老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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全く存じませんでした。
3月20日に声明発表されていたのです。
素晴らしい声明です。
諸手を挙げて支持します。


日光修験道が声明
【 チベット弾圧に対する憤りと抗議 】http://www.nikko-shugendo.com/

私たち日光修験道は、中華人民共和国の暴虐行為、殺人行為、民族と文化の抹殺行為、宗教破壊行為等に対して、甚深なる憤りをおぼえ、ここに強く抗議するものである。

中国政府は、この度のチベット弾圧事件で、その歴史的傲慢さを露呈した。自ら共和国建国前に受けた中国人民の苦しみを忘れてしまっている。現中国政府が他民族を虐待することは、まさに独裁、拝金、覇権主義国家であることを示している。その主張と行為は、厚顔無恥以外の何ものでもない。

このような思考の指導者集団である中国共産党政府に、次の四か条をもって、断固抗議し、懺悔の機会を与えるものである。

1.直ちに理性をもって、自制的行為を執るべきである。
2.外国のジャーナリズムによる公正な報道を受け入れるべきである。
3.強制的に連行、捕縛した全ての人々を、すみやかに解放すべきである。
4.直ちに侵略を認め、チベット人民に謝罪し、速やかにその独立を認めるべきである。

人民と天命、因果は常に権力が恐れるべきものである。中国政府は恥を知り、その愚昧な政策を改めよ。

2008年3月20日
日光修験道  法頭正大先達 伊矢野慈峰    



日本の福田総理を除く
相次ぐ各国首脳の五輪開幕式辞退=全世界で北京五輪参加見直しの潮流
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/04/html/d22558.html
--------------------------------------------------------------------------------

 【大紀元日本4月3日】

中国政府は最近2度チベットの封鎖を解き、海外メディアや15ヶ国の公使館の職員を迎え入れ、外部に対しチベットの「良い状況」を公開した。しかし、この事は全世界のチベット人虐殺に対する激しい非難や血腥いオリンピックボイコットの声を弱めることができなかっただけではなく、現在北京五輪参加見直しの気運が高まる西側諸国では、各国首脳らが次々と北京五輪開幕式参加を拒否している。

 3月14日、中共がチベットにおいて発砲後、チベット人に対する血腥い暴力行為はいまだに続いており国際社会から非難の声を浴びている。多くの国の指導者が沈黙を経た後、オリンピック開幕式ボイコットという方法で中共の人権迫害に対する意思を示し、同時に選手たちの権利に影響がでないよう保護した。しかし、一部の国の指導者、メディアなどは開催地変更も同様の効果があるとした意見を提出している。

 3月30日、中共五輪せい火採火式が、多くの抗議の中アテネで行われ、リレーが始まった。多くの政府要人、著名人、団体はすでにせい火リレーボイコットや拒否を表明し、これにより中共の残虐な人権迫害を非難している。

 これと同時に、国際的な精鋭数百人で構成された法輪功迫害真相聯合調査団(CIPFG)は、法輪功学習者生体からの臓器摘出の国際調査を中国共産党政府が拒否したことにより発起された「グローバル人権聖火リレー」がこのほど、米国に到着した。各級政府、政治要人、民選政府職員、団体などが次々と自らこの聖火の迎え入れ、或いは電話で支持の表明をした。中共五輪を捨て、人権聖火は国際上、新たな傾向を形成している。

 *世界のトップリーダーらが北京五輪開幕式を辞退

 3月26日、チェコ共和国ヴァーツラフ・クラウス大統領は中共が行ったチベット人弾圧に対する抗議が足りないという批判を受けた後、北京五輪への出席が出来ないことを表明した。プラハ市長のベーム、運動及び教育部長リスカ氏も先日開幕式ボイコットを表明した。

 3月27日、エストニア大統領スポークスマンのシダン氏により、トーマス・イルヴェス大統領の北京五輪開幕或いは閉幕式の欠席が伝えられた。また、テレビを通じてエストニア選手の北京五輪に対する発言に注目している。シダン氏はまだ大統領の開閉幕式欠席の理由が中共政権によるチベット弾圧とは明言していない。
 3月27日、ポーランドのトゥスク首相が8月8日の五輪開幕式参加を拒絶した。首相は、政治家として北京五輪開幕式に出席するのは不適切だと話している。

