために、毛沢東は政権奪取のために、
蒋介石と日本軍が戦うよう仕組んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog446.html
b. JOG(239) 満洲 ~ 幻の先進工業国家
 傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以
上の中国人がなだれ込んだ理由は?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog239.html
c. JOG(254) 「親日派のための弁明」を読む
 私たちは国を奪われたのではなく、日本というましな統治者
を受け入れたのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog254.html
d. JOG(168) 日米開戦のシナリオ・ライター
 対独参戦のために、日本を追いつめて真珠湾を攻撃させよう
というシナリオの原作者が見つかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog168.html
e. JOG(059) パール博士の戦い
 東京裁判で全員無罪を主張
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog059.html
f. Wing(1196) だまし討ちで成立した村山談話
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/wing1196.html

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