老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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2010.08.25

永山さんのメルマガより転載します。



自民党の福田元総理がまたもチャイナの「ちょうちん持ち」をするらしい。自民党の支持者をさらに減らすために。自民党も民主党とそう変わらない。偉そうなことは言えんですね。



福田康夫は中国の歴史捏造の陰謀に加担するなーいよいよ本格化する「孫文」キャンペーン


ブログでは関連写真も↓
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1264.html

日本人にも指摘したい中国近代史の大嘘  

来る二〇一二年は清国を滅ぼした辛亥革命から百周年であり、この革命による中華民国建国から百周年でもある。最近は「中華民国」と言われてもわからない人が多いので説明すると、中華人民共和国が成立する前の中国の国名が中華民国である。

国共内戦で中共に滅ぼされたわけだが、その後政権は台湾へ亡命し、「中華民国」の看板は今でもそこで健在だ。

もっとも「百年」と言われても、一般の日本人には関心外かも知れない。ただ実は日本の安全保障にも深く関わってくることなので、やはり取り上げなければならない。

つまり中国人による歴史捏造についてだ。

■上海万博・日本館での企画展に問題あり

長崎新聞(八月二十日)によると、上海万博・日本館イベントスペースでは八月二十四~二十九日まで、「孫文と梅屋庄吉展」が開催される。梅屋庄吉とは長崎出身の実業家で、孫文の革命事業を支援した人物。この二人の盟友関係を紹介する企画展で、「来年は辛亥革命100年。企画展は梅屋のひ孫で、東京・日比谷松本楼の常務、小坂文乃さん(42)を中心に、両国の関係者が協力して実現を図った」とか。

「松本楼」と言えば孫文と梅屋庄吉が好んだレストラン。孫文はここで宋慶齢と挙式するなど、二人とはとてもゆかりが深い。

それから、長崎県も「全国自治体で唯一、企画展に協賛した」らしい。

ところで記事には「辛亥革命(1911年)により清朝の皇帝支配に終止符を打ち、『中国革命の父』と称される孫文」とある。

実はこの孫文が「辛亥革命により清朝の皇帝支配に終止符を打った」と言うのが、今から問題にしたい歴史捏造なのである。

日本でも台湾でも辛亥革命を指導したのが孫文だと信じられているが、それが間違いなのだ。

以下に中国人が語らず、そして日本人が知らない歴史真実を簡単に記そう。

■孫文は革命政権を敵の袁世凱に譲っていた

たしかに孫文は日本人の強力な支援の下、一九〇五年に東京で革命派の中国人留学生を糾合して中国同盟会を結成、その総理に就任している。しかし広東省などで革命の狼煙を上げる「辺境革命」路線に固執し、揚子江流域での蜂起を狙う「長江革命」路線の宋教仁らと対立。しかも金銭面、人徳面で問題があり、中国人同志から嫌われて事実上追放の身で米国へ渡った。

一九一一年十月十一日、まさに「長江革命」のシナリオに基づき、反孫文の勢力が武昌での蜂起に成功した。米国にいた孫文がそのことを知ったのはそれから二日後。たまたま手にした新聞によってだった。

やがて革命の波は各省へ広がり、革命政権の樹立となるのだが、元首には外国からの支援を受けることもできる著名人であることが求められた。そこで最も知られた孫文に白羽の矢が立ち、一二年一月一日、南京での中華民国臨時政府の発足に伴い、臨時大総統に就任した。

ところがその政治制度は米国式大統領制を目指す宋教仁が導入したもので、軍事独裁を主張する孫文には気に入らなかった。かくてやる気のない孫文は三月、袁世凱に臨時大総統の地位を譲る。

驚くなかれこの袁世凱とは、清国軍の司令官である。武器も資金も不足する革命軍は、この最大の敵への抵抗をあきらめ、政権を譲ったのだ。当時孫文を支援していた日本人は、こうした自己利益のためなら信念も捨て去る中国流がどうしても理解できず、中国人不信に陥り、多くが支援から手を引いた。

