老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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先だってから、部落解放同盟への提言についての私見を述べたり、今までも福岡県下の各自治体の同和行政を批判してまいりました。



皆様ご存知のお方も居られますが、福岡県で活動しているハンドル・ネームなめ猫氏が自らのブログで、県教育委員会が情報公開した内容をすべて公開されています。



実は今回公開するに当たっては次のような経過がありました。県教育委員会へ部落解放同盟との交渉内容の情報公開を求めていましたが、部落解放同盟を恐れることしか知らない教育委員会は、非公開、情報開示するに当たらないと回答してきていました。



彼は、非開示の決定は不自然であると情報公開審査会へ申し立てをして、公開するべきとの答申を得られて、初めて県教育委員会は交渉を公開してきたものです。



PDFで公開されていますので、関心をお持ちの皆様ご覧になってください。

黒塗りの部分が多いのですが,

都合が悪くて、伏字にされています。

改めて、判明できる範囲で、全文批判してみたいと思っています。




■解同交渉記録 ダウンロードできます
http://sejp.net/pdf/rentai001.pdf

野牧先生 超御多忙につき、先生に代わりまして人権擁護法案に反対するため、今や人権では東南アジアでの先進国となっている韓国での動きを、ご紹介します.

日本での人権擁護法案にはどうしても反対しないと大変なことになることが理解できます。

資料は、野牧先生より戴きました。







人権擁護 韓国の実例 その3



今や人権先進国となっている韓国での実例が、日本での出来事を予測させます。



今や民間企業だけでなく、自衛隊内部でのスパイ行為とも見られる内部資料の搬出が問題になり、スパイ防止法の成立が望まれていますが、この法律の制定に大きく立ち塞がっているのが、人権擁護法案といえます。



韓国での先進的実例を見てみましょう。







韓国ではテロ防止法案の立法を予告した時に、直ちに反対運動を起しています。



しかも韓国ではテロ防止を国家権力と市民社会の間の闘争と位置づけており、左翼思想丸出しです。





二〇〇一年十一月十二日、国情院はホーム・ページを通じてテロ防止法の立法を予告した。人権・社会団体は一斉に立法反対運動に乗り出した。国家人権委員会や大韓弁護士協会も反対の声をあげた。



「包括的であいまいな概念定義」だと批判して、「国家安保」、「影響」、「社会的不安」など不確定的な概念を乱用しているというのです。



対テロ防止法は内国人ばかりではなく外国人の人権も脅やかす。むしろ移住労働者たちが最初に被害者となる可能性が大きい。テロ防止法等十一条によれば、テロに関連したとの疑いだけでも所在地・国内滞留の動向などを追跡でき、テロをする「おそれ」だけで出国措置を要請できる。





同じようなことが、日本で行えるということが浮かんできます。

在日外国人への参政権問題、男女共同参画問題,DV防止法問題など、日本社会で起こっているあらゆる問題に、人権擁護法案は大きく介入して、日本を丸裸、無防備日本への道を歩むことになります。

ドイツ在住のジャーナリスト クライン孝子さんのメールマガジンから転載します。

クライン様は時々というより頻繁に来日され、各方面でご活躍されています。

自衛隊は軍隊という位置づけはされていません。しかし、その隊員のお気持ちは、軍人と変らないものをお持ちです。
その自衛隊員に対してこのような気持ちで接したことがあるのだろうかと自問自答しました。

このメールを配信してくださったことに感謝します。

■2008/02/20 (水)■2008/02/20 (水) 米国国民は、全ての軍人に心から敬意を払ってる!

