老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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北朝鮮の特殊部隊が、「情報収集と攻撃、心理作戦などの担当に分かれていた」というなら、当然沖縄で非公然活動が行われていることが前提となります。

北朝鮮の工作が行われていることと、一連の沖縄での反日行動と重なって見えてくるのは考えすぎでしょうか。

マイミクの千葉県恵様よりの情報です。

北朝鮮に対在沖米軍部隊 脱北の李さん証言

琉球新報 2008年4月27日

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-131526-storytopic-1.html
 北朝鮮の特殊部隊に、在沖米軍基地の攻撃や情報収集などの任務を専門にした特殊部隊が存在することがソウル在住の元特殊部隊隊員の李徳男(イドンナム)さん(41)の証言で分かった。
李さんによると、沖縄任務の部隊は「第67偵察大隊」と呼ばれ、さらに情報収集と攻撃、心理作戦などの担当に分かれていたという。
 李さんは「部隊には約550人おり全員が将校クラスで日本語も上手に話していた。沖縄には一番重要な軍事的施設があるので、沖縄に行かなければならないと話していた」と話し、在沖米軍が北朝鮮にとって脅威として認識されていた実態が浮き彫りになった。
 対韓国の潜入作戦などを担当する「第70偵察大隊」に所属していた李さんは、1990年9月に北朝鮮側から韓国西岸部に潜水艇で脱出。3人構成の班の班長だったが、ほかの隊員を岸に残したまま、単独で脱出した。脱北後は韓国政府の援助を受け延世大学で行政学を学び、現在はソウル市で元朝鮮労働党書記の黄長華(ファンジョンヨプ)さんの秘書を務めている。
 李さんは「北朝鮮政府は国民に対して、『米国は沖縄から北朝鮮に航空機を飛来させようとしている』と危機感をあおっていた」と述べ、北朝鮮内で在沖米軍を脅威視するよう喧伝(けんでん)されていたことも証言した。
 李さんによると、北朝鮮陸軍偵察局には15の大隊が存在する。1個の大隊には、攻撃に従事する兵員と情報偵察を担当する兵員に分かれていた。心理作戦担当もいた。
 日本侵攻に向けては、16人乗りの小型潜水艇を用意しており、動力はバッテリー。1回の充電でグアムまで往復できる能力があったという。李さんは韓国上陸作戦を担当していたが、上陸の指令が出た場合は、その地域の人数や文化、言語などの詳細な説明があったとも証言した。
 李さんは「日本には特殊部隊が頻繁に行っていた。一番難しいのは韓国。日本は戦争状態ではないので、すべての海岸線の警備が弱い」と話した。
(滝本匠)

今日は2回目となります。
前回は多くのお方のコメントをいただきました。
有難うございます。


【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(2)     台湾人医師の直言

(転送転載自由)

出版 並木書房
著者 林 建良

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%88%E3%80%81%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%81%82%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%8B-%E6%9E%97-%E5%BB%BA%E8%89%AF/dp/4890632018/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1208414945&sr=8-1

第一章 台湾人から見た中国及び中国人
    お人好しの日本人に中国人の凄さは理解できない

一、中国人はすべてお金に換算して考える

■ 中国の文学や芸術は権力者のためだけに作られる

 日本人は「和」を大切にする民族である。公の席では他人の悪口を言わないことを美徳としている。また、できるだけ相手の美点を見出そうと努めるのも日本人の特徴である。しかし、こと中国人に関する限り、日本人の見方は往々にして見誤っていることが少なくない。台湾人から見れば、表層的見方が目につく。

 個人と個人の関係においてなら、その美徳はおおいに発揮されてよい。しかし、今の中国はとてつもない影響力を持っている。経済力にしろ政治力にしろ、もはや昔の貧しい中国ではない。しかも、中国は日本に敵対心を露にしている。日本を敵と看做してはばからない。それ故に、日本人は中国及び中国人の本質を知る必要がある。
まず、日本人は「中国四千年の歴史」ということで、例えば万里の長城に象徴されるような建造物を思い浮かべ、素晴らしい文化があるとイメージしている。あるいは、李白や杜甫などの漢詩を思い浮かべることで、中国には偉大な文学があると思い込んでいる節がある。このような建造物や詩の中に中国人の心があるのではないかと思い、中国人を美化して、その本質を見誤らせる傾向がある。

