老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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30日の左翼情報 です。
名古屋違憲判決のまとめ版です。

名古屋高裁自衛隊違憲判決まとめ版
私の管見の限りにおいて目についたものとして、下記の方々が名古屋高裁自衛隊違憲判決
「傍論」論について、それぞれの論攷、所感を発表しています。おのおの弁護士、または弁護
士出身の法律の専門家としての見解発表であり、重要な論攷、所感だと思います。

■自衛隊違憲判決は蛇足判決ではない(弁護士阪口徳雄の自由発言 2008年4月20日)

http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/54883514.html

■イラク派兵訴訟名古屋高裁判決は「傍論」ではない/弁護士・萩尾健太
(薔薇、または陽だまりの猫 2008年4月21日)
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/843e40934561450b6fb81f891169a354

■イラク派兵9条違憲判決の効力
(マガジン9条「伊藤真のけんぽう手習い塾」64回 2008年4月23日)
http://www.magazine9.jp/juku/064/064.php

■違憲判決は、「傍論」か(弁護士・毛利正道 2008年5月3日)
http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/2008.4.27nagoya-1.html


以下、上記各論者の見解を簡単に整理してみたいのですが、その前にまず傍論一般論に

ついて。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「傍論」の解説によれば、「傍論(羅:
Obiter dictum、オビタ・ディクタム)とは、判決において表された裁判官の意見のうちで、判
決理由(羅:ratio decidendi、レイシオ・デシデンダイ)には入らない部分」のことをいいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%8D%E8%AB%96

そうだとすれば、今回の名古屋高裁のイラク派兵違憲判断は、金1万円の国家賠償請求に
対する「判決主文」(損害の有無の判断)を導くために必要な違法行為の有無に関する認定
部分ですから、「判決理由」として不可欠の要素というべきです。すなわち、今回の名古屋高
裁のイラク派兵違憲判断を「傍論」ということはできません。

「名古屋高裁自衛隊違憲判決を『蛇足判決』とか『傍論判決』などと誤った批判をする人が
いる。これらの人達は本来の判決書のあり方を知らない人達である」。「名古屋高裁判決
における自衛隊違憲の理由は『蛇足』どころでなく『本来判決すべき事項』であり『判決の傍
論』でなく『判決の本論』である」。「金1万円の国家賠償の請求は適法な訴訟類型」。「損害
の有無を判断する以上、普通は自衛隊の行為が違憲と認定されたから、損害の有無の判

断になったはず。自衛隊の行為が違法・違憲かどうかはともかく、損害の有無だけを判断
するやり方は、普通はあり得ない」(弁護士阪口徳雄の自由発言、2008年4月20日)。

http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/54883514.html

「原告は、国家賠償法第一条に基づいて各1万円の賠償を求めました。国家賠償法第一条
の請求が認められるためには、公務員が違法行為を行い、それによって個人が損害を被っ

たことが必要ですが、今回の判決は、この要件に添い、まず、政府がなした自衛隊イラク派
兵が違法であったか否かを判断し、その点でイラク特措法と憲法9条に反する違法行為が
あったと結論づけたわけです。請求に対して裁判所としてなすべき当然の道筋であり、『傍
論(脇道)』などではなく、まさに『判決本論』に他なりません」(弁護士・毛利正道、2008年5月
3日)。http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/2008.4.27nagoya-1.html

また、今回の名古屋高裁のイラク派兵違憲判断は「主文」ではないから拘束力がないという
議論がありますが、本違憲判断に係わる「国家賠償制度は、(略)制裁的機能ひいては公務
執行の適正を担保し違法行為を防止する機能(適法性統制機能)を有している」(東京地判
1971年「国鉄上野駅警察官暴行事件」。札幌地判1971年「芦別国家賠償請求事件」)。左記

の国家賠償制度の持つ法理念的要請からも「政府も受け入れるべき当然の判決と言えます」
(弁護士・萩尾健太、2008年4月21日)。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/843e40934561450b6fb81f891169a354

さらに、「判決の拘束力の問題は、当該判決が、類似する別の事件に関して後の裁判所を
どこまで拘束するのかという議論です」。「後の裁判所が今回の判決に従う必要があるかど
うかが問題になるときに必要な議論であり、ここで問題にしているような国会、内閣のとる
べき対応とは直接、関係はありません」。政府は、「たとえ、裁判所の違憲判断が、下級審
のものであったとしても、憲法が下級裁判所にも違憲審査権を与えている以上、その判断
に敬意を払うのが、法の支配および三権分立の観点から正しいあり方だと考えます」(マガ

ジン9条「伊藤真のけんぽう手習い塾」64回、2008年4月23日)。
http://www.magazine9.jp/juku/064/064.php

もうひとつ。「政府追随の裁判が多い中で、今回のようなイラク派兵違憲判決が出されたこと
はまさに画期的なことです。退官する裁判官だからできたのだという評価もあるようですが、
そのような個人的事情で裁判長一人が違憲判決を出せるわけはありません。3人の裁判官
の合議により周到に検討を重ねて判決文は作成されます。裁判官は憲法の番人としての、

人権保障の最後の砦としての職責を全うしただけです」(同上)。
http://www.magazine9.jp/juku/064/064.php


東本高志@大分

27日に 「長野県警は売国奴!日本政府は中国以下 と感じました。」というミクシィでの日記をご紹介しました。この日記は長野へ参加されたお方の書いたものです。この日記が左翼のメーリングリストに公表されたところ、「チベット弾圧」も事情が不明だ、中国当局の声明がまだ出ていないとか、中国弁護で終始していた御仁が、今回も詭弁を労して、中国弁護に回っているところをご観察ください。結果的に「中国のオリンピックだから」当然と弁護しています。


中国弁護に終始する左翼

amlの皆さんこんにちは とほほです。

in article "[AML 19307] FW:世界最低の国、日本 ← 北京誤倫、政禍リ
レーの実態"
原 良一 wrote:
>過去ログが長期に保存されるAMLの特性と、親中派の投稿者や読者の多い
>当リストにこそ戒めとして掲載されるべきと考えるので全文を転載します。
>[AML 19304]の坂井貴司氏の紹介記事と併せて見ることをお勧めします。

親中派であるとか、反中派であるとかは、AMLの参加者のひとりである私には関
係ありません、事実、真実を求めていくことが大切です。
原 良一氏の投稿でわかることは海外在住の中国系市民がオリンピックボイコッ
ト運動に過敏になっているのではないかと思われる事実だけです。でも本当にそ
うなのかはこれはわかりません。マスコミの編集によってとっても小さな行動を
過剰に見せかけたり、大きなデモを全く無視したり、そんな事は最近のマスコミ
では当たり前になっていることをAMLの参加者は良く知っています。

これで、ボイコット運動に参加する人はおそらくはいないでしょう。
原 良一氏の、どっかの掲示板の投稿内容は、とても扇情的である、これもはっ
きりとわかる「事実」です。中国の人が自国のオリンピックを守ろうとすること
は特に警戒すべきことではないに関わらず、それを脅威であるかのように煽りた
てているからです。

敵対や対立を煽る記事は基本的に信用されません。原 良一氏の記事は中国と敵
対することを否定する姿勢を「親中」と呼ぶこと自体に、発言の信用性をなくし
てます。親中は当たり前、世界中の全ての国々の人々に対して「親」であるだけ
です。
それを親中と呼ぶからには中国に対して敵対視する勢力の立場を主張しているよ
うなものであり、当事者でもないそのような勢力の発言など信用しませんし、ま
た「親中」と呼ぶことにより「お前らも敵になりたいか」と言う恫喝にも屈しま
せん。

さて、以下に田中宇氏のメルマガの「北京五輪チベット騒動の深層」
http://tanakanews.com/080417tibet.htm
と言う記事の中から一部抜粋転載したいと思います。私自身は田中宇氏の記事に
は憶測が含まれることが時々あり、そうした憶測に基づいた主張をすることがあ
るので慎重に読んでますが、ただ事実を歪曲して伝えることはない、程度の信頼
はしてます。
メール用にURL表記等編集してます。

===============
▼運動に胡散臭さを感じる人々

 フィナンシャルタイムスのコラムニスト(Christopher Caldwell)は「(欧米
には)北京オリンピックをボイコットするという目的が先にあり、どうやったら
ボイコットできるかという手段が模索されてきた。中国が(石油利権を持ってい
る)スーダンのダルフル地方の虐殺に関与したとか、人権侵害をしているミャン
マー軍事政権を中国が支援しているとか、いろいろな理由が動員されたが、今一
つだった。そして今、ようやくチベット問題という格好のテーマが見つかったと
いうコンセンサスが(欧米内で)作られている。こうした行為は悪いことだ。欧
米は、開会式のボイコットもすべきでない。中国の面子を潰してはならない」と
書いている。
(関連記事:http://bellaciao.org/en/spip.php?article16813)

 欧米の市民運動系の分析者の中には、今回のチベット系の国際的反中国運動に
胡散臭さを感じ、運動に参加しない方が良いという意志を発表する人が出てきた。
パレスチナ問題に詳しい分析者は、チベットは独立する権利があるとしながらも、
アメリカが敵視する中国が弾圧しているチベットの運動は大々的に喧伝され、ア
メリカが強く支持するイスラエルが弾圧しているパレスチナの運動は無視される
現状を批判的に書いている。
(関連記事:http://bellaciao.org/en/spip.php?article16813)

