老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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私が愛読している、日本戦略の研究会 の発行するメルマガより転載します。
考えさせられます。



★ 表題: 1951年以降のチベットをモデルにして、沖縄の危険な将来を予測する       グェン・バンカイ
                  鈴木良吾 

◇ China チベット自治区の中心都市・ラサにおいて、2008年3月14日午後、
仏教僧侶を中核とする大規模なデモ(北京共産党政権支配に対する抗議行動)
が発生しました。多数の住民がデモに参加して、投石・放火・打ち壊し行動が
拡がり、鎮圧に出動したChina の公安(警察)・軍隊との間で、争乱となりま
した。

 (注) チベット自治区: China 西南部に拡がる平均海抜4000mの高地、住
民の90%をチベット族が占めていたが、道路整備や「青蔵鉄道」の開通で、多
数のChinese がラサに移住し、風習と所得水準の差異で、トラブルが激増中。


 1951年: China 人民解放軍がラサに進駐
 1959年3月: China 軍が、大規模デモ(チベット動乱)を鎮圧、チベット
族の多数が殺傷・弾圧され、チベット仏教の最高指導者・ダライラマ14世がイ
ンドに亡命し、「亡命政府」を樹立
 1965年9月: 北京共産党政権が、チベット自治区を創立
 1989年10月: ダライラマ14世が、ノーベル平和賞に決定


◇ 北京共産党政権側の発表(被害を最小限に縮減)と「亡命政府」側の情報
には、非常に大きな差異があり、人的・物的被害の真実が、定かではありませ
ん。しかしながら、デモ等の騒動・争乱が、チベット自治区だけに留まらず、
周辺の雲南省・四川省・青海省にも拡大していることは確実であります。

◇ 北京共産党政権は、北京オリンピックが迫っている現況を重視して、目先
は、穏便に行動する可能性が高いと申せます。しかしながら、オリンピックが
無事に済めば、軍隊出動を要請してでも、デモ・騒動・争乱を容赦なく(極め
て激しく)弾圧すると予測して置くべきであります。


◇ 日本国家・日本民族としては、遠く離れたChina 西南部に位置する奥地の
事件であり、関心が薄いと思われます。しかし、China のランドパワーとして
の止まるところを知らぬ「領土=支配地域拡大欲」を勘案すと、「沖縄の危険
な将来」と対比して考え抜いて置くことが、極めて肝要であります。


◇ 沖縄の県民(住民)は、米軍の駐留を心底では、嫌っております。米国は
、対アジア戦略の第一線をグアム・ハワイ・日本本土の一部へと移動させる方
向性を明確に打ち出しています。

◇ 正確な時機は未定としても、米軍が沖縄から全面的に撤収することは、近
未来に現実となります。その理由の第一は、武器装備(ミサイル・イージス艦
・戦闘機等)の高度化です。第二は、米国の方針が、アジア離れ(共産China
に対する警戒意欲の減退)をしているのです。


◇ 沖縄は徳川時代末期に、薩摩が制圧し傘下(配下)に組み入れるまで、相
当長期にわたって、China (明朝・清朝)の傘下(貢ぎ物を献上し、冊封=爵
を受ける・王権を安堵される関係)にありました。

◇ 沖縄の経済は、米軍が駐留することで成立していると言っても過言ではあ
りません。米軍に雇用されている従業員の人件費は、日本が負担している支出
が中心であり、米軍存在自体の(米国本国から持ち込む)支出も侮ることはで
きません。


◇ 米軍が沖縄から完全に立ち去り、日本政府の沖縄財政支援が、衰退して行
けば、沖縄住民の不満が高まります。私共は、北京共産党政権による、かかる
不満を逆手に取った「甘いささやき」(秋波)及び、日本側への「沖縄分譲要
請」が、極めて高い確率でやって来ると予測しております。

◇ 日本国家・日本民族は、血を流して(戦火を交えて)まで、沖縄を死守す
る気概・覚悟・武力拡充実行を持ち合わせていますか?。

◇ 沖縄がChina の傘下(支配下)に完全に組み入れられた場合、沖縄住民に
対する待遇は、現状のチベット住民類似の水準まで、転落するとの覚悟が必要
であります。

(日本の進路、No.0392、1951年以降のチベットをモデルにして、沖縄の危険
な将来を予測する、完)


この記事を読んだあと、
香港との観光、経済交流促進に期待
◎定期航空便が5年ぶり復活

 香港-沖縄間の定期便が4月3日から就航する。香港の航空会社、香港エクス
プレス航空が実施するもので、同区間の定期便は、日本航空が2003年4月に
運休して以来、5年ぶりの復活となる。香港からの観光客数とともに、沖縄の野
菜や果物、物産品の香港への輸出の増加が見込まれるほか、香港を拠点とした中
国市場進出というビジネス・チャンスも期待される。

http://www.worldtimes.co.jp/j/okinawa/kr/kr080329.html
定期便のあとが予測されますね。
杞憂に終わればよいのですが・・・。
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チベット僧になりすまし、商店を襲撃させ、それを理由として僧に対する弾圧を正当化するのは中国共産党政府の手馴れた手段です。
この写真が見事にすっぱ抜いています。
この写真は転載して広めてください。素晴らしい写真です。


チベット僧になりすまそうとする中国警官

 http://buddhism.kalachakranet.org/chinese-orchestrating-riots-tibet.htm


◆暴動、中国の陰謀では=ダライ・ラマいら立つ

 (時事 2008/3/29)

 http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008032900339&m=rss


 インドのPTI通信によると、チベット亡命政府指導者のダライ・ラマ1

4世は29日、当地での記者会見で、中国チベット自治区の暴動に関し、

「中国軍の兵士数百人が僧侶姿に変装していたと聞いている」と述べ、暴動

は中国側が仕組んだ可能性があるとの考えを示唆した。



 ダライ・ラマは中国に対話再開を再三要請しているが、中国当局は暴動を

「ダライ一派」の陰謀と決め付け、これを拒み続けている。ダライ・ラマの

発言は中国の反応に対するいら立ちを示したものとみられる。

今滋賀県近江八幡市では大変なことが行われようとしています。
間違っているとわかっているものを教えてはいけません。
 
教育界にも浸透している在日の影
~近江八幡市教育委員会~
http://www.zaitokukai.com/modules/wordpress/index.php?p=55


政界、財界など日本社会の隅々まで浸透している在日の影ですが教育界にも
その影響が及んでいます。

この度、有志の方から滋賀県の近江八幡市で教職員に指導用として配布されている
「Q&A」をいただきました。この「Q&A」には、すでに悪質な嘘であると露呈している
「強制連行」や税金を払っているのに参政権がないという在日お得意の議論の
すり替えなどが満載されています。そして困ったことに在日問題を知らない、人の良い 先生ほど疑うことなくこの「Q&A」に沿った教育を日本人の生徒に行っているそうです。

この「Q&A」は総ページ数39ページにも及ぶため開くまでに少し時間がかかります。                        しかし大人の目が届きにくい日本の教育現場で、一体どういうことが子供たちに
刷り込まれているのかを知るためにも是非じっくり読んでいただきたいと思います。

・Q&A(開くまでに少し時間がかかります)
http://www.zaitokukai.com/magazine/q&a.doc



日本の将来を担う子供たちに「在日は完全なる被害者」という誤った認識を植え付ける 「Q&A」が存在しているという事実に衝撃をうけますが、唯一の救いはこの状況を変えていくべく「近江八幡市の教育を考える会」の有志の皆様が市教委へ要望書を提出されました。
要望書(これも開くまでに少し時間がかかります。)は
    http://www.zaitokukai.com/magazine/youbousyo.doc


要望書のQとしてあるところが、市教委作成のパンフにある「Q&A」のQの部分です。
これを読む限り、この冊子は使用するべきでなく、直ちに回収するべきです。
是非皆様方からのメール又は電話にて下記の内容のお声をお寄せくださいますようお願い申し上げます。

「このような『Q&A』は回収するべきだと思います。そうしないとこの指導指針に書かれた通りに、指導を続ける教員がいるだろうと思われます。このような事実とは違う不適切な内容の指導指針は、即刻回収するべきだと思います。」と。


抗議・要望先
・近江八幡市教育委員会教育総務課
電話: 0748-36-5539
FAX: 0748-32-3352
Email:040200@city.omihachiman.lg.jp

近江八幡市教育委員会学校教育課
電話: 0748-36-5531
FAX: 0748-32-3352
Email:040400@city.omihachiman.lg.jp


29日の左翼情報です。

アルピニスト野口健氏は語る
この御仁は左翼の中の良識派?


金澤です。

http://www.j-cast.com/2008/03/28018387.html

アルピニストとして知られる野口健さんが自身の公式ブログで、中国チベット
自治区での大規模な騒乱について「これ以上の非人道的な行為が繰り返される
ならば、ボイコットという最終手段が選択肢に入るのは止むを得ない」と宣言
した。サイト内では、中国政府を厳しく批判した野口さんの発言に賛同する
コメントが相次いでいる。

「二度とチベットに入れないかもしれない」

野口さんは、1999年5月にエベレスト(ネパール側)の登頂に成功、2007年5月
には中国側からエベレスト(チベット名ではチョモランマ)を登頂して成功して
いる。また、チョモランマに沢山のゴミが捨てられているとして、清掃活動にも
取り組むなど、チベットの関係は深い。

そんな野口さんが自身の公式ブログのなかで2008年3月22日こう述べた。

「オリンピックに向けて一生懸命励んできた選手の気持ちを思えば、北京
オリンピックの『ボイコット』などそう簡単に口にはできない」としながらも、

「これ以上の非人道的な行為が中国によって繰り返されるならば、中国に
対する明確なメッセージとして中国が最も恐れている『ボイコット』と
いう最終手段がその選択肢に含まれるのも、また止むを得ない」

同日の記事によれば、1996年以降「毎年のように」チベットを訪れたが、区都
ラサの発展ぶりとは対照的に、経済格差でチベット人の生活は苦しい現状だと
いう。また、野口さんはチベット人が中国の警察に木の棒で殴られている姿を
何度ともなく目撃した、とも明かしている。

野口さんは別の記事でも、06年10月に報じられた、ネパールに亡命しようとして
いたチベット人が中国当局に射殺された事件について言及、3 月22日の記事でも
「中国にとってタブー中のタブーであるチベット問題について発言を繰り返せば
二度とチベットに入れないかもしれない」「発言に躊躇した」とアルピニストと
しての心情を吐露している。その一方で、チベット問題を取り上げた理由を

「現場を知っている人間は逃げられない。確かに登山家に出来ることは
限られている。しかし、私にも何かが出来るはず。そうせめて声を上げ
続けていきたい」

と説明している。

中国の広報は120%嘘である。
ダライ・ラマは無関係。僧の暴動は、中国のスパイの仕業であることを広めてください。


中共はうそをついている




ラサ僧侶の涙:チベットに自由なし

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d35343.html

【大紀元日本3月28日】チベット自治区の首都ラサで発生した、中国共産
党の暴政への抵抗は当局によって武力鎮圧され、戦車と実弾の虐殺は世
界を驚かせた。中国当局はラサの秩序が回復したことをアピールする目
的で当局が選んだ海外メディア17社に限り、当局官員付きという条件で、
3月27日に現地取材を許可した。

しかし、記者団は、ラサの寺院で取材を行った際、チベットに自由はな
いと涙ながらに叫ぶラマ僧らに遭遇した。僧侶らは、「(中国当局の情
報を)信じてはいけない。(中国当局は)皆さんをだましている。うそ
をついている」と指摘し、今回の事件はダライ・ラマとは関係ないと主
張した。

AP通信記者の報道によると、ラマ僧約30人が取材に訪れた記者団の前
に突然現れた。僧侶は宗教の自由が奪われ、しかも今回の抗議活動は亡
命しているチベットの精神指導者ダライ・ラマと無関係であることを訴
えた。

その他、市内には銃を手にした武装警察が配置され、空港には指名手配
のポスターが貼られ、名所ポタラ宮前の広場では観光客の姿はほとんど
見られなかった。

放火された店舗は依然焦げ臭く、殆どの店は休業中であることが別の記
者の報道からわかった。さらに、中国当局は事件調査の理由で、チベッ
ト人に対して大規模な逮捕を行っているという報道もあった。

取材でチベットに入った記者らは当局の取材スケジュールに従うしかな
かった。当局は寺が破壊された映像を含む事件当時の映像を公開した。
その後、決められたスケジュールの通りにラサ一の寺・ジョカン寺に到
着したところ、抗議するラマ僧に遭遇した。

僧侶の話によると、今月10日から、僧侶らの行動は制限されたとし、
「チベットには自由がない、チベット人も自由がない」と泣きながら、
放火と破壊事件に関与したことを否定した。

さらに、中国当局が発表する情報はすべてうそであることを指摘し、自
由がほしいと訴えた。同行の中国当局の官員は取材に介入しなかったが、
次へ行こうと促し続けた。

あるラマ僧は「中国当局はダライ・ラマを打倒しようとしたが、それは
間違いだ」と述べた。3月14日の事件に関して、「今回の事件はダライ・
ラマとは関係ない」と僧侶らは強く訴えた。

香港のテレビ局TVBは、深紅の僧衣をまとった僧侶らが涙ながらに訴え、
カメラの周囲に集まった映像を放送した。

それによると、抗議デモが始まった3月10日以降、僧侶らは寺院を出るこ
とが許されていないという。

ある僧侶は「中国当局は、わたしたち僧侶の言うことを信用していない。
わたしたちが外に出て、破壊や焼き討ちなどの騒乱を引き起こすと思っ
ている。わたしたちはそのようなことは一切していいないし、濡れ衣だ」
とし、「わたしたちは自由がほしいだけだ。中国当局は僧侶や一般人を
拘束している」と訴えた。

台湾のテレビ局ETTVのカメラマン、ワン・チェナンさんによると、僧侶
たちの突然の訴えは、約15分間ほど続いたという。その後、警察がその
僧侶を寺院のどこかに連行したという。

ダライ・ラマオフィスのチヒメ・チホキャパ氏によると、僧侶らの突然
の訴えにより、「チベットの積年の憤慨は、いかなる暴力でも抑えられ
ない」ことが明確になったという。

チホキャパ氏は「わたしたちは、僧侶の身の安全と健康を心配しており、
僧侶らを守るためにも国際社会に訴えたい」と述べた。

3月26日、米国のブッシュ大統領は、中国の胡錦涛国家主席にダライ・ラ
マとの会談を勧めたが、胡・主席は、ダライ・ラマとの会談には積極的
に応じるが、その前に、ダライ・ラマはチベットや台湾の独立支持を放
棄しなければならないとしており、「暴力や犯罪活動を煽り、北京五輪
をボイコットするのは止める」よう、27日、新聞紙上で述べた。

中国当局は「ダライ・ラマの徒党」が騒乱の起こしたとし、ダライ・ラ
マを国家分裂主義者としたが、ダライ・ラマは、それを否定し、チベッ
トの自治だけを望んでいるとし、中国当局の武力鎮圧を非難した。

しかしながら、インドのテレビ局NDTVのニュース番組で、ダライ・ラマ
は、北京五輪が、中国の人権状況を世界に知らしめるチャンスであると
述べている。「五輪開催の資格を得るために、中国は人権や信教の自由
などの状況を改善しなければならない…これは当然の理である」と指摘
した。

ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は、国連人権委員会がチベット危機
の解決に当たるべきだとの声明を発表した。

HRWによると、オーストラリア、欧州連合、スイス、米国がチベットの人
権侵害を国連人権委員会で取り上げたが、中国はアルジェリア、キュー
バ、パキスタン、スリランカ、ジンバブエを取り込んで、議論を阻止し
た。

声明では、HRWのジュネーブ責任者のジュリエット・デ・リベロ氏の言葉
が引用され、「国連人権委員会は、チベット危機を解決する権利だけで
なく、義務がある」とし、「国連人権委員会の本来の機能を果たしてい
るかどうか、確認しようとしている国々を、同委員会が沈黙させている
事態は、恥ずべきことだ」と批判した。 (STR/AFP/Getty Images)

海外メディアの記者らに訴える僧侶たち(STR/AFP/Getty Images)
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d35343.html