 ところが、中国の文化というのは、一人の権力者のために作られたものであるということを、まず頭に入れておかなければならないのである。

 中国で大家と言われる文学者はほとんどが官僚である。作品は貴族のために、あるいは権力者のために作られるのであり、けっして庶民の心理や社会文化を反映しているものではない。この点が、日本とのもっとも大きな相違点である。中国文化、イコール中国が残した文学や芸術と勘違いしているのが日本人の中には少なくない。

 日本人ははっきりした信仰を持たなくても、命のあるものにはすべて霊が宿っていると考え、それなりの信仰心を持っている。いわば「万の神」の存在があらゆる形で日本人の心に宿っている。それ故、日本文化は命のあるものに対して一定の畏敬の念を抱いているし、自然にも畏敬の念を持って対している。

 日本人はまた、木や花を大切にして、季節の移り変わりを非常に繊細に感じとり、俳句や和歌を生み出したことに見られるように、庶民のレベルにおいてもいろいろな言葉で表現する。日本人は自然に対する愛着を、そしてその変化を生活レベルで表現している。それは、偉大な芸術でもなければ偉大な文学でもなく、またごく一部の人間しか楽しめないものでもない。

 さらに日本の場合は、芸術だけで生きている、作品を作るだけで生きているような芸術家や文学者が存在してきた。もし中国に日本のような芸術家や文学者が存在していたとしても、それはごくわずかでしかない。

 そのような日本人の心性に比べると、中国人は信仰心に欠けるといってよい。中国人には命のあるものに対する畏敬の念や、自然に親しむという概念あるいは心性が欠落しているのである。いかにして自然を利用するか、別の命をどうしたら自分の命のために利用できるかという考え方が非常に強い。

 その点で、中国人は信仰心のない民族と断言してさしつかえない。中国人は現実的、現世的にものごとを捉える民族であって、万物に対する見方考え方には日本人とかなりの違いがある。

 もちろん、中国にも自然を対象とした描写は文学や芸術の中にたくさんある。ただし、日本人が正しく理解していないのは、あのような文学や芸術は権力者のために作られたものであって、けっして一般庶民が楽しむために作られたものではない、ということだ。中国四千年の歴史の中では、庶民とは官僚などの権力者に利用されて虐げられる人々であって、このような作品を楽しむ余裕を与えられてこなかったというのが実情なのである。

 中国の庶民は、野生動物にしろ植物にしろ、命のあるものを見ると、まずなにを思い浮かべるかというと、「これは食べられるのかどうか」「換金すればいくらになるのか」ということだけで、いかにして自分のためになるのかと考えるのである。それしか頭にないのである。

■ しつけや挨拶にも「金がすべて」の思想が現れている

 では、中国人が現実的で現世的であるとはどういうことかというと、中国人にとって価値のあるものは、すべてお金で換算できるものであって、「金がすべて」ということである。例えば、中国人は新年に必ず「恭喜発財(コンシファーツァイ)」と挨拶する。日本人は「新年明けましておめでとうございます」と挨拶するが、中国人は「恭喜発財」、即ち「儲かるように」と挨拶するのが常である。また、中国人が新年に家の門に張り出す「春聯(チュンリェン)」を見ても、よく見かける文句に「招財進宝(ザォツァイチンバォ)」という言葉がある。つまり「財を招いて宝を入れる」という意味で、これはもっとも一般的な春聯の文句である。

 中国人の子供に対する教育では、日本と同じように「よく勉強しなさい」と言う。しかし、その意味は、日本人の親たちが子供に期待しているような「立派な人間になりなさい」とか「社会に役に立つような人間になりなさい」というようなことではなく、中国人の考えでは、勉強しないと「出世できなくなる」「金儲けができなくなる」ということを意味しているのであるまた、子供が出世しお金持ちにならなければ、親が困るからでもある。