 3月28日、独メルケル首相、シュタインマイヤー外相、国家元首ケーラー氏が相次いで北京五輪開幕式欠席を宣言。しかし、外部に対して原因は公表していない。

 仏サルコジ大統領は25日、開幕式ボイコットの考えは排除できないと伝え、あらゆる選択肢が開かれている。しかし、中国には説明責任を求める」と話した。

 早い時期に、台湾の新大統領である馬英九氏は、もし中共が人権迫害を続けるなら選手たちの五輪参加取り消しの可能性も排除できないことを示唆した。
 欧州議会のペテリング議長は26日ダライ・ラマを招待し欧州議会に向け、事件に対する言葉を述べ、さらに欧州指導者の北京五輪開幕式出席の是非を質疑した。

 同議会のエドワード・マクミラン-スコット副議長は、「このような悲劇がチベットと中国で起きているのを目にしてEUは対岸の火事にしておくことは出来ない。世界の政治要人たちとEU27ヶ国の成員は彼らの良知を量り、北京五輪ボイコットの準備をすべきである」と述べている。

 *五輪競技場変更を呼びかける

 チェコ共和国の前大統領ヴァーツラフ・ハヴェル氏南ア前大統領デ・クラーク氏を含む6名の国際トップリーダークラスの著名人が3月21日に中共がチベットで行った暴力行為を非難する公開声明を発表した。彼らは、中共に、チベットに対し最大限の節制を保つよう促すことは“弱すぎる反応”であるとし、国際オリンピック委員会に五輪開催地の変更を真剣に考慮することを要求した。

 3月27日、カナダのナショナルポストが発表した社説では、中共のチベット人に対する野蛮な迫害に対し、厳しい批判をしており、ハーパー首相に行動を取るように促した。また、北京五輪ボイコットとともに、国際オリンピック委員会に五輪開催地変更を建議することも促している。

 EU:オリンピックは五輪精神に符合する環境で行われるべき

 EU連盟各国外相は3月29日にチベットにおける暴力活動終結および中共とチベットの会談を呼びかけた。2日間の会議中、8月の北京五輪において何らかのボイコット行動を取るかどうかについてはまだ合意に至っていない。

 しかしながら、ベニータ・フェレロ=ヴァルトナー欧州委員会対外関係・欧州近隣政策担当委員は、EUがオリンピック開幕式ボイコットを排除しないことを示している。同委員はまた、3月30日発行の独誌の取材を受けた時に、オリンピックはオリンピック精神に符合する環境でのみ行うことができると述べている。つまり、人権尊重と言論および報道の自由に制限がない環境においてという意味である。

 委員はさらに、「我々は注意深く北京の何週間かの行為を観察し、その後ボイコット措置を決定すべき」と話している。

 *トップ選手ら五輪開幕式出席を拒絶

 3月27日、仏誌「ヌーベル・オプセルバトゥール」において仏五輪選手15人が胡錦涛宛てに人権尊重を呼びかける書簡を発表した。この後、更にトップ選手4人が加わっている。書簡には「我々は政治の人質を作ることも、独裁政権を支持することも出来ない。これにより、我々は貴殿に約束を守ることを丁重に要求する」と示した。

 2003年第9回IAAF世界陸上男子400m、仏レスリー・ジョーヌ選手は開幕式ボイコットの準備を表明した。その他の仏選手は北京五輪期間中リボンをつけるなど、ほかの形で人権重視に対する意思を表示するという。

 3月24日、仏の有名な水泳選手、ベルナール選手が北京五輪開幕式をボイコットした。彼は最近欧州選手権において50mと100m自由形で金メダルを獲得したと同時に2つの世界記録を塗り替えている。また、開幕式ボイコットは重要なメッセージを伝えると話している。

 国際オリンピック委員会はさらに多くの国際的なトップ選手らが、五輪開幕式ボイコットを考えていることを早い時期に伝えている。

 *米下院議長北京五輪せい火リレーボイコットを支持

 米国下院のナンシー・ペロシ議長は3月28日、書面での声明で、中国政府が未だに国内およびチベットの人権問題を改善できていないことを理由に、サンフランシスコにオリンピックせい火が到着する際に(4月9日予定)、「すべての人、団体が表示する中国政府 (人権侵害)に対する見方を支持する」と発表した。