驚く不当判決の一部をお読みください。


━━━━━━━━━
大阪地裁の不当判決
━━━━━━━━━


         阿比留 瑠比

本日(3月28日)、大阪地裁は沖縄集団自決訴訟をめぐり、被告で作家の
大江健三郎氏を勝訴させるという不当な判決を下しました。これまでの
法廷での議論などを通じ、原告側は間違いなく勝つつもりでいたでしょ
うから、さぞや驚き、失望したことと思います。

それでも原告側は当然控訴し、舞台は高裁へと移ることになるのでしょ
うが、判決文の要旨を読んでいて、ひっかかることがありました。いや、
はっきり言えばひっかかるところだらけなのですが、その中で1点、次
の部分を取り上げます。

《原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言はその経歴等に照らし採用できず…》

この照屋氏に関しては、私も昨年12月に沖縄でインタビューし、12月27
日付の「詳説・戦後 沖縄の言論」という特集記事で、次のように書き
ました。

《(前略)取材を受けないまま、地元メディアに一方的な記事を書かれ
た点では、戦後の琉球政府で旧軍人軍属資格審査委員として軍人・軍属
や遺族の援護事業に携わった照屋昇雄氏(83)も同様だ。

照屋氏は昨年8月(※平成18年)、産経新聞の取材に対し、「遺族たち
に戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令というこ
とにし、自分たちで書類をつくった」と証言し、当事者として軍命令説
を否定した。

それに対し、沖縄タイムスは今年(※19年)5月26日付朝刊で、慶良間
諸島の集団自決をめぐり、当時の隊長らが作家の大江健三郎氏らに損害
賠償などを求めている裁判での被告側主張を引用。

「『捏造』証言の元援護課職員 国の方針決定時 担当外 人事記録で
指摘」などと、4段見出しで大きく報じた。証言を否定する趣旨の記事
で、名指しこそしていないが、すぐに照屋氏だと分かる書き方だ。

しかし、照屋氏は当時の琉球政府辞令、関係書類などをきちんと保管し
ている。被告側が提示した記録について、照屋氏は「人名の上にあるべ
き職名が伏せられていたり、全員、庶務係となっていたり不自然だ」と
指摘するが、こうした反論は地元メディアには取り上げられない。

照屋氏は渡嘉敷島に1週間滞在して住民の聞き取り調査を実施しており、
「隊長命令があったと言った人は1人もいない。これは断言する」と述
べている。「捏造」と決めつけた沖縄タイムスから謝罪や訂正の申し入
れは一切ないという。》

この沖縄タイムスの記事には、《被告側は同職員の採用時期が証言にあ
る昭和20年代後半ではなく昭和30年で、援護課職員ではなく中部社会福
祉事務所職員として採用されたことなどの人事記録を証拠として提出、
「元職員の証言は信用できない」と反論した。》

《被告側は「(19)58年10月まで援護事務に携わる援護課に在籍してい
ない元職員が、渡嘉敷島住民から聞き取りをしたり、援護法適用のため
自決命令があったことにしたとは考えられない」と指摘した》とありま
す。

つまり、大阪地裁は、この照屋氏よりも被告側が出してきた証拠書類を
信用できると判断したということでしょうか。判決がいう「その経歴」
とは、何のことなのでしょう。私は納得ができません。

そこで、照屋氏が今も保管している当時の辞令などの写真(コピー)を
改めて見ると、上の記事と明らかに矛盾し、照屋氏が昭和27年10月から
援護事務に就いていたことが分かりますが、裁判官はこっちの方が、偽
物だとでも言いたいのか…。

明日(29日)の新聞各紙は、この判決のことを大きく取り上げるでしょう。
特に、地元紙2紙は、判決がどう出るかにびくびくしていたでしょうか
ら、大喜びして鬼の首を獲ったかのように大騒ぎすることでしょうね。

そこで、ついでに琉球新報の社是。ここにある「不偏不党」「公正」
「品格」などの言葉が、本当であるのかどうか、29日の紙面を見ればよ
く分かることだと思います。阿比留瑠比氏ノブログより。2008/03/28
12:44(あびる るい氏は産経新聞東京本社政治部記者)
http://abirur.iza.ne.jp/blog/

林道義先生が、沈黙を破って語られました。
26日の寸評をご紹介します。

末期的な福田政権

 チベット族の抗議行動に対する弾圧に現れている中国共産党と軍部の強権主義については、何度も言ってきたので、今さら改めて言う気にもならない。またぞろ動き出した「夫婦別姓」への動きについても、これまた改めて論ずる気にもならない。
 中国五輪委員会は、日本での聖火リレーについて、抗議行動を制限するように日本政府に要求しているそうである。よくも臆面もなく無法な内政干渉をしてくるものである。日本政府はよほどなめられているとみえる。
 中国共産党の強権主義とかけて「夫婦別姓」と解く。ココロは、どちらも福田政権がバックアップしている。福田首相にも困ったものである。中国に向かって言うべきことを何も言わないのは、対中国利権派閥や団体に支えられている政権だからであろう。毒入りギョーザ事件もうやむやにされてしまいそうである。人気もガタ落ちで、末期的と言うべきである。
 日本のサヨクも例によって例のごとし。中国のチベット民族抑圧に抗議しない理由はと問われて、情報がないからだという。中国が情報統制しているという事実が、なによりも弾圧や虐殺・暴虐といった、中国にとって都合の悪い事実を隠すためであることを物語っているというのに。日頃、金切り声をあげて人権、人権と唱えているくせに、こういう時にはおとなしい。
 一方、小沢一郎氏も、自民党を困らせれば手柄になると考えているとしか思えない。戦術だけで政策がない。政権を奪取することだけが目的で、その政権で何をするのか明確でない。
 日本の政治はどうなるのか、先が見えなくなってきた。政界再編というが、どういう再編かが問題である。
 一条の光が見えてくるのか、突破口はあるのか、希望を捨てないで見守るしかないか。

大きい文字全く小生と同じ考え、支持します。
気骨のある日本人選手はいないのか?

スポーツは、人命や人権ほどには重要ではない
 (スポニチ 2008/3/27)

 http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2008/03/post_1045.html


【金子達仁】


 柔道の山下が、メダルを期待されていた体操やレスリングの選手が、涙な

がらに訴えていたことを思い出す。不参加を撤回してくれ。スポーツに政治

を持ち込まないでくれ。メディアの報道も、選手に同情するスタンスのもの

がほとんどだったように記憶している。いまから28年前、モスクワ五輪の

際の話である。



 以来、わたし個人の中にはスポーツに政治が介入することに対する強烈な

アレルギーがあったように思う。政治の介入は無条件で悪。それ以上のこと

を考えたことはなかった。



 ならば、チベットでの暴動を機に世界的に高まってきた北京五輪ボイコッ

トの動きも悪なのか。そもそもが中国の国威発揚という政治的な意味合いを

色濃く持つイベントに、政治的な事件を理由にボイコットを考える発想は間

違っているのか。「政治をスポーツに持ち込むな」という中国政府の反応が

正しいのか。



 サッカーはもちろんのこと、多くのスポーツ選手にとって、五輪は選手人

生における一大ハイライトである。出場するために費やした時間や流した汗、

涙を思えば、簡単に諦(あきら)められるものではない。それは十二分にわ

かるつもりだ。



 だが、スポーツ選手、あるいは関係者であるという理由だけで、いま起き

ている政治的な事件にまったくの無関心でいいものなのだろうか。



 ドイツでは、ある陸上競技の選手が中国政府に抗議の意を示すために、開

会式にチベットの民族衣裳(いしょう)で参加することを考えているという。

北京からはるかに1万キロ以上離れたドイツでチベットのいまを考える選手

がいる一方で、日本のスポーツ界からはそうした声がまったく上がってきて

いない現状がある。



 これは喜ぶべきことなのだろうか。日本のスポーツは政治と完全に無縁だ

と胸を張るべきことなのだろうか。



 違う、気がする。



 スポーツはわたしにとってきわめて大切なものだが、しかし、所詮(しょ

せん)はスポーツである。平和を象徴するはずの祭典が、カーテンの裏で行

われている人権弾圧を覆い隠すためのものだとしたら、到底賛同することは

できない。



 実を言えば、つい最近までわたしも北京へいくのを楽しみにしていた。サ

ッカーはメダルに届くのか。野球は悲願の金メダル獲得なるのか――。



 でも、やめようと思う。



 

 スポーツは、人命や人権ほどには重要ではない。わたしは、北京五輪をボイコットする。


(スポーツライター)

小生は、橋下知事のこの「差別意識はまだ残されており、同和問題は解決されていないと認識している。」認識には納得できない。基本的に同和問題は解決している、と認識しています。
しかし、橋下知事の「特別な優遇措置を与えていいのかは全く別問題。すべて一から総点検していく。」という見解。決断には賛成します。

問題にしている、福岡県と比べれば雲泥の差があります。


橋下知事が同和問題をめぐって激論
2008.3.7 22:37

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080307/lcl0803072236009-n1.htm


 大阪府の橋下徹知事は7日、3日目となる府議会本会議の代表質問で、同和問題についての認識をめぐって、代表質問に立った共産党府議と激論となった。

 代表質問で共産党府議団の黒田昌子政調会長は「同和行政を継続することは、かえって『逆差別意識』を生じさせるなど、同和問題解決にとって有害。同和行政を完全に終結することが必要では」と問いかけた。

 これに対し、橋下知事は「差別意識はまだ残されており、同和問題は解決されていないと認識している。一般施策によりその解決に取り組んでいる。解決されていないとういうのは、私の経験でも実体験でもある。いわゆる同和地区というところで育ったが、現在、同和問題は全く解決されていない」と答弁した。

 黒田氏が「知事は差別意識がまだあるといわれたが、同和行政と同和教育は終わるというメッセージを発することが最も必要では」と再質問。

 知事は「机上の論にとらわれることなく、本当に差別意識があるのかどうかを肌身で感じている人たちの話を聴いてから判断してほしい。差別意識というものは私の周りで現にあるということを認識している」と強調。その上で「同和問題が解決されていない、差別意識があるからといって特別な優遇措置を与えていいのかは全く別問題。すべて一から総点検していく。ただし、同和問題が解決されたというのは全くの事実誤認、認識不足だ」と主張した。

 特別措置法による同和対策事業は平成13年度末に終了している。


部長会議の審議・報告の概要

http://www.pref.osaka.jp/seisaku/buchokaigi/080326.html________________________________________

○と き 平成20年3月26日(水) 午前10時20分~11時15分

○ところ 特別会議室大

○出席者 知事、副知事、各部長等

(知事発言のみ抜粋)
・議会でも取り上げられた同和問題について。私はまだ同和問題は解決していないと
 思う。しかし、優遇措置は、差別を助長するものであり、認められない。
 差別意識を一掃するためには、府民から優遇施策がなくなっていると分かるようにする
 必要がある。同和施策を一般施策にしたと言うが、本当にそうか。形式だけでなく、
 実質的に一般施策化しているか徹底的な見直しが必要。部局担当には苦労をかける
 が、最後は私が交渉の場に出てもかまわない。

議長を除く議員25名全会一致(27日議会確認)です。

宝塚市議会に良識議員皆無。

市議会に確認すると、賛否の数が判明する採択方法ではなく、反対の声が無かったという意味での、全会一致の表現だそうです。

自民党議員団3名も反対しなかった。



日本の地方議会が「慰安婦問題解決要求」初請願
 (聯合 2008/3/26-韓国語)

 http://mooo.jp/azcd (URL圧縮)

 http://www.yonhapnews.co.kr/society/2008/03/26/0706000000AKR2008032611170000
4.HTML


 日本のある地方市議会が、第二次世界大戦当時の日本軍慰安婦問題に関す

る日本政府の誠実な対応を求める請願を初めて採択した。



 26日に挺身隊問題対策協議会が明らかにしたところによると、日本の兵

庫県宝塚市議会は25日に本会議を開き、日本の地方議会としては初めて、

「日本軍慰安婦問題に関して政府の誠実な対応を要求する意見書」を通過さ

せた。



 宝塚市議会は今月4日、このような内容の請願を議題として上程して審議

し、25日の本会議では市議会議員25人のうち24人が賛成票を投じた。



 可決された意見書は、「昨年7月にアメリカ下院議会が満場一致で日本の

『慰安婦問題での謝罪』を求める議案を採択したことに対して、日本政府は

遺憾の意を表明した。これは日本政府が述べてきた『謝罪』とかけ離れた態

度であり、国際社会に対する欺瞞だ」と指摘した。



 更に、「日本政府が『慰安婦』被害女性に対して公式謝罪や補償を行わず、

教科書からもその内容を削除しようとしている態度に対して、世界各国から

批判の声が強い。日本政府は『慰安婦』問題の真相を究明し、被害者の尊厳

回復に対して努力し誠実な対応を取らねばならない」と求めた。



 これに関して挺身隊対策協関係者は、「日本の地方議会で初めて慰安婦決

議案が採択されたことで、慰安婦問題解決のために努力する日本の良心ある

国会議員や市民団体の活動が一層活性化されるだろう」として、「宝塚の小

さな一歩が日本政府を動かす力になるよう期待する」と表明した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

〒665-8665 兵庫県宝塚市東洋町1-1 宝塚市議会

TEL:0797-77-2034 FAX:0797-74-6902

E-mail:gisomu@city.takarazuka.lg.jp

朝鮮学校は、民族教育を行う民族学校ですね。文科省の指導下になっていません。

前提が違っているのですよ。
これでは、日弁連ではなくて、朝弁連と名称を変えたら如何ですか。


学習権侵害 日弁連が国に勧告
 (NHK 2008/3/27)

 http://www3.nhk.or.jp/news/2008/03/27/d20080326000110.html


 これは、東京と神奈川の朝鮮学校と中華学校の校長や保護者会が行った人

権救済の申し立てを受けて、日弁連が調査していたものです。



 日弁連が26日に記者会見して明らかにしたところによりますと、朝鮮学

校や中華学校は国からの助成金がなく、寄付に頼らざるをえないにもかかわ

らず、税制上の優遇措置がないことで、校舎の建て替えや教材の購入が十分

できず、学校運営が難しくなっているとしています。



 また、朝鮮学校については、生徒が大学を受験する場合、受験資格がある

かどうかをそれぞれの大学が判断することになっていて、受験を認めない大

学も一部に残っていると指摘しています。



 日弁連は、いずれも生徒の学習権を侵害するものだとして、外国人学校へ

の寄付金に税制上の優遇措置を適用するとともに、朝鮮学校の生徒に一律に

大学受験の資格を認めるよう、文部科学省や財務省などに勧告しました。


 (NHK 2008/3/27)

 http://www3.nhk.or.jp/news/2008/03/27/d20080326000110.html


 これは、東京と神奈川の朝鮮学校と中華学校の校長や保護者会が行った人

権救済の申し立てを受けて、日弁連が調査していたものです。



 日弁連が26日に記者会見して明らかにしたところによりますと、朝鮮学

校や中華学校は国からの助成金がなく、寄付に頼らざるをえないにもかかわ

らず、税制上の優遇措置がないことで、校舎の建て替えや教材の購入が十分

できず、学校運営が難しくなっているとしています。



 また、朝鮮学校については、生徒が大学を受験する場合、受験資格がある

かどうかをそれぞれの大学が判断することになっていて、受験を認めない大

学も一部に残っていると指摘しています。



 日弁連は、いずれも生徒の学習権を侵害するものだとして、外国人学校へ

の寄付金に税制上の優遇措置を適用するとともに、朝鮮学校の生徒に一律に

大学受験の資格を認めるよう、文部科学省や財務省などに勧告しました

(毎日受信している 日本再生ネットワークよりの転送です)

中国は何様のつもりだ。
中国の北京五輪組織委員会は中国政府を批判するメッセージを

書いたプラカード類を掲げるなどの活動も排除するよう要求している。

民主主義の感覚もない、ことの是非が判断できない、1世紀遅れた国家に指図されたくない。

この感覚で、チベット内部での聖火リレーを実施するのですから、戒厳令でも敷くのですかね。

日本での聖火リレーは、自信がないと返上したら?