 チベット騒乱は、欧米の扇動によって起こっている可能性が高い。ダライラマ
は、むしろ止めに回っている。それなのに中国政府は「騒乱はダライラマ一派が
画策した」と、ダライラマばかりを非難し続けている。中国政府が、こんな頓珍
漢を言い続ける裏には、おそらく「中国の国民に反欧米の感情を抱かせたくな
い」という思惑がある。中国政府が「米英の諜報機関が、チベット騒乱を扇動し
た」と発表したら、中国の世論はすぐに欧米を敵視する傾向を強め、反欧米のナ
ショナリズムの嵐が吹き荒れる。これは、中国と欧米との協調関係を崩し、敵対
関係に変えかねない。
(関連記事:http://www.nytimes.com/2008/03/31/world/asia/31tibet.html)

 そもそも中国が北京オリンピックを成功させたい最大の目的は、欧米から好ま
れ、尊重される大国になることである。欧米は中国を尊重し、中国人は欧米を尊
重する、という状態にすることが中国政府の目標だ。欧米が陰湿な画策によって
オリンピックを潰し、中国人はそれを知って欧米敵視のナショナリズムにとりつ
かれるという展開は、中国政府が最も避けたいことである。
===============

今日午後から京都四条河原町交差点で、「人権擁護法案反対・外国人参政権反対」のビラ配布が行われた。

呼びかけたのは、今日と在住の一市民というか家庭の主婦でした。この危険な法案を座して成立を阻止する発言に終始するのでなく行動を起すことの重要性に気づかれ、ネットであるミクシィで近隣のお方に呼びかけられて実行したものです。

事前に警察へ届けて、各注意点も教えていただき、万全を期して今日を待たれた。

ミクシィでは、参加者がハンドルネームで申し込みをされ、昨日の段階で十数名の参加が見込まれるということであった。

13時集合であったが、12時過ぎからボツボツ集まりだした。
互いに顔も知らない関係であるが、参加された方から、互いに自己紹介、「あぁ貴方が○○さんですか、いつもコメント有難う」という感じで仲間が広がっていく。

改善点などは指摘し出したらきりがないであろう。
しかし、一主婦が計画してミクシィで呼びかけ、最終的に二十名弱の青年淑女が集まってビラを配布したことは、稀有の出来事である。
確かに一般市民への広がりはもう一つであり、ビラの受け取りも、配布者が苦労されていたことに現れているように今ひとつである。
もっと宣伝が必要です。

二時間のビラ配布が終了した後、全員で喫茶店で改めて自己紹介したり活動情報の交換をしたりしたあと、帰宅する人を除いて夕飯を食べに行く人は京都木屋町で遅くまで親交を暖めてた模様である

これが線香花火でなく、末永く継続されることが今一番求められているように思う。
小生は大阪在住で今日は、昭和の日にちなみ各種集会が催されていたが、青年たちが立ちあがったことを喜び、可能な援助をしたくて京都まで出かけた。
大阪には不義理をして申し訳ないが、将来を展望して勘弁していただきたい。

林先生の寸評が出されました。

皆様にご紹介いたします。



平成20年4月28日

横暴な中国人の沿道占拠 ──赤旗林立は日本国民への侮辱

http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/sunpyo.html

 長野とソウルの聖火リレーは、機動隊を中心にした4000人規模(ソウルでは8000人)という異例の警備体制のもと「予定どおり」行なわれた。警官隊の人垣の中を走るということ自体、異常であり、歓迎されていないなによりの証拠である。

 異様であったのが、「中国人留学生」と称する3000人とも4000人ともいわれる一団(ソウルでは一万人)が沿道を占拠し、赤旗(中国国旗・五星紅旗)を林立させ、歌を歌い、「ワンチャイナ」と叫んで応援したことである。当然日本人の一般市民は閉め出され、「ここは日本なのか、中国の街角なのか」と思わせる光景であった。

 中国が国家権力をもって動員すれば、このくらいは朝飯前であろう。力と数で圧倒すれが「勝ち」という感覚は、「友好」とはほど遠い感覚である。遠慮という感覚もなければ、礼儀の感覚もない。あるのは力づくで勝ちさえすればよいという感覚だけである。赤旗を林立させて人海戦術で沿道を埋めるという作戦は、日本国民を人と思っていない、横暴な感覚がなければできない所業であり、日本国民への侮辱である。それはチベット人を人と思っていない民族否定、文化否定にも通じている。中国共産党独裁の本質が露呈された光景であった。

 中国はオリンピックそのものを私物化しているが、聖火リレーにもそのことがよく表れている。聖火を管理するのは中国だということにこだわり続けている。青いトレーナー姿の「警備隊」は、日本では日本警察の面子を尊重して警備行動こそしなかったが、二人がランナーにぴたりとついて、管理権を執行していた。「あくまでもすべてを中国が取り仕切るのだ」という強い意思表示である。世界の皆に参加してもらい、ともに協力しあって成功させようという姿勢は見られない。自分たちが仕切り、そういう形で「成功」させたいという私物化・政治利用の動機が前面に出たやり方である。

 そもそも各国の聖火リレーは、各国のオリンピック委員会が管理すべきものであって、主催国が管理すべきものではない。各国でリレーをしながら盛り上げていくべきものである。主催国がしゃしゃり出るものではない。聖火リレーの段階で、これだけ不愉快なことがあった。始まったら、どれだけ政治利用されることか。まず開会式だが、政府要人が出席するだけで、私物化に花をそえることになりかねない。日本の福田首相はまだ態度を鮮明にしていないが、直前になって出席を表明する腹であろう。中国の顔色をうかがって、おろおろするとは、日本もなさけない国になり下がったものである。アメリカにむかっては「言うべきことを言え」と常日頃言っている連中は、中国に向かっても言うべきことを言ったらどうか。

何処の国でも、中国人留学生は不良留学生

吾々は中国人留学生に対して今後の接する態度は、自明のこととなる。
中国人留学生、お楽しみにしておいてください。


五輪トーチ・リレーソウル:中国人留学生による暴行で数人負傷


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 【大紀元日本4月28日】
韓国の首都ソウルで現地時間の27日午後2時、北京五輪のトーチリレーの開会式が行われ、共にリレーも始まった。しかし、トーチリレーが始まる3時間前の午前11時に、リレーのスタート地点の五輪公園はすでに韓国各地から集まった3000人から4000人の中国人留学生で埋め尽くされた。

第一走者が五輪公園を出発した直後に、公園でトーチリレーの開催を反対する集会を行っている人権団体に向って、中国人留学生はいきなりに攻撃をし、ペットボトルや石、靴、金属棒や金属のペンチ、牛乳、食べ物などを投げ、その場にいた報道陣や人権団体のメンバーなど多くの人の頭や体に当たり、韓国国内日刊紙の写真記者の頭に直撃し、けがを負わせた。

その後、中国人留学生らは暴行を制止しようとする警察との間でも激しい衝突があった。聯合ニュースによると、中国人留学生の暴行で報道機関関係者や警察、計5人が負傷したという。

その場に居合わせた韓国報道機関の記者は困惑気味に「ここはいったい中国なのか?韓国なのか?」と話した。

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/04/html/d42581.html
上記↑には、写真10葉があります。ご覧ください

北朝鮮の特殊部隊が、「情報収集と攻撃、心理作戦などの担当に分かれていた」というなら、当然沖縄で非公然活動が行われていることが前提となります。

北朝鮮の工作が行われていることと、一連の沖縄での反日行動と重なって見えてくるのは考えすぎでしょうか。

マイミクの千葉県恵様よりの情報です。

北朝鮮に対在沖米軍部隊 脱北の李さん証言

琉球新報 2008年4月27日

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-131526-storytopic-1.html
 北朝鮮の特殊部隊に、在沖米軍基地の攻撃や情報収集などの任務を専門にした特殊部隊が存在することがソウル在住の元特殊部隊隊員の李徳男(イドンナム)さん(41)の証言で分かった。
李さんによると、沖縄任務の部隊は「第67偵察大隊」と呼ばれ、さらに情報収集と攻撃、心理作戦などの担当に分かれていたという。
 李さんは「部隊には約550人おり全員が将校クラスで日本語も上手に話していた。沖縄には一番重要な軍事的施設があるので、沖縄に行かなければならないと話していた」と話し、在沖米軍が北朝鮮にとって脅威として認識されていた実態が浮き彫りになった。
 対韓国の潜入作戦などを担当する「第70偵察大隊」に所属していた李さんは、1990年9月に北朝鮮側から韓国西岸部に潜水艇で脱出。3人構成の班の班長だったが、ほかの隊員を岸に残したまま、単独で脱出した。脱北後は韓国政府の援助を受け延世大学で行政学を学び、現在はソウル市で元朝鮮労働党書記の黄長華(ファンジョンヨプ)さんの秘書を務めている。
 李さんは「北朝鮮政府は国民に対して、『米国は沖縄から北朝鮮に航空機を飛来させようとしている』と危機感をあおっていた」と述べ、北朝鮮内で在沖米軍を脅威視するよう喧伝(けんでん)されていたことも証言した。
 李さんによると、北朝鮮陸軍偵察局には15の大隊が存在する。1個の大隊には、攻撃に従事する兵員と情報偵察を担当する兵員に分かれていた。心理作戦担当もいた。
 日本侵攻に向けては、16人乗りの小型潜水艇を用意しており、動力はバッテリー。1回の充電でグアムまで往復できる能力があったという。李さんは韓国上陸作戦を担当していたが、上陸の指令が出た場合は、その地域の人数や文化、言語などの詳細な説明があったとも証言した。
 李さんは「日本には特殊部隊が頻繁に行っていた。一番難しいのは韓国。日本は戦争状態ではないので、すべての海岸線の警備が弱い」と話した。
(滝本匠)

今日は2回目となります。
前回は多くのお方のコメントをいただきました。
有難うございます。


【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(2)     台湾人医師の直言

(転送転載自由)

出版 並木書房
著者 林 建良

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%88%E3%80%81%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%81%82%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%8B-%E6%9E%97-%E5%BB%BA%E8%89%AF/dp/4890632018/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1208414945&sr=8-1