このようにして袁世凱は臨時政府を、自分の影響下にある北京へと持って行ってしまった。

そして皇帝に退位を強要し、清国を終焉させた。一三年十月には正式に初代の中華民国大総統に就任している。

これでも孫文は「辛亥革命により清朝の皇帝支配に終止符を打った」と言えるだろうか。皇帝支配を覆したのは袁世凱である。これは彼にしかできないことだった。

■「孫文神話」はこうして作り上げられた

さて孫文だが、よほど革命戦争が好きだったからとしか思えない。一度政権を放り投げた後、なおも第二革命を戦い、第三革命にも関与し、さらには広東で勝手に「中華民国」と言う名の政府の樹立を繰り返し、内戦を引き起こすなどしたが、二五年に死去する。その革命闘争を受け継いだのが手下の蒋介石だった。二八年、北伐戦争の末に北京政府を倒し、ついに南京で新たな中華民国国民政府を樹立した。

このとき中華民国の国旗がそれまでの五色旗から青天白日満地紅旗(一九年成立の中国国民党の党旗)に変わったのは、名は同じ「中華民国」であれ、別の国家が生まれたと言う事実を象徴している。だから今も続く中華民国は成立からまだ八三年なのだ(一九四九年滅亡との事実を受け入れなければ)。

さてその蒋介石は三七年、日本を支那事変に引きずり込んだ結果、重慶への遷都を余儀なくされたのは自業自得と言えたが、政権ナンバー2で孫文の側近だった汪兆銘が重慶を脱し、日本と和平を結んで南京で中華民国政府を再興した。これに慌てた蒋介石は同年、重慶政府を中華民国の正統なる政権と宣伝するため、孫文を「中華民国の国父」と規定した。かくして孫文は神格化され、「辛亥革命の指導者」との嘘も強調された。

戦後は台湾でも国父崇拝の政治教育が進められた。中華民国亡命政権が台湾支配を正当化するため、そうした「神話教育」で台湾人を従属させようとしたのだ。

■中共は孫文を利用し台湾、日本を籠絡

一方中共もまた孫文を「中国近代革命の父」などと持ち上げている。「帝国主義の侵略、封建制度の圧迫の下での抗争のなかでの傑出した代表的人物」(胡錦濤)と位置づけられ、今では中華民族主義のシンボルの一人だ。中共の「中華振興」のスローガンを最初に叫んだのは孫文だとも強調されている。

そして国民党からも神格化される孫文は、国共両党共通の「偉人」であり、「中国統一」をアピールするにも格好の材料なのである。

中共の民族主義政策のスローガン「振興中華」は孫文の言葉だと強調されている

それから中共にとり、日本とゆかりの深い孫文は日本人籠絡のための題材でもある。

さて上海万博での「孫文と梅屋庄吉展」だが、「二人の盟友関係を紹介する」目的は「日中友好」を宣伝することなのだろう。日本人の反中感情が高まる中、中国側も、日本の日中友好派も、こうした雰囲気作りに必死であるが、初日のセレモニーでは「日中近代史の埋もれた秘話が表舞台に登場する」(長崎新聞)らしい。

「埋もれた秘話」とは、「孫文は辛亥革命では脇役」「真の中華民国の国父は袁世凱」と言った「秘話」だろうか。あるいは「孫文は満洲譲渡を日本人に約束していた」との「秘話」だろうか。

■日本人が孫文に従属―中国人好みの友好秘話

実は孫文の革命運動を大勢の日本人が支援した理由の一つに、孫文が革命支援の見返りとして「満洲人の地である満洲は漢民族のものではなく、革命達成後はここを日本に譲渡する」との約束(所謂「孫文公約」)を繰り返していたからである。

もっともこうした「秘話」はご法度だろう。「孫文は反革命の袁世凱以上に反革命だった」「愛国主義者であるはずの孫文は日本に媚びて領土を割譲しようとした売国奴だった」等々が暴露されれば、孫文の宣伝利用もできなくなろう。

だいたい中共は孫文を反帝国主義闘争のシンボルとしているが、実は孫文は革命達成のため、日本、米国、英国など帝国主義国家の支援を求め続けていた人物なのだ。しかし各国からはあまり相手にされず、ついにはソ連に擦り寄ってしまったわけだ。