長野の聖火リレーに中国側が“注文

 (スポニチ 2008/3/24)

 http://www.sponichi.co.jp/olympic/flash/KFullFlash20080324051.html


 中国の北京五輪組織委員会が、長野市で4月26日に行われる聖火のリレ

ーや式典を直接妨害する行為だけでなく、中国政府を批判するメッセージを

書いたプラカード類を掲げるなどの活動も排除するよう要求している。長野

市のリレー実行委員会が24日、明らかにした。



 実行委によると、組織委は反対活動をする者が突然リレーを妨害するなど

の不測の事態を考慮しているという。しかし、実行委は危害のない場合は

「五輪に反対する横断幕を出すことまでは排除できない。日本の法律にのっ

とって可能な限り対応する」と、中国側の要求に困惑している。



 走者に危害を加えたり運営を妨げる行為は警察が取り締まる。



 組織委との打ち合わせで、1998年長野冬季五輪でも五輪開催に反対す

る集会などをやめさせなかったことを例に挙げて理解を求めたという。実行

委は「組織委は危険性があるあらゆるものを排除したいようだ」と指摘した。

老兵の人権侵害事件が動画に

マイミクのお方が、小生が人権侵害で訴えられたことを、ご苦労されてニコニコ動画に登録してくださいました。

立派に作成していただきました。感謝すると同時に人権擁護法案を粉砕しましょう。
皆様、宣伝用に広めてください。

http://www.nicovideo.jp/watch/nm2773197

日本にスパイ防止法が是非必要です。
私たちの周囲には、中国スパイが氾濫しています。


日本にスパイ防止法が是非必要です。
私たちの周囲には、中国スパイが氾濫しています。


中国スパイに厳罰主義 米国 潜水艦技術漏洩、禁固24年6月の重刑
 (産経 2008/3/25)

 http://sankei.jp.msn.com/world/america/080325/amr0803252059013-n1.htm


 米カリフォルニア州サンタアナの連邦地裁は24日、中国系技術者による

米海軍の機密情報スパイ事件公判で、主犯のチー・マック被告(67)に対

し、禁固24年6月の判決を下した。原子力潜水艦の静音化技術を盗み、中

国への持ち出しを図った行為が「米国への裏切り」(カーニー裁判官)と判

断されたもので、重い量刑は相次ぐ中国のスパイ事件に厳罰主義で臨む米国

の姿勢を示すものとなった。



 この事件は、米海軍の技術開発を受注するパワー・パラゴン社(カリフォ

ルニア州)の技術主任だったマック被告が、実弟夫婦(起訴済み)らと共謀

し、新型原潜の静音化技術の情報を記録したCD-ROM(読み出し専用メ

モリー)を中国に持ち出そうとした。2005年10月、運び役の実弟夫婦

がロサンゼルスから香港に出国する寸前に連邦捜査局(FBI)が逮捕に踏

み切った。



 公判でマック被告は、盗んだ技術情報が「機密にはあたらない」と主張し

ていた。同地裁の陪審団は昨年5月、同被告への有罪を評決。検察側が求め

る禁固30年に対し、弁護側では同10年程度を相当としていた。



 判決でカーニー裁判官は、被告が機密情報の取り扱いをめぐる米政府の資

格審査などにウソの供述をしていた点などにも言及。「被告は米国を裏切っ

た。(国防機密の盗み出しが)どれだけ米国民を傷つけたか分からないほど

だ」と厳しく断罪した。被告の年齢から、今回の量刑は事実上の終身刑に等

しい。


 (産経 2008/3/25)

 http://sankei.jp.msn.com/world/america/080325/amr0803252059013-n1.htm


 米カリフォルニア州サンタアナの連邦地裁は24日、中国系技術者による

米海軍の機密情報スパイ事件公判で、主犯のチー・マック被告(67)に対

し、禁固24年6月の判決を下した。原子力潜水艦の静音化技術を盗み、中

国への持ち出しを図った行為が「米国への裏切り」(カーニー裁判官)と判

断されたもので、重い量刑は相次ぐ中国のスパイ事件に厳罰主義で臨む米国

の姿勢を示すものとなった。



 この事件は、米海軍の技術開発を受注するパワー・パラゴン社(カリフォ

ルニア州)の技術主任だったマック被告が、実弟夫婦(起訴済み)らと共謀

し、新型原潜の静音化技術の情報を記録したCD-ROM(読み出し専用メ

モリー)を中国に持ち出そうとした。2005年10月、運び役の実弟夫婦

がロサンゼルスから香港に出国する寸前に連邦捜査局(FBI)が逮捕に踏

み切った。



 公判でマック被告は、盗んだ技術情報が「機密にはあたらない」と主張し

ていた。同地裁の陪審団は昨年5月、同被告への有罪を評決。検察側が求め

る禁固30年に対し、弁護側では同10年程度を相当としていた。



 判決でカーニー裁判官は、被告が機密情報の取り扱いをめぐる米政府の資

格審査などにウソの供述をしていた点などにも言及。「被告は米国を裏切っ

た。(国防機密の盗み出しが)どれだけ米国民を傷つけたか分からないほど

だ」と厳しく断罪した。被告の年齢から、今回の量刑は事実上の終身刑に等

しい。

オリンピックで使用されればよい、という考えでなく、そこには立派な日本の職人魂がこもっていました。

立派な場でこそ使ってほしいと言う気持ちが満ちています。
この魂、選手に求めたいです。

http://www.j-cast.com/2008/03/25018226.html

埼玉の世界一砲丸作り職人 「北京五輪提供しない」  2008/3/25 コメント

中国チベット自治区の騒乱の影響で、一部で北京五輪へのボイコットが叫ばれているが、日本の砲丸作り職人が北京五輪への砲丸の提供を断っていたことが分かった。3大会連続で男子砲丸投げのメダルを「独占」、世界一ともいわれる職人だ。きっかけは、2004年に中国で行われたサッカー・アジア杯での中国サポーターのマナーの悪さや反日デモ。「こんな国に大事なものを送るわけには行かない」というのだ。

3大会連続でメダリスト全員が選択

五輪のメダルを独占していた砲丸が北京五輪で投げられることはない 同大会への砲丸の提供をやめたのは、埼玉県富士見市にある「辻谷工業」。世界一とも言われるこの砲丸は、社長の辻谷政久さんが手作りしている。「重心」が安定しているため、飛距離にして1~2メートルも違うといわれるほど選手からの評価は高い。

五輪では、競技場で用意する何種類かの砲丸の中から投てきする砲丸を選手が選ぶことになっているが、アトランタ・シドニー・アテネの3大会連続でメダリスト全員が辻谷さんの砲丸を選んでいた。

辻谷さんはJ-CASTニュースに対し、2004年に中国重慶で行われた、サッカー・アジア杯での中国サポーターの試合中の罵声・ブーイングや試合後の暴動、その後の反日デモで在中日本大使館に投石行為が行われたことを挙げて、

「この国には大事なものを送ることはできないと思い、去年(07年)の11月に(オファーを)断りました」
と砲丸の提供をやめた理由を説明する。

「この国にオリンピックをやる資格はありませんよ」
北京五輪をめぐっては、チベット自治区で発生した騒乱での中国政府の対応に国際的な非難が集まり、ボイコットをめぐる動きが未だにくすぶっている。

2008年3月24日には、五輪の聖地ギリシア・オリンピアで行われた採火式に国際人権団体「国境なき記者団」の活動家が乱入し、五輪ボイコットを訴えた。また、3月23日付ドイツ大衆紙「ビルト」によれば、欧州議会のペテリング議長は、チベット騒乱が今後も続いた場合、北京五輪を加盟各国がボイコットする可能性を排除しないと語ったという。

こうした中国をめぐる状況については、

「ギョウザの問題やチベットの問題以前に決めていたんですが、最近のニュースを見ても送らなくてよかったなと思います。やっぱりこの国にオリンピックをやる資格はありませんよ。(砲丸を使用する)選手には申し訳ないと思いますが、職人の心意気がありますから、何でも送って有名になればいいというものではないんです。真心かけた大事なものですから」
と話し、北京五輪の「砲丸ボイコット」は良かったと考えているようだ。2008年8月に開催される北京五輪で「世界最高」の砲丸が投げられることはない。

JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■より転載しています。

チベットの悪夢

MoMotarou放送局
■転送歓迎■





<< JOKK-WAHAHA, こちらMoMotarou放送局です。>>


   みなさん、こんにちは。。。
        MoM放送局のMoMotarouです。



   【チベットの悪夢】

     Commented by 福島香織 さん
     To ***さん

     「自分の不幸も、読者に笑っていただけるなら
      幸せに感じるこの関西人体質…。 」
   
     TITLE:記者証が更新できない!:イザ!
     DATE:2007/12/17
     URL:http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/414434/

       ★     ★     ★

 今回のチベット問題で大活躍されている、産経新聞中国総局記者
福島香織さんのブログ・コメント欄からの転載です。芸術系の学校
を出て、香港を希望し,後に中国総局に配属されたそうです。記者
魂溢れる記事を送ってくれます。3月20日に産経ブログの調子が可
笑しくなったのは、記事に対するシナの"嫌がらせ"でしょう。

■産経新聞の根性

  Commented by 福島香織 さん
  To ***さん
  記者証が更新されないと、産経新聞がよろこび、
  記者証が更新されると、福島がよろこびます。
  中国はどちらをよろこばせたいのかな。
  ちなみに、読者的にはどちらが喜ばしいのだろうか…。

 産経は以前、シナの意向を無視した報道を続けたため、取材がで
きなくなり台湾に支局をおいておりました。しかし、その報道はシ
ナに飼いならされたマスコミより魅力的な報道が多くありました。
「産経新聞がよろこび」というのはその間のことをさしております。
福島さんも良い根性をしております。まぁ映画風に云えば、恰(あ
たか)もCIA筋金入りの工作員の様であります。(拍手)

■チベットの状況

 文化大革命や天安門事件を巡る我国の報道は、共産中国に管理さ
れたものでした。今回もテレビの報道を見る限り管理されたもので
す。しかしながらインターネットやスパイ衛星の発達で続々と状況
が判明してきております。

 ・チベット少年僧を狩猟する中国軍
  http://www.youtube.com/watch?v=o1-y6-Rxyvc&feature=related
 
・3月15日にチベットを砲撃する中国
  http://cosmos-vision.net/truth/TruthVision/2008/TTV-2008-002-L.html
 
・1989年のチベット弾圧映像:チベット国歌あり
  「宇宙からの問いかけに、答えは。。」より
  http://blogs.yahoo.co.jp/cosmos_photograph/52579764.html

 ・時系列:チベット周辺で今まで何が起こったか
  http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/520012/


■我国政府の姿勢

 早々と北京オリンピック参加を表明したりして穏健な様子眺めを
しております。余程北京でのご馳走が効いているのでしょう。寂し
い限りです。「敵の敵は味方」ぐらいの戦略を駆使し、威嚇するぐ
らいの技量があっても良いと思います。「卑しさ」が目に付きます
な。

■日本の安全

 我国政府の対応をみていますと、中国や北朝鮮あたりが「外交的
脅し」をかけてきた場合のことを心配します。果たして国民や領土
を守る気力があるのでしょうか。明日の日本が不安です。毒餃子事
件の成り行きなどは、決して満足のいくものではありません。

■自尊(pride)の放棄

 まさに中国の"やり放題"です。この前までは、米国の属国かとお
もっておりましたが、最近は中国共産党の"唯の下部機関"に成り下
がりました。

 ご先祖様に申し訳ありません。憂国政治家小泉元日本国総理大臣
の登場が待たれます。もっとも、全く"中国批判"の声が聞こえてき
ませんが。。。

  シナの街角で見た壁新聞より、
  「人命は地球より重く、チベットよりは低く、餃子よりも軽い」

人権理事会第7会期が終了し、それに参加していた、日本の国連NGOが帰国すれば、各地で報告集会が開催されることでしょう。

そこでは、当然のこととして人種主義に関するものが中心ですが、とりわけ、

①人権理事会第7会期への報告書を受けたIMADR声明でもありますように

1 人種主義との闘いにおいて教育が持つ役割を重視する所謂人権教育が更に叫ばれるでしょう。

2 、日本には未だに差別禁止法も、政府から独立した国内人権機関も存在しません。だから、人権擁護法案の成立を国連の名を使って宣伝してくるでしょう。

3  入管法の業務の差別的制度批判、教科書検定等の日本政府への要請。

4  職業と世系に基づく差別の問題を取り上げるよう求めます。

これらが中心となるでしょう

②人種主義等に関する特別報告者の任務レビューに関するIMADR声明

この分野では、「現代的形態の人種主義、人種差別、外国人嫌悪に関する」言及が多くなるでありましょう。

それではIMADRの声明をお読みください。



人権理事会第7会期:人種主義等に関する国連特別報告者の年次報告書などに関してIMADRが声明を発表

現在ジュネーブで開催中の国連人権理事会第7会期(2008年3月3日-28日、IMADRはスタッフを派遣して参加中)において、人種主義等に関するディエン特別報告者が年次報告書(外部リンク、英語)を発表しました。そのなかで、日本への公式訪問フォローアップに言及し、前向きな動きとして人種差別撤廃NGOネットワークの活動に触れ、政府とNGOの対話を促進しています。また、この報告書では、特別報告者の任務のなかで扱うべき課題の一つとして、職業と世系に基づく差別の問題が取り上げられています。

IMADRは、この報告書の発表を受けた協議(3月19日)のなかで発言し、日本に対するフォローアップ・職業と世系に関する差別への言及を歓迎すると同時に、未履行の勧告や新く生じている問題点など日本の人権状況における課題を提示しました。(・・・①)

また、同日行なわれた、人種主義等に関する特別報告者の任務のレビュー(※)に関する協議のなかでも、IMADRは、特別報告者の任務の重要性と、2008年6月に開催される人権理事会第8会期で任期を終えるディエン特別報告者の功績を評価する発言を行ないました。(・・・②)

①人権理事会第7会期への報告書を受けたIMADR声明
②人種主義等に関する特別報告者の任務レビューに関するIMADR声明


(※)任務レビュー:国連人権理事会の発足にともない、前身の人権委員会から引き継がれた手続きを吟味し、内容・継続の可否を検討する手続き

2008年03月25日


こんな総理は日本に必要ない。

阿比留さんの日記より

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/521514/

チベット問題・異様なほど中国に気を遣う福田首相の答弁

《山本氏 首相に聞くが、胡錦濤主席が来日し日本で日中首脳会談をやることは大変意義深いことであり、日中関係を進化させていくことにも必要なプロセスだ。ただ、首相が5月に胡錦濤国家主席を日本に迎えたときに、もしチベット情勢がなかなか沈静化しないということであれば、総理からも胡錦濤主席に対して、この問題について例えば当事者間の対話を促すとか、そういうことを主席に申し入れるというか、アドバイスする考えをもっているか

 福田首相 日中関係を先程来申し上げているように、どうやってこれから良い面をお互いに見つけて、そしてそれを伸ばしていくかの観点でおつきあいしていくということができるかどうかということが非常に大事だ。だから、そういう観点から、(※1)互いを非難するとかそういう関係ではない、もう少し前向きなかたちでこの関係を続けていくにはどうするかということは、お互いの首脳同士がよく考えているところだと思う。
 どんなにうまくいっていても問題はある。仲のいい、そしてまた非常に、例えば、夫婦だって仲良くなければいかんのだけどね、しかし、いろいろ問題ありますよね。朝から晩までというときもあるかもしれないが(福田氏ここで自分で笑う)、そういうような一体でなきゃいかんという関係だって、そんな問題があるんだから、だから国が違えば意見が食い違うのはあって当然だ。
 そして(※2)相手が、もし日本が間違っていることをしているというときには、例えば中国は日本ちょっと間違っているよと言ってくれるぐらいの関係、逆に日本が中国に対して、中国はこうしたらいいんじゃないのというようなことが言えるぐらいな関係ができれば最高だ。
 夫婦関係もなかなかそこまで言えなくて苦労しているところだが(会場笑)、そういう関係をつくるために、私は(※3)チベットの問題についても、率直な意見交換がもし必要ならばの話だが、必要ならば、そういうことを率直に言い合えるような関係にするべく努力をしてまいりたい。》

 …山本氏のごく当たり前の質問に対し、福田氏は話をこねくり回し、婉曲表現とたとえ話を重ねてはぐらかし、そして一体何を言っているか。読み取るのに苦労しますが、まず、(※1)の部分ではチベット問題でも何でも、中国を非難したくないと言いたいのでしょうね。さすがお友達の嫌がることはしないと宣言している人だけのことがあります。

