老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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台湾を憂う友の會が、皆様へ中共が独立国チベットに行った行為を記したサイトをご紹介されています。

http://dadao.kt.fc2.com/fanzui03.htm

中国共産党の犯罪 三

からの転載記事です。ご一読頂き世界で一番の「親日国台湾」がチベットと
同じ運命を辿らない様に日本人が今台湾に対して出来る事を皆さんと考えて
いきたいと思います。

小生も「台湾を憂う友の會」
「日本愛台湾長工之友會」に加盟しています。
                         
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中国共産党の犯罪 三

チベットへの侵略と虐殺

■有史以来一貫して独立国であったチベット
 チベットには約2100年の歴史がある。とはいえ始めの数百年は神話と史実の
境界が曖昧なので、チベットの歴史はソンツェン・ガンポが仏教に基礎をおく
王国を築いた7世紀から語られることが一般的である。中国では唐王朝が栄えた
時代だ。あろうことか中国では唐代よりチベットは中国の一部分であったという、
それこそチベットの全歴史を否定するような歪曲を行っているが、西暦763年に
チベットは唐の首都長安を占領し、一時的に唐はチベットの朝貢国になった
こともある。
 今日まで続くダライラマ制度は17世紀に始まったもので、それ以来ダライラマ
は転生を繰り返して現在では14世に至っている。一般的な歴史観ではチベットは
1727年に清朝の支配下に入ったとされる。しかし実際にはラサに駐蔵大臣2人を置
いていただけで、現代で言う大使館を開設していたに過ぎない。チベットは英領
インドと国境条約を結ぶなど一貫して独立国家として主権を行使してきた。
20世紀前半当時、チベットは日本、中国、タイと並んで欧米の植民地化を免れた
アジアでも数少ない独立国家のひとつであった。
■中国共産党のチベット侵略戦争
 1950年10月7日、中共軍がチベット東部へと侵略戦争を開始した。チベット国境
警備隊と現地の義勇軍が抵抗したものの、武器・人員ともに圧倒的な中共軍を
相手に退却を余儀なくされた。
 そもそも中共軍は100万の軍勢を有している一方で、チベット軍は8500人に過ぎ
ない。始めから軍事力による勝敗は見えていた。1951年5月、北京でチベットと
中国との交渉が行われた。チベットから北京に派遣された代表2人は交渉に赴いた
だけで、チベット政府から条約を締結する権利を与えられていなかった。だが中共
の脅迫により強引に署名させられてしまった。こうして1951年5月23日、チベットの
平和解放に関する十七か条協定が締結された。
■チベットが中華人民共和国の支配下に入ると早速チベット人と中国人の摩擦が
激化した。当時人口7万人のラサに2万人以上の人民解放軍が進駐し、ラサ市民は
住宅と食料の提供を強制され、瞬く間に食糧難と猛烈なインフレがラサを直撃した。
チベットと中国を結ぶ道路建設には大量のチベット人が無報酬で強制労働をさせられ、数千人の命が奪われた。また、中国共産党はチベットの青少年に、チベットの宗教、
文化、習慣を侮辱し、共産党を賛美する教育を強制した。
 チベット人の不満が日増しに高まる中、ダライラマ法王は1954年、北京を訪問し、
毛沢東、周恩来、劉少奇、朱徳らと会談した。このときダライラマ法王は一筋の
希望を見出し、中国との協調も本気で考えるようになったという。だがその後に
チベットでは、人類がかつて経験したことがないような悲劇に直面するようになる。
■チベットへの弾圧強化
中国共産党の悪政、度重なる条約違反にチベット人の怒りは頂点に達していた。
1958年以降、東チベットではカンパ族を中心に反乱が続発、これに対し中共軍は
見せしめのため、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、寺院の仏像や経典を
容赦なく略奪した。東チベットのいたるところで中共軍による虐殺が行われた。
以下に『中国はいかにチベットを侵略したか』から引用しよう。
「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは
狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、
僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のある
ものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢の
チベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、
馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り
込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは
「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。
おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から
追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
 貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られて
いったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小屋にさ
れるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は
村人の見守る中で拷問され、射殺された。何千人もの村民は強制労働に駆り
出されそのまま行方不明になっていった。僧院長たちは自分の糞便をむりやり
食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた」
■ラサ動乱とダライラマ法王の亡命
1959年2月、中共はダライラマ法王を、3月10日に開催される観劇に招待した。
その際、警備をつけないようにという注文をつけた。法王が拉致されるのでは
ないかという不安が瞬く間にラサ市民の間に広がった。1959年3月10日、3万人
のラサ市民が市の中心部にあるノルブリンガ宮殿に集結、人々は口々に
「チベットに独立を、中国人は帰れ」とシュプレヒコールを叫んだ。法王は観劇