「埋もれた秘話」と言うのは、梅屋庄吉など日本人が孫文に忠誠を尽くしたと言う話なのだろう。日本人が中国人を信頼し、それに従属したなど、まさに孫文を巡ってよくある中国人好みの「日中友好秘話」である。

だがこれは当時、日中共同でアジアを防衛することを目指し、中国革命の指導、支援に奔走した多くの日本人への侮辱とも言える歴史の見方だ。

さて、こうした「日中友好」史観に基づく企画展のセレモニーでテープカットを行うのは長崎県の藤井健副知事、そして福田康夫元首相なのだそうだ。

日本の首相経験者が、このような舞台に立つのはあまりに不見識であり、国の恥と言うものではないか。

そもそも福田氏は孫文といかなる関わりがあるのだろうか。

■孫文顕彰で立ち上がった福田康夫元首相

福田氏が〇八年に来日した胡錦濤主席との晩餐会場として使ったのが松本楼だった。あの日、松本楼がある日比谷公園周辺は、チベット侵略など中国の残虐な政策に反対する人々抗議に殺到したものだが、福田氏がここを選んだのは、父親の結婚披露宴が行われたと言う理由だけではなかった。やはりこの建物が孫文ゆかりであり「日中友好」のシンボルと見えたのだ。

とにかく「中国の嫌がることはしない」がこの人物の信条だ。中国が喜ぶなら、孫文の顕彰でも何でもやるのだろう。

福田氏は七月二十八日に発足した「辛亥革命100周年記念事業日本実行委員会」の委員長にも就任している。

この委員会は「『辛亥革命』から来年で100年を迎えるのを前に、革命に影響を与えた孫文と日本とのつながりを伝える催しなどを開く」もので、「政界や学術関係者ら43人が委員となり、8~11月に上海や北京、神戸市、東京などで開く展示会やシンポジウムなど計5回を支援する」と言う(東京新聞、七月二十八日)。

このような馬鹿げた委員会に「政界や学術関係者ら43人」もが加わっているのか。もっとも歴史捏造を受け入れてこその「日中友好」であり、今の日本では何の不思議もない。

■中国人の陰謀を打ち破るには「歴史の真実」

さて先に、「辛亥革命」や「中華民国」の「百周年」が日本の安全保障にも関わってくると書いた。それはこれから中国や台湾で行われるであろう百周年の宣伝行事が、台湾併呑を目的とするものだからだ。

台湾政府は来年、三十二億元の予算を注ぎ込み「中華民国建国百年」の祝賀活動を展開するが、百年目の「革命」であれ「建国」であれ、すべては中国での話である(当時の台湾は日本領土だった)。おそらく中華文化、中華民族の素晴らしさを宣伝し、内外に「台湾は中国の一部」と強調するのだろう。

いまどき孫文を崇拝する台湾人が多いとは思えないが、しかし蒋介石と違って台湾人虐殺に手を染めていない孫文への拒否感情は希薄だ。歴史捏造の洗脳教育・宣伝により、「中国統一」への抵抗心理が弱められることも懸念される。

少なくとも国民党政権は、そのようにして国民の同党への共感を獲得しようとしているに違いない。

ちなみに毎日新聞(八月二十一日)によると、「馬英九政権が来年の『中華民国建国100年慶祝活動』の一環で製作を進めている近代中国の革命家、孫文の記録映画に関し、人物像の描き方で激論が起きている」そうだ。

何でも「映画製作を主管する建国100年基金会の製作顧問で女性作家の平路氏は、台湾メディアに対して孫文を『レーニンに笑われた天真らんまんな無知』『情熱的だが抽象的な思考に欠ける』と分析」し、「映画で孫文を多元的、人間的に描く考えを示した」のに対し、「孫文研究の専門家、胡仏・台湾大学名誉教授と弟子の周陽山・監察委員が『軽佻な分析で、孫文を侮蔑している』と批判。公的資金で製作する映画としては『妥当でない』と指摘した」とか。