 「名利双収(ミンリースワンソウ)」という言葉が中国にはある。ここに中国人の考え方の究極的な概念が端的に表されている。意味は「有名になって金持ちにもなる」ということである。そのためになにが必要かというと、権力が必要だと考えるのである。

 古来から中国では、勉強とは官僚になるためのものであって、科挙(かきょ)制度をみても、勉強して官僚になって権力を手に入れることが最終目的なのである。権力者になれば利益をたくさん得られるし、有名にもなれるという理屈なのである。中国の庶民的な言葉で、学校でもよく教えていることわざに「書中自有黄金屋」「書中自有顔如玉」がある。これは書物の中に黄金の家、即ちたくさんの財産があり、「顔如玉」即ち美人も出てくるということだ。勉強して出世さえすれば、たくさんのお金が入るし、美女をはべらすこともできるという意味だ。

 つまり、勉強する最終目的とは、金が儲かり、美女をはべらすような豪奢な生活を手に入れるため、というものだ。これが中国人の究極的な思想なのである。このように至って現実的なのが、中国人の本質なのである。

 中国人は、人と会うと、初対面の人であっても平気で収入を聞いてくる。まるで挨拶でもするように「あなたは一ヶ月の収入をいくらもらっているのですか」と聞いてくる。これは、中国人が収入をもって人間の価値を判断するという卑近な例だが、このようなところにも「金がすべて」という中華文化の本質がはしなくも表れている。「神は細部に宿る」という。このような挨拶の文化は日本ではまず見られない。

 国家が解体し、経済がすべてとなった感のある日本は「エコノミック・アニマル」と呼ばれた時期があったが、日本人がエコノミック・アニマルならば、中国人はまさに「金の亡者」といってもよいのである。

■ 蒋介石政権が拝金主義を台湾に持ち込んだ

 台湾人は五十年間、日本の影響を受けたせいで、中国人的な面は非常に薄くなっている。だから戦後、中国人が台湾を占領したとき、台湾人にとって慣れないことは「金がすべて」という中国人の文化だった。しかし、中国人による占領が長引くにつれて、台湾には汚職文化や「袖の下」文化が行政にも司法にも蔓延したのだった。

 蒋介石政権下では司法も、大陸から台湾に逃げ込んだ中国人(外省人)に独占され、よく「有銭判生、無銭判死」と言われた。金があれば生きる、金がなければ死ぬ、ということだ。裁判官にお金を包んでいくことができれば死刑になることはない、つまり裁判に勝てるということで、逆に包めなかったら裁判に負けるということを意味する。

 このような中国的なやり方は蒋介石政権が台湾に持ち込んだもので、拝金主義が台湾に広まった原因はこの中国人の文化にあった。もちろん、中国本土に比べれば、台湾の拝金主義はかわいいものだが、拝金主義、金がすべてとする文化、これが中国人の本質なのだ。われわれ戦後世代の台湾人や中国文化に汚染された台湾人なら、よくわかることなのである。

 もちろん日本にも「地獄の沙汰も金次第」ということわざに示されるように、お金がすべてを解決するという考え方がある。しかし、お金で解決できないこともたくさんあると考え、お金に執着心を持たない日本人もまたたくさんいるのである。

■ 国の指導者にも値段をつける中国人

 では、日本の拝金主義と中国の拝金主義はどう違うのかというと、その違いには雲泥の差がある。レベルが違うといってよい。中国の拝金主義は、命の値段を含め、嘘偽りなくすべてを金で換算する。これは日本人の想像を絶している。

 例えば、日本人が中国へ行くと要人に会いたがる人が少なくない。中国の要人と記念写真を撮りたがる人が極めて多い。この仲介をしているのが日中友好協会であるのは周知の事実なのだが、実は要人には相場がある。首相クラスの場合は二百万円とか、その下なら百万円とか相場が設けられているのである。

 中国では一国の指導者に相場がある。あらゆる人物に値段が付けられているのである。しかし、このことを日本人はよく分らないようだが、これが中国の本質なのである。日本人が中国と付き合う場合は、中国が表に出している大義名分や歴史認識、文化だの道徳だの、これらはすべてウソであり、単なるひとつの手段であることを認識すべきなのである。