への出席を取りやめることにしたが、大群衆はノルブリンガを去らなかった。
これに対し中国共産党は軍を増強し、事態は一層緊迫の度を増した。3月16日、
ダライラマ法王はついに決意して、一般庶民に変装してノルブリンガを脱出し、
インドへ亡命した。
3月19日、ついに悲劇は起きた。中共軍はノルブリンガ宮殿に一斉に砲撃を開始。
集中砲火は41時間継続し、宮殿は蜂の巣のように破壊され、何万人という民衆が
虐殺されたのであった。3月28日にはチベット政府が完全に解散させられ、
チベット自治区準備委員会に統治されることとなったのである。
(チベット自治区は1965年に発足した)
その後も中国共産党による残虐行為は絶え間なく続いた。1959年4月には
「民主改革」運動が行われ、ありとあらゆるチベット人が摘発の対象となった。
多くのチベット人が出頭を命ぜられ、投獄、殺害された。比較的軽いものでも
数ヶ月間の洗脳教育を受けさせられた。以下はダライラマ法王が難民からの
報告をもとにまとめたものである。
「彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまで鞭打たれたり、はりつけにされたり、
生きながら焼かれた。溺死させられたり、生きたまま解剖されたり、餓死された
ものもあった。絞め殺されたり、首をつって殺されたり、熱湯によるやけどで
殺された。また、あるものは生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、
首をきられたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。
村人たちはそれを見物するように強制された。自分の家族のものが強制されて見
ているその目の前で、ゆっくりと殺されていったのである。さらに小さな
子供たちは、その両親を射殺するように強制された」
■文化大革命
1966年5月にはチベットにも文化大革命の嵐が吹き荒れた。8月には紅衛兵の数は
1万人に達し、最盛時には十数万に達した。紅衛兵は「四旧」を打破し、「四新」
を建設しようというスローガンの名のもとに、数少なくなったチベットの寺院、
文化施設を徹底的に破壊し、通りの名称を変更し、個人の家に入り込んで祭壇や
民俗家具などをかたっぱしから壊しまわった。民族衣装を着ることもペットを飼
うことも屋上で香をたくことも、伝統の模様を描くことも全て禁止された。宗教
文献、写本、彫像などはあとかたもなく破壊された。チベット語も弾圧の対象と
なり、会話以外ではありとあらゆるチベット語の書物、教科書、が廃棄された。
チベット語で印刷されたものといえば毛沢東語録と共産党の宣伝文書ぐらいに
なってしまった。全ての僧侶は「反動分子」として扱われ、罪名を書いた板を首
かけられ、市内を引き回された。チベットのありとあらゆるものが破壊された
大混乱の10年間であった。
■総括
1978年から始まった改革開放政策によって、中国共産党のチベットによる残虐行
為は大幅に緩和された。しかし28年間にわたる中国共産党の支配は、2000年かけ
てチベット人が築き上げたものを根本から徹底的に破壊しつくしてしまった。
6000箇所以上あった寺院はことごとく破壊され、完全な破壊を免れたのは8箇所
であった(それとて全く被害がなかったわけではない)。虐殺、戦闘、飢餓に
よって120万人のチベット人が命を失った。チベットの人口の5分の1に相当する。
(中共侵略前のチベットは貧しくはあったが、その歴史において飢餓を経験した
ことがなかった)。
■今でも続く弾圧、文化破壊
改革開放以来、大規模な殺戮はなくなったし、仏教を信仰することも可能になっ
たし、破壊された寺院の再建や修復も進んでいる。それでもチベット人に対する
弾圧は依然として続いている。
1989年にはラサでチベット人による大規模なデモが行われ、これに対し中共軍が
数百人のチベット人を虐殺している(そのときのチベット自治区の共産党書記は
胡錦濤である)。現在でも数千人が政治犯として収容されていると言われている。
ダライラマの写真やチベットの国旗を所持しているだけですぐさま摘発の対象と
なるほど自由は制限されている。ほかにも子供たちにダライラマ法王の写真を踏
み絵さたり、中国共産党のイデオロギー教育を行うなど前近代的な植民地支配が
継続されている。2006年10月にヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命しようとして
いたチベット人を人民解放軍が射殺した映像が世界に流れたのは記憶に新しい。
1995年には即位したばかりのパンチェンラマ11世を拉致監禁し、別のパンチェン
ラマをたてるという暴挙に出た。拉致されたゲンドゥン・チューキ・ニマ少年は
当時6歳で、世界最年少の政治犯となった。ダライラマ法王は亡命から48年間、
一度も祖国への帰還を果たしていない。
中国共産党は半世紀以上にわたる残虐行為を認めないどころか、
「かつてのチベットは5%の僧侶及び貴族、地主が、95%の奴隷を搾取していたが、
中国共産党がチベットを平和解放し、チベットに幸福を繁栄をもたらした」などと
いうまるで幼児向けのアニメみたいなストーリーを「歴史」として宣伝しているの
だから開いた口が塞がらない。当然ダライラマ14世のことは分裂主義者、仏教秩序
の破壊者として悪者扱いである(ダライラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞
している)
近年特に深刻なのは大量の中国人がチベットに入植していることである。もともと
チベットの一部分であった青海省は今や中国人が多数派となっている。
チベット自治区では今でもチベット人が多数派であるが、2006年7月の鉄道開通に
よって今後は自治区内にも大量の中国人が入植することが予想される。大規模な
虐殺や破壊はなくなったが、今でも中国共産党によるチベット文化の破壊は着々と
進んでいる。50年代から70年代にかけてチベット文化は徹底的に破壊されたが、
さらに80年代にかけてチベットの中国化が強化されている。ラサ市街は今や
社会主義国らしい地味な5階建てのコンクリート建築が並び、チベットらしさが
失われてしまった。道路には北京路、福建路、解放路などの中国的な名称がつけ
られている。
今回は「中国共産党の犯罪」という連載記事の一部としてチベット問題を取り上
げた。なるべく多くの方に読んでもらうためにも、あまり長文になり過ぎないよ
うに、中共のチベット侵略史をコンパクトにまとめるよう努めたつもりであるが、
凝縮しすぎたために、十分には伝えきれていないかもしれない。にも拘らず字数は
4500字を超えている。中共のチベットへの残虐行為がいかに膨大なものかを示して
いるといえよう。