昨日の桑田氏に続き
米国在住のゲイル氏より目頭が熱くなる
素敵なメールが届きました。

そういえば、かれこれ30年前のこと、夫とある酒場に出かけた所、
徴兵義務を終えた数人のドイツの若者に出会いました。
酒場の主は、彼らを見て、
「今晩はお祝いに奢るぞ。好きなだけ飲んで食え」って。
客はそれを見て、皆、拍手をしていましたね。

<<初めまして。
私は日本で生まれ40年間住んでからアメリカのバージニアに
移った、ゲイル(Mark H. Gale)と言うアメリカ人です。

クライン様は SAPIO に連載中から、愛読させてもらっており、
メルマガも最近購読を始めました。

昨日の日記で、日本の自衛官に対してアメリカ国民が敬意を
払っているとありましたが、所詮高位の将官にしか敬意を
払っていないのだろうと思われるかもしれなく、
メールを送りました。

1〜2年前のことですが、商用で国内線の飛行機に乗ったとき
ですが、あまり広くない機内で、2列ほど後ろの席で、
18歳ぐらいの海軍の制服を着た若者とその隣に座っている
人の会話がもれ聞こえてきました。

彼は、ブートキャンプを終えたばかりで、認知に赴任する前に
両親の元に帰るところだと言っていました。

そうこうしているうちに、飛行機のドアが閉まり、
スチュワーデスさんが彼のところに行き、当然のように、
「前のビジネスクラスの席に空きがあるのでどうぞお使い
下さい」
と彼に言いました。

彼は、かなりびっくりしながらも(今までにそのような扱い
を受けたことがないように)、お礼を言い、移動を始めました。

その時点で、ほかの乗客は、誰も文句があるような顔
をするどころか、拍手をしながら彼を見送りました。

このように、ほとんどのアメリカ人は、階級に関係なく、
自分たちのために危険なことをする人たち
(警官や消防士なども含む)に対して、敬意を払っていること
をいろいろ見ます。

もちろん、軍隊などを嫌っている人たちも知っていますが、
少数であり、軍人そのものを嫌っているわけではない人たちが
ほとんどです。

イラクやアフガニスタンに派兵していることに反対し、
軍隊もない方が良いといっていますが、
軍人に対してはなにも言いません。

彼らは、どちらかというと、安全なところで、軍人たちを
危険な目に合わせる、政治家たちに対して厳しく言っています。

マーク ゲイル>>


昨日の桑田氏に続き
米国在住のゲイル氏より目頭が熱くなる
素敵なメールが届きました。

そういえば、かれこれ30年前のこと、夫とある酒場に出かけた所、
徴兵義務を終えた数人のドイツの若者に出会いました。
酒場の主は、彼らを見て、
「今晩はお祝いに奢るぞ。好きなだけ飲んで食え」って。
客はそれを見て、皆、拍手をしていましたね。

<<初めまして。
私は日本で生まれ40年間住んでからアメリカのバージニアに
移った、ゲイル(Mark H. Gale)と言うアメリカ人です。

クライン様は SAPIO に連載中から、愛読させてもらっており、
メルマガも最近購読を始めました。

昨日の日記で、日本の自衛官に対してアメリカ国民が敬意を
払っているとありましたが、所詮高位の将官にしか敬意を
払っていないのだろうと思われるかもしれなく、
メールを送りました。

1〜2年前のことですが、商用で国内線の飛行機に乗ったとき
ですが、あまり広くない機内で、2列ほど後ろの席で、
18歳ぐらいの海軍の制服を着た若者とその隣に座っている
人の会話がもれ聞こえてきました。

彼は、ブートキャンプを終えたばかりで、認知に赴任する前に
両親の元に帰るところだと言っていました。

そうこうしているうちに、飛行機のドアが閉まり、
スチュワーデスさんが彼のところに行き、当然のように、
「前のビジネスクラスの席に空きがあるのでどうぞお使い
下さい」
と彼に言いました。

彼は、かなりびっくりしながらも(今までにそのような扱い
を受けたことがないように)、お礼を言い、移動を始めました。

その時点で、ほかの乗客は、誰も文句があるような顔
をするどころか、拍手をしながら彼を見送りました。

このように、ほとんどのアメリカ人は、階級に関係なく、
自分たちのために危険なことをする人たち
(警官や消防士なども含む)に対して、敬意を払っていること
をいろいろ見ます。