 
ぺロシ議長は、「オリンピック憲章の中に明記されているように、オリンピックは普遍的・基本的道徳観を積極的に尊重するように促すべきであり、さらに中国政府が未だに当初の承諾を守らず、中国国内およびチベットの人権問題改善をしていない。国際オリンピック委員会は初めから間違いを犯し、2008年オリンピック主催国を中国にしてしまった」と指摘している。

 また、前英国国防長官ミカエル・ポーティロ(Michael Portillo)氏がタイムズ氏に寄稿した文中に「オリンピック聖火リレーは全世界が中国政府のチベット弾圧とダルフールに抗議するチャンスである」と書いてある。これと同時に、世界の指導者が五輪開幕式をボイコットする気運が高まり、大規模に展開し始めた。

 *辞退相次ぐ北京五輪せい火リレー

 北京オリンピック自体のボイコットを呼びかける以外に、北京オリンピックせい火リレーボイコットも国際社会が中共の人権迫害や血腥い弾圧を非難する方法の一つである。

 3月24日、ギリシャのオリンピア遺跡でせい火採火式が行われたが、多くの人々の抗議活動に遭っている。北京五輪組織委員会の劉淇会長の演説の際、「国境なき記者団」のロベール・メナール事務局長を含むメンバー3人が、手錠の五輪が描かれている黒い幕をかざし、「自由」「自由」などと叫びながら、演壇の後ろから乱入した。

  韓国数学院の金昌鉉院長も先日北京五輪聖火リレーをボイコットした。金院長は昨年、北京五輪せい火ランナーに選ばれたが、3月27日に「私は直接チベットを助けることは出来ない。しかし、人権を踏みにじる中共のための聖火リレーもできない。これは自分の良心に背くことになる」と伝えた。この知らせは韓国社会を驚かせた。

 *続くチベット人の抗議活動と弾圧

 国際社会が中共を非難する中でもチベットでの弾圧と抗議活動はいまだに続いている。知らせによれば、連日チベット各地において大規模な民衆の抗議活動が発生しており、中共軍警察の武力による弾圧に遭い、100人以上のチベット人が射殺され、1000人以上が重軽傷を負っている。

 29日午後、チベット人数千人がラモチェ寺及びジョカン寺の前で抗議活動を行った。中共軍隊はラサ市の主要寺院である両寺院を包囲し、さらにラサ市区の一部を閉鎖した。このため小召寺では中共軍警察による弾圧に耐えきれず1人のラマ僧が首つり自殺をした。このあとさらに、チベットアムド地方碌曲県のチベット人が中共の弾圧により自殺の道を選んだ。

 *チベット弾圧を非難すると同時に生体からの臓器摘出にも注目せよ

 全世界がチベットで発生している血腥い弾圧に注目していると同時に、先ごろ国際調査が発布した資料がある。中国大陸でいまだに行われている、生きた法輪功学習者からの臓器摘出という行為についてのものだ。

 中国問題についての専門家である張傑連氏は、国際社会において中共によるチベット人弾圧を非難すると同時に、生体からの臓器摘出の罪についても非難し続けている。「あれはさらに残忍で、痛ましく、文明社会では受け入れることが出来ない行為だ」

 *医師が手紙でスピルバーグ監督に中共の生体からの臓器摘出の事実を伝える


 先ごろ北京五輪顧問を辞任した米国のスピルバーグ監督は、辞任前に中共による生体からの臓器摘出の事実を知らされたという。

 ブログで文章を発表している米国医師トルステン(Torsten)氏は、今年の初め中共が生きた法輪功学習者から臓器を摘出し、奪い取っていることを手紙で監督に知らせた。

 監督の辞任にこの事が直接関係しているかは定かではないが、はっきりしているのは、監督は外界から呼びかけた後、時間を置いてから辞任決定を伝えているということだ。中国問題専門家の張氏は「あらゆる人が中共による生きた法輪功学習者からの臓器摘出という行為を知った時、その人の良心が沈黙を続けることを許さないだろう」と述べている。

 中共によるこの残忍な行為を調査する国際組織「法輪功迫害真相調査連盟(CIPFG)」のスポークスマンのケヴィン・ヤン氏はこれについて賛同しており、該団体が発起した人権聖火はこの事から国際社会の各界において広く支持されていることを示した。
 *中国国内外で支持される人権聖火