「今回の映画製作では孫文の神格化を警戒する意見は多い」と言うが、中国人(国民党)は、やはりいつの時代も洗脳教育が好みらしい。

このようにつねに悪質な歴史捏造工作を繰り返すのが中国人だが、そうしたものについつい加担してしまうのが日本人なのだ。

歴史の真実など調べればすぐにわかることだ。台湾人も日本人も早くそれに気付き、中国人の政治宣伝の嘘を見抜くことが大切である。なぜなら中国人の陰謀の力は嘘が見破られることで、大きく減退するからだ。

そうした状況の中で気になるのが、あの元首相の存在なのだ。福田康夫氏はいつまで中国に従属し、中国の対日陰謀を助長し続けるのか。



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久しぶりに、日心会のメルマガより転載してお送りします。

日本の心を伝える会メールマガジン vol .146♪
               【転送歓迎】





楠木正成と七生報国
楠木正成の物語は、戦前は、少年なら誰もが知る歴史大活劇だったのですが、最近では、知る人もほとんどいなくなってしまったようです。

まだ、お読みになっていない方は、是非一度、この楠木正成の物語をご一読ください。


楠木正成の物語は、戦前は、少年なら誰もが知る歴史大活劇だったのですが、最近では、知る人もほとんどいなくなってしまったようです。



幼少のお子様をお持ちの皆様はお子達に読み聞かせて下さいませんか。中・高校生の子供達なら印刷してお渡しくださればと思います。



≪楠木正成と七生報国≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-589.html

これ↑を開いてくだされば、全文お読みいただけますが、ここに出だしだけでも若干ご紹介します。







「生命尊重のみで。魂は死んでもよいのか。」

冒頭、いきなりお堅い言葉となりましたが、この言葉は、三島由紀夫の「激」にある言葉です。

誰だって死にたくはない。
しかし、日本人としての魂を失って、なんの意味があるのか。

そのことを、楠木正成の物語の中で考えてみたいと思います。

------------------------------

楠木正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての河内の武将です。

鎌倉幕府に抵抗し、最後まで勤王をつらぬいたことから、明治以降「大楠公」(だいなんこう)と称されました。

楠木正成の出自は、まるで謎です。

日本史上、非常に有名でありながら、これほど出自が謎に包まれた人物はほかにいない。

楠木正成が、確かな実像として捉えられるのは、元弘元年の挙兵から建武3年の湊川での自刃までのわずか6年ほどの間の物語に過ぎないのです。

楠木正成は、もともとは河内一帯を中心に、水銀などを流通させていた豪族のようです。この水銀の利権をめぐって幕府と対立したことがきっかけ、という説もあるようですが、真偽は不明です。

時は、鎌倉時代末期です。


また一歩問題が有るがまともな判決に見えることが出来ました。
政教完全分離主義にたつ一部法曹界に改めて日本の歴史の変遷と神事・仏教行事との関係性についての無知な司法関係者の多いことを知る次第です。常識的判断も出来ない機械的理解者といえば失礼なことなのでしょうが、常識と乖離した法律が存在することが普通と思えるおかしな時代になってきています。


斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」―「白山比め神社訴訟」最高裁判決を批判する
 (「斎藤吉久の天皇学研究所」メールマガジン)


 1 宗教性を否定することが憲法の精神か by 斎藤吉久   ──「白山比め神社訴訟」最高裁判決を批判する

 先月下旬、最高裁は政教関係に関する、きわめて注目すべき、重要な判決を示しました。市長が神社の式年大祭の奉賛会に出席し、祝辞を述べたことが憲法の政教分離原則に反するかどうか、が争われた白山比め(口偏に羊、しらやまひめ)神社訴訟についての逆転合憲判決でした。

 合憲とした判断は当然だと思いますが、あたかも宗教性を否定するかのようなその論理にはかえって問題があるように思います。憲法はけっして宗教を否定してはいないからです。日本の宗教伝統に対する十分な理解を欠き、非宗教を推進するかのような判事たちの判断は弊害を生みかねないと私は考えます。