もちろん、軍隊などを嫌っている人たちも知っていますが、
少数であり、軍人そのものを嫌っているわけではない人たちが
ほとんどです。

イラクやアフガニスタンに派兵していることに反対し、
軍隊もない方が良いといっていますが、
軍人に対してはなにも言いません。

彼らは、どちらかというと、安全なところで、軍人たちを
危険な目に合わせる、政治家たちに対して厳しく言っています。

マーク ゲイル>>

キリスト教関係でいろんな派があることは理解しているのですが、
創価学会が同性愛結婚に賛成とは存じませんでした。



◆同性愛結婚で宗教界にも賛否両論―カリフォルニア州最高裁で審議

 (世界日報 08/2/19)

 http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/080219-221943.html


 米カリフォルニア州最高裁で男女間の結婚だけを合法と定めた州憲法の合

憲性をめぐって、3月4日に審議が行われることになっているが、賛否をめ

ぐって宗教界にも大きな対立があることが明らかになっている。18日付け

のサンフランシスコ・クロニクル紙が、法廷に提出された宗教界の意見書を

もとに報じた。



 合憲性を支持しているの宗教団体は、モルモン教会、カリフォルニア・カ

トリック会議、米国福音派協会、正統派ユダヤ教会。支持グループは、男女

間の結婚は「コミュニティ、社会、国の生命線」であり、それを変更しよう

とする法廷のいかなる試みも「結婚に対する市民的及び宗教的理解の間に深

い亀裂をもたらすことになる」と主張している。



 一方、違憲性を唱えている唱えている宗教団体は、ユニテリアン教会、キ

リスト合同教会、改革派ユダヤ教会、創価学会、そしてモルモン、カトリッ

ク、イスラム教会の反体制派。このグループは、彼らの信仰と歴史的伝統は、

同性愛者の結合に対して敬意を示しており、現行法は「一部セクトが主張す

る結婚の組み合わせの宗教的権威」を州が承認するものだと、主張している。



 これらの宗教団体は、州最高裁の審議で、直接口頭弁術を展開するのでは

なく、違憲性を主張している同性愛者とサンフランシスコ市と、合憲性を主

張している検事局及び州知事側のそれぞれの弁論を支持するものとして、意

見書を提出している。数百の団体が関わる意見書は合計五十も提出されてい

るが、合憲派と違憲派はそれぞれ宗教団体の連合の支援を受けて、議論を展

開することになる。カリフォルニア州最高裁の裁定は、各州で行われている

同性愛結婚の合憲性をめぐる法廷論争の行方を左右する上で重要なものとし

て注目されている。

今でも、日中の交流を真剣に考えておられる青年がいますが、
日中の交流なんて出来ると考えていますか。
共産党が消滅しない限りありえない、幻想に過ぎません。


「日中国交正常化」〜 幻想から幻滅へ

JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■より転載


 そもそものボタンの掛け違えは、田中角栄の「日中国交
正常化」での「異常」な交渉にあった。



-------------------------------------------------------
 JOG(国際派日本人養成講座)535号「中国人の外交術」
では、米中国交正常化交渉での中国の外交巧者ぶりを取り上げ
ましたが、翻弄されたといえば、日本の方がひどい状況でした。
本号はJOG312号の再発信です。
--------------------------------------------------------

■1.「コンピュータ付きブルドーザー」の電撃訪中■

 1972(昭和47)年9月29日午前10時20分、北京の人民
公会堂で日中共同声明の調印式が行われた。日章旗と五星紅旗
が飾られたテーブルに着席した田中角栄首相と大平外相、周恩
来総理と姫鵬飛外交部長は、毛筆で日中国交正常化に合意する
共同宣言文に署名した。調印式のあと、大平外相がプレスセン
ターで次のような談話を発表した。

 これまでの日中間の不正常な関係に終止符が打たれたこ
とは、アジアの緊張緩和に重要な貢献をなすものと考える。

 日中国交正常化の結果として、台湾と日本との外交関係
は維持できなくなる。

 この年の7月7日に就任した田中角栄首相が内閣発足後3ヶ
月足らずして電撃的に訪中し、5日間でまとめあげた共同宣言
であった。戦後30年近くもの間、歴代内閣が手のつけられな
かった外交課題をわずか3ヶ月で片づけるという、いかにも
「コンピュータ付きブルドーザー」の異名をもつ田中角栄らし
い仕事だった。「日中友好」新時代の到来を誰もが感じ取った。

