日ごろから関心を持っていた国旗掲揚に関して、今朝の産経新聞の「正論」に下記の記事がありました。
この質問した記者の知的レベルの何と低いことか。このような記者を採用した新聞社の名誉は何処へ投げ捨て去ったのでしょうか
◆記者会見場に国旗 なぜ悪い 【正論】社会学者・加藤秀俊
(産経 2008/10/27)
≪■あきれる記者の質問抗議≫
新聞報道によると、17日、中川財務・金融大臣が財務省内の記者会見場
に国旗を置いたら、取材にきていた記者のなかにそのことをとりあげて「一
方的ではないか」「国民の中には違和感を持つ人もいる」と質問したり抗議
したりした人物がいたという。まさか産経新聞の記者ではあるまいから、こ
の場をかりてひとこと書く。
わたしだって、これまで各省庁の大臣室や長官室のようなところには何回
か入ったことがあるが、そこにはちゃんと国旗が置かれていた。日本国の責
任者たちが国旗を背にして公務をおこなうことになんのふしぎがあろうか。
当然すぎるはなしである。外国だって事情はおなじ。わたしが訪問した各国
の高位高官の執務室、裁判所、そしてしばしば小学校の校長室にだってそれ
ぞれの国の国旗がかかげられていた。
そのあたりまえのことを、日本国の大臣がおこなってなぜ問題になるのか。
よくぞこんなバカな質問をする記者がいるものだ、とわたしはなかば呆(あ
き)れ、なかば慄然(りつぜん)とした。国家を象徴するのが国旗であり国
歌である。法的にもそうきまっているし、常識からいってもそうだろう。だ
いいち、記者諸君が享受している言論の自由その他もろもろの保証はあの日
章旗のもとにおこなわれているのである。左翼、その他の旗幟(きし)鮮明
なイデオローグならともかく、日本を代表する言論人がこんなことを口にす
るとはなにごとか。わたしはその見識をおおいに疑うものである。
≪■「日の丸」を避ける映像≫
おもうに、この質問をした記者諸君は小学校のときから先生たちに国歌は
歌うな、日の丸なんかは無視せよ、あれはすべて恥ずべき過去の象徴である、
と教えられて育ってきたのであろう。そんな先生を校長は黙認し、教育委員
会も知らん顔をしてもう70年ちかくになる。ついに日本は国歌を歌うにも
国旗を揚げるにも、なんだかひとの顔色をうかがうような情けない国になっ
てしまったのである。
オリンピックでもそうだった。これまで何回となくオリンピックの大騒ぎ
をテレビでみてきたが、日本の選手が優勝して表彰台にあがっても、そこで
掲揚される日章旗をテレビ・カメラは写すことをしない。選手は授与された
金、銀、銅のメダルをどういうわけか口にくわえておどけたフリを見せたり
するが、かれらが国旗掲揚とともに演奏される国歌を歌う場面をカメラは写
さない。水泳、野球その他、優勝種目の名場面はうんざりするほど「使いま
わし」して再放送、再々放送をくりかえすが授賞場面は避けて写すことがない。
そもそも日本選手が国歌を堂々と歌っていたかどうかもさだかでない。わ
たしは晴れがましく表彰台に立ったアメリカ、オーストラリア、以下さまざ
まな国の選手が顔面をやや紅潮させてそれぞれの国歌を力強く歌うのをみて、
ひとごとながら頼もしい若者たちよ、と感動したが、あら、ふしぎ、我が日
本国の選手は国歌を歌うことがないのである。あるいは歌っているのかもし
れないが、その口元はたよりなく、いわゆる「口パク」なのではあるまいか。
選手は歌わず、テレビはその場面をあまりくわしく報道しない。日の丸も写
さない。
≪■東京オリンピックのために≫
あのテレビのディレクター諸君もまた大臣の記者会見に国旗があることに
疑義を呈した諸君と同年配である。そして若き選手たちはその記者、ディレ
クターと同世代の学校の先生から「国歌、国旗に反対せよ」と教えられて成
人した。あの珍妙な教育はついに初期運動家の孫の世代に及んだのである。
松井、イチロー以下、多くの日本人選手がメジャーリーグで活躍している
ことはご同慶に堪えないが、かれらは試合に先立って球場に鳴り響くアメリ
カ合衆国国歌をききながら胸に手をあててアメリカへの忠誠を誓っている。
日本のプロ野球もそれに倣って国歌を演奏するがこっちのほうは選手、観客
ともにただ無言で突っ立っているだけ。大相撲しかり、学校の入学式、卒業
式しかり。
何年だか先にこんどは東京オリンピックが企画されているという。それも
結構、あんまりひと迷惑にならないようにやってくださるなら文句はいわな
い。しかし、いやしくも主催国である以上、あざやかに国旗をテレビ画面で
みせていただきたい。そして選手、関係者にはちゃんと国歌を歌えるように
学校教育、社会教育のなかで教えるようにしておいていただきたい。
そうでないと国歌、国旗反対の思想はやがて孫の代からさらに曾孫(ひま
ご)の代にまで伝承され、やがては日の丸をみて、あれなあに?と問うこど
もたちがふえること必定なのである。