第一章 台湾人から見た中国及び中国人
    お人好しの日本人に中国人の凄さは理解できない

一、中国人はすべてお金に換算して考える

■ 中国の文学や芸術は権力者のためだけに作られる

 日本人は「和」を大切にする民族である。公の席では他人の悪口を言わないことを美徳としている。また、できるだけ相手の美点を見出そうと努めるのも日本人の特徴である。しかし、こと中国人に関する限り、日本人の見方は往々にして見誤っていることが少なくない。台湾人から見れば、表層的見方が目につく。

 個人と個人の関係においてなら、その美徳はおおいに発揮されてよい。しかし、今の中国はとてつもない影響力を持っている。経済力にしろ政治力にしろ、もはや昔の貧しい中国ではない。しかも、中国は日本に敵対心を露にしている。日本を敵と看做してはばからない。それ故に、日本人は中国及び中国人の本質を知る必要がある。
まず、日本人は「中国四千年の歴史」ということで、例えば万里の長城に象徴されるような建造物を思い浮かべ、素晴らしい文化があるとイメージしている。あるいは、李白や杜甫などの漢詩を思い浮かべることで、中国には偉大な文学があると思い込んでいる節がある。このような建造物や詩の中に中国人の心があるのではないかと思い、中国人を美化して、その本質を見誤らせる傾向がある。

 ところが、中国の文化というのは、一人の権力者のために作られたものであるということを、まず頭に入れておかなければならないのである。

 中国で大家と言われる文学者はほとんどが官僚である。作品は貴族のために、あるいは権力者のために作られるのであり、けっして庶民の心理や社会文化を反映しているものではない。この点が、日本とのもっとも大きな相違点である。中国文化、イコール中国が残した文学や芸術と勘違いしているのが日本人の中には少なくない。

 日本人ははっきりした信仰を持たなくても、命のあるものにはすべて霊が宿っていると考え、それなりの信仰心を持っている。いわば「万の神」の存在があらゆる形で日本人の心に宿っている。それ故、日本文化は命のあるものに対して一定の畏敬の念を抱いているし、自然にも畏敬の念を持って対している。

 日本人はまた、木や花を大切にして、季節の移り変わりを非常に繊細に感じとり、俳句や和歌を生み出したことに見られるように、庶民のレベルにおいてもいろいろな言葉で表現する。日本人は自然に対する愛着を、そしてその変化を生活レベルで表現している。それは、偉大な芸術でもなければ偉大な文学でもなく、またごく一部の人間しか楽しめないものでもない。

 さらに日本の場合は、芸術だけで生きている、作品を作るだけで生きているような芸術家や文学者が存在してきた。もし中国に日本のような芸術家や文学者が存在していたとしても、それはごくわずかでしかない。

 そのような日本人の心性に比べると、中国人は信仰心に欠けるといってよい。中国人には命のあるものに対する畏敬の念や、自然に親しむという概念あるいは心性が欠落しているのである。いかにして自然を利用するか、別の命をどうしたら自分の命のために利用できるかという考え方が非常に強い。

 その点で、中国人は信仰心のない民族と断言してさしつかえない。中国人は現実的、現世的にものごとを捉える民族であって、万物に対する見方考え方には日本人とかなりの違いがある。

 もちろん、中国にも自然を対象とした描写は文学や芸術の中にたくさんある。ただし、日本人が正しく理解していないのは、あのような文学や芸術は権力者のために作られたものであって、けっして一般庶民が楽しむために作られたものではない、ということだ。中国四千年の歴史の中では、庶民とは官僚などの権力者に利用されて虐げられる人々であって、このような作品を楽しむ余裕を与えられてこなかったというのが実情なのである。

 中国の庶民は、野生動物にしろ植物にしろ、命のあるものを見ると、まずなにを思い浮かべるかというと、「これは食べられるのかどうか」「換金すればいくらになるのか」ということだけで、いかにして自分のためになるのかと考えるのである。それしか頭にないのである。

■ しつけや挨拶にも「金がすべて」の思想が現れている

 では、中国人が現実的で現世的であるとはどういうことかというと、中国人にとって価値のあるものは、すべてお金で換算できるものであって、「金がすべて」ということである。例えば、中国人は新年に必ず「恭喜発財(コンシファーツァイ)」と挨拶する。日本人は「新年明けましておめでとうございます」と挨拶するが、中国人は「恭喜発財」、即ち「儲かるように」と挨拶するのが常である。また、中国人が新年に家の門に張り出す「春聯(チュンリェン)」を見ても、よく見かける文句に「招財進宝(ザォツァイチンバォ)」という言葉がある。つまり「財を招いて宝を入れる」という意味で、これはもっとも一般的な春聯の文句である。

 中国人の子供に対する教育では、日本と同じように「よく勉強しなさい」と言う。しかし、その意味は、日本人の親たちが子供に期待しているような「立派な人間になりなさい」とか「社会に役に立つような人間になりなさい」というようなことではなく、中国人の考えでは、勉強しないと「出世できなくなる」「金儲けができなくなる」ということを意味しているのであるまた、子供が出世しお金持ちにならなければ、親が困るからでもある。

 「名利双収(ミンリースワンソウ)」という言葉が中国にはある。ここに中国人の考え方の究極的な概念が端的に表されている。意味は「有名になって金持ちにもなる」ということである。そのためになにが必要かというと、権力が必要だと考えるのである。

 古来から中国では、勉強とは官僚になるためのものであって、科挙(かきょ)制度をみても、勉強して官僚になって権力を手に入れることが最終目的なのである。権力者になれば利益をたくさん得られるし、有名にもなれるという理屈なのである。中国の庶民的な言葉で、学校でもよく教えていることわざに「書中自有黄金屋」「書中自有顔如玉」がある。これは書物の中に黄金の家、即ちたくさんの財産があり、「顔如玉」即ち美人も出てくるということだ。勉強して出世さえすれば、たくさんのお金が入るし、美女をはべらすこともできるという意味だ。

 つまり、勉強する最終目的とは、金が儲かり、美女をはべらすような豪奢な生活を手に入れるため、というものだ。これが中国人の究極的な思想なのである。このように至って現実的なのが、中国人の本質なのである。

 中国人は、人と会うと、初対面の人であっても平気で収入を聞いてくる。まるで挨拶でもするように「あなたは一ヶ月の収入をいくらもらっているのですか」と聞いてくる。これは、中国人が収入をもって人間の価値を判断するという卑近な例だが、このようなところにも「金がすべて」という中華文化の本質がはしなくも表れている。「神は細部に宿る」という。このような挨拶の文化は日本ではまず見られない。

 国家が解体し、経済がすべてとなった感のある日本は「エコノミック・アニマル」と呼ばれた時期があったが、日本人がエコノミック・アニマルならば、中国人はまさに「金の亡者」といってもよいのである。

■ 蒋介石政権が拝金主義を台湾に持ち込んだ

 台湾人は五十年間、日本の影響を受けたせいで、中国人的な面は非常に薄くなっている。だから戦後、中国人が台湾を占領したとき、台湾人にとって慣れないことは「金がすべて」という中国人の文化だった。しかし、中国人による占領が長引くにつれて、台湾には汚職文化や「袖の下」文化が行政にも司法にも蔓延したのだった。

 蒋介石政権下では司法も、大陸から台湾に逃げ込んだ中国人(外省人)に独占され、よく「有銭判生、無銭判死」と言われた。金があれば生きる、金がなければ死ぬ、ということだ。裁判官にお金を包んでいくことができれば死刑になることはない、つまり裁判に勝てるということで、逆に包めなかったら裁判に負けるということを意味する。

 このような中国的なやり方は蒋介石政権が台湾に持ち込んだもので、拝金主義が台湾に広まった原因はこの中国人の文化にあった。もちろん、中国本土に比べれば、台湾の拝金主義はかわいいものだが、拝金主義、金がすべてとする文化、これが中国人の本質なのだ。われわれ戦後世代の台湾人や中国文化に汚染された台湾人なら、よくわかることなのである。

 もちろん日本にも「地獄の沙汰も金次第」ということわざに示されるように、お金がすべてを解決するという考え方がある。しかし、お金で解決できないこともたくさんあると考え、お金に執着心を持たない日本人もまたたくさんいるのである。

■ 国の指導者にも値段をつける中国人

 では、日本の拝金主義と中国の拝金主義はどう違うのかというと、その違いには雲泥の差がある。レベルが違うといってよい。中国の拝金主義は、命の値段を含め、嘘偽りなくすべてを金で換算する。これは日本人の想像を絶している。

 例えば、日本人が中国へ行くと要人に会いたがる人が少なくない。中国の要人と記念写真を撮りたがる人が極めて多い。この仲介をしているのが日中友好協会であるのは周知の事実なのだが、実は要人には相場がある。首相クラスの場合は二百万円とか、その下なら百万円とか相場が設けられているのである。

 中国では一国の指導者に相場がある。あらゆる人物に値段が付けられているのである。しかし、このことを日本人はよく分らないようだが、これが中国の本質なのである。日本人が中国と付き合う場合は、中国が表に出している大義名分や歴史認識、文化だの道徳だの、これらはすべてウソであり、単なるひとつの手段であることを認識すべきなのである。

 中国人の究極的な価値観、欲望を一言でいえば、権力を手に入れて、名声と独占欲を満たすことに尽きる。欲望の塊というなら、それは中国人なのだ。日本人はこの中国人の本質を敢えて見たくないから目をつぶっているのかどうか分らないが、理解できていないように私には見えるのである。しかし、それでは面と向かって中国と競争することもできないし、中国自身がまともに取り合うこともないと断言しておこう。

(次回の連載は2008年5月5日)

(中国情報局より)