 そして、この夫婦のたとえ話がまた分かりにくいのですが、(※2)の部分も常軌を逸しているように感じました。だって、中国は日本に対し「間違っている」と指摘する一方、日本は「こうしたらいい」と提案するような関係ができれば最高だと言っているわけですよね、これは。あくまで相手に注文をつけたり、文句をつけたりするのは中国側であり、日本ではないと福田氏は主張するのか。

 また、(※3)の部分では、チベット問題に関して率直な意見交換が必要であるかどうかについてまず留保をつけた上で、あくまで中国側にチベットの話をするとの言質は与えず、率直に言い合える関係をつくる努力をすると述べるだけで逃げています。これは中国側にとっては、福田氏はこれ以上はないほど楽な交渉相手と言えるでしょうね。いや、ただのお友達であって、交渉相手ですらないのでしたね。何せ東シナ海のガス田問題でも、交渉は事務方に任せて、自らは交渉しないという姿勢を貫いているそうですから。

 たとえお友達相手でも、ときには相手に耳の痛い忠告もするのが本当の友情でしょうが、福田氏にはそういう感覚はないようです。先日、某政府関係者から聞いた話では、福田氏は首相就任後も、中国要人らとの会談・会合などで旧知の駐日中国大使館員らを見つけると、いわゆる下っ端の一等書記官、二等書記官クラスの相手にまで「やあ、元気だった?」とにこやかに話しかけるそうです。中国相手だと、日本国を背負った首相という意識が抜け落ちてしまい、みんなお友達モードにスイッチが入ってしまうのでしょうか。

 この福田氏と、日銀総裁の「空席」が決定した19日夜に会食した側近の衛藤征士郎氏は、会食後、記者団に「首相は『俺に任せておけ』ということだ。自信満々に見える」と語りました。次期官房長官候補とも言われ、内閣改造があれば間違いなく入閣するとされる衛藤氏のセリフだけに、福田氏への追従も感じられますが、それにしても…。現在の政治は、もう笑うしかありません。

コメンとありません。ただ多くの人に宣伝するのみです。


中国軍、ラサに精鋭部隊投入 チベット周辺包囲か

産経ニュースより

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080321/chn0803212049009-n1.htm

2008.3.21 20:49

21日、中国・四川省康定県でバスに乗り込む武装警察(ロイター)

 【北京=野口東秀】

中国の武装警察(武警)部隊と軍部隊は、チベット自治区と騒乱が波及した周辺各省を包囲するように展開しているようだ。チベット自治区につながる主要道路では多数の軍用トラックなどが目撃されている。精鋭部隊も投入されている模様だ。

 英BBCテレビのウエブサイトは20日、チベット自治区に向け四川省から少なくとも約400台の軍用トラックの隊列が主要道路を走り抜けたと写真とともに報じた。また、インドのチベット支援団体が「19人射殺」と発表した甘粛省では、甘南チベット族自治州からチベット自治区に向かうとみられる軍用車列を映像で伝えている。

 また、AP通信は21日、雲南省中甸県でも少なくとも数百人の武装警察部隊を乗せた軍用トラック約80台がチベット自治区に向かったと伝えた。

 これら軍および武装警察部隊の展開は、ラサ以外のチベット自治区内での騒乱を防止すると同時に、周辺各省のチベット族居住区域間とチベット自治区との間の移動を断ち切る狙いとみられる。
消息筋は、発砲による死者が出たと伝えられる四川省アバ県やマールカン県などでの目撃談として、「自動小銃を構えた兵士がいた」と述べた。

 ラサでは、現地の武装警察部隊は保有していない型の装甲車両がこれまでの映像で映っていた。軍所属を示す赤い星印は白い布で覆われ隠されていた。兵士のヘルメットのマークも見えなかったが、ヒョウ柄の迷彩服を着用した兵士もいる。これはチベット自治区などを管轄する成都軍区の特徴的デザイン。中国外務省は「がれきの清掃」のためとしているが、同軍区の「緊急展開師団」など精鋭部隊も投入されたとみられる。

 一方、国営新華社通信は20日、四川省アバ・チベット族チャン族自治州で16日に騒乱が起き、警察官の発砲で「暴徒」4人が負傷と伝えた。当局者は「自衛のためだった」と主張している。新華社はラサの騒乱で「威嚇射撃」は認めているが、発砲したと認めたのは初めて。

 一方、インドに拠点を置くチベット支援団体は16日に起きた同州の騒乱で16歳の女子生徒を含め発砲で「少なくとも23人の死亡を確認」と伝えている。

総統選挙結果について、「台湾の声」が分析しています。

小生は熟読していません。これから皆様と共に熟読しながら、今後の日台のあり方も検討したいと思っています。
ご紹介します・

【分析】台湾総統選挙結果

               「台湾の声」編集部

 2000年5月、陳水扁総統は就任式で「中共に武力行使の意図がない限り、任期
中は(1)『台湾独立』を宣言しない(2)(中華民国という)『国名』は変え
ない(3)『二国論』を憲法に盛り込まない(4)『統一か独立か』を問う住民
投票は行わない(5)(統一の道筋を定めた)国家統一綱領を廃止しない――と
いう「5つのノー」公約した。米国からの圧力もあったと聞くが、総統就任時に
早くも「台湾共和国」建国の目標を放棄して、自らを縛ってしまった。2004年の
再任時は、「新憲法制定」を公約にして当選したので、 この「5つのノー」は踏
襲されないだろうと支持者は期待したが、陳総統はまたもこの「5つのノー」で
自らを縛った。結果的に、「中華民国」体制から脱却できるという支持者の期待
を裏切ることになってしまった。

 陳総統は「台湾独立」の定義をはっきりさせなかった。あのとき「独立宣言し
ない」とか「国名を変更しない」と約束するのではなく、もっと早く謝長廷氏の
ように「台湾の独立した現状を守る」と強調したり、中国が定義する台湾独立問
題が存在しないことや、台湾の国名変更問題は台湾の内政問題という立場を明確
にするなどして、米国や日本などの理解を促すべきだった。

 また、民進党は経済的に中国への積極開放を進めた結果、台湾の伝統産業の空
洞化が起こった。経済が悪くなったという批判に、「でも経済成長率はよい」と
主張しても逆に反感を持たれる。失業率増加の原因や賃金が上がらない原因をは
っきりさせ、台湾国民に粘り強く説明すべきだった。中国への過剰な進出が経済
悪化の原因となっていることが説明不足だったため、台湾国民は中国と経済交流
を強化したほうが経済が活性化するという国民党の主張に期待を持ってしまった


 謝長廷氏は現在の中華民国憲法は「憲法一中」(憲法上は「一つの中国」)で
アモイ(厦門)も憲法上は中華民国大陸地区だという主旨の発言をして批判され
たことがある。これを謝氏は「改革の対象」と主張したが、では実際に憲法をど
う改正するのか道筋が示せなかった。というのも、2005年の憲法改正で、憲法改
正手続きおよび国民投票のハードルが高くなり、憲法改正および新憲法制定がほ
ぼ不可能になってしまったからだ。また、陳総統は2004年に「新憲法制定」を公
約にし、2008年から実施することを目標としていたのに、はっきり国名を「台湾
」にすると打ち出すことができず、ごまかしながらの中途半端な憲法改正にトー
ンダウンしたため、とうとう新憲法の見本を示せなかった。これが、支持者や中
間層に「台湾新憲法」は実現不可能だと思わせてしまい、理念より利権の国民党
へ流れていった。

 謝氏が訴えた「和解と共生」の理念は素晴らしいが、謝氏自身が「虎に出合い
、羊が寛容や共存を持ち出しても意味がない」と語ったように、羊(民進党)は
「共生」を呼びかけたが、立法院(国会)で絶対多数を得た虎(国民党)の支持
者を民進党に引き寄せるには至らなかった。もちろん、勝負に勝ったあと、虎に
なった謝氏が「和解と共生」を実行してこそ意味があったので、残念だった。

 このほか、陳水扁総統およびその家族に対する不満が民進党への不満となって
いたのが謝長廷氏にとって不利に働いた。利権で支持を集める国民党支持者は国
民党の汚職に寛容だが、理念で支持を集める民進党の腐敗には「疑惑」が浮上す
るだけでも台湾の有権者厳しかった。国民党の格好の攻撃材料にされ、台湾人意
識に訴える政策さえも、陳総統周辺のスキャンダルをそらすためのものと思われ
てしまった。

 民進党は自由な民主政党なので、党内批判も自由にできる。しかし、総統選挙
や立法委員選挙の党公認候補者選びの過程において、内紛が絶えず、親民党との
選挙協力に成功した国民党と対照的に、立法委員選挙で民進党は台湾団結連盟(
台連)との候補者選びで激しく対立してしまい、団結や感動が冷めてしまった。

 民進党と台連が決定的に対立した原因は、2005年の憲法改正による小選挙区制
の導入である。台連は少数派の民意を尊重するためにドイツ式(得票率で総獲得
議席が決まる)を主張したが、民進党と国民党の2大政党が手を結んで、小政党
が生き残れない日本式に近い小選挙区制を導入してしまった。また、比例代表で
は、5%のハードルが設けられ、台連以外にもミニ政党が乱立したため、第3勢
力の票が分散し、台連も5%を超えられず、議席をすべて失った。

 民進党は当時第1党であれば小選挙区でも勝てると考えていたのだろうが、国
民党と親民党を足して過半数だった国会の状況を考えれば、これは民進党には不
利な制度だった。各選挙区は県長選挙と市郷郷長選挙のちょうど真ん中の規模だ
が、これは地元利権派の政治家が影響力を発揮するちょうどよい大きさだった。
国民党は地元利権派の候補調整にうまく行ったので、小選挙区での戦いを有利に
進めた。

 小選挙区で大勝した国民党は、組織をフル活用できた。一方、民進党は落選し
た台連の一部の議員が選挙の怨念からか国民党支持に回ってしまい、特に台連元
議員が国民党支持を表明した高雄市と台南市では国民党の得票のほうが多かった


 民進党は、今後政権の座から下りて野党になるが、台湾にとって幸いなことは
、野党が台湾派になったことだ。これまで、民進党は与党の立場であったとき、
国会で多数を握る野党が中国的な立場から攻撃するため、「ねじれ」状態が8年
間続いた民進党は理想や目標をはっきり語れなかった。今後、国民党は中国から
の脅威に直接与党として向き合うことになり、少しは現実路線になるだろう。従
来、中国の意を受けた外国の反対などに、国民党が呼応して政府を攻撃して台湾
の足を引っ張ったりしたが、今度は台湾に根ざした台湾にとって建設的な批判や
対案が野党から示されることになる。これは長期的に見れば、国民党の台湾化を
促し、台湾派の2大政党という理想には近づくかもしれない。民進党の今後の役
割は、国民党が台湾路線から外れないよう監督し、国民党の台湾化を促すことが
重要となるだろう。

日本政策研究センターの主張です。転送して皆様にご紹介します。

http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=507

チベット暴動
人権派はなぜ声を挙げないのか
 

チベット自治区で起こった大規模暴動に対し、中国政府は国連などによる調査の要求を拒否するとともに、殺傷性のある武器による発砲はないとした。毒餃子事件に対してもそうだが、相も変わらぬ盗人猛々しさに呆れるばかりだ。ちなみに、中国側発表の死者は「13人」だが、チベット亡命議会は「数百人」に上るとする。

 共同通信によれば、電話取材に答えたラサ市のタクシー運転手は、16日、武装警察と見られる部隊が軍用トラックで市中心部の住宅一軒一軒をしらみつぶしに家宅捜索。暴動に参加したと疑われる人物を「家畜を抛り込むように」トラックの荷台に乗せ、次々とどこかへ連れ去っているという。また、こうした人物には激しい暴行が加えられ、既に数百人が拘束されたとの情報もある。

 暴動はチベット自治区以外にも拡大中との情報もあるが、とはいえ常識的にはいずれは鎮圧されていくと見るのが穏当だろう。その後には、以前にも増す報復的な弾圧と圧制がまっていると思われるのだが、そうした事態の展開を思うと、じっとしていられないような胸の痛みを覚える。

 これはチベットではなくウイグルの話だが、昨年の秋来日された人権活動家、ラビア・カーディルさんが次のように証言していたのを思い出す(水谷尚子『中国を追われたウイグル人』)。彼女が「国家安全危害罪」なる罪名の下、懲役8年の宣告を受けて監獄にいた時のことだ。

    拘置所に入ってしばらくたったある日、公安がやってきて、こ    う言いました。「我々にはおまえを殴る権利は与えられていな    いが、心の血を一滴一滴絞り出して悔やませることはできる」    (中略)
    間もなくして、連れていかれた部屋の、壁を隔てた両方の隣室    から、男の坤き声が聞こえてくるのに気が付きました。ひとは    様々な声を発する生き物だけれど、それは生まれて初めて聞     く「音」で、人間の声というより、殺される直前の牛の叫び     声、或いは巨大な怪物が地底から発している叫びのようでし     た。(中略)苦しそうな悲鳴に、拷問の残酷さが想像されて、    全身が震え、血液が凍っていくのを感じました。(中略)
     それから大分たってから、一人のウイグル人青年が、二人の    ウイグル人の公安に肩を掴まれ引きずられて、瀕死の状能で私    の目の前に連れてこられました。ウイグル人公安の上司なので    しょう、ついてきた一人の漢族が、「ラビア、おまえの民族英    雄たちの顔を見ろ!」と言い放ち、私が凍り付いていると、そ    の男はまた「右を向け」と命令しました。恐る恐る目線を向け    ると、もう一人のウイグル人青年が、同じように地面に投げ捨    てられていました。彼ら二人は、下半身ばかりが血だらけなの    です。(中略)何をされたのか分りません。酷い拷問を受けた    らしく、四肢に力は無く、首も下に垂れ、ぐったりしていまし    た。瀕死というか、二人とも既に死んでいるのではないかと思    いました。

 恐らく、今回の暴動に関わったチベット人たちに対してもこうしたむごたらしい報復が行われるのだろうが、こんな中国政府に対して、「人権」の名で抗議の一つも行えない日本の政府とは何なのかと思えてならない。藪中外務次官は手回し良く、早くも胡錦濤訪日は「予定通り」などと答えているが、毒餃子事件も含め、何もなかったかのように、馬鹿の一つ覚えのごとく「日中友好」をニコニコ顔で確認し合うというのだろうか。

 一方、自民党の中では「人権擁護法案」提出に向けた執拗な働きかけが続いている。人権救済が必要な事例がこの国には数多くあり、そのために「人権委員会」なるものが作られる必要があると、この人たちは真顔でいう。しかし、人権侵害というなら、何よりもまずこうした人権侵害に対して即刻声を挙げ、国民の意識喚起に乗り出すのが、人権派たるものの真っ当な道なのではないか。人権侵害や差別がいけないというなら、ここにこそ人間として声を挙げるべき喫緊の課題があるのではないかと思うのだ。

 「いや、われわれはあくまでも日本のことを問題にしているので」などという言い逃れはいうなかれ。「人権とは国家以前の人間の権利として存在するものだ」というのが、あなた方人権派の言い分だった筈なのだ。それを「地域限定の人権救済」だなどと余りにも悲しいではないか。今こそあなた方が頼りにする国連などに駆け込んで、中国政府に勧告なり意見書なりを出してもらう時ではないのか。

最後にもう一つ。やはりウイグルのグルジャという町でウイグル人の若者たちが平和デモを行った時のことに触れておきたい。この時のデモ参加者は15000人ほどだったというが、中国の武装警察はそれを一網打尽に押さえ込み、全員を逮捕したのみならず、結果的には60000人を逮捕したという。デモ参加者のみならず、後にその親族をも含めた関係者までにも捜査の網を広げ、それを逮捕したのである。のみならず、今なおその結果の行方不明が8000人。これが中国政府のいう「自国の主権を守る決意と能力」なるものの実態だということなのだ。

 時あたかも、台湾では総統選の争点にこの問題が急遽浮上し、馬英九候補優位の状況にもひょっとすると影響が出るか、などといった見方も広がっている。こんな暴虐な中国に彼がいう融和路線など成り立つのか、判断するのはあくまでも台湾の人々とはいえ、どうかこの中国の姿を慎重に見極めてもらいたいと思うのは筆者だけではあるまい。