■2.「日中友好」の幻滅■

 しかし、その後の30年の日中関係を見ると、人々の期待感
は次第に幻滅に変わっていることが分かる。内閣府で毎年行っ
ている「外交に関する世論調査」では、日中関係が「良好だと
思う」「まあ良好だと思う」は、昭和61年には76.1%も
あったのに長期低落傾向を続け、平成13年には41.3%と、
「あまり良好だと思わない」「良好だと思わない」の48.5
%を下回っている。

 年齢別に見ると、「あまり良好だと思わない」「良好だと思
わない」人は、70歳以上では35%、60歳代では46%に
対して、20歳代では実に57%に上っている。

「日中友好」の夢は年月と共に次第に「幻滅」に変わり、そも
そもが「幻想」だったのではないか、というムードが広がりつ
つある。これには中国側の執拗な靖国参拝批判・教科書批判、
巨額の経済援助を与えながら感謝もしない態度、在日中国人の
犯罪など、様々な問題が絡まり合っているが、最初のボタンの
掛け違えが「日中国交正常化」の「異常ぶり」にあったのであ
る。

■3.中国は日本との経済関係を必要としていた■

 そもそも日中国交を切実に必要としていたのは、日本側では
なく中国側であった。当時、中ソ関係は冷え切っており、国境
線沿いに両軍合計2百万の大軍が睨(にら)み合っていた。19
69年3月には中国東北部アムール川(黒竜江)上の小島・珍宝島
(ロシア名ダマンスキー島)で初の大規模な武力衝突が発生、同
年8月には新疆地区でも軍事衝突が起こった。

 ソ連はさらに「アジア集団安保構想」を提唱し、同時にイン
ドとの連携を強めてインド洋でのソ連海軍強化を進め、中国包
囲網を着々と築きつつあった。日本に対しても、シベリア開発
計画への参加を求めて接近を図っていた。

 一方、中国は1958年から1960年にかけて毛沢東の「大躍進政
策」の失敗により2、3千万人と言われる餓死者を出し、その
回復に60年代前半を費やした。さらに65年秋に毛沢東が失地
回復を狙って文化大革命を引き起こし、67年には全土が内戦に
近い状態となり、工業生産は著しく低下した[a,b]。71年から
始まった第4次五カ年計画において、実権を握りつつあった周
恩来総理を中心とする実務派はなんとか経済態勢を立て直そう
としていた。

 内には政治・経済の混乱を抱え、外にはソ連が着々と包囲網
を築くという危機的状況の中で、周恩来は西側諸国との連携で
活路を見出そうとした。幸運にもアメリカ側もベトナム戦争を
終結させるために、中国との交渉を欲していた。

 経済面の立て直しには、日本の協力が不可欠だと周恩来は見
ていた。金属・機械・化学など経済建設に重要な物資の輸入元
として対日貿易は伸びつつあり、70年には中国の輸入の中で日
本は20%を占めるに至っていた。中ソは争って、経済大国・
日本を味方に引き寄せようとしていたのである。

■4.中国の華々しい再登場■

 一方、多くの日本国民にとって、中国とは得体の知れない不
気味な存在であった。1970年5月時点の時事通信社による世論
調査では、中国を「好き」と答えた人はわずか2.5%であり、
逆に「嫌い」と答えた比率は33.2%と、ソ連31.9%、北
朝鮮32.6%を上回っていた。[1,p192]

 経済的に見ても日本の貿易総額に占める対中貿易の割合はわ
ずか2%程度であり、無視できるほどの量であった。

 日本国民の中国イメージが大きく変化したのは、71年から72
年にかけてであった。周恩来の外交戦略が一気に結実した時期
である。まず72年3月に名古屋で開かれた第31回世界卓球選
手権大会に中国チームを派遣。文化大革命の混乱で第29回、
30回を欠場していたので、6年ぶりの登場であった。今まで
敵対していた米中両国の選手が仲良く語り合う光景が報道され
た。