中国大使館で歓迎会 衆院議長、首相夫人ら出席

2008/04/27(日) 13:23:12更新

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0427&f=national_0427_005.shtml





  26日付中国新聞社電によると、長野で終了した聖火リレーの歓迎レセプションが26日夜、東京都港区の中国大使館で行なわれ、河野洋平衆院議長、公明党の太田昭宏党首、福田康夫首相の貴代子夫人ら日本の各界代表約100人が出席した。

  崔天凱大使は「多くの市民が風雨を冒して街頭を走り、各地の華人華僑と留学生が長野に駆けつけて聖火を応援し、正に多くの人々の協力で聖火リレーが成功した。日本オリンピック委員会、日本政府、長野市などに感謝する」と述べた。

  北京五輪組織委員会の李炳華副委員長は「聖火リレーは各地でごく少数のチベット独立派分子の妨害を受けたが、いかなる力によっても聖火リレーの成功を妨げられないことを事実が証明した」などと語った。(編集担当:井上雄介)

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トーチリレーは、今回のオリンピックは中国のためのオリンピックであることを如実に示しました。有森選手は「五輪は開催国のものではない。中国のものではない」と語っておられます。



今回の留学生の動員は、中国大使館からの動員要請であったことが、留学生の言葉としてテレビで放映されていました。




日本国の政府はこの有森選手のような認識もないのかと驚くしだいです。

大使館により演出されたトーチリレーに属国日本の政府代表は、大手を振って参加しているのです。



今や一連の他の諸問題も含めて考えると、自・公政府打倒するほかないと思うのは、過激でしょうか。

伊勢先生の
国際派日本人の情報ファイル■ より転載です。

善光寺の英断については、関わってきたものとして承知いたしておりますが、有森選手のご見識については存じませんでした。

このようにお考えなら、もっと大きく取り上げていたのに。

有森選手の見識、善光寺の胆識
伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1433 ■ H20.04.28 ■ 9,741 部 ■■■■■■■


 混乱の中で、長野における聖火リレーが終わった。聖火リレ
ー・ランナーを務めた有森裕子さんは、次のように語っていた。

 チベット問題に多くの人が興味を持ち、人々が平和を願
う声をつなげていけるなら、このリレーはすばらしいこと。
私は世界の平和を願って走りたい。ただ、中国の聖火警備
隊はいらない。五輪は開催国のものではなく、すべての人
の平和の祭典。中国のものと考えているなら、その考えは
間違っている。[1]

「五輪は開催国のものではなく」という言葉は、沿道を埋め尽
くして中国国旗を振るった数千人の中国人学生に聞かせてやり
たい言葉である。スポーツ選手としての深い見識が感じられる。

 また、聖火リレーのスタート地点を辞退した善光寺の担当者
は、18日の記者会見で辞退の理由の一つとして、「チベット
の問題への憂慮」がある、としてこう語った。

 善光寺は仏教、宗教の寺だ。(中国政府が)無差別殺人
を行ったということもあるし、チベットの宗教者が立ち上
がって、それに対して弾圧を行った。それはやはり憂慮す
るものであった。[2]

 辞退の決断に対する反応としては、

 1日100件を超える電話が全国からあったが、99%
がやめるべきだというもの。やるべきだというのはまった
くなかった。チベットと同じ仏教のお寺でどうしてだ、と
いうものが多かった。

 単に混乱を懸念するという理由だけでなく、はっきりとチベッ
トの宗教者に対する弾圧を批判した点に、腹の据わった見識を
感じた。これをかつての日本人は「胆識」と呼んだ。

 有森選手の見識、善光寺の胆識。ともに見上げたものである。

伊勢先生の国際派日本人養成講座より転載しています。
『蔵和辞典』編纂の為に人生をかけられた彗海さんのエピソードをお読みください。

長文ですが、よろしく。

人物探訪:河口慧海のチベット行(下)

 国民教化の夢を目指して、慧海は冒険につぐ
冒険の人生を送った。
■転送歓迎■ H20.04.27 ■ 37,792 Copies ■ 2,830,137 Views■
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 ■1.「これは世界最大のコレクションであろう」■

 明治37(1904)年、日露戦争の最中、英国遠征隊がチベット
に侵入し戦闘を始めた、というニュースが伝えられた。

 帰国して2年、慧海は講演と執筆の多忙な日々を送っていた
が、このニュースに再度のチベット入りを決意した。戦争の混
乱の中では鎖国体制もほころびが出ているだろう、前回の探検
では十分収集できなかった仏典を入手できるのではないか、と
考えたのである。

 10月11日、神戸港から出発。11月3日、カルカッタに
上陸した後、ビザを得て、翌1905(明治38)年3月に、まずネ
パールに入った。

 2年前にネパール国王に拝謁した時、慧海は漢訳の大蔵経と、
サンスクリット語の原典を交換しようと約束していた。慧海が
漢訳版を献上すると、国王は慧海に下賜する仏典収集を収集す
るよう命じた。日本びいきの工部大臣キショル・ナルシン
・ラナの肝いりで、10人もの人手を出して、各地の旧家に保
存されている仏教原典の収集が進められた。同時に慧海も自費
での買い付けを行った。

 慧海はネパールに9カ月滞在し、346部もの教典をカルカッ
タに持ち帰った。後に慧海を訪ねた著名なドイツ人インド学者
ヘルマン・オンデンベルヒは「これは世界最大のコレクション
であろう」と感嘆した。

■2.亡命中のダライ・ラマに拝謁■

 慧海は、その後インド北東部ガンジス河沿いの都市ベナレス
に7年間滞在し、仏教原典を読解するために、サンスクリット
語を学んだ。この地はサンスクリット研究のメッカとして知ら
れ、慧海は中央ヒンドゥー学院(現在のベナレス・ヒンドゥー
大学)の名誉学生となり、ここの教授の指導のもと、毎日9時
間から10時間もの猛勉強をした。

 日本にもサンスクリットの学者はいるが、チベット語もでき
る人はいない。サンスクリット語の原典とそのチベット語訳の
比較研究は、自分の双肩にかかっている、というのが、慧海の
使命感だった。

 この時期に慧海は第一回のチベット探検をテーマとした『西
蔵旅行記』の英語版『スリー・イヤーズ・イン・チベット』を
出版した。チベット人の風俗、習慣、精神生活をアジア人の視
点から描き、また手に汗握る冒険物語の魅力も備えたこの本は、
エカイ・カワグチの名を世界に広めた。

 慧海はこの間にも、再度のチベット入りの機会を窺っていた。
2回目の旅では、ダライ・ラマ、パンチョン・ラマといった然
るべき宗教指導者に話をつけて、チベット大蔵経を入手しなけ
ればならない。

 そのダライ・ラマは1904(明治37)年に英軍がラッサに迫っ
た際、モンゴルのウルガ(現・ウランバートル)に亡命してい
た。1909年にダライ・ラマは5年ぶりにラッサに帰還したのだ
が、今度は清の軍隊2千が東チベットを武力で制圧した。

 ダライ・ラマは昨日の敵・英国の庇護を求めて、インドに脱
出し、国境近くの高原都市ダージリンに国賓として迎えられた。
この時のダライ・ラマは13世であったが、現在の14世とまっ
たく同じ格好である。

 慧海はダージリンにダライ・ラマを訪ね、何度か拝謁して、
チベット入国を許された。

■3.人食い坂■

 1913(大正2)年12月20日、二度目のチベット行に出発。
今回はダージリンからまっすぐ北上し、シッキム王国を通って、
チベット入りするという最短ルートをとった。

 1月10日、慧海と現地人の荷物運び3人の一行はメト坂に
さしかかった。ここは人食い坂とも呼ばれ、雪嵐に襲われて凍
死または餓死する旅人が前年だけで十数人も出た、という名う
ての難所である。

 幸いに朝から空は晴れていた。ティスタ川上流の氷河を幾度
も渡りながら、急坂を登る。午後4時、斜めに切り立った大岩
壁の陰に狭い空き地を見つけ、その晩はここに泊まることとし
た。火を起こして夕食をとり、周囲に床を延べて眠りについた。

 暴雪風が始まったのは、真夜中のことである。従者の一人が、
慧海を起こして言った。

 ラマ(お坊)様、風は南から強く吹いて、雪は大雪、空
は真っ暗。本当に暴風になる気配です。ラマ様、祈祷して
この大難を払って下さい。

■4.慧海の涙■

 それでは、と慧海は起き上がり、「わしは今からこの難を逃
れるために祈願するから、お前たちは安心していなさい」と言っ
て、敷布の上に座り直し、一心不乱に釈迦牟尼の姿を観じ、こ
の暴風雪を晴れしめ給え、と祈った。しかし、暴風雪が岩壁を
打つ音はますます激しさを加えていく。

 嗟呼(ああ)斯(か)くては我は信力少く徳微(かすか)
にして此処(ここ)に死に果てんか十年以来我帰朝を待ち
給へる我老母は云何(いか)に感ぜらるゝならん、不孝の
我身よ。

 こう思った途端、十数年前の最初のチベット旅行の際には、
どんな危難にあっても、決してこぼれたことのない涙が、慧海
の両眼からどっと溢れ出た。

 それからしばらく、従者の叫び声が、慧海の瞑想を破った。

 ラマ様、雪が止んで、空に2、3の星が見え、雲がまば
らになってゆきます。この分なら、私らも死なずにすみそ
うです。まことにありがたいことです。

 慧海は、晴れゆく空を見ながら、仏がこの凡夫の真心を受け
取って下さったのだと、改めて熱い涙を流した。

■5.首都ラッサの変貌■

 チベットに入ると、一行は馬を提供され、宿のない所では、
その地方の村長宅に泊めてくれた。この優遇の理由を、慧海は、
チベット人の間で日本を妙に買い被る風潮があったためと指摘
する。