 300以上の国際精鋭グループで組織されるCIPFGが発起した人権聖火グローバルリレーは欧州、豪州を巡る過程で各国政治要人と各界の支持を得ている。3月30日、人権聖火は米国に入った。カリフォルニア州サンノゼ市のチャック・リード市長自ら受け取った。 

 また、東海岸のボストンにおいて、マサチューセッツ州連邦参議員エドワード・ケネディー氏が祝賀と支持のメッセージを寄せた。

  3月23日から中国大陸においても人権聖火は展開されており、民衆、特にインテリ層に支持されている。前山東大学教授の孫文広氏、上海民主人士および自由選稿人の李国涛氏、前陝西テレビ局記者の馬暁明氏、貴州資深民主人士および自由作家の陳西など中国大陸の学者らはみな、大陸での人権聖火リレー活動の意義は深いと話している。

 彼らはこの活動を伝播する勇気、正義と良識を認め、中国民衆だけではなく、世界の注目を中国に向けさせ、世界レベルで中国民主と人権の進歩を推進しようと考えている。彼らは人権聖火の活動によって中国独裁政権が侵す人権に対する悪行、中共による生きた法輪功学習者からの臓器摘出を含む人類に反する行為を制止することを望んでいる。

 西側トップリーダーの五輪開幕式のボイコット声明前に、チベット人及び団体、演芸界、メディア、政治要人などなど多くの団体、個人が五輪ボイコットを呼びかけており、多くの国のトップリーダーがボイコット行動に加入する動きが高まってきている。

 全世界の中共による五輪ボイコットと人権聖火支持は今、新たな潮流となっている。

 
(記者・温玉謙、翻訳・坂本)




「正論」5月号をお勧めします。



同和団体の福岡県教委への「教育介入」の実態明かす「正論」近藤論文



福岡在住の若き戦友、近藤氏はこれまでも果敢に部落解放同盟の教育介入と闘ってきた。


地元八女市もとより、周辺の自治体でも具体的な問題を指摘しながら、改善を勝ち取ってきていた。



今回の「正論」で取上げている福岡県教委と部落解放同盟福岡県連との交渉内容は批判点満載のものであり、運動団体である部落解放同盟が県教委を牛耳っている実際の姿を如実に示している。



小生も全文読んでみたが到底理解できる代物ではない。それほど墨塗り部分が多い公文書である。



この墨塗り公文書は、情報公開審査会が「非開示妥当と判断した箇所を除き開示するべきである」と答申したのを受けて、県教委が公表したものである。審査会が墨塗り箇所を指定したものではない。県教委の判断で墨塗り箇所を指定したということは、「開示することが妥当でない」と判断したものであり、それは個人情報に該当するから非開示というレベルのものでなく、県教委と部落解放同盟にとって開示されたら都合が悪い内容が多く含まれているということである。



そのような虫食いといっても過言でない公開された不完全文書で「正論」に記された論を張れるのも、日ごろから、問題点を明確にしながら追求してきた実績があるからと思う。



私が詳細に紹介するより、是非皆様にお読みいただき、如何にして部落解放同盟が県教委を牛耳ってきているかの実態を知っていただきたい。



この部落解放同盟が、人権擁護法案の実現の先頭に立っていることを考えると空恐ろしいものを感じる。

まして、福岡県下の太宰府市教育委員会管理職で、その利益関係団体でもある部落解放同盟の副支部長代理をしている大塚源乃進より訴えられ、人権侵犯者として調査対象者となっている私にとって、部落解放同盟が進めている、法治国家であることを無視した飽くなき教育介入と人権擁護法案実現の動きは、決して許す事のできないものである。



改めて「正論」5月号近藤論文をお読みくださることお勧めいたします。

伊勢先生の  国際派日本人養成講座  よりの転載です。

人物探訪:白洲次郎(下)〜 日本復興への責任と義務
「吾々が招いたこの失敗を、何分の一でも取り返して吾々
の子供、吾々の孫に引き継ぐべき責任と義務を私は感じる」


         
■1.「吾々が招いたこの失敗」への「責任と義務」■

 戦後の日本に関して、白洲次郎はこう書いている。

 吾々(われわれ)の時代に馬鹿な戦争をして、元も子も
なくした責任をもっと痛切に感じようではないか。日本の
経済は根本からの立て直しを要求しているのだと思う。恐
らく吾々の余生の間には、大した好い日を見ずに終わるだ
ろう。それ程事態は深刻で、前途は荊(いばら)の道であ
る。然(しか)し吾々が招いたこの失敗を、何分の一でも
取り返して吾々の子供、吾々の孫に引き継ぐべき責任と義
務を私は感じる。[1,p270]