 7月にはキッシンジャー大統領補佐官が秘密裡に北京で周恩
来と会談し、ニクソン大統領の1年以内の訪中に合意した。7
月15日、ニクソン大統領自身が全米に向けたテレビ放送で訪
中計画を発表し、世界を驚かせた。

 この秋の国連総会では、中国の国連加盟が実現し、台湾は自
ら脱退した。中国の国際社会への華々しい再登場に、日本国民
の対中イメージは大きく揺すぶられることになった。

■5.「田中さんには恥はかかせません」■

 翌72年2月、ニクソン訪中を無事にこなした周恩来は、対日
攻勢を強める。おりしも日本では佐藤栄作政権の末期にあたっ
ており、7月には総選挙と次期政権の成立が日程に上っていた。
この時にあわせて、周恩来は上海バレエ団を訪日させ、東京や
大阪など5都市で一ヶ月にわたって公演を続けて、一気に日中
友好ムードを盛り上げようともくろんだ。

 またそれまで激しく展開していた「日本軍国主義」批判のキ
ャンペーンを、1月下旬を期してピタリと止めさせていた。周
恩来は5月に公明党の代表団を招いて、こう語った。

 皆さんは、次の総理は田中(角栄)さんだとおっしゃて
いるようですが、間違いありませんか。私たちも、次の総
理は田中さんだと思っております。

 もしそうであるならば、田中さんに伝えて下さい。「も
し総理になられてご自身で中国へお見えになるならば、北
京の空港はいつでも開けてお待ちしております。そして、
私がホストで田中さんをお迎えいたします。田中さんには
恥はかかせません」、とね。[2,p85]

■6.田中の「大逆転シナリオ」■

 田中は親米・親台湾を信条とする佐藤栄作の派閥に属してい
たが、その後継者は福田赳夫というのが既定路線であった。そ
の福田を追い落とすために田中が描いた「起死回生の大逆転シ
ナリオ」が、「日中国交回復」による大平派、三木派の抱き込
みであった。大平正芳、三木武夫は根っからの親中派であり、
「日中国交回復」を悲願としていた。田中自身は中国に対する
思い入れはなかったが、彼等を懐柔するためにこれを飲んだ。
[3,p128]

 7月7日、田中は大平・三木との連合で福田赳夫を破り、政
権をとった。三木は副総理、大平は外相に就任した。田中首相
は初閣議後の記者会見で、「中華人民共和国との国交正常化交
渉を急ぎ、激動する世界情勢の中にあって平和外交を強力に推
進していく」と発表した。

 周恩来はこれに素早く反応し、7月9日に「田中内閣は7日
に成立、外交に関し日中国交正常化の早期実現を目指すことを
明らかにしたが、これは歓迎に値する」と応えた。

■7.「これは大変な国に来たな」■

 田中首相は9月25日に北京入りした。30度を超える暑い
日だったが、迎賓館の部屋は田中の好きな17度に設定されて
おり、田中の第一声は「ああ涼しくて助かる」だった。部屋の
隅にはさりげなく田中の好きな台湾バナナ、富有柿、木村屋の
あんパンが置いてあった。「これは大変な国に来たな」と日本
側は驚いた。

 その日の午後から首脳会談に入り、5日目の29日に日中共
同声明の発表に至った。交渉前に田中首相と大平外相が頭を悩
ませていたのは、中国が戦争賠償問題を持ち出してくることだ
った。周恩来は事前に公明党を通じて、「賠償請求権を放棄す
る」と伝えていたが、いざ会談に入ると再び賠償問題を持ち出
して、日本側をうろたえさせた。

 しかし、その後、周恩来はこの問題をあっさりと引き下げた。
これに気をよくした日本側は、賠償の代わりにとばかり中国側
が持ち出した援助要請を承諾する。これが現在までに総額6兆
円に上るODA(政府開発援助)その他の対中援助の発端であ
る。[c]