 日本は、義のため、平和のために他国を救う仏菩薩の国であ
る。だから、日本人を大切にしておいたならば、他日、日本が
チベットを救う時、まずわれわれを率先して救ってくれるだろ
う、と現地の人々は考えていたようだ。これにはロシアの極東
侵略を防いだ日露戦争の影響が多分にあるだろう。

 また前回ラッサ滞在中に評判となったセライアムチ(セラの
医師)が来た、という報を聞きつけた人々が、毎日のように治
療を受けにやってきた。慧海は前回の経験から、出来るだけの
医薬を持ってきていたので、惜しげもなく施薬した。生まれて
から薬を飲んだことのないチベット人には、面白いように効い
た。耳かき一杯ほどの薬を与えると、翌日には治って、お礼に
来るほどであった。

 8月7日、首都ラッサ入り。慧海は12年ぶりに見る「仏の
地」の変貌ぶりに驚いた。侵入してきた中国軍との戦闘で、市
街地の3分の2は火災を被り、今なおあちこちに空き地が残っ
ていた。

 ダライ・ラマ13世は、独立を維持するために、英国の後ろ
盾を得たい、と考えていたようだ。また元日本陸軍軍曹・矢島
保次郎が、ダライ・ラマに見込まれて、チベット軍要請訓練教
官を務めていた。ダライ・ラマは、チベット軍を近代化するた
めに、日本の協力を期待していたらしい。

 国際社会の荒波は、世界の秘境にも、ひたひたと押し寄せて
いた。

■6.仏典収集■

 前回のチベット入りでは十分な仏典収集ができなかったが、
今回はダライ・ラマ、パンチョン・ラマと直接会って、仏典の
下付を願い出た。

 パンチョン・ラマには漢文大蔵経を献上し、チベット大蔵経
の下付を請願した。パンチョン・ラマは著名なナルタン版の版
木を管理しており、西の都シガツェ近郊のナルタン大僧院で1
組、印刷されて、慧海に下賜された。

 ダライ・ラマは、慧海のためにサンスクリット語の仏典の写
本を探させた。中央チベット南部の町ギャンツェのパンコル
・チョエデ寺で良い写本が見つかったので、それが慧海の下賜
されることになった。

 また慧海自身も、各地の古寺を訪ねて仏典を探した。シガツェ
の東方22キロのところにあるシェル寺を訪ねた所、11世紀
に書写されたサンスクリット語仏典が見つかり、そのうち『法
華経』と仏教詩集の2部を贈られた。

 こうした旅の途中、慧海はチベットの高山植物の採集にも、
熱心に取り組んだ。

 昼間長い道を旅して、夜はまた採集した植物の整理をす
るのは並大抵のことではなかった。昼間も従者達が食事の
支度をしている間に、標本に当てた湿った紙を取り替える
など、少しの暇もなかったが、幸に身体が壮健であったし、
珍しい植物を集めて持ち帰ったら日本の植物学者がどんな
にか喜ぶだろうと考えると、困難も忘れて熱心に採集した。
[『慧海伝』,1,p282]

 慧海が収集した1千余点と言われる植物標本は、後に国立科
学博物館に寄贈された。この中から、新種、新変種などが20
種ほど発見されている。

 さらに化石を含む鉱物標本、毛皮などの動物標本、仏像、仏
画、仏具、装飾・工芸品、日用雑貨などが、大量に収集され、
現在は東北大学文学部の「チベット資料室」に河口コレクショ
ンとして保管・展示されている。

■7.11年の収穫■

 慧海は、大量の仏典と収集品をインドに持ち帰り、1915(大
正4)年8月7日、カルカッタから日本郵船の博多丸で帰国の
途についた。

 11年にも渡った今回の旅の収穫は大きかった。主目的であ
るサンスクリット語およびチベット語の仏典を手に入れ、また
植物・鉱物・仏教関連の膨大な資料を収集した。

 さらに、今後の仏典研究のために、サンスクリット語を習得
し、パンチョン・ラマなど、数多くの人々と親交を結んだ。

 しかし、これらの業績は、慧海にとっては志を実現するため
の一里塚に過ぎないものであった。慧海の本志は、仏教の原典
を辿ることによって、その真の教えを明かし、広めることであっ
た。

 この志を抱いたのが、明治23(1890)年頃であったから、す
でに四半世紀ほどの年月が経っていた。慧海はようやくサンス
クリット語、およびチベット語の仏教原典を入手し、両言語を
習得して、仏典和訳の入り口に立ったのである。

■8.仏典500巻の和訳へ■

 慧海は、帰国した翌年の大正5(1916)年4月から、有志の資
金協力を得て、仏典の研究・翻訳に着手した。同時にチベット
語学生を募集し、東洋大学で週に12時間、また夜間、自宅に
おいてもチベット語を教授し、3年後には一通りチベット語を
学び終えた弟子を5人ほど得た。

 これに力を得た慧海は、サンスクリット語、チベット語仏典
で、漢訳を改訳すべきもの、漢訳されていないもの500巻を
選び、今後10年かけて和訳する、という青写真を作成した。
これに従って『法華経』『維摩経』などの和訳対訳が、次々と
刊行されていった。

 こうした原典の研究を通じて慧海は、多くの宗派に分裂した
仏教界のあり方に根源的な疑問を得た。釈尊の入滅後、仏教は
中国を経由して、日本に伝わったが、その間に分裂を重ね、互
いに優劣を競ってきた。各宗派は、自らが伝えるもののみを真
として、他を貶(けな)しているので、いずれが真の仏教であ
るか、分からない。

 慧海はサンスクリット語、およびその逐語訳に近いチベット
語訳の仏教原典を通じて、釈尊の思想そのものに迫っていった。

■9.「生ある間はその尽くすべきに尽くさんことを期す」■

 こうした仏典の研究・翻訳の傍ら、慧海はチベット語の文法
書である『西蔵文典』の著述を大正5(1916)年から始め、10
年ほどかけて完成させたが、実際に出版に漕ぎ着けたのは、昭
和11(1936)年であった。

 文法書が出来上がると、慧海は休む間もなく、チベット語辞
書『蔵和辞典』の編纂にとりかかった。辞書があれば、チベッ
ト大蔵経に収録された数千の仏典を、統一された訳語で、効率
よく和訳する道が開ける。和訳大蔵経による国民教化という夢
に至る道である。

 昭和12年に知人たちに送った書状では、13万語の辞書を
13年の年月をかけて完成させる、という決意を述べている。
この時、慧海はすでに72歳である。

 何時死ぬか解らぬ生命を以て、斯(かく)の如き長時を
要する事業をなさんとするは、実に冒険事なりと云うべし。
然れども大方の事業は冒険なしに成就するものは甚だ稀な
り。故に自らその険を冒して、自衛自進以てその業を成ぜ
んことを期す。・・・生ある間はその尽くすべきに尽くさ
んことを期す。

 慧海は昭和25年の完成を目指して、辞書編纂に邁進したが、
大東亜戦争末期の昭和20年2月、眠るように亡くなった。享
年80歳。『蔵和辞典』は、ついに完成することはなかった。

 国民教化という見果てぬ山頂を目指して、チベット探検から
大蔵経和訳、そして『蔵和辞典』編纂と、冒険につぐ冒険の人
生であった。
(文責:伊勢雅臣)

台湾研究フォーラムの永山英樹様がブログにお書きです。

日本だからこそ出来ることです。
馬が勝利したことから、馬に媚びはじめて、台湾で投票直前に馬と面会できたと、自慢げに語っている自称日台交流屋さんがいますが、右往左往するのでなく、じっくりと親日の台湾人との交流で、台湾国民を親日へ巻き込んで行きたい。


【論説】中国の外交戦略に大打撃を与える方法があるー日本だからできること

ブログ「台湾は日本の生命線!」 http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/


http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-351.html より



暴力と虚偽の宣伝だけで維持されるのが中国共産党政権だが、その暴力にも宣伝
にも太刀打ちできないばかりか、それを黙認しているのが日本である。

さてその虚偽宣伝の大きな一つが「中国は一つ」(台湾は中国領土)だ。これが
虚偽であることは、「日本が台湾を中国に返還したから中国領土だ」との国際法
の見地からの説明を見れば明らかである。日本は台湾の主権を放棄したが、その
島を中華民国にも中華人民共和国にも割譲しなかったのだからだ。それでも中国
はそのような作り話に基づいて、「台湾解放」「中国統一」のスローガンを叫ん
で国民の結束を図るとともに、実際に台湾併呑と言う国家戦略に全力を傾注して
いるわけだ。

そうしたなか、「政府は16日、5月の中国の胡錦濤国家主席来日時に発表する
政治文書では、台湾に対する従来の政府の立場を堅持し、中国側が求めてきた『
台湾独立への不支持』は盛り込まない方針を固めた」(産経新聞、十七日)と言
う。

もし政府が「台湾独立の不支持」を表明すればどうなるか。それは「台湾が中国
の一地方であり、その独立の動きは中国の内政問題だ(だから日本は支持するこ
とができない)」と認めることになるのである。

だからこそ中国は、その言葉を政治文書に盛り込ませようとしたのである。それ
を盛り込ませて、「日本は台湾を中国に返還しなかった」との史実など、一切な
かったと言うことにさせようとしたのだ。ところがさすがに政府はそのような無
茶な要求は呑めなかった。

昨年四月に温家宝首相が来日したときも、共同文書にそれを盛り込めと要求され
たが、日本側はそれを必死に拒否し、日中共同プレス発表では「台湾問題に関し
、日中共同声明において表明した立場を堅持する」と表明することにとどめてい
る。ちなみに「日中共同声明で表明した立場」とは、「台湾は中国領土とする中
国政府の立場を十分理解し、尊重する」(台湾を中国領土とは承認しない)と言
うものである。

