帝国電網省 よりの転載です。
尖閣は日本領土と言いますが、再度確認してみませんか。 ┃
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尖閣は日本領!の歴史的傍証 「尖閣諸島」(「尖閣群島」とも呼ぶ)は「沖縄県石垣市登野城」という、れっ
きとした地籍をもっています。魚釣島(釣魚台)・北小島・南小島・久場島(黄
尾礁)・大正島(赤尾礁)の5島と、沖北岩・沖南岩・飛瀬の3岩礁で構成され
沖縄の南西・台湾の北東に位置し、石垣島から北に約170Kmの海上にある無
人島群です。
諸島最大の魚釣島でさえ面積は3.6平方Kmしかなく、高さ383mの峻険な
丘を抱えています。このような無人島群である尖閣諸島の領有権を、現在、日
本・台湾・支那の三国で争っているのです。
では、なぜ日本のみならず、支那や台湾までもが領有権を主張しているのか?
その前に、日本が尖閣諸島を領有するに至った経緯について触れてみたいと思
います。
明治12(1879)年、日本政府は琉球王国改め琉球藩を廃止し、沖縄県としまし
た。その後、日本政府は明治18(1885)年以来、数回にわたって沖縄県当局を
通じ尖閣諸島を実地調査し、
無人島であること、清国を含むどの国にも所属している証跡がないことを慎重
に確認した上で、明治28(1895)年1月14日の閣議で沖縄県への編入を決定
し、正式に「日本の領土」となったのです。
この、日本領有の根拠としているのは、国際法でいうところの「無主地の先占
=occupation」の原則です。
「無主地の先占原則」
┌--------
ある国は、「無主地=どの国にも属さない地域」がある場合、一方的な措置に
よってこれを自国の領土とすることができる。
└--------
つまり平たくいうと、ある土地に、誰も住んでおらず、しかも誰の所有でもな
かった場合、一番最初に見つけた人のものになる、ということなのです。ちな
みに先占の具体例として、フランスによるタヒチやニューカレドニア=ヌーベ
ルカレドニー)などの太平洋島嶼の領有が挙げられます。
このように、「先占」で日本が獲得した尖閣諸島ですが、戦後もかなり経った
昭和46(1971)年、突如として台湾・支那両国から領有権が主張され始めたの
です。ーーーでは、何故、それまでひと言も「領有権」を口にしていなかった
台湾・支那両国が、急に領有権を主張し始めたのでしょうか?
昭和43(1968)年、国連・アジア極東経済委員会(以下、ECAFEと略)が、
一つの報告書を発表しました。タイトルは『支那・東支那海と朝鮮海峡の海底
地層と石油展望』。
前年から、東支那海の海底資源を調査していたECAFEがまとめた報告書に
は、「沖縄諸島と台湾、日本の間の大陸棚の縁や、黄海・渤海には石油埋蔵の
可能性が高い」とし、尖閣諸島の海域にも大規模な海底油田・天然ガス田があ
ると考えられたのです。
つまり「絶海の無人島」で交通の便も悪い辺境の島が、一夜にして「宝島」と
なった訳です。ーーーそしてこの発表後、台湾・支那が相次いで領有権を主張
し始めたのは前述の通りです。
こう見てみると、「お宝=石油・天然ガス」に目が眩んでの領有権主張とみて
も当然といえば当然でしょう。とはいっても、果たして本当に「お宝」目当て
の領有権主張なのでしょうか?
それとも尖閣諸島は日本の領土ではなく、台湾あるいは支那の領土なのか?