 いずれにしても、今こそ心ある者――とりわけ日本の心ある政治家たちは、中国に抗議の声を挙げるべきだと思う。


人権派はなぜ声を挙げないのか
 チベット自治区で起こった大規模暴動に対し、中国政府は国連などによる調査の要求を拒否するとともに、殺傷性のある武器による発砲はないとした。毒餃子事件に対してもそうだが、相も変わらぬ盗人猛々しさに呆れるばかりだ。ちなみに、中国側発表の死者は「13人」だが、チベット亡命議会は「数百人」に上るとする。

 共同通信によれば、電話取材に答えたラサ市のタクシー運転手は、16日、武装警察と見られる部隊が軍用トラックで市中心部の住宅一軒一軒をしらみつぶしに家宅捜索。暴動に参加したと疑われる人物を「家畜を抛り込むように」トラックの荷台に乗せ、次々とどこかへ連れ去っているという。また、こうした人物には激しい暴行が加えられ、既に数百人が拘束されたとの情報もある。

 暴動はチベット自治区以外にも拡大中との情報もあるが、とはいえ常識的にはいずれは鎮圧されていくと見るのが穏当だろう。その後には、以前にも増す報復的な弾圧と圧制がまっていると思われるのだが、そうした事態の展開を思うと、じっとしていられないような胸の痛みを覚える。

 これはチベットではなくウイグルの話だが、昨年の秋来日された人権活動家、ラビア・カーディルさんが次のように証言していたのを思い出す(水谷尚子『中国を追われたウイグル人』)。彼女が「国家安全危害罪」なる罪名の下、懲役8年の宣告を受けて監獄にいた時のことだ。

 拘置所に入ってしばらくたったある日、公安がやってきて、こう言いました。「我々にはおまえを殴る権利は与えられていないが、心の血を一滴一滴絞り出して悔やませることはできる」(中略)
 間もなくして、連れていかれた部屋の、壁を隔てた両方の隣室から、男の坤き声が聞こえてくるのに気が付きました。ひとは様々な声を発する生き物だけれど、それは生まれて初めて聞く「音」で、人間の声というより、殺される直前の牛の叫び声、或いは巨大な怪物が地底から発している叫びのようでした。(中略)苦しそうな悲鳴に、拷問の残酷さが想像されて、全身が震え、血液が凍っていくのを感じました。(中略)
 それから大分たってから、一人のウイグル人青年が、二人のウイグル人の公安に肩を掴まれ引きずられて、瀕死の状能で私の目の前に連れてこられました。ウイグル人公安の上司なのでしょう、ついてきた一人の漢族が、「ラビア、おまえの民族英雄たちの顔を見ろ!」と言い放ち、私が凍り付いていると、その男はまた「右を向け」と命令しました。恐る恐る目線を向けると、もう一人のウイグル人青年が、同じように地面に投げ捨てられていました。彼ら二人は、下半身ばかりが血だらけなのです。(中略)何をされたのか分りません。酷い拷問を受けたらしく、四肢に力は無く、首も下に垂れ、ぐったりしていました。瀕死というか、二人とも既に死んでいるのではないかと思いました。

 恐らく、今回の暴動に関わったチベット人たちに対してもこうしたむごたらしい報復が行われるのだろうが、こんな中国政府に対して、「人権」の名で抗議の一つも行えない日本の政府とは何なのかと思えてならない。藪中外務次官は手回し良く、早くも胡錦濤訪日は「予定通り」などと答えているが、毒餃子事件も含め、何もなかったかのように、馬鹿の一つ覚えのごとく「日中友好」をニコニコ顔で確認し合うというのだろうか。

 一方、自民党の中では「人権擁護法案」提出に向けた執拗な働きかけが続いている。人権救済が必要な事例がこの国には数多くあり、そのために「人権委員会」なるものが作られる必要があると、この人たちは真顔でいう。しかし、人権侵害というなら、何よりもまずこうした人権侵害に対して即刻声を挙げ、国民の意識喚起に乗り出すのが、人権派たるものの真っ当な道なのではないか。人権侵害や差別がいけないというなら、ここにこそ人間として声を挙げるべき喫緊の課題があるのではないかと思うのだ。

 「いや、われわれはあくまでも日本のことを問題にしているので」などという言い逃れはいうなかれ。「人権とは国家以前の人間の権利として存在するものだ」というのが、あなた方人権派の言い分だった筈なのだ。それを「地域限定の人権救済」だなどと余りにも悲しいではないか。今こそあなた方が頼りにする国連などに駆け込んで、中国政府に勧告なり意見書なりを出してもらう時ではないのか。

最後にもう一つ。やはりウイグルのグルジャという町でウイグル人の若者たちが平和デモを行った時のことに触れておきたい。この時のデモ参加者は15000人ほどだったというが、中国の武装警察はそれを一網打尽に押さえ込み、全員を逮捕したのみならず、結果的には60000人を逮捕したという。デモ参加者のみならず、後にその親族をも含めた関係者までにも捜査の網を広げ、それを逮捕したのである。のみならず、今なおその結果の行方不明が8000人。これが中国政府のいう「自国の主権を守る決意と能力」なるものの実態だということなのだ。

 時あたかも、台湾では総統選の争点にこの問題が急遽浮上し、馬英九候補優位の状況にもひょっとすると影響が出るか、などといった見方も広がっている。こんな暴虐な中国に彼がいう融和路線など成り立つのか、判断するのはあくまでも台湾の人々とはいえ、どうかこの中国の姿を慎重に見極めてもらいたいと思うのは筆者だけではあるまい。

 いずれにしても、今こそ心ある者――とりわけ日本の心ある政治家たちは、中国に抗議の声を挙げるべきだと思う。

国際派日本人の情報ファイル■ 伊勢先生は書きました。

The Globe Now: チベット・ホロコースト50年(下)
~ダライ・ラマ法王の祈り~
アデは27年間、収容所に入れられ、
故郷の文化も自然も収奪された。
■転送歓迎■-------------------------------------------------------------------
-------------------------------------------------------------------
-------------------------------------------------------
 チベットで暴動が起こっています。その背景を知りたい方の
ために、JOG(国際派日本人養成講座)124号「チベット
・ホロコースト50年(下~ダライ・ラマ法王の祈り~を再発
信させていただきます。
--------------------------------------------------------

■1.法王の脱出■

 1959年3月10日、数万の群衆がダライ・ラマ法王のいるノ
ルブリンカ宮殿を包囲した。その日、法王は中共軍司令部での
演劇に招待されていた。しかも中共側は法王が護衛なしで来る
ことを要求していたのである。今まで東部チベットで、高僧が
中共軍司令官からパーティに招待され、殺害、あるいは、投獄
されるケースが4回もあった。群衆は、法王を中共軍の手に渡
すまいと決意していた。

 法王は中共軍司令部に大臣を派遣して、訪問に反対する「民
衆の熱意があまりにも強固なので、断念せざるを得ない」と告
げた。中共軍の将軍たちは激高して叫んだ。

 いままではわが政府も我慢づよかった。しかし今度の事
件は叛乱である。これが決裂点である。われわれは今こそ
行動にでるであろう。だから覚悟しろ。

 群衆は、何日経っても、宮殿のそばから離れなかった。3月
17日、中共軍陣地から発砲された重臼砲の砲弾2発が宮殿の
近くに落ちた。法王はこのまま宮殿にいれば、中共軍と群衆の
対立がいや増すだけだと考え、国外脱出の決意を固めた。群衆
の指導者の協力も得て、法王は一兵卒に変装し、その夜、ひそ
かに宮殿を脱出した。[2,p127-169]

■2.中共軍「反乱を鎮圧」■

 法王の脱出に気がつかなかった中共軍は、3月19日午後2
時から、宮殿に向け、一斉に砲撃を開始した。集中砲火は41
時間続けられ、宮殿はハチの巣のようになった。3日間で、1
万から1万5千人のチベット人が殺された。宮殿の内外は死体
で埋め尽くされ、中共軍は法王の死体を探し回った。

 中共軍は、さらに「反乱を鎮圧」するために、チベット全土
に戒厳令を敷き、23日までにラサだけで4000人を逮捕し
た。[4,p136] 中共軍の内部資料によると、10月までに、ラ
サおよびその周辺地域で8万7千人のチベット人を殺害したと
いう。[3,p89]

 3月28日には、中国国務院が周恩来首相の名で、チベット
政府の解散と、その職権を「チベット自治区準備委員会」に移
すことを発表した。そしてダライ・ラマ法王が「拉致」されて
いる間、パンチョン・ラマを準備委員会主任代行に任命した。
[4,p136]

 パンチョン・ラマは、ダライ・ラマ法王を助けるために、チ
ベットに現れたと信ぜられ、法王に次ぐ宗教的権威を認められ
てきたが、世俗的権力はなかった。このパンチョン・ラマも、
中国の傀儡にはならず、89年には「チベットは中国から得たも
のよりも、失ったものの方が大きい」という歴史的な声明を発
表し、そのわずか4日後、謎めいた不慮の死を遂げた。
[4,p161],[3,p214]

■3.ヒマラヤ超え■

 世界中の新聞が、ダライ・ラマ法王のラサ脱出を一面で報じ、
その安否を気遣っている間、法王の一行約100人は、200
名の兵士、ゲリラ兵に守られて、徒歩でラサから道もない広大
な山岳地帯を南南東に進み、ヒマラヤの主幹をなす連峰を横断
して、インドへ向かっていた。

 国境に近づけば近づくほど、旅は、よりいっそう難渋を
きわめた。そうして、つづく二,三日というもの、大吹雪、
雪に反射するぎらぎらする光、それから滝のようにおちる
激しい雨などの異常な連続によって、わたくしたちは悩ま
された。・・・

 非常に寒かった。指や手は感覚を失った。そして眉毛が
凍りついた。・・・こうした旅のあいだに、口ひげの伸び
た人々もかなりあったが、その人々の口ひげには、氷がい
っぱいついた。

 それでもわたくしたちは、別に着替えを持っていなかっ
たから、暖を保つ唯一の方法としては、ただ歩くことだけ
であった。[2,p193]

 途中の村で、中国側がチベット政府を解散させたというニュ
ースを聞き、法王は同行していた人々で臨時政府を作り、その
宣言のコピーをチベット全土に送った。

 法王の一行が、正式な許可を得て、インドに入国すると、町
や村では、心からの親切な歓迎をした。ネール首相も、電報で
歓迎と、無事の到着を喜ぶメッセージを送ってきた。さらに全
世界からの百人を超す新聞記者やカメラマンが待ちかまえてい
た。[2,p200]

 法王の亡命後、数ヶ月のうちに、およそ8万人のチベット人
が、同様に困難な国境越えをして、逃れてきた。途中で行き倒
れになった人数は数知れない。[3,p88]

■4.アデの悲しみ■

 アデは16年の刑期が終わっても、釈放されなかった。常に
囚人の先頭にたって、中国人看守たちに反抗したからである。
厳しい生活環境、過酷な強制労働、そして看守達の懲罰を、ア
デは耐え抜いた。1960年にゴタン・ギャルドの収容所に一緒に
移った百人の女囚のうち、3年後に生き残っていたのはアデを
含め、わずか4人であった。

 21年目の1979年、アデは生まれ故郷への15日間の旅を許
された。バスが故郷のカンゼ停留所に着くと、通りにたくさん
の中国人がいることに驚かされた。標識はすべて中国語で書か
れていた。実家の家も、土地も家財道具も、すべてが没収され
ていた。

 森や丘を眺めるだけでも、丘が文字通り不毛の地になる
まで、薬草や花がやみくもに採取されていることがわかっ
た。私はその荒廃ぶりに圧倒された。生命あるものに対し
て、これほど完璧に敬意の念が欠けているということは、
いったいどういうことなのか理解できなかった。[1,p276]

 私の若いころにはとても活気に満ちていた、カルナン僧
院、カンゼ・デイツァル僧院、デ・ゴンボ僧院は完全に破
壊され、略奪されていた。カンゼ・デイツァル僧院が以前
建っていたところには、野生の灌木が生い茂っていた。
[1,p273]

 アデの母と兄の一人は、飢饉で餓死していた。二人の兄は人
民裁判で暴行され殺された。最愛の姉ブモは、ゲリラのリーダ
ーだった夫ペマ・ギャルツェンの処刑後、発狂して死んだ。

 息子のチミはアデが連行されてから、狂ったようになり、母
親の名前を呼びながら、泣き叫ぶばかりで、そうしているうち
に、川に落ちて死んでしまったという。

 アデが逮捕された時、生まれたばかりだった娘タシ・カンド
は、アデの幼なじみのツォラが育ててくれていた。アデは22
歳になっていた娘を初めて見た。娘は近く結婚する事になって
おり、アデは幸せな生活を送って欲しいと、自分の悲惨な過去
についてはあまり話さなかった。

 私は悲しみでいっぱいになりながら、ワ・ダ・ドゥイ
(収容所)に戻る準備を始めた。またバスに乗り、カンゼ
を通り過ぎるとき私が考えていたのは、「もう何も残って
いない」ということだけだった。苦痛、別離、そして失っ
てしまった21年間がすべて心の中にこみあげてくるよう
な気がした。それは本当に耐え難いものだった。そして、
いまの私には何も残されていなかった。[1,p281]

 アデが釈放されたのは、逮捕から27年目の1985年だった。
アデはその後、インドに脱出し、ダライ・ラマ法王がチベット
亡命政府を組織しているダラムサラに住むようになった。

■5.収奪された国土■

 第二次大戦後、アジアやアフリカの民族が次々と独立してい
く中で、チベット民族はこうして、唯一、植民地に転落した。

 チベットは、ヨーロッパ共同体に匹敵する広大な領土を持っ
ていたが、その東部は分割されて、四川省、雲南省、甘粛省な
どに編入された。北部のアムド地区は青海省とされた。たとえ
ば、アデの生まれ育ったカンゼ地区は、四川省甘孜(カンゼ)
チベット族自治州とされている。細かく分割して、周囲の省の
少数民族とされたのである。残るチベット自治区の面積は、約
半分にすぎない。[3,p83]

 1949年当時のチベットの森林面積は22万平方kmであった
が、中共軍による乱伐で、1985年には13.4万平方kmとほ
ぼ半減した。中共軍は旧国民党系の囚人や、チベット人を使っ
て、原始林へのアクセス道路を切り開き、伐採した木材を中国
本土に送っている。

 チベットは、インドや東南アジアを望む戦略的地域である。
中国はここに90基の核弾頭を配備している。アムド地区の中
国西北核兵器研究所は、その核廃棄物をきわめてずさんな方法
でチベット高原に廃棄したと伝えられている。[3,p170-179]

■6.生活と文化の破壊■

 チベット亡命政府は、1949年から79年の30年間に死亡した
チベット人は、120万人をくだらないと発表している。その
内訳は、拷問17万3千人、死刑15万7千人、戦闘43万3
千人、飢餓34万3千人、自殺9千人、傷害致死9万3千人で
ある。侵略以前のチベット人口が600万人なので、5人に一
人が殺された事になる。チベット人の家庭で、家族が一人も投
獄、殺害されていない家を見つけるのは難しい。[3,p99-10]

 仏教国家チベットには、6,259もの僧院、尼僧院があっ
たのが、1976年に残っていたのは、わずか8つに過ぎない。仏
像や装飾品などは、ことごとく中国本土に持ち去られた。59
万人いた僧、尼僧などのうち、11万人強が拷問死し、25万
人以上が還俗を強制された。[3,p146-149]

 僧院に付随して学校があったのだが、それらも一緒に破壊さ
れた。チベットの12歳以上の文盲率は、中国側の発表でも、
74.8%であり、中国本土の31.9%の2倍以上となっている。
[3,p132]

 中国政府は、産児制限や、中絶・不妊手術により、チベット
人の人口抑制を図っている。その一方で、中国人の移住を数々
の優遇策によって奨励した。その結果、チベット人口600万
人に対して、チベット全土に住む中国人は750万人と見積も
られている。[3,p166]