当時日本側が必死に拒否したのは当然だ。政治文書にそれを盛り込めば、国際法
違反にあたるだけでなく、中国はそれを証文にして「日本は台湾を中国領土と承
認した」と世界に宣伝されることになるからだ(だからこそ中国はたびたび、政
治文書の作成と言うものにこだわるのである)。

だから今回も、「政府はよく決断した」と高く評価する国民も大勢いることだろ
う。しかしそれを中国に「モノを言った」「反撃した」と喜ぶのは大間違いだ。
なぜなら橋本首相の時代以降、政府や歴代首相は、すでに何度も何度も中国に対
し、「台湾独立は支持しない」との立場表明を口頭で行っているのである。

温家宝来日時における中国側の要求を拒絶した安部首相も、口頭で「台湾独立は
支持しない」と言って温家宝をなだめているし、昨年末に訪中した福田首相も、
温家宝との共同記者会見で、それを明確に述べているのだ。

つまり政府は「台湾は中国領土ではない」との公式見解を持ちつつも、中国の圧
力に屈して「台湾独立は支持しない」との矛盾した新見解を掲げるようになった
ているのである。要するに「台湾は中国の一部だ」との中国への妥協、従属のメ
ッセージだ。

政府はその新見解に関し、「日中共同声明に基づく」と説明するが、同声明にも
ちろんそのような言葉はない。そのため、鈴木宗男衆議院議員から「日中共同声
明からどのように『台湾独立は支持しない』が導き出されるのか」と質問され、
何も答えられないと言う有様だった。

政府がここまで虚偽に基づく新見解を打ち出したのには、中国の圧力に押しつぶ
されそうになる中で、台湾問題であるなら国民には関心が薄い、批判はないだろ
うと判断したこともあるはずだ。

中国は政権の存亡をかけて台湾問題に取り組んでいるのである。つまり台湾を吸
収して東アジアと西太平洋に覇権を打ち立てようとしているのだ。それであるの
に日本国民は、なおも台湾問題に無関心のままでい続けるのだろうか。中国の意
のままに、生命線である島を進んで献上しようとする政府の亡国姿勢を放置し続
けるのだろうか。

政府が政治文書での盛り込みを拒否したのは、対中国妥協の限界にまで追い詰め
られたからである。だがここまで日本を追い込んだ中国が、このまま手を引くこ
とはあり得ない。媚中心理の持ち主であれば、中国の絶え間ない圧力の前で、拒
否の代償を支払おうとすることだろう。

そこで立ち上がるべきは国民だ。これ以上中国の属国化を願わない者は政府に対
し、「台湾問題で中国に妥協するな」と訴えて行こう。基本的な方法は単純明快
である。「日本は台湾を中国に返還していない」との真実を、ただそれだけを政
府に証言させればいいのである。

中国政策を立案する外務省中国課に電話で聞けば、「返還していない」が疑いな
い事実であることなどすぐに確認できる。だが政府はそれだけは公には明言しよ
うとはしない。なぜなら中国が繰り返し強調するように、それをしては「日中関
係は根底から覆される」ことになるからだ。

それほど日本の証言には大きな威力があるのである。それによって中国の政権を
支える「一つの中国」の虚偽宣伝が虚偽宣伝であることが、国際社会において暴
露され、台湾問題が中国の内政問題ではなく、国際社会が介入を行うべき中国の
領土拡張の侵略問題だと認識されることになる。そして台湾封じ込めを最大課題
とするこの国の外交政策など大打撃を受けることになる。

たとえ日本は中国の暴力(軍事力)には歯が立たないとしても、虚偽宣伝を打ち
破ることならできるだろう。中国の対外宣伝は各国の政府、世論に向けたもので
ある以上、日本の政府、世論がそれに反撃の宣伝を行えばいいのである。

とくに胡錦濤来日を控える今日、中国のこの弱点を広く伝えたい。

メルマガ「台湾は日本の生命線!」 登録・バックナンバー
http://www.melma.com/backnumber_174014/ 

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発行 永山英樹(台湾研究フォーラム)

運動拡大のため転載自由 

ご意見等: mamoretaiwan@gmail.com 

人権問題では、かって他国以上に敏感な反応をしていた、フランス人に拉致被害者がいました、という報道。

【国際】 “北朝鮮にフランス人女性3人が拉致されていた”仏紙フィガロで異例の報道…「悪夢」と反響呼ぶ[04/25]

◇拉致、仏で異例の報道=「悪夢」と反響呼ぶ

【パリ25日時事】北朝鮮にフランス人女性3人が拉致されていたとの情報が最近、
仏紙フィガロに異例の大きな扱いで掲載された。拉致事件はフランスではほとんど
知られておらず、「悪夢のような話」と読者から驚きの声が上がっている。

記事を書いたのはフランソワ・オテール記者。拉致問題への国際世論喚起を目指す
日本政府の招きで3月末に訪日し、拉致被害者支援団体「救う会」の西岡力常任副会長
らに取材。「アジアの富豪の息子」と称する男にパリで誘惑され、中国経由で平壌へ
連れ去られた女性を含め、1970年代末に北朝鮮がスパイにフランス語を教えさせる
狙いで拉致したフランス人女性が3人いると19〜20日付の同紙で2面ぶち抜きで伝えた。

同紙(電子版)の読者欄には「なぜ日本だけが真実を知るために戦っているのか」「仏政府
も事実の解明を進めてほしい」といった声が相次いで寄せられた。24日には一部メディアが
仏外務省に確認を求めるなど反響を呼んでいる。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008042500609

この情報は千葉県のマイミク恵様よりいただきました。
日本はEU加盟国ではありません。という方便が聞こえてきそうです。

ヨーロッパの全ての国でボイコットする可能性がでてきましたwww


仏大統領、EU各国首脳にオリンピック開会式不参加呼びかけへ

http://jp.ibtimes.com/article/biznews/080425/18985.html

仏サルコジ大統領は24日夜の仏テレビ番組内で、EU各国首脳陣に対し北京オリンピック開会式に出席しないように呼びかけていくつもりであると話した。サルコジ大統領は、中国政府のチベット人権問題に関する活動家への弾圧に対抗し、オリンピック開会式に参加しない意向を伝えている。もし、今後オリンピック開会式までにチベット問題に対して進展がなければEU各国首脳に対しオリンピック開会式に参加しないように呼びかけていくつもりであるという。

 サルコジ大統領は、「(オリンピック開会式に参加しないことが)各国にとっての責任だと思うだろう。仏政府としては、中国政府とチベット亡命政府指導者ダライ・ラマ氏との対話の道を模索している」と話している。

 サルコジ大統領による北京オリンピック開会式出席拒否、チベット人権問題に関する仏活動家の激しいデモにより、中国国内では反仏デモが生じるなどの事態も生じており、サルコジ大統領は両国間の緊張緩和のためにパリの聖火リレーで被害に遭った中国人選手に謝罪の手紙を送ったり、今週には中国政府に対し同国元首相を派遣するなどの取り組みも行っている。

香港でのネットに投稿された11本の動画 是非見てみたいですね。


「中国人観光客の悪習」集めた動画、ネット上で大人気―香港
 (中国情報局 2008/4/24)

 http://www.recordchina.co.jp/group/g18157.html

 2008年4月22日、香港のインターネットサイトに投稿された「香港

で見かけた中国本土観光客の悪習」を集めた動画が、話題沸騰している。

「地下鉄で子供に小便をさせる母親」などタイトルは計11本。現地では

「下品」と「公共道徳の欠如」を本土観光客のトレードマークと称し、80

%以上の人が「本土観光客を歓迎しない」としている。南方都市報が伝えた。

 

 この動画が投稿されたのは今年2月末。「空港で係員を殴る」「デパート

の売場で服を脱いで試着」など中国本土客の「悪習」ばかり計11タイトル

が集められている。動画はあっという間に大きな反響を呼び、アクセス数も

急上昇。コメント欄にはユーザー自身の「本土客のこんなところが耐えられ

ない」話が後を絶たず、大変な盛り上がりを見せている。 



 だが、動画に登場する「本土観光客」と呼ばれる人達は、訛りや服装はか

なり「本土化」されているものの、その真偽は確認できていないという。一

方、あるサイトが実施した「本土観光客を歓迎するかどうか?」についての

アンケートでは、「かなりの嫌悪感」と回答した人が83%に達し、「歓迎

する」はわずか7%に止まった。

小生の千葉在住のマイミク恵様よりいただきました。

中国大使館の圧力で不問にふす事がないように。

聖火リレー応援ツアー中止危機…中国人留学生企画
旅行業免許ないのに「不特定多数」呼びかけ

http://www.zakzak.co.jp/top/2008_04/t2008042429_all.html

オーストラリアでも数千人の中国人留学生が、聖火リレーコースに集結。大声援とともに、沿道を“赤い国旗”で埋め尽くした=24日、キャンベラ市内(ロイター)
中国人留学生で組織する「全日本中国留学生学友会」(李光哲会長)が、26日に長野で行われる聖火リレーに向けて2000人を動員して行う大規模ツアーが、旅行業法に抵触する可能性があることが分かった。参加費2000円で往復バス代+軽食2回、Tシャツと小旗が含まれる、日帰りの“弾丸ツアー”。ホームページで大々的に参加を募ってきたが、直前になって中止の危機に立たされている。

同会では、独自に「在日留学生長野五輪聖火リレー参加組織委員会」を結成、大学だけで7万人以上いる中国人留学生や卒業生に、ホームページ上で、「(各地で行われている)聖火リレーが、中華民族の空前の団結力を示している」などと参加を呼びかけてきた。26日は早朝に都内に集合して、最大バス30台で長野に直行。コース沿道にズラリと並んで応援した後、東京へとんぼ返りする予定だ。