 自分たちは被害者だ、軍国主義者に騙された、という風潮が
支配的な時代において、「吾々が招いたこの失敗」の「責任と
義務」を主体的に負おうというのが、次郎の生き様であった。

 昭和21(1946)年4月、戦後初の総選挙で自由党が第一党と
なったが、社会主義政権誕生を目論むGHQ民政局のケーディ
スらは、党首・鳩山一郎を公職追放処分にしてまで、組閣を阻
止した。

 そこで鳩山や前首相・幣原に推されて、吉田茂に組閣の大命
が下った。その吉田にも公職追放の手が伸びていた。その情報
を掴んだ次郎は、ケーディスの対抗勢力であるウィロビー少将
と必死に掛け合って、なんとかそれを阻止した。

 首相に就任した吉田は、マッカーサーに会って「日本を赤化
させるおつもりですか」と迫った。おりしもソ連との冷戦の緊
張が高まり始めていた時期でもあり、マッカーサーは、GHQ
内でとくに「赤い」と目されていた局員を大方帰国させる措置
をとった。

 米国内では日本を防共の盾とする議論も出てきて、占領方針
も民主化から経済復興へと力点が移りつつあった。ようやく次
郎の「責任と義務」を果たす機会が訪れてつつあった。

■2.経済安定本部次長■

 昭和21(1946)年12月、次郎は経済安定本部(後の経済企
画庁)次長を兼任することになった。半年ほど後に、蔵相・石
橋湛山が経済安定本部長官兼任となった。石橋も気骨ある人物
で、GHQ経済科学局の幹部を相手に丁々発止とやりあった。
しかし、この石橋も任期途中で公職追放となってしまう。

 石橋は軍部を批判して、満洲を放棄し、朝鮮・台湾を独立さ
せよ、と主張した人物である。そんな人物までGHQは公職追
放したのだった。

 経済・財政面で石橋を頼りにしていた吉田は、経済学者たち
をブレーンとすることで、事態を打開しようとした。その根回
しに次郎が走り回った。目をつけた一人が東京大学経済学部教
授の有沢広巳(ありさわ・ひろみ)である。しかし、教授が政
府のブレーンになるというのは一般的でない時代のことである。
有沢は、次郎が何度頼み込んでも一向に首を縦に振らない。

 そこで次郎が考え出したのが、吉田を囲む週一回の昼食会に
何人かの著名な経済学者とともに参加して貰う、という方法で
ある。これにはさすがの有沢も断れず、吉田を囲んでの議論に
加わった。

 この席で有沢が披露したのが、傾斜生産理論である。限られ
た資金・資源をまず石炭の増産に集中し、この石炭を鉄鋼生産
に集中投下するという方法で、これにより生産が急回復し始め、
復興の起爆剤になった。

■3.民主主義も憲政の常道も完全に無視した独裁者■

 昭和22(1947)年年頭、深刻な食料事情の中で頻発している
労働争議やストライキを沈静化させるべく吉田はラジオで国民
に呼びかけた。しかしその中で「私はかかる不逞の輩(やから)
が国民中に多数ありとは信じませんぬ」と口を滑らした。これ
が労働組合などを刺激して、世情騒然となった。

 GHQ民政局は吉田降ろしの好機と見て、マッカーサーを動
かし、総選挙を命じた。やむなく吉田は議会を解散して総選挙
に踏み切ったが、「不逞の輩」発言で支持率が急降下しており、
片山哲率いる社会党に第一党の地位を奪われてしまった。

 片山は単独では政権を担う自信がないので、自由党からも閣
僚を送って貰いたいと申し出たが、吉田はきっぱりと断った。
「主義主張を異にする両党が連立するのは、政党政治の本領に
反する」と言って、野に下ったのである。

 片山内閣で農相となった平野力三は吉田に近い人物だったの
で、ケーディスは強引に公職追放にしたが、平野派40名の支
持を失った片山内閣は総辞職に追い込まれてしまった。ケーディ
スは肝いりの社会党内閣を、自らの強引な追放措置で潰してし
まったのだった。