 中国はその後、ODAを賠償の一部であるかのように扱いは
じめ、感謝や評価は一切せず、むしろ賠償の代わりだから出す
のが当然という態度をとる。さらに繰り返し歴史認識問題、靖
国問題、教科書問題と「歴史カード」を繰り出して、ODAの
継続を狙うようになる。こうした中国側の姿勢は日本国民の嫌
中感情を増幅させていく。

 また中国政府は、田中訪中の前年から突如、尖閣列島の領有
権を主張し始めていた。この地域に膨大な海底油田が見つかっ
たからである。本来の国交正常化交渉であれば、当然、こうい
う領土問題は真っ正面から議論すべきであった。しかし田中は
交渉の難航を恐れて、この問題を棚上げにしてしまう。対日接
近を必要としていたのは中国の方であり、また中国側が突然、
領有権を主張し始めたこの時点なら、日本側は断固として突っ
ぱねることができたはずである。それを「国交正常化」を急ぐ
あまりに、この問題を曖昧な形で棚上げにしてしまった事で、
その後の日中関係に禍根が残してしまったのである。[d]

■8.「台湾断交」の拙速■

 田中外交の拙劣・拙速は、台湾との断交にも顕著に表れてい
る。「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」と
いう中国の立場を、日本政府は「十分理解し、尊重」する、と
の一項が共同宣言の中に入れられた。

 従来から各国が中国と外交関係を樹立する際には、中国の主
張をカナダのように「テーク・ノート(留意)する」、あるい
はオーストラリアの「アクノレッジ(認識)する」という程度
の表現が用いられていた。これらは中国の主張を正式に承認す
るわけではないという事を明らかにしているが、「十分理解し、
尊重する」という日本の姿勢はさらに踏み込んだものであった。
ここから、あたかも日本は「台湾は中国の一部」という中国の
主張をすでに承認したかのような錯覚が日本国民の間でも生ま
れていく。

 大平外相は共同声明調印後のプレスセンターでの談話におい
て、「なお、共同声明の中には触れられていないが、日中国交
正常化の結果として、(台湾との)日華平和条約は存在の意義
を失い、終了したものと認められるというのが日本政府の見解
である」と述べた。

 中国側は日華平和条約はそもそもから非合法で無効であり、
廃棄すべきものと主張したが、日本としては20年も前に正規
の手続きを踏んで締結した国際条約を今更、非合法であったな
どとはとうてい言えない。そこで「存在の意義を失い、終了し
た」として、なんとか辻褄を合わせたのである。しかし、どう
言い繕おうと国際条約を一方的に破棄するという外交信義にも
とる決定をした事で日本外交史に汚点を残してしまった。

 台湾との外交断絶が田中・大平の勇み足であった事は、アメ
リカと比較するとよく分かる。ニクソン大統領は田中首相より
先に訪中したが、米国が北京政府との間に正式の国交を取り結
ぶのは、フォード、カーターと二代も後の7年後のことだった。
この時には米国は「台湾関係法」を成立させており、もし中国
が台湾に武力侵攻したら、米軍が介入する事を明言していた。

 台湾との断交は、日本の国内世論からもかけ離れたものであ
った。71年9月時点でのNHK調査では、「日中国交回復を進
めるが、台湾との関係は慎重に」が39.2%、「日中国交回
復を進めるが、台湾との関係を犠牲にすべきでない」が27.
7%で、「日中国交回復のためには台湾との関係が切れてもや
むを得ない」の11.0%をはるかに上回っていたのである。
台湾との断交は、国民の声を無視した田中外交の暴走であった。

■9.「幻想」から「幻滅」へ■

 台湾との外交関係は断絶するが、これまでの日台関係の実質
的な継続は認める、と約束させた点は、この交渉で日本が挙げ
た数少ない得点のように思われたが、それが周恩来の外交戦術
に過ぎなかったことは、すぐに明らかになった。

 第一回目の首脳会談で、周恩来は「台湾に対しては、日本は
従来と同じように、経済交流、人事交流、文化交流をやってく
ださい。ちっとも干渉しません」と述べたと伝えられている。
[2,p144]