 チベットは、中国の過剰な人口の捌け口とされ、チベット人
は自らの国土においても、少数・劣等民族とされてしまったの
である。

■7.ダライ・ラマ法王の祈り■

 ダライ・ラマ法王の働きかけで、国連総会は1959年、61年、
65年の三度、「チベット人民の基本的人権と、その独特の文化
的ならびに宗教的生活を、尊敬することを要求する」と決議し
ている。

 近年、多くの国の議会がチベットの人権を尊重するよう中国
政府に求める決議を行ってきた。たとえば欧州議会(1987-90,
4回)、旧西ドイツ(1987)、イタリア(1989)、オーストラリア
(1990,1991)など。アメリカの上下院は10回以上の決議を行
っている。[3,p114]

 1989年には、ノーベル平和賞が法王に授与された。ノルウェ
ーのオスロ大学での受賞記念講演では、法王は「平和は私達一
人一人の内から始まります。内的な平和があれば、周囲の人々
とも平和を分かち合うことができます。」との信念を披瀝し、
「非暴力による平和の追求」が世界の一大潮流になっているこ
とを指摘した。

 89年6月の第2次天安門事件において、「中国で同じような
変化をもたらそうとした勇気ある人々の努力は、・・・暴力で
うち砕かれてしまいました。」しかし中国の若者達が「権力は
銃口から生まれる」と教えられ続けて来たにも拘わらず、非暴
力を選んだことを、法王は高く評価した。

 チベット高原全体を、人間と自然が調和して、自由に平
和に暮らして行ける保護区にしようというのが、私の夢で
す。世界中の人々が、世界各地の緊張や圧力から逃れ、自
分自身の内にある平和の真の意味を探し求める地区とした
いのです。

 として、チベットの非武装、非核化、自然保護、そして国際
人権保護機関の設置を提案した。法王は演説を次の祈りで締め
くくった。

世界に苦しみがあり、
生き物が残っている限りは、
私も、残ります。
世界の苦難を消すために

 ダライ・ラマ14世の肉体は滅びても、その魂は15世とし
て、この世に戻ってくる。世界の苦難を消すために。チベット
仏教の輪廻転生信仰は、世代を越えて受け継がれる人類の「内
なる平和への意志」の象徴とも言えよう。

部落解放同盟福岡県連と県教委との交渉をみる(情報公開資料による)。その2
7 優柔不断の行政を追求する解同独特の考え方

出席している幹部は、「部落解放同盟が、同和対策の奨学金制度を一般対策に広げた。福岡県は部落の子が何人で、部落外の子供は何人か明らかにせよ」と県教委へ迫っている。
当然そんな内訳は掌握していないので、「データを取っていない」と返答するとそれに対する解同幹部はすばらしい再質問をする。

珠玉の再質問をご紹介すると
「そげんなことやけんね、何というか自尊感情とかなんとか言ったってうまくいくわけないでしょう。」墨塗りのあと「そういうものを把握もせんでね、自尊感情とかプラスイメージとかできるわけないじゃないですか。」
いつまでも部落の子供を個別に把握して、成績を管理せよということだそうである。

また別の箇所では、学力調査で個別に部落の子供の学力を調査しないで、この学校は低学力にあるとは、そんな問題ではないと言う。事実を把握しないで部落差別がなくせるのか。行政の責任と思っているのか、と追求している。
行政が「行政に責任」と発言すれば、「何で行政の責任と思うとうとか、根拠を聞かせてんしゃい。「差別の現実がある。そのことが行政の責任なんだっていうことの根拠を、あなた分かってるの。(無学な小生にとっては、理解しがたい難しい問題である)この後52行全て墨塗り。

区別をするなと日ごろ言いながら一方では把握せよと、ご都合主義の典型である。
解同の主張なんてこのようなものであるという典型。行政は部落解放同盟のご都合主義的質問をたしなめる勇気がほしいものです。
たしなめると言う行為をすると、問題が大きくなるから避けたのでしょう。
「泣くこと地頭には勝てない」雰囲気は行政が積極的に作り出している。

8 差別講演については、

  追求している解同と回答している県の発言は全文墨塗りとなっているので、一般的には、差別講演があったのかでっち上げなのかは、検証の方法はないのでコメントできない。差別かどうかの判定者は、部落解放同盟だけである。人権擁護法案が実現すれば如何に危険であるのかが、実現を目指している部落解放同盟が示してくれている。
問題の本質は、行政の判断でこれほど大々的な墨塗りが出来たのかどうか、疑問である。何が差別発言かは、無学な小生にとって理解できない。
差別かどうかは、知的水準の非常に高いレフリー部落解放同盟だけが判定するのだそうである。さすが暗黒福岡である。
 
9 解放同盟の要求は実現するのが当然のことと県教委。

 教員の配置が制度上の問題があり困難と県教委が回答すると、解同はいう。
「何年経つね、検討しとらんていうのと同じこったい。困難ちゅうなら検討してないのと同じことですよ。教職員が教職員の身分のまま行かれんならば、教職員の身分じゃなくて、教職員の免許をもった人が地域にでも出向の出来るような制度を考えてくださいって」

要求実現させるためには、制度を変えてでも実現をせまる。解放同盟が要求すれば実現しないことはありえない。男性が出産すること意外は。

教育企画部長はついに約束する。
「隣保館・集会所等への職員の派遣の問題については、学校の教員を配置することは難しい問題がございます。別の形で支援策をといったことを、人権・同和対策局との協議が今後も必要かと思いますけれど、今度検討していきたい」これが各地で各種派遣という形態で実施されてきている元凶でもある。

教職員課長は、「これまで教職員が学校以外のところへ勤務時間中に、そういう形で従事するということは、さまざまなところから意見もございます」という。これは、地元で義憤に感じた青年が追求してきたことを前提にした回答で、今まで実施してきたことを逆説的に証明したものでもあり、今後も飽くなき追及は必要であることを証したものである。
屈服した県教委は「教職員以外で何が出来るのか、内部で検討しているところ」と白旗をあげる。

部落の生活実態調査は、同和事業展開を要求する証拠づくりであることも、幹部の発言で明確になっている。
調査は必要ありません。結果は県教委と部落解放同盟の都合のよいよう作成されるのです。

主な問題点を列記してきましたが、文章の大半が墨塗りのため、センテンス単位でも理解することが出来ず、課題ごとにしても不明確な部分が多すぎます。
個人情報という理由らしいのですが、そうではなく墨塗りは、公開できない交渉内容ものがその大半と思わざるを得ません。

大変な代物です。完全に個人情報以外をすべて公開するよう要求していく必要があります。行政を手中に収めたものが、好き勝手に、自在に行政を市民の目にさらすことのないように作り上げていくことをが出来ることを示している。
福岡県はこの意味では典型的な日本で唯一の未開県といえよう。

ドイツ在住のノンフィクション作家クライン孝子さんは、毎日日本向けのメッセージで書きました。


チベット問題、世界中が注目!
EU議会議長ポッテリング(ドイツ人)も
仏外相同様、このままチベット人への武力弾圧による鎮圧を
中国政府が強行するのであれば、EUも北京オリンピックの
ボイコットに踏み切るとのコメントを発表している。

ドイツ外相シュタインマイヤーにおいては
中国政府は即刻ダライラマとの
対話に応じるべきと勧告している。

ところが若い世代のチベット人たちは、ダライラマの
非暴力主義は59年にわたる。
にも拘らず、悪化するばかりで。
これ以上待てない。我々は武器をとっても戦っていくべきだ
との主張が大勢を占め始めているという。
マハトマ・ガンジーの非暴力主義でインドは
500年にわたる英国植民地支配から脱却したのですが・・・・

「胡主席と会う用意」ダライ・ラマ14世が表明
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080320-OYT1T00634.htm

なお参照:
ドイツ、対中援助交渉の中止を警告 チベット問題
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/131713/

ペロシ米下院議長がダライ・ラマ14世と会談、支持を表明
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080321-OYT1T00735.htm

「状況はチベット同様に深刻」亡命ウイグル人組織が会見
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080322-OYT1T00077.htm

国際社会の目厳しく チベット騒乱 海外主要メディアの社説・論評
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080321/chn0803212235015-n1.htm

【石原都知事会見詳報】(2)チベット騒乱「どう考えても気の毒だ」
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080321/lcl0803212122003-n1.htm

「東アジア黙示録」より(必読!)
胡錦濤チベット血の履歴書…89年ラサ大虐殺指令
http://dogma.at.webry.info/200803/article_7.html

伊勢先生の
国際派日本人養成講座 より転載いたしました。

 
国家国民を襲う危機を事前に避けること こそ、インテリジェンス活動の狙い。 ■転送歓迎■



■1.兆候があった在ペルー日本大使公邸占拠事件■

 1996(平成8)年12月17日、ペルーの首都リマにある日本
大使公邸にて、天皇誕生日祝賀レセプションが開かれた。ホス
ト役の青木盛久大使をはじめとする大使館員、ゲストとしてペ
ルー政府要人、各国の駐ペルー大使、日本企業のペルー駐在員
ら約600人が集まった。

 そこに突如、隣の家の塀を爆破し、14名のゲリラが乗り込
んできた。彼らは大使館を占拠し、約600人の人々を人質に
した。トゥパク・アマル革命運動という左翼武装組織のメンバ
ーであった。ゲリラたちは「フジモリ政権の経済政策の全面転
換」「身代金の支払い」などを要求した。フジモリ大統領はこ
れを拒否し、ゲリラたちは女性や老人、子供たちを解放した後、
残りを人質として、膠着状態に陥った。

 事件が発生した直後、在米日本大使館の武官としてワシント
ンDCに駐在していた太田文雄氏(前・防衛庁情報本部長)は、
国防情報庁(DIA、Deffense Intelligence Agency)に行っ
てラテン・アメリカのテロ専門家と情報交換をした。その専門
家は、事件が勃発する1ヵ月前から、トゥパク・アマルが何ら
かの公共機関を襲撃するであろうという兆候を2件掴んでいた、
という。

 それを聞いた時、太田武官は、もしペルーに日本の武官がい
て、米国の在ペルー武官を通じてDIAからの情報を入手して
いたならば、あの事件は未然に防止できたかもしれない、と思っ
たそうである。[1,p118]

■2.「この程度の情報はすぐ入手できますよ」■

 事件が解決したのは5カ月も後だった。4月22日、ペルー
海軍や警察による特殊部隊が公邸に突入し、死亡者1人、複数
の重軽傷者は出したが、人質71人の救出に成功した。

 その数日前、太田武官は各国海軍武官団の旅行で、メーン州
に出張していた所、同行のペルー海軍少将が「アドミラル太田、
今週動くぞ」と耳元で囁いた。

 太田武官はこの情報を日本に伝えようとしたが、暗号化して
発信するためには最も近い所でもボストンの日本領事館まで行
かなければならないのと、この情報をダブル・チェックする術
がなかったことから、知らせなかった。伝えたとしても、日本
政府は混乱するだけで、何の役にも立たなかったろう。

 数日後、バスの中で、このペルーの海軍少将が「数時間前に
救出作戦が始まり、既に制圧した」と教えてくれた。

 事件後も、太田武官はDIAからのテロ情報を頻繁に発信して
いたので、日本のペルー大使がワシントンのDIAに情報収集
に来たことがあった。その時、太田武官は大使に「この程度の
情報は在ペルー米国大使館の武官が持っていますから、日本か
らの武官が配置されれば、簡単に入手できますよ」と言った。

 ペルーには今でも武官が配置されておらず、この事件の教訓
は生かされていない。防衛省が武官をある国の日本大使館に配
するには、外務省はその見返りとして防衛省内で同レベルのポ
ストを要求するためという。そんな縄張り意識が、在留邦人の
安全確保よりも優先されているのである。

■3.ゲリラの動きを察知していれば■

 この事件を通して、インテリジェンス活動の効用を理解する
ことができる。

 ゲリラ側の立場に立って推察してみると、彼らの主要な敵は
アメリカであり、本当ならアメリカ大使館を襲った方が、国内
外へのアピールから見ても、はるかに効果的なはずだ。

 しかし、そのアメリカ大使館はDIAからの情報を得て、普
段よりもなお一層厳しい警戒態勢を敷いていたと考えられる。
そうと知れば、アメリカは自分たちの動きを掴んでいるのかも
知れない、とゲリラ側は察し、これでは「飛んで火にいる夏の
虫」になりかねない、と考えたであろう。

 ゲリラ側は次善の策として、その他の西側の大使館を検討し
たかも知れない。英仏独などの大使館も当然、武官を通じて、
アメリカからの情報を得ていたとすれば、警備も厳重になって
いるわけで、あきらめざるを得ない。

 そんな所に、日頃から警備も薄いのに、さらにパーティー準
備に大わらわになっている日本大使館を見れば、ゲリラ側は、
こここそ格好の標的だ、と考えたであろう。インテリジェンス
活動ができてないばかりに、日本大使館はとんだとばっちりを
受けたのではないか。

■4.独ソ戦を左右したゾルゲ事件■

 国際的に有名なインテリジェンス活動の一つが日本を舞台に
したゾルゲ事件である。

 1941(昭和16)年6月、欧州では第二次大戦が始まっており、
ドイツ軍がソ連に侵攻していた。スターリンの関心事は、ドイ
ツの同盟国である日本が、これに呼応して極東からソ連を攻撃
するのかどうか、という点にあった。現に松岡洋右外相などは、
この際、ソ連を背後から叩くべきだと主張していた。

 この時、在日ドイツ大使の私設情報官として働いていたリヒャ
ルト・ゾルゲは、実はドイツ共産党を通じて、モスクワの国際
共産主義団体コミンテルンに所属していた。ゾルゲは朝日新聞
記者・尾崎秀美に接近する。尾崎自身も上海駐在の頃から、国
際共産主義に共鳴していた。[a]

 尾崎は近衛内閣の嘱託として入り込み、「日本は石油を取り
に南進する」という確度の高い情報を掴んで、ゾルゲに伝えた。
ゾルゲはこの情報をモスクワに送り、それを受けたスターリン
は、満洲やシベリアの軍団のうち数個師団を欧州戦線に振り向
けた。

 冬期戦に長けたこれらの援軍によって、ソ連軍は電撃的侵攻
を続けていたドイツ軍を食い止めることに成功し、12月初旬
からは冬期大反攻を開始した。

 もし日本がゾルゲのインテリジェンス活動を封じていたら、
ソ連は欧州戦線への兵力投入ができず、独ソ戦は全く別の様相
を呈していただろう。

 さらに想像を逞しくすれば、そもそも1941(昭和16)年12
月初旬と言えば、運命の真珠湾攻撃が開始された時期である。
この時点で、ドイツ軍の旗色が悪くなりつつあるという情報を
日本が掴んでいたら、アメリカの挑発をも堪え忍んで、日米戦
の勃発は防げたかも知れない。そうなれば、第一次大戦と同様、
第二次大戦でも我が国は高見の見物をしていられた可能性もあ
る。

■5.日露戦争を勝利に導いたインテリジェンス■

 日本がインテリジェンスで失敗した例を紹介したが、もちろ
ん、見事な成功事例もある。

 福島安正・陸軍少佐は、日露戦争の11年前に、たった一人
でドイツからウラジオストックまでの1万4千キロを1年4ヶ
月かけて騎馬で横断した。世界中がこの大冒険に湧いたが、そ
の裏にはロシアの東方進出の実態を探るという目的があった。

 福島少佐は、現地の見聞情報をもとに、ロシアはかならず蒙
古、満洲へと東進してくると判断した。そして弛緩した清国政
府にはそれを抑える力も意志もないことを見てとった。こうし
た情報をもとに、海軍増強など対ロシア戦略が構築された。[b]

 また福島少佐は、ロシアが支配するポーランド、バルト3国
などで独立運動が起きていることを掴んだ。この情報から、日
露戦争中、明石元二郎大佐は、これらの地域での独立運動を支
援して、ロシアを後方から脅かした。これがロシア皇帝に早期
講和を促す大きな要因となった。[c]

 国力でも武力でも大きく劣る日本が、ロシアに勝てたのも、
インテリジェンスの面で相手を凌駕していた点が大きい。

■6.「孫子を忘れたが故に戦略的思考に乏しくなった」■

 明治時代の日本は見事なインテリジェンス力を発揮して、大
国ロシアの侵略を打ち破ったのに対し、その後、インテリジェ
ンスの力を失い、ついには敗戦という事態に至ったのはなぜな
のか。太田文雄氏は、こう述べている。