 ケーディスは、その後も政権を野党第一党の自由党に渡さず、
民主党総裁の芦田均を首相に据えた。ケーディスはいよいよ、
民主主義も憲政の常道も完全に無視した独裁者となっていった。

■4.ケーディスとの最終決着■

 怒り心頭に発した吉田と次郎は、参謀第2部のウィロビーと
共闘して、ケーディスの追い落としを図った。

 おりしも、昭和電工が大規模な贈賄を行って、復興金融金庫
からの融資を引き出している、という疑惑が浮上していた。社
長の日野原は、前社長が吉田やウィロビーに近い人物だったた
めに公職追放とし、ケーディスが新たに送り込んだ人物だった。

 次郎やウィロビーはケーディスの身辺調査を行い、彼にも多
額の現金が渡ったという情報を新聞に流して、しきりに報道さ
せた。ケーディスの影響力は急速に低下していった。

 芦田内閣そのものも、この昭和電工の贈賄事件により、わず
か7カ月で総辞職に追い込まれた。次郎はウィロビーと共闘し
て、マッカーサーから、「GHQの総意としては吉田首相で問
題なし」という確約を得た。吉田は衆議院で多数を得て、昭和
23(1948)年10月に第2次内閣を発足させた。

 ケーディスはなおも吉田内閣を潰そうと画策したが、吉田は
国会を解散して、民意を問うた。翌年1月の総選挙では吉田率
いる民自党(自由党と民主党の一部が合同)が圧勝し、第一党
だった社会党は143議席から48議席へと激減、党委員長の
片山まで落選の憂き目を見た。

 ケーディスは失意のうちにアメリカに帰国した。こうして日
本に社会主義政権を作ろうとする陰謀は未然に防ぐことができ
たのだが、その陰には次郎の奮闘があったのである。

■5.経済復興のための大抜擢人事■

 傾斜生産方式が奏功し、我が国の鉱業生産は戦前の5割程度
まで回復していたが、GHQ財政顧問として来日したジョゼフ
・モレル・ドッジはインフレを沈静化するために、復興重視の
政策を超均衡財政に転換しようとした。

 次郎は「ドッジ・ライン」と呼ばれる政策が発表された時、
これまでの努力がすべて水の泡になるのではないかと危惧した。
ドッジに対抗するためには、経済理論に明るく、押しも強い人
物を大蔵大臣につけなければならない。そうした人物を求めて、
次郎は東奔西走した。

 そして見つけたのが、前大蔵省事務次官の池田勇人(はやと)
だった。吉田は昭和24(1959)年1月の総選挙で、池田を立候
補させ、当選すると一年生議員にもかかわらず大蔵大臣に大抜
擢した。当選回数を重ねた議員から囂々(ごうごう)たる不満
が噴出した。しかし池田は期待通りの活躍を見せた。ドッジと
も何度も渡り合って、深い信頼関係を築いた。

 池田は昭和34(1959)年に首相となるが、天才的なエコノミ
スト下村治をブレーンとして、10年間でGNP(国民総生産)
を2倍にするという「所得倍増計画」をスタートさせ、高度成
長を実現していく。[a]

■6.「新しい貿易庁を作る!」■

 昭和23(1948)年12月1日、次郎は吉田首相から商工省の
外局である貿易庁の長官に任命された。次郎は以前から、輸出
産業を育成し外貨獲得を図るために、商工省を改組してもっと
強力な組織を作る必要がある、と主張していた。そこで吉田か
ら「じゃあ、お前やってみろ」と言われたのである。

 商工省は多くの優秀な役人を抱える巨大組織である。それを
変革するのは、よほどの信念と実行力を持った人物が必要であ
る。それには次郎しかいない、と吉田は見込んだのである。

 次郎はまず味方にすべき人物を捜した。そこで目をつけたの
が商工省物資調整課長の永山時雄であった。まだ若かったが省
内随一の切れ者として名が通っていた。

 次郎は永山を呼んだ。ちょうど、永山の方も商工省の事務次
官から次郎の動向を探るように依頼を受けていたので、敵情視
察のつもりだった。その永山に対して、次郎にしては珍しく熱
弁を振るった。

 今の日本にとってもっとも重要なことは、輸出産業を振
興させて外貨を獲得し、その外貨でさらに資源を購入して
経済成長にはずみをつけることだ。ところがこれまでの商
工省の施策は国内産業の育成が中心だった。これからは、
貿易行政があって産業行政があるというふうに180度考
え方を変えていかなければならない。だから、、、

 と息をついで、一気に言い切った。

 占領下で動きのとれない外務省も、軍需省の尻尾をひき
ずる商工省も、ともに潰して新しい貿易庁を作る!