 

チベットの人権問題については以下のサイト、書籍に詳しいです。

チベットを知るために/人権問題 (ダライラマ法王日本代表部事務所)

『中国はいかにチベットを侵略したか 』 マイケル・ダナム著 \1890

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今日の「台湾の声」よりの転載です。
加油!台湾!


世論調査で国民党の対中接近政策に反対多数。

「両岸共同市場」「中国の学歴承認」など、国民党は総統選挙で数々の対中接近政策を
公約に掲げているが、このほど台湾のシンクタンクが発表した世論調査により、反対
が多数を占めていることが判明した。

世論調査によると、73%が中国の学歴承認や中国の大学卒業生が台湾の資格試験や公
務員試験に参加することに反対している。

両岸共同市場にについては賛成しないが55%、賛成は33%に留まっている。63%が大
陸の劣悪な産品が台湾市場に大量流入することを心配している。また中国人の台湾来
訪を自由化すると治安が悪化し、生活水準が低下すると67%が憂慮を示している。

入聨(台湾名義での国連加盟)を支持する人は51%、返聯(名義に拘らない国連復帰)
を支持する人は39%。国民党が公民投票ボイコットを主張した場合、17%が支持、60
%がボイコットは受け入れられないと表明した。

このように国民党の媚中政策が台湾の民意に決して受け入れられていないことが調査
により明らかとなった。


台湾総統選挙特集
http://taidoku.fc2web.com/soutousen.htm

日本人台湾独立促進会
http://taidoku.fc2web.com/