 また、幕末の吉田松陰が「孫子」を弟子たちに講義した
ことは有名ですが、その弟子達である伊藤博文や山縣有朋
が軍政面での指導者として戦った日清・日露の戦いでは、
極めて見事な戦争指導が行われたのに、日露戦争後、洋行
帰りの人達が国の指導者となってから、思わしくない結果
が出ているということも、「孫子を忘れたが故に戦略的思
考に乏しくなった」という事実とあながち関係がないとも
言えないような気がします。[1,p110]

「孫子」は、今も戦略論の古典として世界中で読まれている。
アフガニスタン作戦とイラク戦争を指揮した米中央軍司令官フ
ランクス陸軍大将は若い頃から「孫子」を熟読していた。また
軍事戦略家のHarlan K. UllmanとJames P. Wadeの著書"Shock
and Awe"(衝撃と畏怖)は、イラク戦争での作戦名にも採用さ
れているが、その中では「孫子」の引用が数十回もなされてい
る。

 この「孫子の兵法」こそ、「敵を知り己れを知らば、百戦し
て危うからず」との名言で知られるように、インテリジェンス
を重視した戦略論なのである。

■7.戦わずして人の兵を屈する■

「百戦して危うからず」などと聞くと、軍国主義の権化のよう
で、毛嫌いしてしまう人もいるだろう。しかし、「孫子」をよ
く読めば、それが誤った先入観であることが分かる。

 百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の
兵を屈するは、善の善なる者なり。

(百回戦争して百回とも勝利を収めるのというのが、最善
ではない。戦わずして相手の力を挫くことこそ、最善の方
策である。)

 戦争とはたとえ勝ったにしても、多くの人命を失い、国富を
消尽させる。国家にとっては国民と国益を護ることが目的なの
だから、戦わずしてその目的を達成することこそ、最上の道な
のである。

 冒頭に紹介した在ペルー日本大使公邸占拠事件の例でも、ア
メリカは事前にゲリラ活動を察知しており、ゲリラ側に攻撃の
隙を与えなかった。

 また、尾崎秀美のような国際共産主義の手先が日本を中国大
陸での戦乱に巻き込もうという策謀を巡らしているのをよく知っ
ていれば、それに乗せられて日華事変のような消耗戦を戦うこ
とは避けられたであろう。

 さらに1945年12月初旬の時点で、独ソ戦でドイツの旗色が
悪くなっていることを知っていれば、アメリカの執拗な挑発を
避けて、第2次大戦に巻き込まれずに済んだ可能性もあったこ
とはすでに述べたとおりである。

 このように的確な情報を得ていれば、余計な戦いを避けて、
国民の安全と利益を護ることができる。そこにインテリジェン
ス活動の効用がある。

■8.オウムと北朝鮮■

 日本は平和な国であり、我が国さえ侵略をしかけなければ、
戦争は二度と起こらない、などという幻想は過去のものとなり
つつある。

 この幻想を打破したのは、オウム真理教による地下鉄サリン
事件、および、北朝鮮による拉致であろう。

 1995(平成7)年に起こった地下鉄サリン事件では、オウム
真理教徒が地下鉄丸の内線、日比谷線、千代田線の5編成で化
学兵器として使われる神経ガス・サリンを散布し、乗客や駅員
ら12人が死亡、5,510人が重軽傷を負った。大都市で一般市
民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として世界
に衝撃を与えた。

 オウムは上九一色村にサリン製造プラントを建設し、ロシア
から大型軍用ヘリコプター「ミル17」の中古機を購入・配備
していた。まかり間違えば、サリンが大都市に空中散布されて、
はるかに大規模な被害が出ていた恐れがあった。

 北朝鮮による拉致事件も、めぐみさんが連れ去られたのが、
昭和52(1977)年。17年後の平成6(2004)年に韓国に亡命し
た北朝鮮工作員の証言によって、ようやく拉致問題が公にされ
た。日本政府が拉致被害者として認定したのは17名だが、一
説には100名以上とも言われている。

 オウムにしろ、北朝鮮にしろ、なぜもっと早くその動きを掴
んで、大きな被害が出る前に手が打てなかったのか。これが日
本のインテリジェンスの問題であろう。

■9.「敵の情を知らざるは、不仁の至りなり」■

 日本のインテリジェンス機関としては、防衛省情報本部(2
千人規模)、内閣情報調査室(数百人)、外務省国際情報統括
官室(百人以下)が主だった所であり、合計しても3千人以下
の規模と推定される。

 それに対して、アメリカは中央情報庁(CIA、数万人)、
国家安全保障庁(NSA、CIAの約2倍)、国防情報庁(D
IA、約1万人)、国家地理・空間情報庁(NGA、約1万人)
と、おそらく合計では10万人規模のインテリジェンス人員を
擁している。

 イギリス、フランス、ドイツなどは、アメリカの十分の一の
陣容と推定されるが、それでも日本の数倍の規模となる。

 孫子は「爵禄百金を愛(おし)んで敵の情を知らざるは、不
仁の至りなり」と言った。インテリジェンス活動のためのポス
トや費用を惜しんで、敵情を知らないのは「不仁の至り」と言
うのである。

 地下鉄サリン事件での死者12人、重軽傷5,510人、北朝鮮
の拉致被害者が政府公表だけでも17名という被害者の上を思
えば、インテリジェンス活動の軽視が、まさに国民に対する
「不仁の至り」であることが実感できよう。

1959年から始まった中国のチベット侵略。それ以後の侵略の弾圧のなかチベット国民の抵抗が、余すとこなく書かれています。

チベットを論じるためにも、必読となるでありましょう。



チベット事件の本質:暴動ではなく、暴政への抵抗

文・王華

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d44306.html
--------------------------------------------------------------------------------
 【大紀元日本3月21日】中国チベット自治区の首府ラサで3月14日以来発生したチベット人抗議事件は周辺の四川省や青海省、甘粛省などのチベット族自治州にも広がった。中共当局によって厳しく報道管制した中国メディアは一方的に事件を「暴動、騒乱、動乱」と称して、政府側は「チベット独立を唱える内外の分裂主義者による陰謀」としてチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世を批判した。一部の海外メディアは真相を究明せずに、中共当局の報道をそのまま引用し、中共当局の虐殺を「騒乱」「暴動」への鎮圧と報道した。

 しかし、事件の本質は中国民衆が中国共産党(中共)の暴政に対する抵抗であり、中共当局が言う「暴動」「騒乱」ではない。

 中共は1950~51年、朝鮮戦争の中、「チベット解放」という大義名分でチベットの侵攻と占領を行った。その後、チベット自治区として今日にいたっている。

 チベット人は一貫して中共の占領に抵抗してきた。ピークが59年の「チベット動乱」。中国共産党は徹底的な弾圧を加えた。富裕層や地主ら銃殺あるいは生き埋めにし、僧侶を撲殺、焼殺するなどして、動乱を鎮圧したという。多くのチベット人がインドに逃れ、ダライ・ラマ14世もヒマラヤを越えての亡命の旅が始まった。

 歴史を振り返って見ると、中共当局が言う「動乱」「暴徒」の意味を解読できる。六四天安門事件の被害者、民主を求める学生さん、官僚の権力濫用によって耕地を奪われた農民、住宅を奪われた市民、及び各種政府政策の被害者となる陳情者達、これらの人々は基本的人権を守るために、努力している。彼らの中国当局への抗争は自由、民主、人権を求めるものであり、尊敬されるべきだが、実際は中国当局に「暴徒」とされ、行った活動が「暴動」「反乱」「騒動」「動乱」とされている。

  中共当局の報道は殆どこのように嘘を書いている。嘘の報道をそのまま転載されて、真相は消えてしまう。中国の非人道的な現実と真相を伝えることは国際社会と国際メディアの役割だ。真実を伝えるため、中国共産党の嘘を引用しないことが第一歩だ。

 1959年チベット人の抗争

 1950年10月、中国共産党が解放軍4万人を派遣し、8千人のチベット人自衛軍を破って、チベットを占領し、その後、チベット問題をめぐって17条の合意を結び、チベットの自治を確定した。しかし7年後、中国共産党は全国範囲の社会主義化改造を始め、チベット自治は瓦解し始めた。

 社会主義化改造されたチベット、人々が貧しくて、個人財産など殆どない。しかも、食糧もないため、飢え死した人は続出、一家全員餓死したケースは稀ではない。

 1958年、生活が苦しいチベット人は各地で反抗を起こした。1959年、当時共産党のトップ毛沢東氏の指示によって、銃殺が始まった。多くのチベット人は共産党軍隊に殺害され、当時の自治政府官員(民選官員)も逮捕された、チベットの自治はここで終焉を迎えた。同年3月10日、ダライ・ラマは10万のチベット人を率いて、インドへ亡命、インドで亡命政府を設立した。

 これは北京の言う1959年の「チベット武装反乱」、実際には中国共産党によってチベットへの武装侵略である。

 経済面:資源略奪

 「中国共産党の統治は、裕福なチベット人の生活を貧乏の窮地に追い詰めた」と今のチベット人の生活を一語でまとめられる。過去十年、中国当局は物産と資源を略奪のため、チベットへの資本投入を増大しつつある。しかし、チベット人の生活は少しも改善されなかった。利益はごく少数の人のところに集中している。

 統計によると、1955年~1985年の間に、チベットから内陸へ輸送した材木は地球を13周めぐることができる。鉱物資源に対する過剰採掘はチベットの生態バランスの破壊を招いた。チベット地区にある湖の半数はすでに消えた。草原の砂漠化は広い範囲で深刻化している。

 文化面:信仰破壊

 信仰の破壊はチベット人への致命傷となった。チベット仏教はチベット人の精神の支えである。僧侶は現地政治、経済、文化に強く影響力がある。無神論を主張する中国共産党は、これらのすべてを破壊対象にした。調べによると、チベット地区に寺は当時4573基、僧侶は合わせて28万人だったが、共産党に占領された現在、寺は僅か553基しか残っておらず、僧侶は6900人である。

 信仰以外にチベット文化も破壊を免れなかった。チベット亡命政府1980年の推定によると、チベット地区に現在チベット人が633万人いるのに対して漢民族人は750万人いる。つまり、チベット地区のチベット人の数は非チベット人の数より下回った。

 人口だけではなく、文化の漢民族化も進んでいる。高校以降の教育は標準語のみで行われている。現在多くのチベット人は既にチベットの民族言語を使えなくなった。

 チベット人にとってチベット仏教の最高指導者「活仏」(ラマ教で、仏・菩薩・聖僧などの転生者と考えられている高僧。ダライ-ラマなど、慣例として、先任の活仏が死ぬ前に転生者の住む場所、特徴と述べ、死後、寺の高僧は言われた場所に行き、転生者を探す。口述した特徴と一致する子供が見つかったら、新任活仏として迎える)の転生と指定も干渉された。つまり、中国共産党治下の「活仏」は共産党の指定でないと認められない。現にダライ・ラマが指定した転生者は中国当局により十年以上軟禁された。

 動乱の裏

 国際人権組織の証言によると、抗議や抗争活動があったときに、中共当局はいつも軍人を民衆に装わせ、放火や暴力などを繰り返し、鎮圧の口実を作る。その後、戦車と機関銃は容赦なく無実の民衆に向けられた。抗議や抗争の結果、多くの民衆と僧侶の命が奪われた。

 中国共産党は、チベット人の経済、文化、政治、宗教、信仰など各方面の権力を剥奪し続けている。3月10日に中国共産党がチベット占領した49周年の際、チベット自治区の首都ラサ及び周辺の四川省や青海省、甘粛省などのチベット族自治州で、抗議活動が相次いだ。中共当局は断固として鎮圧に踏み込んだ。オリンピック直前に世界に注目された重大な人権迫害となった。

 
(翻訳/編集・侍傑)




(08/03/21 05:57)

本人は、義により行動する素晴らしき民族であります。
これまで、各国での集会・行動は写真やTVで見てのとおりチベット民族が中心でした。

日本では、チベット人がその中心にいますが、どの集会を見ても、日本人が計画し、参加者の多くは日本人でした。
ここに日本人の義により行動する特質が見られます。


3/22チベット弾圧抗議デモ第2弾 1500人が東京六本木を行進!!

宮本将英
打倒中国共産党
http://dadao.kt.fc2.com/

下記のページで24枚の写真をご覧いただけます。
http://dadao.kt.fc2.com/tibet40.htm

3月22日、この日はもうひとつのチベット武力弾圧に対する抗議デモ行進がチベット・
サポート・ネットワーク・ジャパンの主催により行われた。

午後1時15分ごろ、集合場所の三河台公園に到着すると、すでに何と1000人近い群集
で溢れかえっており、1時半開始予定だった集会はすでに始まっていて、牧野聖修前衆議
院議員が力強く演説を行っていた。

午後2時、三河台公園を出発してデモ行進が始まった。大手のテレビ局が多数取材に来
ている。私が今まで参加したデモ行進でこれほど多くの報道陣が駆けつけていたのは初
めてだ。

参加者はチベット国旗のほか、バラエティに富んだ様々なプラカードを手にしながら
「フリー・チベット!」「チベットに自由を!」「チベットに平和を!」「言論の自由を
!」「教育の自由を!」「中国はチベットから出て行け!」などのシュプレヒコールを叫
んだ。

私はデモ行進を取材するときは大まかな人数を数えるようにしているのだが、この日は
あまりにも人数が多く、最後尾まで確認していたら最前列に追いつかなくなりそうなの
で諦めた。

45分ほどの行進の後、ゴール地点である笄(こうがい)公園に到着した。その後もしば
らくはシュプレヒコールが続いた。そして集会が始まり、牧野聖修氏が演説を始めた。
とはいってもまだまだデモ行進の参加者が続々と笄公園に入って来る。最終的に全員集
まったところで、私は遊具の上から写真を撮ろうと思ったのだが、あまりに参加者が多く、
残念ながらどうしても全員を写せない。集会では演説のほか、引き続き参加者全員で
シュプレヒコールを叫んだ。本当に本当にものすごい熱気だった。

NHKの夜のニュースによると、この日の参加者は何と1500人にも上ったという。日本
でチベット関係のデモ行進でこれほど人数が集まったのはもちろん初めてだが、中国政
府への抗議デモでこれほどの人数が集まったのもおそらく初めてではないだろうか。チ
ベット国内のチベット人による勇気ある行動が、日本の世論をついに動かしたのだ。こ
の勢いは必ず継続させなければならないと思う。チベット騒乱は一段落したようにも思
えるが、それは中共が弾圧や迫害を強化したからであって、問題が終息したわけではない。
依然としてチベットや東トルキスタンの人々は中国共産党の暴虐独裁恐怖政治の中で暮
らしている。日本で高まったこの勢いを今後はオリンピックボイコット運動などの形で
継続していかなければならないと思う。

北京の他の大学へ広がることを期待するが、この集会に公安が紛れ込んでいることを見ると、それもしないうちに弾圧が?