1人2000円で朝食と昼食、飲み物を提供し、日中両国の大小国旗や五輪の旗、そろいのTシャツを配布。だが、2000円ポッキリで全部の費用を工面するのは不可能で、不足分は、企業などからの献金でまかなう。主催の「組織委員会」は、あくまで“民間”で、中国大使館からは国旗など物品の提供だけを受けるという。

自国のビッグイベント関連行事を盛り上げたい気持ちは分かるが、これに「待った」をかけたのが、日本の旅行業界を統括する「日本旅行業協会」(通称JATA、東京・霞が関)だ。法務担当者が、こう解説する。

「これは旅行業法第三条に抵触する可能性が極めて高いですね。不特定多数を対象にした『募集型企画旅行』を取り扱う場合、主催者はあくまで、国土交通省認可の『第一種旅行業務』(海外・国内可)か、都道府県知事の認可を得た『第二種旅行業務』(国内のみ可)の免許を持った旅行会社でなくてはなりません」


大混乱となったフランスでも沿道は中国国旗で埋まり、熱狂的な声援が渦巻いた。長野にも大勢の中国関係者が集結するとみられている(AP)
ここでいう主催者とは、今回のケースでいえば、「組織委員会」に該当するが、当然、旅行業の免許など持っていない。また、一定の組織内で旅行を企画し、その構成員に限って募集する場合(職場旅行、同窓会など)はこの限りでないが、「留学生というくくりで、対象者が7万人もいるうえ、ツアー申し込みの条件が代表者の口座への2000円振り込みとなっている以上、事実上『不特定多数』に向けた企画旅行の募集です」(法務担当者)

JATAは、ホームページ上での募集手法でも、業法違反を指摘する。

「募集型企画旅行の募集広告では『法定表示事項』が定められていますが、ホームページの募集案内を見る限り、何一つ要件を満たしておりません。日本国内において、金銭を伴った旅行イベントを行う以上、これらの法律はキチンと順守していただく必要があります。知らなかったでは済まされません」

これらの違反が確定すれば、ツアーは中止のうえ、100万円以下の罰金が科せられることになる。JATAでは、事実関係を正確に調査した上で警告もあり得るとしているが、留学生学友会関係者は「大丈夫だろう」と話している。

 「台湾で今も敬愛されている日本人教師」
  日本人よ、胸をはれ!

変わり果てた故郷台湾
連隊の解散によって、宋さんは高座海軍工廠の寄宿舎に帰った。敗戦を機に全国に派遣されていた台湾少年工の仲間も、すべて帰ってきた。頼みの海軍は解体され、今は異郷と化した地に面倒を見てくれる者はいない。前途は不安に満ちていた。一部の少年は自暴自棄になり、すでに新聞種になってもいた。

しかし、そのことに問題意識を持った宋さんなど中学校卒業者は、台湾省民自治会という自治組織を結成し、自らの力で神奈川県や外務省と食糧の調達から帰還船の準備まで交渉することにした。宋さんも甲府63連隊の実例をあげ、「飛ぶ鳥は跡を濁さず」と規律の回復を説いて回った。虚脱と不安を抱えた8000余名の少年を、混乱の淵から見事に結束させた、20歳を最年長とする当時のリーダーの奮闘ぶりは、いまも語り草である。

宋さんの属する台湾省民自治会台北州大隊を乗せた病院船氷川丸は、昭和21年1月29日、浦賀港から出航した。不幸にも船中で天然痘が発生したため、九州の唐津港で一週間停泊して状況を見、2月10日に基隆に着いたが、検疫のため更に9日間港内へ入ることが許されなかった。その船内には、後に台湾建国の父と仰がれる李登輝さんも乗船していた。司馬遼太郎の台湾紀行には、このとき台湾少年工が船内で暴れたように書かれているが、事実は全く異なるという。

ようやく上陸許可が下りたのは、2月19日であった。船が基隆港に入り、岸壁に近づいた瞬間、だれもが呆然となった。基隆港で見た三年ぶりの故郷は、想像もできない姿に変わっていたのである。銃の両端に破れ傘と鍋を吊るした、みすぼらしい身なりの中国兵がいた。規律は最低だった。 

敗戦と同時に、祖国と信じていた日本に放り出された少年たちは、今まで敵としてきた「中華民国」に、将来への夢を託していた。しかし基隆港の警備をしているだらしない身なりの中国兵は、その夢を一瞬のうちに打ち砕いた。

宋さんは、戦後中国人になったと得意になっていた仲間の一人をつかまえ、「おいX,これがお前たちの何時も威張っている中華民国の兵隊だ、よく見ておけよ」と言ってやった。彼らは立ち竦んでいたが、しばらくして、「あれは兵隊ではない、きっと何かの雑役だ」と絞り出すように答えた。

当時の中華民国の軍隊は、自給自足が建て前なので、各人が鍋釜を担いでいた。かっぱらいが始まったのは、その日の糧秣を調達するためであった。商店から代金を払わずに品物を持ち去るなど、当たり前だった。
当時の中国軍の事情については、朝日新聞の論説委員だった神田正雄氏が、戦前に出版された「謎の隣邦」(昭和16年、○○書店刊)に詳しく書かれている。それを読むと、台湾人が戦後に直面した驚きと困惑の謎が解ける。

「支那の軍隊は、鉄砲を担いでいるから兵隊であるが、実は無職の無頼漢である。勝てば略奪して進むし、負けるとまた略奪して逃げる。彼らにとって勝敗はものの数ではない。広東の軍官学校で養成された士官、下士官は近代支那においては、精鋭無比と称せられている。事実、長江沿岸に進出するまでの勇敢な行動は、日本軍に舌を巻かせたが、それら将兵は多く戦死してしまった。

これを指揮する司令官も、てこずっている。旧式な軍隊慰撫の方式で彼らを激励する以外に方法はない。すなわち「諸君はいま艱難と戦い困苦を忍ばねばならない。しかし南京、上海を占領する暁には、必ずその労苦は報いられるだろう」と暗に略奪を仄めかし、物欲の満足を示して不平を和らげるのである。よい鉄は釘にしない。良い人は兵にならない。
しからば兵はどのように募るのか。「招兵」と書いた紙の旗を立てて、盛り場を一巡する。続々と後ろからついてくる無職者、無頼漢、乞食、数だけは間に合わせる。間に合わせの服を着せれば、わら人形も兵隊になる。

これらの無職者、宿無しは、平素から野宿、寒暑飢餓に耐える訓練が出来ている。射撃はその場で現金を渡して上達をはかる。文明国流の軍隊の精神的な訓練など不要である。

乞食をしようか、それとも兵隊になろうか。ままよと、銃を取った弱いのと、土匪で居ようか兵隊になろうかといって、間一髪のところで軍隊に入った強か者との集まりである。支那の兵隊ほどおそろしく危険なものはない。」
                     
教師として再出発

帰郷すると宋さんは、まず小松原先生を訪ねた。日本への帰還船を待っていた先生は、宋さんの訪問をたいへん喜んでくれたが、いつか別れの挨拶も十分に出来ぬ間に、あわただしく帰国されてしまった。困窮していた先生に、何もしてあげられなかったことと、228事件が起きたり、白色テロの嵐が吹き荒れたりして、音信が途絶えてしまったことを、宋さんは長い間悔いていた。

宋さんは、いつまでもぶらぶらしているわけにもいかず、仕事探しをはじめた。しかし戦後の台湾は何もかもが変わってしまい、なかなか適当な仕事はなかった。縁あって、学校の教師をすることになった。しかし状況が大きく変わった点では、学校も例外でなかった。

戦前は台北高校の教師で、戦後はアメリカ大使館員だったジョージ、カーの著した「裏切られた台湾」によると、大陸からやってきた中国人は、先を争って、日本人が占めていた職につき、目先の利く連中が、うまみのある仕事を独占したという。給与の額より賄賂のチャンスがどのくらいあるかが、彼らの物差しであった。教員などは彼らの価値観からすると、最低の仕事だった。そのため、教員には最も能力的にふさわしくない、他の仕事にあぶれた連中が就いた。まともに字が書けない者、計算さえ出来ない者もいた。

教師になった宋さんにも、いろいろ悩みが生まれた。まず北京語の勉強から始めなければならなかった。日本の統治時代を、肯定的に評価するのもご法度であった。大陸から逃げてきた国民党政府にとって、台湾人の日本への回帰は、最も警戒すべきことであった。中国人の教師仲間から、「宋定国は親日的だ」と何度も批判された。つい本音が出てしまうからであった。

日本の近現代史を正しく理解する教材として

台湾の戦後教育は、中国一辺倒の教育であった。そこに台湾や台湾人の立場はなかった。日本が登場するのは、反日教育の材料としてだけであった。これは今日の中国大陸における教育にも共通している。

宋さんは矛盾を感じながら、自分を今日あらしめてくれた小松原先生の教えを忘れず、常に生徒の目線に立って、人間を大切にする教育を心がけた。
教え子からは、多くの人材が輩出している。立法委員(国会議員)として活躍している陳建銘氏もその一人で、「全くすばらしい先生だった。人間のあるべき姿を、常におだやかに、身をもって実践されていた」という。

人の良さが裏目に出て、宋さんは教職を最後まで貫くことは出来なかった。他人の保証人となって多額の負債を背負い込み、教員を辞めなければならなかったからである。教職を離れた宋さんは、退職金で負債を返済すると、縁あってあるホテルのマネージャーになった。
だが人生は、何かの縁でつながっているのだろう。ある日、そのホテルに千葉県鎌ヶ谷市の人が来た。宋さんは、小松原先生の実家が鎌ヶ谷だったことを思い出した。そしてその客の親切で、小松原先生と翌日には連絡がついたのである。