◇1 完全分離主義に立つ高裁判決

 問題とされた白山比め神社は、石川県の南部、白山市(旧鶴来町)に鎮座(ちんざ)します。加賀一ノ宮で、同時に、全国に3000社あまりあるといわれる白山神社の総本社ですから、知らない人はいません。霊峰白山を神体山とし、「石川県に世界遺産を」という世界遺産登録運動の中心の1つです。

 一昨年は御鎮座2100年というお祝いの年で、秋には50年に一度という大祭が予定されていました。そのため奉賛会が組織され、役員となった市長は5年前、市内ホールで開かれた奉賛会発会式に出席し、祝辞を述べたのです。

 これが政治と宗教(教会)の分離を定めた憲法の政教分離原則に反するとして住民が訴え、支出された1万6000円弱の公費の返還を求めたのが、そもそもの発端です。

 一審は原告の請求を棄却。しかし、これを不服とする住民が控訴、二審の名古屋高裁金沢支部は「市長の行為は、神社の大祭を奉賛・賛助する意義・目的を有し、特定の宗教団体に対して援助・助長・促進する効果を有するものといえる」と一審判決をくつがえす違憲判決を示しました。

 市長側は、「全国的に有名な神社の大祭は市の観光イベントでもあり、市長の参加は儀礼的行為」と主張しましたが、認められなかったと伝えられます。

 これまで指摘してきたように、二審判決はじつに怪しげです。それは次のような点からです。

(1)市長の祝辞の中身には触れず、市長の外形的行為についてのみ法的判断を下したこと。

(2)表向きはいわゆる目的・効果論に立ち、ゆるやかな分離主義を採用しているはずなのに、実際には宗教との関わりをいっさい認めない絶対分離主義の立場をとっていること。これでは市長は神社であれ、お寺であれ、およそ宗教団体と名のつくところとは交際ができなくなり、無宗教を掲げつつ、非宗教を援助・助長・促進することになること。

(3)神社の年祭は宗教活動で、これに伴う奉賛会活動に行政機関が参加することが憲法違反だとするならば、神社以外の記念行事などに行政が関わっていることも違憲となるが、そのような議論は聞いたことがなく、神社については厳格主義が採られ、他の宗教には限定主義が採られるというダブルスタンダードが促進されること。

 それなら、最高裁判決はどうだったのか。


◇2 市長の言い分を大きく認めた最高裁

 最高裁判決が注目されるのは、二審判決が認めなかった市長側の言い分を大きく認め、その結果、政治の宗教の分離による信教の自由の確保ではなく、かえって政治による非宗教の援助、助長、促進に走っていることです。

 つまり、二審では、事実関係として、宗教法人である神社の所在する白山周辺地域については、観光資源の保護開発、観光施設の整備を目的とする財団法人が設けられていることまでは認めたものの、市長が奉賛会発会式に出席し、祝辞を述べたことは、社会的儀礼化しているとは考えられないし、神社の大祭が観光イベントだとする市長側の主張は当たらないと退け、違憲判決を下しました。

 けれども最高裁は逆に、市長の行為が宗教との関わりがあることは否定しがたい、としながらも、同神社は観光資源としての側面があり、神社の大祭は観光上重要な行事であったというべきだとして、市長側の言い分を認めたのです。

 言い換えると、最高裁判決は、神社にとっては宗教的行事であっても、行政にとっては観光行事だと認められる。そのことにおいて、政治と宗教の分離が達成されている、という論理を展開したのです。市長は観光業者のトップセールスマンであり、神社のイベントは市長には観光業促進の商材に過ぎないから違憲ではない、というわけです。

 実際、最高裁が注目したのは、問題の奉賛会発会式が、(1)神社以外の一般施設で開かれた、(2)式次第に宗教的要素は認められない、(3)市長あいさつの内容は儀礼的で、宗教性はなかった、という事実でした。

 そのうえで、最高裁判決は、地元の観光振興に尽力すべき立場の市長が、宗教性のない儀礼的目的で出席し、祝辞を述べたのであって、特定の宗教を援助、助長、促進するような効果を持たない。だから憲法に違反しない、と結論づけたのです。

 市長あいさつの中身すら検討しなかった二審判決の怪しげさを克服した点では評価されます。実際、この判決を社会的常識にかなった妥当な判決だと評価する人もいるのですが、私は違うと考えています。