チベット抗議活動が北京に飛び火、中央民族大学で抗議集会


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 【大紀元日本3月20日】北京のチベット人が3月17日、小規模な抗議活動を行った。これは、先週、チベットにおいて発生した抗議デモ以来、首都北京で行われた初めての抗議集会である。これと同時に、中国共産党政府(中共)は、チベットの首都ラサの封鎖を続けており、ラサの街頭の到る所に武装警察官と装甲車を配置して、当局による家屋ごとの捜索を行っており、殺伐とした雰囲気が漂っている。一方、チベット人の抗議活動は、既にチベットから四川、青海および甘粛など周辺地区へと拡大している。

 北京・中央民族大学においてチベット人学生が座り込みの抗議

 3月17日、中国少数民族教育の最高学府である中央民族大学において、チベット人学生50人余りが校内で座り込みの抗議を行い、チベット人の抗議活動に声援を送る初めてのデモ活動は、中国の首都・北京に飛び火した。目撃者によると、デモを行った学生はキャンドルに火を灯し、現場には公安がいたという。また、衝突は発生していないが、公安は、既に首謀者の捜索活動を展開しているという。

 西部地区の多数の大学においてチベット人学生がデモ抗議

 中国西部の多くの大学においても、座り込みが行われ、中共の暴力的統治に対するチベット人の反抗に声援を送った。甘粛省蘭州においては、3月16日、西北民族大学のチベット人学生500人余りが、運動場で座り込みを行い、学内にラサの状況を伝えるビラを貼って、ラサのチベット人への支持を示した。

 甘南合同師範専門学校のチベット人学生もまた、デモ抗議を行い、学校の党委員会との間で激しい衝突が発生した。現在、成都の西南民族大学では、多くの武装警察官がパトロール・監視を行って、チベット人学生の行動を警戒している。

 3月16日、四川省の阿壩自治州において、チベット以外の地区で最も深刻な流血衝突が発生した。軍が民衆に対して発砲し、少なくとも8人が死亡した。「チベット国際キャンペーン」は、15歳の諾布という名の学生を含む、3人の犠牲者の氏名を公表した。この組織によると、「関係者数名の情報によると、1千人余りの僧侶及び民衆が、格爾徳寺において大規模な抗議を行い、少なくとも8人が死亡した。インドに拠点を置く「チベット人権民主化センター」によると、8人の遺体が寺に送られたという。

 甘粛、四川、青海においてもデモが発生

 3月16日、甘粛省蘭州、夏河、瑪曲、四川省馬爾康、青海等の地区において、今週日曜日から月曜日にかけて、チベット人によるデモ事件が発生した。

 甘粛省瑪曲県においては、3月16日に約1千500人のチベット人が集会を行った。ロンドンに拠点を置く「フリーチベットキャンペーン」によると、3月17日に瑪曲県で発生した抗議活動は、数千人の規模に拡大し、警察との間で衝突が発生した。

 中共は西部に軍隊を増派

 「フリーチベットキャンペーン」によると、中共当局は、西部地区に軍隊を大幅に増派しており、その中には、パラシュート部隊も含まれているという。

 情報によると、成都軍区は、既に一級の厳戒状態となっており、現在チベットに向けた派兵を行っている。ウォッチャーによると、ラサ街頭に見られる武器装備から判断して、中共は、既に精鋭部隊を動員して鎮圧に当たらせているという。


(翻訳・飛燕)




(08/03/20 09:21)

写真は真実を物語ってくれています。
写真をここに転載することができませんが、「大紀元」でじっくり写真を確認してください。

四川省ガパ県、虐殺されたチベット人=真実を語る遺体写真

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d28930.html
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 【大紀元日本3月22日】3月14日にラサで起きた中共軍によるチベット人虐殺事件後、16日でも隣の四川省ガパ地区でもチベット人の抗議事件が発生した。海外チベット人組織によると、ガパ抗議事件では少なくとも8人以上のチベット人が殺された。現地のキルティ寺の周辺で多くの死者の死体を写った写真が18日、ネット上で公表された。

 これらの写真を公表したフリーチベット組織によると、現地チベット人が命の危険に曝されながらも、電子メールを通してこれらの写真を外部に配信した。3つの遺体が確認され、僧侶のロサンタッシさん、チベット人ジニンさんとノブさんであることがわかった。

 16日夜及び17日昼に撮られたこれらの写真が、中共当局がラサでの虐殺後出した「自首通知」期限にならないうちに、ほかの地区で再びチベット人に対する虐殺が始まった真実を語っている。



 公表された遺体写真は、こちら(http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080318c.html)。
(読者の皆様へ)
 本紙は、写真に収められた犠牲者の皆様に哀悼の意を表します。チベット武力弾圧事件の真相にある中国共産党政府の暴虐性を明らかに示すため、これらの遺体写真の所在を公表します。読者の皆様の判断において、ご覧下さい。



(08/03/22 00:16)

1959年から始まった中国のチベット侵略。それ以後の侵略の弾圧のなかチベット国民の抵抗が、余すとこなく書かれています。

チベットを論じるためにも、必読となるでありましょう。



1959年から始まった中国のチベット侵略。それ以後の侵略の弾圧のなかチベット国民の抵抗が、余すとこなく書かれています。

チベットを論じるためにも、必読となるでありましょう。



チベット事件の本質:暴動ではなく、暴政への抵抗

文・王華

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d44306.html
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 【大紀元日本3月21日】中国チベット自治区の首府ラサで3月14日以来発生したチベット人抗議事件は周辺の四川省や青海省、甘粛省などのチベット族自治州にも広がった。中共当局によって厳しく報道管制した中国メディアは一方的に事件を「暴動、騒乱、動乱」と称して、政府側は「チベット独立を唱える内外の分裂主義者による陰謀」としてチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世を批判した。一部の海外メディアは真相を究明せずに、中共当局の報道をそのまま引用し、中共当局の虐殺を「騒乱」「暴動」への鎮圧と報道した。

 しかし、事件の本質は中国民衆が中国共産党(中共)の暴政に対する抵抗であり、中共当局が言う「暴動」「騒乱」ではない。

 中共は1950~51年、朝鮮戦争の中、「チベット解放」という大義名分でチベットの侵攻と占領を行った。その後、チベット自治区として今日にいたっている。

 チベット人は一貫して中共の占領に抵抗してきた。ピークが59年の「チベット動乱」。中国共産党は徹底的な弾圧を加えた。富裕層や地主ら銃殺あるいは生き埋めにし、僧侶を撲殺、焼殺するなどして、動乱を鎮圧したという。多くのチベット人がインドに逃れ、ダライ・ラマ14世もヒマラヤを越えての亡命の旅が始まった。

 歴史を振り返って見ると、中共当局が言う「動乱」「暴徒」の意味を解読できる。六四天安門事件の被害者、民主を求める学生さん、官僚の権力濫用によって耕地を奪われた農民、住宅を奪われた市民、及び各種政府政策の被害者となる陳情者達、これらの人々は基本的人権を守るために、努力している。彼らの中国当局への抗争は自由、民主、人権を求めるものであり、尊敬されるべきだが、実際は中国当局に「暴徒」とされ、行った活動が「暴動」「反乱」「騒動」「動乱」とされている。

  中共当局の報道は殆どこのように嘘を書いている。嘘の報道をそのまま転載されて、真相は消えてしまう。中国の非人道的な現実と真相を伝えることは国際社会と国際メディアの役割だ。真実を伝えるため、中国共産党の嘘を引用しないことが第一歩だ。

 1959年チベット人の抗争

 1950年10月、中国共産党が解放軍4万人を派遣し、8千人のチベット人自衛軍を破って、チベットを占領し、その後、チベット問題をめぐって17条の合意を結び、チベットの自治を確定した。しかし7年後、中国共産党は全国範囲の社会主義化改造を始め、チベット自治は瓦解し始めた。

 社会主義化改造されたチベット、人々が貧しくて、個人財産など殆どない。しかも、食糧もないため、飢え死した人は続出、一家全員餓死したケースは稀ではない。

 1958年、生活が苦しいチベット人は各地で反抗を起こした。1959年、当時共産党のトップ毛沢東氏の指示によって、銃殺が始まった。多くのチベット人は共産党軍隊に殺害され、当時の自治政府官員(民選官員)も逮捕された、チベットの自治はここで終焉を迎えた。同年3月10日、ダライ・ラマは10万のチベット人を率いて、インドへ亡命、インドで亡命政府を設立した。

 これは北京の言う1959年の「チベット武装反乱」、実際には中国共産党によってチベットへの武装侵略である。

 経済面:資源略奪

 「中国共産党の統治は、裕福なチベット人の生活を貧乏の窮地に追い詰めた」と今のチベット人の生活を一語でまとめられる。過去十年、中国当局は物産と資源を略奪のため、チベットへの資本投入を増大しつつある。しかし、チベット人の生活は少しも改善されなかった。利益はごく少数の人のところに集中している。

 統計によると、1955年~1985年の間に、チベットから内陸へ輸送した材木は地球を13周めぐることができる。鉱物資源に対する過剰採掘はチベットの生態バランスの破壊を招いた。チベット地区にある湖の半数はすでに消えた。草原の砂漠化は広い範囲で深刻化している。

 文化面:信仰破壊

 信仰の破壊はチベット人への致命傷となった。チベット仏教はチベット人の精神の支えである。僧侶は現地政治、経済、文化に強く影響力がある。無神論を主張する中国共産党は、これらのすべてを破壊対象にした。調べによると、チベット地区に寺は当時4573基、僧侶は合わせて28万人だったが、共産党に占領された現在、寺は僅か553基しか残っておらず、僧侶は6900人である。

 信仰以外にチベット文化も破壊を免れなかった。チベット亡命政府1980年の推定によると、チベット地区に現在チベット人が633万人いるのに対して漢民族人は750万人いる。つまり、チベット地区のチベット人の数は非チベット人の数より下回った。

 人口だけではなく、文化の漢民族化も進んでいる。高校以降の教育は標準語のみで行われている。現在多くのチベット人は既にチベットの民族言語を使えなくなった。

 チベット人にとってチベット仏教の最高指導者「活仏」(ラマ教で、仏・菩薩・聖僧などの転生者と考えられている高僧。ダライ-ラマなど、慣例として、先任の活仏が死ぬ前に転生者の住む場所、特徴と述べ、死後、寺の高僧は言われた場所に行き、転生者を探す。口述した特徴と一致する子供が見つかったら、新任活仏として迎える)の転生と指定も干渉された。つまり、中国共産党治下の「活仏」は共産党の指定でないと認められない。現にダライ・ラマが指定した転生者は中国当局により十年以上軟禁された。

 動乱の裏

 国際人権組織の証言によると、抗議や抗争活動があったときに、中共当局はいつも軍人を民衆に装わせ、放火や暴力などを繰り返し、鎮圧の口実を作る。その後、戦車と機関銃は容赦なく無実の民衆に向けられた。抗議や抗争の結果、多くの民衆と僧侶の命が奪われた。

 中国共産党は、チベット人の経済、文化、政治、宗教、信仰など各方面の権力を剥奪し続けている。3月10日に中国共産党がチベット占領した49周年の際、チベット自治区の首都ラサ及び周辺の四川省や青海省、甘粛省などのチベット族自治州で、抗議活動が相次いだ。中共当局は断固として鎮圧に踏み込んだ。オリンピック直前に世界に注目された重大な人権迫害となった。

 
(翻訳/編集・侍傑)


文・王華

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d44306.html
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 【大紀元日本3月21日】中国チベット自治区の首府ラサで3月14日以来発生したチベット人抗議事件は周辺の四川省や青海省、甘粛省などのチベット族自治州にも広がった。中共当局によって厳しく報道管制した中国メディアは一方的に事件を「暴動、騒乱、動乱」と称して、政府側は「チベット独立を唱える内外の分裂主義者による陰謀」としてチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世を批判した。一部の海外メディアは真相を究明せずに、中共当局の報道をそのまま引用し、中共当局の虐殺を「騒乱」「暴動」への鎮圧と報道した。

 しかし、事件の本質は中国民衆が中国共産党(中共)の暴政に対する抵抗であり、中共当局が言う「暴動」「騒乱」ではない。

 中共は1950~51年、朝鮮戦争の中、「チベット解放」という大義名分でチベットの侵攻と占領を行った。その後、チベット自治区として今日にいたっている。

 チベット人は一貫して中共の占領に抵抗してきた。ピークが59年の「チベット動乱」。中国共産党は徹底的な弾圧を加えた。富裕層や地主ら銃殺あるいは生き埋めにし、僧侶を撲殺、焼殺するなどして、動乱を鎮圧したという。多くのチベット人がインドに逃れ、ダライ・ラマ14世もヒマラヤを越えての亡命の旅が始まった。

 歴史を振り返って見ると、中共当局が言う「動乱」「暴徒」の意味を解読できる。六四天安門事件の被害者、民主を求める学生さん、官僚の権力濫用によって耕地を奪われた農民、住宅を奪われた市民、及び各種政府政策の被害者となる陳情者達、これらの人々は基本的人権を守るために、努力している。彼らの中国当局への抗争は自由、民主、人権を求めるものであり、尊敬されるべきだが、実際は中国当局に「暴徒」とされ、行った活動が「暴動」「反乱」「騒動」「動乱」とされている。

  中共当局の報道は殆どこのように嘘を書いている。嘘の報道をそのまま転載されて、真相は消えてしまう。中国の非人道的な現実と真相を伝えることは国際社会と国際メディアの役割だ。真実を伝えるため、中国共産党の嘘を引用しないことが第一歩だ。

 1959年チベット人の抗争

 1950年10月、中国共産党が解放軍4万人を派遣し、8千人のチベット人自衛軍を破って、チベットを占領し、その後、チベット問題をめぐって17条の合意を結び、チベットの自治を確定した。しかし7年後、中国共産党は全国範囲の社会主義化改造を始め、チベット自治は瓦解し始めた。

 社会主義化改造されたチベット、人々が貧しくて、個人財産など殆どない。しかも、食糧もないため、飢え死した人は続出、一家全員餓死したケースは稀ではない。

 1958年、生活が苦しいチベット人は各地で反抗を起こした。1959年、当時共産党のトップ毛沢東氏の指示によって、銃殺が始まった。多くのチベット人は共産党軍隊に殺害され、当時の自治政府官員(民選官員)も逮捕された、チベットの自治はここで終焉を迎えた。同年3月10日、ダライ・ラマは10万のチベット人を率いて、インドへ亡命、インドで亡命政府を設立した。

 これは北京の言う1959年の「チベット武装反乱」、実際には中国共産党によってチベットへの武装侵略である。

 経済面:資源略奪

 「中国共産党の統治は、裕福なチベット人の生活を貧乏の窮地に追い詰めた」と今のチベット人の生活を一語でまとめられる。過去十年、中国当局は物産と資源を略奪のため、チベットへの資本投入を増大しつつある。しかし、チベット人の生活は少しも改善されなかった。利益はごく少数の人のところに集中している。

 統計によると、1955年~1985年の間に、チベットから内陸へ輸送した材木は地球を13周めぐることができる。鉱物資源に対する過剰採掘はチベットの生態バランスの破壊を招いた。チベット地区にある湖の半数はすでに消えた。草原の砂漠化は広い範囲で深刻化している。

 文化面:信仰破壊

 信仰の破壊はチベット人への致命傷となった。チベット仏教はチベット人の精神の支えである。僧侶は現地政治、経済、文化に強く影響力がある。無神論を主張する中国共産党は、これらのすべてを破壊対象にした。調べによると、チベット地区に寺は当時4573基、僧侶は合わせて28万人だったが、共産党に占領された現在、寺は僅か553基しか残っておらず、僧侶は6900人である。

 信仰以外にチベット文化も破壊を免れなかった。チベット亡命政府1980年の推定によると、チベット地区に現在チベット人が633万人いるのに対して漢民族人は750万人いる。つまり、チベット地区のチベット人の数は非チベット人の数より下回った。

 人口だけではなく、文化の漢民族化も進んでいる。高校以降の教育は標準語のみで行われている。現在多くのチベット人は既にチベットの民族言語を使えなくなった。

 チベット人にとってチベット仏教の最高指導者「活仏」(ラマ教で、仏・菩薩・聖僧などの転生者と考えられている高僧。ダライ-ラマなど、慣例として、先任の活仏が死ぬ前に転生者の住む場所、特徴と述べ、死後、寺の高僧は言われた場所に行き、転生者を探す。口述した特徴と一致する子供が見つかったら、新任活仏として迎える)の転生と指定も干渉された。つまり、中国共産党治下の「活仏」は共産党の指定でないと認められない。現にダライ・ラマが指定した転生者は中国当局により十年以上軟禁された。

 動乱の裏

 国際人権組織の証言によると、抗議や抗争活動があったときに、中共当局はいつも軍人を民衆に装わせ、放火や暴力などを繰り返し、鎮圧の口実を作る。その後、戦車と機関銃は容赦なく無実の民衆に向けられた。抗議や抗争の結果、多くの民衆と僧侶の命が奪われた。

 中国共産党は、チベット人の経済、文化、政治、宗教、信仰など各方面の権力を剥奪し続けている。3月10日に中国共産党がチベット占領した49周年の際、チベット自治区の首都ラサ及び周辺の四川省や青海省、甘粛省などのチベット族自治州で、抗議活動が相次いだ。中共当局は断固として鎮圧に踏み込んだ。オリンピック直前に世界に注目された重大な人権迫害となった。

 
(翻訳/編集・侍傑)

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