結論からいえば、尖閣諸島はやはり正真正銘「日本の領土」です。そしてそれ
を証明するものは、はからずも領有権を主張している台湾・支那側にあったの
です。
中華民国59(1970=昭和45)年、台湾で発行された『国民中学地理科教科書』
の初版所載の「琉球群島地形図」には、日本と台湾の国境線が、台湾と尖閣・
八重山諸島の中間に引かれており、島嶼名も「尖閣群島」と日本名で記載され
ていたのです。
台湾「国民中学地理科教科書(初版1970)」所載「琉球群島地形図」
http://chinachips.fc2web.com/illust/map/senkaku_map1.gif
同地図の拡大図(台湾と尖閣・八重山諸島の中間が国境線)
http://chinachips.fc2web.com/illust/map/senkaku_map11.gif
ところがその翌年、中華民国60(1971=昭和46)年に発行された同教科書=改
訂版)では、国境線が台湾・尖閣諸島と八重山諸島の間に引き直され、「尖閣
諸島」の島嶼名も「釣魚台列嶼(ちょうぎょだいれっしょ)」と書き改められた
のです。
台湾「国民中学地理科教科書(改訂版1971)」所載「琉球群島地形図」
http://chinachips.fc2web.com/illust/map/senkaku_map2.gif
(国境線の変更と「釣魚台列嶼」の島嶼名に注目)
つまり、台湾「国民中学地理科教科書」を例にとれば、少なくとも1970年
までは、台湾は尖閣諸島を「日本の領土」であると認めていたわけで、翌19
71年、台湾が尖閣諸島の領有権を主張したのに伴って、国境線と島嶼名が変
更されたと考えられる訳です。
では、もう一つの当事者・支那の場合はどうかということですが、
1958(昭和33)年、北京の地図出版社から発行された「世界地図集」所載の
「日本図」の場合も、「尖閣諸島」は台湾同様に「尖閣群島」と日本名で記載
され、国境線も台湾と尖閣・八重山諸島の中間線に引かれていたのです。
北京・地図出版社発行「世界地図集(1958)」所載「日本図」
http://chinachips.fc2web.com/illust/map/senkaku_map3.gif
(台湾と尖閣・八重山諸島の中間が国境線)
つまり、台湾・支那両国共に、当初=ECAFEによる報告書発表以前は尖閣
諸島を「日本の領土」と認識していた訳で、両国による領有権主張は、やはり
「お宝」目当てと考えざるを得ないのです。
さて、ECAFEによる報告書によって一躍「宝島」として脚光を浴び、日台
支三国の係争地となった尖閣諸島ですが、本当に報告書にあるような「宝島」
=有望な海底油田があるのでしょうか?
日本側の調査報告では1095億バレル≒150億トン)、支那側の1980
年代初頭の推計では700〜1600億バレルとされています。
しかし、米国CIA(中央情報局)の試算では390億バレル(1977年推計)、旧
ソ連の地質学者に至っては75〜112億バレル(1974年推計)とし、最新の科
学調査では僅か32億バレル程度ともいわれています。
蓋を開けてみれば、埋蔵量は案外大したものではないのかも知れません。
ーーーとはいうものの、海底油田の有無が問題なのではありません。
尖閣諸島はあくまでも「日本の領土」なのです。「お宝」に目が眩んだ台湾・
支那両国、特に近年、周辺海域に海軍艦艇や海洋調査船を頻繁に繰り出してい
る支那への警戒は怠るべきではありません。
かつて、南支那海の南沙諸島(スプラトリー諸島)において、フィリピンが主権
を主張する小島を、警戒の隙を突いて支那海軍が奪取したことがありました。
いや、もっと身近な例では「竹島」があります。
その意味でも日本は、「日本の領土」である尖閣諸島の領有権を、台湾や支那
に気兼ねすることなく、より強く主張すべきです。と同時に、容易に占領=奪
取されることがないよう、より一層防衛に努めるべきといえます。
┌──────────「尖閣諸島」関連年表
1879(明治12)年 琉球処分(日本政府、琉球藩を廃止し沖縄県を設置)
1884(明治17)年 この頃より、福岡県の事業家・古賀辰四郎氏、尖閣諸島で漁
業等に従事
1885(明治18)年 日本政府、沖縄県当局を通じ数次にわたる尖閣諸島実地調査
1894(明治27)年 7月、日清戦争勃発
1895(明治28)年 1月14日、閣議決定により尖閣諸島を沖縄県の所轄として
標杭の設置を決定(=領土への編入)
1895(明治28)年 4月17日 日清講和(下関)条約調印により、清国、台湾・
澎湖諸島を日本に割譲(割譲の対象となった島嶼に尖閣諸島
は含まれていない)
1895(明治28)年 6月10日 古賀辰四郎氏、野村靖内相宛に「官有地拝借御
願」を提出
1896(明治29)年 日本政府、尖閣諸島の内、魚釣島・北小島・南小島・久場島
の4島を古賀氏に30年間無料貸与
1918(大正7)年 古賀辰四郎氏死去。子息・善次郎氏、父業を継承し魚釣島・
南小島でカツオブシ、海鳥の剥製等の製造を行う
1926(昭和元)年 尖閣諸島の内、4島の古賀氏への無料貸与期限満了(以後、
一年契約の有料貸与に切り替える)
1932(昭和07)年 古賀氏、尖閣諸島のうち4島の払い下げを申請。政府、同氏