小躍りする気持ちだった。昭和51年のことで、台湾の社会もすでに安定していた。宋さんは、同級生と相談し小松原先生を台湾へ呼ぶことにした。台北郊外の北投温泉「華南大飯店」に、社子公学校の同期生75名が集まり、小松原雄二郎先生歓迎謝恩会が盛大に開催された。だれもが笑顔で先生を迎え、眼を潤ませて「仰げば尊とし」を斉唱した。同期生は金を出し合い、先生に洋服から靴、時計まで、全てを新調して贈った。先生は非常に喜ばれ、「教師冥利に尽きる。私はもう死んでも思い残すことはない」と言って帰国された。

翌年宋さんは、お家族から「先生が重病」との連絡を受けた。直ちに先生を飯田橋の病院に見舞い、六日間必死に看病したが、祈りは通じなかった。「宋君、ありがとう、もういいよ」という言葉が最後だった。悲しみがこみ上げてきた。

敗戦の年、台湾の就学率は92,5%とだったが、イギリスとオランダの支配していたインドとインドネシアでは、わずか数%に過ぎなかった。台湾のこの高い就学率こそ、半世紀にわたる多くの日本人教師の献身的努力の偉大な金字塔である。(そこには、多くの台湾人教師の努力も当然含まれている。むしろ日本統治の後半期には、優秀な教師は圧倒的に台湾人だったという。)

宋定国さんのケースは、それを具体的に裏づけるものである。日本統治時代の一日本人教師の指導を徳とし、今も師と慕う台湾人の美しい報恩の物語である。台湾には、この種の話が実に多い。
そうした意味で台湾は、私たちの父祖の時代の日本を、曇りない眼で見ることのできる、最高の教室であると私は考えている。宋定国さんの海を越えた墓参りが、日台をつなぐ懸け橋として、また日本人が自国の近現代史を正しく理解する教材として、これからも可能な限り続けられることを、心から祈りたい。




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台湾で馬が選ばれたことを見越して、ジワジワと首を絞めてくる中国。
これに食いついてはならない。
しっかりした判断が出るまで心配だ。
台湾と中国は別の国だ。
中国は他国へ内政干渉するな!
「台湾を憂う友の会」より転載

中国での訴訟文書送達の新規定は台湾を国内化したもの

陸委会:中国は訴訟文書送達の新規定は台湾を国内化したもの

行政院大陸委員会(以下、陸委会)の劉徳勲・副主任委員は、中国の最高人民法院(最高裁判所)が、4月22日、「台湾人に関わる民事訴訟文書送達の若干の規定について」を発表したことに対し、「同規定の実施後、このような訴訟に関わる台湾の当事者は、その権利を保障されず、さらには、台湾がその他の国々と外交関連機関を通して訴訟文書を処理する方法とも明らかに異なっており、これは『台湾を国内化』したものに等しい」との見解を示した。

中国が発表したこの規定は、中国の法院(裁判所)において、台湾人に関わる民事案件を審理する訴訟の文書を、郵便、ファックス、電子メールといった方法により台湾に居住する当事者に送達できるとしたものである。また、送達不可能あるいは、台湾の当事者の住所が不明の場合には、メディア告示ができ、この告示をした場合には、公告日から満3カ月をもって送達されたとみなされる。公告方法は、中国国内外において公開で発行される新聞雑誌などの刊行物あるいは、権威あるネット上に掲載するというものである。

これに対し、劉・副主任委員は、「外国における訴訟文書を台湾へ送る場合には、必ず訴訟発生国の外交関連機関と台湾の外交関連機関を通して連絡し、その後、台湾国内に転送されるものでなければならない。これは、司法の主権上、きわめて明確な概念である」と指摘した。

さらに劉・副主任委員は、「中国によるこのような法規の発表は、本来の司法管轄権がおよぶ範囲を台湾まで拡大したことになる。中国が内政として処理できるのは中国の国内における部分のみであり、この結果は中国が台湾もその国内に入れたということになる。これは、『台湾の国内化』に相当するものである」との見解を示した。

また、「中国の台湾人に関する訴訟文書を台湾の当事者に送達するプロセスは、これまでは通常、中国の法院が直接台湾の法院に送り、台湾の法院が財団法人海峡交流基金会(以下、海基会)に協力要請し、同文書内容の信憑性を検証した後、台湾の法院により訴訟に関わる当事者に送達され、その後、海基会を通して中国に回答することになっていた」と説明した。


劉・副主任委員は、「中国は新しい規定実施後、郵送、ファックス、電子メールといった方法で、訴訟文書を台湾の当事者に送達する方法をつけ加えた。しかし、私の知る限りでは、中国国内では電子メールで訴訟文書を当事者へ送達する方法は存在せず、なぜ台湾の国内に対してのみ、電子メールを使おうとするのか。これはきわめて軽率なものである」と強調した。

続けて、「台湾の当事者にとって中国の法院による『公告伝達』は、最も確実性のない文書送達方法である。もし、台湾の当事者が法院の公告に気が付かない場合でも、文書は伝達されたと見なされたことになる。これでは、法院が『訴訟文書を送達したが、当事者は出廷しなかった。出廷しなかったので判決を下した。なぜなら法院は合法的に訴訟文書を送達したからである。法院は、当事者に出廷の意思がないと認め、原告の主張に基づいて審理し、台湾の当事者から出廷して陳述を聴取する機会がなかったからだ』と言えるものである」とその不当性を指摘した。

さらに、「香港やマカオでも、中国と双方で協議してから司法文書の送達方法を取り決めた。なぜ、台湾に対してのみこうしたプロセスをとらないのか。中国は国内規範で処理しようとしているのか。これは不適切なものである。台湾の海基会、中国の海峡両岸関係協会の両会は、この司法文書問題を協議していない。中国の現在のやり方は、この法規が強調している『台湾人に関わる民事訴訟文書の伝達業務の処理は、一つの中国の原則と法律の基本原則を遵守すべき』との方針を徹底的に実行したものである」と述べた。


劉・副主任委員は、「両岸は早急に両会の機構組織において、訴訟文書の伝達方法を討論すべきであり、そうしてこそ両岸双方の人々の権利を真に保護する最善の方法となるのである。陸委会は、海基会や関連機関を召集し、中国のこうような法規がもたらすであろう影響へいかに対処していくかを研究、協議していく予定である」と述べた。

益々酷くなるチベットへの弾圧
地上最悪の作戦ともいえる。
小生のチベット関係の情報は、断りさえあれば転載自由です。
今や「せい火リレー」は人目につかない、トンネルの中を走ればよいのだ。
日本では、リレーのコース変更
「恵那山トンネル2車線を片側トラック走行で片側を走行させる。出口がゴール。」
襲撃されないで、邪魔が入らず安全なコースです。

中国武装警察、チベット僧侶400人を拘束=ラサ市

http://jp.epochtimes.com/jp/2008/04/html/d58222.html

 【大紀元日本4月22日】

中国政府はチベット人への弾圧がエスカレートしたため、チベット情勢は一層緊迫な状況になっている。チベット亡命政府緊急協調チーム関係者は、4月18日午前2時ごろに、中国政府の武装警察は再びラサ市セラ寺に突入し、400人の僧侶を拘束し、ラサ市郊外のドゥイロンデチン県のレンガ工場に監禁していることが明らかになった。ラジオ自由アジアが伝えた。

 チベット緊急協調チームのゲサンさんは18日深夜2時ごろ、セラ寺の僧侶約400人が40台以上の中共軍用車に強制連行され、ドゥイロンデチン県のレンガ工場に監禁されたことをこのほど明らかにした。中国共産党(中共)の軍隊は先週の月曜日から金曜日にかけて、甘粛南部、青海、四川地区の僧侶を大規模な逮捕を行った。情報筋によると、1週間で少なくとも700人の僧侶が強制連行され、僧侶たちは恐怖の中で生活しているという。

 一方、セラ寺に約700人がいた僧侶は今では老僧と子供約100人しか残っていない。記者はラサ市の公安局に僧侶たちの逮捕について確認したが、公安からは「知らない」との返事だった。

 実際、10日ほど前から、中共はチベットのすべての寺院に対して、中共の国旗を掲げるように要求し、法制宣伝チームを各寺院へ派遣し、「愛国主義」教育を施し、僧侶たちにダライ・ラマと境界線をつけ、対立するように求めた。これに対して、僧侶たちが抵抗し、一部の僧侶は中共からの圧力に耐えられずに寺院を離れた。

 ゲサンさんは「最初に拘束されたデブン寺の僧侶たちはセトウ区の洞窟に監禁された」と語った。その前に、「暴徒」と称され拘束された約800人の僧侶はラサ市のある倉庫に監禁されている報道もあった。

 一方、北京五輪のトーチは5月にチベット入りすることで、中共は対外的チベットに入るための「通行許可証」の発行はすでに全面的に中止し(チベットでの勤務者を除く)、チベットへの立ち入りを禁止した。当局は旅行会社に対して、外国人旅行者および中国国内旅行者の受け入れは禁止した。地元の寺院もすべて閉鎖された。旅行社によると、ラサ市では外国人の影は1人もいないという。

 アナリストらは、ラサ市の現在の情勢からみると、北京五輪トーチはチベットを通過した後に、中共当局は各寺院に対する圧力は暫らく続くとみている。アナリストらは、甘粛省南州および四川省阿壩州等地区の武装警察は北京五輪終了後の9月に撤退する予定でいることから、ラサ市に駐在している武装警察もそれより早く撤退することはないとし、これから先の3ヶ月間、チベット情勢の緊迫が続き、僧侶への大規模な逮捕の可能性は排除しないと分析している。

 
(翻訳/編集・余靜)

(08/04/22 09:07)