老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

CalendArchive

日本の時間

転職サイト『しごとナビ』
キャラクター【ナビちゃん】

プロフィール

Author:老兵
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

お勧め書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

おすすめ書籍

フリーエリア

フリーエリア

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

FC2カウンター

世界日報に中條さんの記事があった。
幼少のころの記憶を取り戻した。
正にこの通りである。
日本から日本が消えつつある。


叱ることを忘れた日本人 (世界日報 07/12/19)

「恥の文化」をどう守る/躾に必要な「叱り」の仕組み

(社)日本国際青年文化協会会長 中條 高徳


■叱られる情景も懐かしい戦前


 わが国の家庭でも、学校でも、職場でも生活するあらゆる場で「叱る」こ

とが下手になり、叱ることを忘れてしまった感がある。

  叱られて 叱られて

  あの子は 街までお使いに

  この子は坊やを ねんねしな

  夕べさみしい 村はずれ

  こんと狐が なきやせぬか


 戦前の懐かしい童謡である。街にお使いに出るのも、子守りをするのも子

供の役割であった。戦前の生活の場では、うるさい母親が大方(おおかた)

の叱り手であり、平生(へいぜい)は余り文句は言わないが恐い(こわ)父

親がうしろに控えていた。



 母親に叱られても、その言いつけを守らない時は「お父さんに言いつける

わよ」が何処の家の母親も使っていた常套語(じょうとうご)であった。



 外で遊ぶことの多かった戦前の子供たちが間違いをおかしたり、弱い子供

をいじめたりすると、必ずと言っていい程、何処にも恐いおじさんがいた。

あたり構わず「この野郎、こんな事をすると承知せんぞ」と大きな罵声が飛

んできたものだ。あの村に行っても、かの町に行っても、国民の暮らす場が

繋(つな)がっているように見えた。



 叱る母親たちの表現が、隣の家でも、裏の家でも似通っていた。「そんな

事をしたら先祖さまに申し訳ない」「そんな事をしたら子孫に恥を残す」

「隣の人に笑われる」「神様に罰があたる」「お天道(てんとう)さまが見

ている」などなど。そして何処の家でも、三代ぐらい一緒に住んでいた。つ

まり、おじいさん、おばあさんが一緒に住んでおり、ひどく叱られた時の大

方のなだめ役は祖父母であった。



 家庭では、その家族全員が一緒に食事をしていた。神さまや仏さまに「頂

きます」と手を合わせ祈ってから食事を始めるのを常とした。「箸の持ち方

が悪い」「迷い箸はいけない」「お米はお百姓さんの八十八回手を掛けた大

切なもの、一粒でも残したら目がつぶれる」とかその都度(つど)うるさく

叱られたものだ。



■先祖と隣人がよく見えた生活


 筆者の子供の頃は、わが家は箱膳(はこぜん)(食器一切が箱に収まり、

その蓋(ふた)が膳となる)であり、父親が箸をつけない限り、食事が出来

ない程うるさかった。



 でも子供心にも家族の絆の強さが感じられた。鎮守のお社(やしろ)のお

祭の日は、総出で境内の清掃や、のぼりを立てたり、まん幕を張り巡らした

りしていた。元を正せば、その社殿も、神輿(みこし)も、のぼりも悉く

「氏子」と呼んでいた住民の寄附によるものだった。「奉賀帳」なるものが

廻ってきた。誰が定めるのでもなく、「阿吽(あうん)」の呼吸の如く豊か

さの順に名が並んだ。尻の方にいる貧しい人も頑張れば名前が上の方にいけ

る機会の均等のあったことは見事だった。こうした事をひとつでも怠ると

「村八分」という「社会の叱り」即ち制裁があった。その事実を見たことは

ないが無言の叱りの言い伝えであった。



 この様に見てくると、戦前のわが国の生活の場は、はっきり見える縦糸、

横糸で織りなされた生活の場であったことに気づく。つまり先祖がよく見え、

隣人が常に横にも裏にもあるという生活であった。つまり悪い事をしたり、

先祖をけがすような事をしたら隣人に笑われるという恥の文化であった。



 近隣に恥をかかないよう躾ることが「叱る」という行動につながり、人と

してしてはならない事を絶対させないのが「叱る」原点であった。会津若松

藩で子供たちに説いた「ならぬことは絶対ならぬ」の心なのだ。母親に嘘を

ついたり、ごまかそうとした時には中條家の「土蔵の米櫃(こめびつ)の制

裁」が待っていた。暗い土蔵の隅に畳一枚ほどの大きな米櫃があった。子供

にとって恐ろしいまでの「叱り」の仕組みであった。



 更にしたくはないが、人間として、しなければならない事をさせるという

裏打ちをして躾は完成するが、それをしなかった時こそが強い「叱り」の行

為となっていたのだ。



 斯くして世界に類(たぐい)ないうるわしい日本が誕生していた。ややも

すれば人の道を踏みはずさんとする時、為すべきことから逃げようとする時、

強く叱ってきたからこそ、類い稀れな信義に厚い礼儀を重んずる日本民族が

誕生したのだ。



 ところが六十二年前、この国は大きな戦争をして、そして敗れた。勝者に

よる占領支配が七年近くも続いた。戦争の常として、勝者こそが正義の全て

であるかの如く行動し、歴史すら悉く勝者の手で綴られる。



■戦前の良い点は教育に活かせ


 負けたことによる自信の喪失と占領政策が相重なって、日本人の多くが、

戦前のこの国の有り様(よう)が全く悪かったと捉えている。「叱る」こと

すらが戦前の悪い習慣と捉えているのがその最たるものであろう。



 戦前の日本の全てが良かったと主張しているのではない。悪かったことは

潔(いさぎよ)く訣別し、良かった点に一日も早く気づかねばならない。親

が子供を叱れず、教師が友達感覚が是なりとし、部下を叱れない上司の氾濫

など、目に余(あま)るものがある。国技である相撲の世界に迄、弟子を叱

れない親方が続出している。スポーツの世界でも鬼の監督と呼ばれたバレー

の大松監督や松平監督のような強い愛情に裏打ちされた強い叱りの出来る人

が少なくなったようだ。



 学校にも熱血先生がいる。生徒を厳しく叱ったら、叱られることのない子

供は母親に泣いて告げる。血相を変えた母親はその先生に文句をいう。斯く

して先生のやる気は萎(な)える。



 実際にあったPTAの話である。占領軍の置き土産の一つであるこのよう

な情けないPTAは即刻解散すべきであろう。



 石原慎太郎知事もエッセーの中で「叱るべき相手に好感を持たれようと思

う心は、実はその人間の弱さ、卑しさを露呈したものでしかない」と論じた

が、まさに至言である。