 永山は全身に鳥肌がたった。純粋に国を思う情熱、先例や常
識をかなぐり捨てた構想の合理性、先進性。この日を境に永山
は次郎の信奉者となった。

■7.通商産業省の誕生■

 次郎は、永山に「通商産業省(仮称)設置法案」をまとめさ
せ、翌24(1959)年2月8日に閣議決定に持ち込んだ。就任後、
わずか2カ月ほどのスピードで、役人たちには反撃の隙も与え
なかった。

 商工省からは、せめて名称を「産業貿易省」にしてくれ、と
言ってきた。国内産業重視の看板を下ろしたくない、という最
後の抵抗である。しかし、次郎は「貿易より産業が先にきてい
るような名前はダメだ!」の一言。さらに通産省内のすべての
局に「通商」という名前をつけさせて貿易重視の意識改革を徹
底した。

 同年5月25日、通商産業省が誕生した。貿易庁から引き継
ぎにきた事務官に対し、次郎は「引き継ぎするものなど何もな
い。お前らは通産省を貿易庁の後身だと思っているのか。過去
は振り替えらんでいい。これからまったく新しい行政を始める
んだ」と言って、一切の引き継ぎを拒んだ。

 そして通産省の次官や局長には、次郎が目をつけた優秀な官
僚を配置して、立ち上げを確固たるものにした。その上で、自
分はさっと身を引いてしまったのが、次郎らしい無私な所であっ
た。

 この後、通産省は日本経済の「参謀本部」として高度成長に
向けて牽引していく。

■8.「何だこれは! 書き直しだ」■

 昭和26(1951)年9月、吉田茂は講和条約に調印すべく、サ
ンフランシスコに向かった[b]。次郎も顧問として随行した。
調印式の後には吉田による受託演説が予定されていたが、吉田
はその二日前に、次郎に演説草稿のチェックを頼んだ。

 外務省の役人が持ってきた草稿を一目見るなり、次郎は渋面
を作った。英文だったからである。「日本人は日本語で堂々と
やればいいじゃないか!」

 内容も問題だった。占領に対する感謝の言葉が並んでいて、
まるでGHQに媚びているような文面である。

「何だこれは! 書き直しだ」

「ちょ、ちょっと待ってください。事前にGHQ外交部の
シーボルト氏やダレス顧問にチェックしてもらったもので
すから、勝手な書き直しなんかできませんよ」

「何だと! 講和会議でおれたちはようやく戦勝国と同等
の立場になれるんだろう。その晴れの日の演説原稿を、相
手方と相談した上に相手国の言葉で書くバカがどこの世界
にいるんだ!」

■9.ウィスキーのグラスをあおりながら■

 次郎はサンフランシスコのチャイナタウンで和紙の巻紙を買
い求めさせ、毛筆で書き始めた。

 懸案である奄美大島、琉球列島、小笠原諸島の返還にも言及
した。外務省の役人は必死に止めようとしたが、次郎は
「GHQを刺激するから触れるなだと。バカヤロー、冗談を言
うな」と一喝した。「小笠原や沖縄の人々の気持ちにもなって
みろ」という思いだった。

 草稿は吉田の演説直前にできあがった。長さは約30メート
ル、巻くと直径10センチほどになった。ぶっつけ本番となっ
たが、吉田は悠揚迫らぬ態度で読み上げていった。

 日本の新生を世界に報ずる一大イベントも無事に終わった。
次郎はマーク・ホプキンス・ホテルの自分の部屋のソファーに
身を沈めた。早いピッチでウィスキーのグラスをあおりながら、
次郎は泣いていた。

 敗戦後、わずか6年だったが、いろいろな事があった。屈辱
的な憲法改正、赤いGHQ将校たちとの死闘、そして通産省創
設など経済復興への段取り。

「吾々が招いたこの失敗を、何分の一でも取り返して吾々の子
供、吾々の孫に引き継ぐべき責任と義務」の幾分かは果たせた
のである。サンフランシスコの夜は静かに更けていった。
(文責:伊勢雅臣)