 その理由は、くり返しになりますが、(1)行政にとっての神社を観光資源だときわめて限定的に考えていること、(2)宗教性を否定することによって、政教分離原則を実現しようとすることは逆に、宗教の価値を認め、信教の自由を保障するという憲法の大原則に反すること、です。


◇3 観光資源と割り切れない

 第1に、白山比め神社が「宗教法人」であると認めている点では二審判決も最高裁判決も変わりません。

 当たり前のことで、たしかに宗教法人法上の宗教法人であることは間違いないのですが、同神社が2000年を超えて、この地にあるということは、「宗教法人」であることより、もっと広い意味があります。

 それがまさに日本の宗教伝統であるはずなのに、判決は、あるいは市長たちは、行政にとっての同社をもっぱら観光資源と割り切っている。そのことは祖先が築いてきた日本の宗教伝統の歴史に反することになると思います。

 白山比め神社は日本三大名山の一つとされる白山を女性神と仰いでいます。4県にまたがる火山はこの一帯の最高峰で、自然の宝庫です。2000年どころか、縄文時代以前にまでさかのぼるような地域の素朴な自然信仰が、やがて神社として発展していったことを十分にうかがわせます。

 戦後は一帯が国立公園になりましたが、同社の奥宮はむかしもいまも白山の頂上に鎮座しています。美しい景観、豊かな自然資源、人々の命の源であり、心の豊かさと尊い命を育んでくれる白山であればこそ、さまざまな信仰として発展を遂げたことは明らかです。現在の宗教法人としての神社はその結果です。

 そのような地域の歴史と文化に敬意を表して、地域住民の代表として、奉賛会設立に参加するというのなら理解できますが、観光業のセールスのため、端的にいえば、お金になるから参画するというのは、地域の歴史と文化をあまりに軽視している姿勢だといえませんか? 行政は白山の世界遺産登録運動を推進していますが、これまた地元観光業促進のためだというなら、了見が狭すぎて、見識を疑わざるを得ません。


◇4 法の番人が行う違憲行為

 第2に、最高裁は、奉賛会発会式の開催場所や式次第、市長あいさつの中身が非宗教的であり、儀礼の範囲にとどまることをもって、合憲だと認めていますが、逆にいえば、会場が境内の神社会館で、神社の祭祀にのっとっていたなら、違憲だと判断したのでしょうか?

 もしそうだとしたら、二審判決と同レベルになります。東京都慰霊堂での戦没者等の慰霊法要や旧水沢市のキリシタン領主祈願祭など、とくに仏教やキリスト教の宗教形式で行われている記念行事に公共団体の首長が参加しているケースは多々ありますから、影響は少なくありません。

 逆に、それらを不問に付して、神社の行事についてのみ問題視すれば、法の下の平等に反することになります。たとえば、全国の神社にはしばしば会館があり、主要な行事が行われますが、市長などの参加を求めるような行事は、会館を使用できない。神社の祭りの形式はとれない、というようなことになると、混乱は免れません。

 いずれにせよ、憲法は宗教の価値を認めているはずなのに、法の番人は宗教性というものを、とりわけ日本の宗教伝統である神道の宗教性について、まるで腫れ物に触るかのように避けている。私にはそのように見えて仕方がありません。

 そもそも日本の宗教伝統とはなにか、を歴史学的に深く解明し直さないかぎり、以上のような無用の混乱は続くのでしょう。そして、憲法が認めているはずもない行政による非宗教政策を、司法当局が援助、助長、促進することになります。つまり、司法自身が憲法に反する行為を行うことになります。

>【レポート】靖国の杜は燃えていました
ジャーナリスト 水間政憲


●戦後初めて、全閣僚が8月15日に靖国神社を参拝しませんでした。

これは、非常に判りやすい民主党政権の意思表明です。

民主党政権は、中韓の隷属政権と国内外に表明したことになります。

蝉も鳴きやむ燃え上がるような炎天下の靖国神社境内は、奴隷民主党政権に反発
するかのように、この数年間で一番の参拝者で溢れていました。


★手水、神門、拝殿の写真


また、反日左翼が大規模デモを予定しているとの情報が流れ、機動隊の大型装甲
バスが、市ヶ谷駅から九段下駅までの靖国通りに間隔をとり、40数台で臨戦態
勢の警備を実施しておりました。


