今日は皆様へ、台灣の親しくさせていただいているお方からの新年のお手紙の一部をご披露させていただきます。先ほど電話でご本人のご了解を得ましたこともご報告いたします。
このお方は皆様もご存知のお方で、多くの日本人が尋ねるところで今も元気で役割を果たしておられる、元ビルマ従軍台湾志願義勇兵です。
お会いするたびに平身低頭するばかりの素晴らしい元日本人のお方です。
拝読しながら涙してしまいました。
改めて、台灣人に感謝です。
可能な限り原文の繁体字にしています。
謹啓
平成20年の新春を迎えておめでとうございます。
憶うに;1945年8月15日、我等は心ならずも大東亜[太平洋]戦爭に於いて230餘萬の若い尊い命を投げこんて3年8ヶ月に及ぶ聖戦は悲しくも破れ、敗北の嘗味を受けました。
とき全國民挙げての口惜しさと、身にしみる切ない痛みは如何なるものであったか?推して知るべしです。
もう遠い昔のようですが1941年大東亜[太平洋]戰爭當時、台灣は植民地なので徴兵令制度がなく戰局廣大が爲兵員不足のおり政府は台灣に志願制度を設け、日本國民の一員である我等台灣青年を志願させて前線へと送りました。『一旦緩急あれば義勇公に奉じ』と教えられた愛國教育を基に私は熱血昂揚に燃えた又乳臭い17歳の少年てした。その所へ南方派遣台灣志願義勇兵に應募し、希望に輝く大東亜共營圏建設の爲ならばと、命を賭けてビルマ戰線に赴き足掛け4年間戰場を駆け回ってきました。けどその想いは空しく泡幻となり、敗戰の惡夢を見る結果に終わった。 −(中略)−
1946年台灣に復員して義父の經營してる新聞社に勤務していました。−略―
1947年台灣に起こった殘虐な無差別屠殺の2.28事件に巻き込まれ、捕まえられて、台北市警察局の地下室に連携されて拷問され、あの手この手で、凄い酷刑のあげく、目を隠され死刑場に運ばれていくところだった。 −中略―
この2.28事件7年後の、1954年唯一の弟[26歳]が、蒋介石の軍事獨裁政權統治下の戒嚴令法違反を犯したことで[讀書會]鎗殺されました。
―略―
要は此の先、日本の昔の誇りを輝かす事です。私は切に祈っています。
1.1.08 合掌