 中国人の究極的な価値観、欲望を一言でいえば、権力を手に入れて、名声と独占欲を満たすことに尽きる。欲望の塊というなら、それは中国人なのだ。日本人はこの中国人の本質を敢えて見たくないから目をつぶっているのかどうか分らないが、理解できていないように私には見えるのである。しかし、それでは面と向かって中国と競争することもできないし、中国自身がまともに取り合うこともないと断言しておこう。

(次回の連載は2008年5月5日)

(中国情報局より)

中国大使館で歓迎会 衆院議長、首相夫人ら出席

2008/04/27(日) 13:23:12更新

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0427&f=national_0427_005.shtml





  26日付中国新聞社電によると、長野で終了した聖火リレーの歓迎レセプションが26日夜、東京都港区の中国大使館で行なわれ、河野洋平衆院議長、公明党の太田昭宏党首、福田康夫首相の貴代子夫人ら日本の各界代表約100人が出席した。

  崔天凱大使は「多くの市民が風雨を冒して街頭を走り、各地の華人華僑と留学生が長野に駆けつけて聖火を応援し、正に多くの人々の協力で聖火リレーが成功した。日本オリンピック委員会、日本政府、長野市などに感謝する」と述べた。

  北京五輪組織委員会の李炳華副委員長は「聖火リレーは各地でごく少数のチベット独立派分子の妨害を受けたが、いかなる力によっても聖火リレーの成功を妨げられないことを事実が証明した」などと語った。(編集担当:井上雄介)

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トーチリレーは、今回のオリンピックは中国のためのオリンピックであることを如実に示しました。有森選手は「五輪は開催国のものではない。中国のものではない」と語っておられます。



今回の留学生の動員は、中国大使館からの動員要請であったことが、留学生の言葉としてテレビで放映されていました。




日本国の政府はこの有森選手のような認識もないのかと驚くしだいです。

大使館により演出されたトーチリレーに属国日本の政府代表は、大手を振って参加しているのです。



今や一連の他の諸問題も含めて考えると、自・公政府打倒するほかないと思うのは、過激でしょうか。

伊勢先生の
国際派日本人の情報ファイル■ より転載です。

善光寺の英断については、関わってきたものとして承知いたしておりますが、有森選手のご見識については存じませんでした。

このようにお考えなら、もっと大きく取り上げていたのに。

有森選手の見識、善光寺の胆識
伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1433 ■ H20.04.28 ■ 9,741 部 ■■■■■■■


 混乱の中で、長野における聖火リレーが終わった。聖火リレ
ー・ランナーを務めた有森裕子さんは、次のように語っていた。

 チベット問題に多くの人が興味を持ち、人々が平和を願
う声をつなげていけるなら、このリレーはすばらしいこと。
私は世界の平和を願って走りたい。ただ、中国の聖火警備
隊はいらない。五輪は開催国のものではなく、すべての人
の平和の祭典。中国のものと考えているなら、その考えは
間違っている。[1]

「五輪は開催国のものではなく」という言葉は、沿道を埋め尽
くして中国国旗を振るった数千人の中国人学生に聞かせてやり
たい言葉である。スポーツ選手としての深い見識が感じられる。

 また、聖火リレーのスタート地点を辞退した善光寺の担当者
は、18日の記者会見で辞退の理由の一つとして、「チベット
の問題への憂慮」がある、としてこう語った。

 善光寺は仏教、宗教の寺だ。(中国政府が)無差別殺人
を行ったということもあるし、チベットの宗教者が立ち上
がって、それに対して弾圧を行った。それはやはり憂慮す
るものであった。[2]

 辞退の決断に対する反応としては、

 1日100件を超える電話が全国からあったが、99%
がやめるべきだというもの。やるべきだというのはまった
くなかった。チベットと同じ仏教のお寺でどうしてだ、と
いうものが多かった。

 単に混乱を懸念するという理由だけでなく、はっきりとチベッ
トの宗教者に対する弾圧を批判した点に、腹の据わった見識を
感じた。これをかつての日本人は「胆識」と呼んだ。

 有森選手の見識、善光寺の胆識。ともに見上げたものである。