★機動隊の写真


これほどの機動隊の姿を、いままで見たことがありませんでした。

これは、異常なことで、靖国神社をこのような警備体制になるまで放置した責任
は、国会議員並びに中国の奴隷に成り下がった「経団連」を中心とした経済人の
責任であり、その行為は万死に値する。
この国民の怒りは、「みんなで靖国神社を参拝する議員連盟」の国会議員にはわ
かるまい。

今年は、炎天下にも拘わらず足を引きずり、背中をまるめ、杖で支えながら英霊
に最後の慰霊に訪れたとおぼしき、80歳代のお年寄りの姿のなんと多いことよ
。境内の売店横で倒れて救急車で運ばれた老人もいました。


国会議員は、赤信号、みんなで渡れば怖くない。それも冷房のきいた車の後部座
席に座って、来賓者用の車寄せに横付けしての参拝。アリバイ作りで参拝に来て
あげましたぐらいにしか見えないのです。

保守を自任する国会議員よ。8月15日ぐらい、九段下駅とは言わないが、せめ
て第1鳥居前から、いまにも倒れてしまいそうな老人たちといっしょに、靖国の
参道を歩いて参拝して見るがよい。


「たちあがれ日本」が、参議院選挙公示3日前に、公党として初めて、靖国神社
の公式参拝を表明したが、遅きに失したことが残念でなりません。


国民の怒りは、危険水域に達した感があります。

それは、靖国境内に置かれていた一枚の写真が物語っていました。その写真には
、国賊三羽烏の菅首相・仙谷官房長官・岡田外務大臣が写っていました。そして
、写真には「ご自由にお踏みください」と、書かれていました。

★国賊三人の写真。


これら日本の国会議員にたいする下品なやり方は、中国の官製デモや反小泉純一
郎元首相への反日パフォーマンスが、中国全土で実施されていたとき、中国のイ
ンターネット上に溢れていた映像と同じようなものです。


温厚な日本人が、ここまで怒りを露わにして訴えかけ始めたことは、靖国境内だ
けでなく、全国的に爆発寸前のエネルギーが充満しているように思えてなりませ
ん。


その写真にたいして、ふらつく体を杖で支えながら歩いてきた老人が、歩みを止
め、何度となく杖で写真を突く姿に、民主党政権にたいする強い憤りが現れてお
りました。

また、その写真を踏みつけている中には、旧軍人さんのお孫さんとおぼしき若者
の姿もありました。

民主党の国会議員たちよ。国民の怒りは、限界点に達していることに気付くべき
なのだ。

このような憤りの中で、昨日は、嬉しいことが1つありました。

少し説明を要しますが、『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』が、アマゾ
ンに絶版扱いされたとき、『国民の遺書』も「在庫あり」から「通常2~4週間
以内に発送」に表示が変更になり、『朝日新聞……』が「通常1~3週間以内に
発送」に表示されたすぐ後に、『国民の遺書』も「通常1~3週間以内に発送」
になっていました。

そして『国民の遺書』は、この大事な時期に「2~4週間」は、さぞかし産経新
聞社も不満だったと思われますが、1日で「1~3週間」に変更したアマゾンが
ブレていたのは、一目瞭然で確認できました。

アマゾンの「歴史・地理」部門PCランキングの一位が『国民の遺書』で、2位が
『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』になっており、そのベスト10内で
「通常1~3週間以内に発送」との表示は、同2書だけです。


数日前、『国民の遺書』は総合ランキング2位を維持し、『朝日新聞が報道した
「日韓併合」の真実』は、同30位代を維持しておりました。

ここから核心です。


いくら民主党政権に憤っていても、伝統的保守の日本人であれば、心静かにお墓
参りや、仏壇に向かって頭をたれているであろうお盆の期間に、アマゾンの総合
ランキングが下がっても上がるようなことはないと信じておりました。