の申請を受け4島を有料で払い下げる(以後、民有地)
1952(昭和27)年 8月、日華平和条約発効
1953(昭和28)年 12月25日、琉球列島アメリカ民政府布告第27号「琉球
列島の地理的境界」で施政範囲の緯度・経度を明示=尖閣諸
島も米国の施政権下に含まれる
1958(昭和33)年 11月、北京の地図出版社、「世界地図集」発行(尖閣諸島
を「尖閣群島」と日本名で表記し、日本領として扱っている
1965(昭和40)年 10月、台湾国防研究院・支那地学研究所、「世界地図集第
1冊東亜諸国」初版出版(尖閣諸島を「尖閣群島」と日本名
で表記し、日本領として扱っている)
1967(昭和42)年 国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)、東支那海の海底
資源を調査
1968(昭和43)年 8月、琉球政府法務局出入管理庁係官、南小島において台湾
人労務者が不法上陸し、同島沖で座礁した船舶の解体作業に
従事していたのを発見。台湾人労務者、係官の退去要求に応
じて離島
1968(昭和43)年 ECAFE、調査報告書『支那・東支那海と朝鮮海峡の海底
地層と石油展望』を発表(尖閣諸島一帯に豊富な石油資源が
埋蔵されている可能性が高いと指摘)
1969(昭和44)年 5月、石垣市、魚釣島・北小島・南小島・久場島・大正島の
5島に地籍表示用の標柱設置(尖閣諸島の地籍は、沖縄県石
垣市登野城に属す)
1970(昭和45)年 1月、台湾(中華民国)国定教科書「国民中学地理科教科書第
4冊」初版発行(尖閣諸島を「尖閣群島」と日本名で表記し
日本領として扱っている)
1970(昭和45)年 7月、琉球政府、琉球列島米民政府の協力で、魚釣島・北小
島・南小島・久場島・大正島の5島に領域表示板設置
1971(昭和46)年 4月、台湾、尖閣諸島の領有権を主張
1971(昭和46)年 台湾国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」改訂版発行
尖閣諸島を「釣魚台列嶼」と表記し台湾領として扱っている
1971(昭和46)年 6月11日、沖縄返還協定に対して、台湾(中華民国)外交部
声明を発表(日本への返還範囲に含まれる尖閣諸島の領有権
を主張)
1971(昭和46)年 6月17日、佐藤栄作総理・ニクソン米大統領の間に、沖縄
返還協定調印
1971(昭和46)年 12月30日、沖縄返還協定に対して、支那外交部声明を発
表(日本への返還範囲に含まれる尖閣諸島の領有権を主張)
1972(昭和47)年 5月15日、沖縄返還協定に基づき、南西諸島全島の施政権
が米国から日本に返還(尖閣諸島は、合意議事録に明記され
た範囲=緯度・経度に含まれている)
1972(昭和47)年 右翼団体「日本青年社」、魚釣島に航路標識(灯台)を設置
1978(昭和53)年 日中平和友好条約調印(日本・支那両国共に、尖閣諸島領有
権問題を当面の間棚上げとする事で合意)
1988(昭和63)年 「日本青年社」魚釣島に航路標識法に基づく灯台を設置
1989(平成元)年 9月、海上保安庁、尖閣諸島海域に侵入した台湾漁船を領海
外に駆逐
1990(平成02)年 9月29日、日本政府、「日本青年社」設置の魚釣島灯台を
航路標識として正式に認定
1992(平成04)年 支那、「領海法」を制定し「釣魚台=尖閣諸島」の領土編入
を一方的に宣言
1996(平成08)年 7月14日、「日本青年社」魚釣島にソーラーシステム灯台
を設置
1996(平成08)年 8月、海上保安庁、尖閣諸島海域に侵入した台湾漁船を領海
外に駆逐
1998(平成10)年 6月24日、尖閣諸島の日本領有に反対する活動家を乗せた
香港の抗議船「釣魚台号」等6隻が尖閣諸島海域に侵入。活
動家の魚釣島上陸を海上保安庁が実力で阻止
1999(平成11)年 9月5日、「日本青年社」のメンバー3人が、魚釣島に上陸
1999(平成11)年 この年、東支那海の日本側排他的経済水域内で支那海軍艦艇
8回31隻・海洋調査船15回25隻が、日本側に通告せず
に無断侵入
└──────────
―― 余談つれづれ
絶海の無人島で、沖縄本島から行くよりも、むしろ台湾からのほうが近い訳だ
し、----尖閣諸島の南端は、台湾北部・基隆市から120海里、北端は沖縄県
那覇市から230海里----
下手に台湾・支那と領有権争いで揉めるぐらいなら、いっそのこと領有権など
放棄してしまったほうが・・・といった意見もあるかと思います。
しかし、尖閣諸島の内、魚釣島・北小島・南小島・久場島の4島は、埼玉県在
住の古賀氏が所有するれっきとした「民有地」。例え、住んでいないとはいっ
ても民有地である以上、国が勝手に「領有権」を放棄するなどということはで
きないのです。
また、尖閣諸島の領有権を日本が放棄し、支那が領有したとしたら・・・「台
湾は神聖なる不可分な固有の領土」「沖縄も我国の潜在的領土」と公言して憚
[はばか]らない支那の事、
隣接する先島諸島=八重山諸島・宮古諸島)、更には沖縄本島までもが支那の
直接的脅威に晒されることになるでしょう。そういった観点からも、尖閣諸島
の「領有権」を日本は断固として守るべきなのです。
= この稿おわり =