 しかしすでに70年4月に中国は「周恩来四条件」を打ち出し
て、台湾との取引を行っている企業は、対中貿易から閉め出す
との方針をとっていた。この結果、多くの日本企業が台湾から
引き揚げざるをえなくなり、日台関係は70-80年代を通じて、
急速に冷え込んでいく。

「日中国交正常化」は、評価も感謝もされないODAとそれを
続けさせるための「歴史カード」、尖閣列島問題、台湾断交な
どの禍根を後に残し、それらが日本国民の間に嫌中感情を広げ
ていった。さらにODAにまつわる利権は、田中角栄から竹下
登、橋本龍太郎と引き継がれて、日本の対中政策をゆがめてき
た。

 唯一の成果らしきものは、日中貿易の発展であるが、これも
むしろ中国側が求めていたもので、アメリカ政府のようにじっ
くり構えていても、結果はさほど変わらなかったであろう。拙
速の「国交正常化」を成し遂げた日本の企業が、アメリカ企業
よりも大きな利益を得たとは思われない。逆に台湾との経済関
係では大きなマイナスを蒙ったのである。田中角栄は周恩来と
いう希代の大戦略家に遠隔操縦されていた「ラジコン付きブル
ドーザー」ではなかったのか。

 平成14年9月22日には、「日中国交回復30周年を成
功・発展させる議員の会」の橋本龍太郎元首相を筆頭に、日本
から1万3千人もが北京での式典に参加した。しかし国民の間
の雰囲気は一向に盛り上がらなかった。「日中国交回復」の
「幻想」はすでに「幻滅」に変わっていたのである。
(文責:伊勢雅臣)

このような人物は、総統にしてはいけません。
台湾人頑張れ
加油 台湾


  馬英九、蒋経国をさえ欺いてグリーンカード保有を隠し通してきた

【「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」】より転載

 お人好し日本人をたぶらかして大金を集め、最後にはコミンテルンの謀略も作用して
かソ連に寝返った「革命商人」(革命を口にしてカネを集める天才)の筆頭は孫文。中
国大陸ばかりか台湾でも、いまなお「国父」と呼ばれる。

 孫文は米国の国籍を持っていた(1981年ジョージア大学のトーマス・ギャンシュオー
教授がワシントン国立アーアイブで発見)。

 1904年3月14日、孫文はカリフォルニア州当局に市民権を申請した。孫文の出生地は
広東省香山県翠亮村となっており、この出生地に疑惑を持った当局と裁判沙汰になった
が、弁護士をつけて孫文が勝訴し、同年4月7日にアメリカ国籍を取得した。

 グリーンカード保有がばれたとき、馬英九はこう言って開き直った。

「孫文先生さえも米国籍だった。私がグリーンカードを保有したくらいで騒ぐことは
ない」。

 孫文が国籍を獲得したのは清国政府がお尋ね者として海外手配していたからだ。

 海外亡命先で政治活動を保護されるには当該国籍を取得せざるを得ず、戦後、日本に
亡命していた多くの台湾独立活動家も本国送還になれば戒厳令下の独裁政権に逮捕され
ることに間違いはなく、いわば方便として仕方がない。

 何人かの活動家は日本国籍を得た。それには弁明の余地が十分にある。

 しかるに馬英九の場合、当時から政権与党=国民党員であり、国民党から米国へ留学
し、その留学先に台湾から刺客が送られる心配はまるでなく、永住権を取る必要がどこ
にもないのである。

 グリーンカードは、たとえばアメリカ人を配偶者としている日本人も保有することが
出来るが、独立という精神から言えば祖国への裏切りになる。

 台湾では国民党員でも密かにグリーンカードを保有した者が多かった。80年代には、
ちょっとした役人でも持っていた。

 また蒋介石と同時に逃げ込んだ香港からの難民にはイギリスのパスポートを保有して
いた者が多くいた。

 そのため蒋経国は、二重国籍の徹底調査を命じていた、まさにその時期に馬英九は米
国からグリーンカードを持って台湾に帰国し、蒋経国(当時は行政院院長=首相に相当)
の英語通訳を務めたのだった。