すると、昨日、『国民の遺書』は10位まで下がり、『朝日新聞……』は77位
まで、下がったのです。


お盆の行事を済ませて、個々に注文してくださった愛国心溢れている同士の皆様
には、深甚の謝意を表するものですが、マクロでの政治動向を鳥瞰する上で知り
たい客観的数値でした。

一番知りたい客観的数値は、日本人とは思えない反日左翼の動向でした。

そのサンプルに『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の動向を注目していま
したら、数日前の総合ランキング200位代から 、昨日はなんと同27位にまで
急上昇していたのです。

このようなところにも、反日左翼は、お盆なんか関係ないとばかりに、日本の伝
統文化の破壊者であっても、擁護者にはなり得ないことが客観的数値で読み取れ
、一時も早く解体しなくてはいけない対象であることを確信した次第です。


奇しくも、『国民の遺書』の編者の小林よしのり氏とは、「新しい歴史教科書を
つくる会」発足時のメンバーであり、『朝日新聞……』の記事に描かれている日
本人の心情を知る資料として、『国民の遺書』は最適な書籍として纏められてお
ります。

是非、表裏一体の資料として読んでいただけることを、切に願っております。

■【インターネットだけ転載フリー】《http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/

国連子どもの権利委員会に対する個人通報制度を定めた選択議定書採択をめぐる動き


子どもの権利条約個人通報制度の選択議定書策定の動きが激しくなりつつあります。今秋から来年の人権理事会・国連総会で採択される可能性もあります。
皆様、この動きのご注視ください。

子どもの権利条約個人通報制度の選択議定書策定の動きが予測されそうだという情報が出ています、日程が具体化してきている情報が入っています。この日程に振り回されるのではありませんが、この日程の流れに沿っていろんな動きがキャッチされると思いますので、注視ください。


【今後のスケジュール】
7月15日までに、人権理事会作業部会のステファニック議長より、選択議定書の議長案が提示予定

9月までに、同議長案を国連公用語に翻訳予定

9月ないし10月に、国連は政府代表、国連およびNGO関係者を招待して、再度、非公式協議を開催

12月6日より10日 国連人権理事会作業部会を開催して、選択議定書案を審議
(この作業部会で、選択議定書草案がまとまれば、2011年4月の人権理事会で提案されます)

国連子どもの権利委員会に対する個人通報制度を定めた選択議定書は、来年の国連総会で採択される可能性も出てきました。

日本でも、8月上旬に一度、正式な意見集約の場を持つ予定だそうです。
2011年4月の人権理事会で提案され議決されれば、「国連総会で採択」するよう国内各種左翼団体個人から政府へ圧力が組織されることが予測されます。
左翼の動きにご注視ください。



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英霊の御霊に心より感謝の誠を捧げます。

宗教学者、島薗進・東大大学院教授によるご批判をお知らせしました。先生のご反論に対して、佐藤氏がコメントを出されました。これまで2回に分けてお知らせしてきましたが、今回が3回目、最終回です。
新ためて、3回纏めて勉強させていただきます。


 平成22年8月15日発行               vol.149
 斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」
 (「斎藤吉久の天皇学研究所」メールマガジン)
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 当メルマガはこの春から数回にわたり、畏友・佐藤雉鳴氏の教育勅語論「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」を連載しました。

 その後、現代を代表する宗教学者、島薗進・東大大学院教授による批判を8月7日付のvol.146に掲載しました。
http://www.melma.com/backnumber_170937_4931746/

 今号は、これに対する佐藤さんの反論の3回目、最終回です。


 1 島薗東大大学院教授の3つのご指摘に答える by 佐藤雉鳴
   第3回 もはや教育勅語を悪者に仕立て上げているときではない 



 当メルマガで連載した拙論「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」について、著名な宗教学者である島薗進・東大大学院教授から3点にわたるご指摘を頂戴しました。
http://www.melma.com/backnumber_170937_4931746/

 今回は、ご指摘の第3点、教育勅語が批判されなければならないのは、国内の思想・良心の自由を制限する方向に機能したという点について、反論を試みたいと思います。

 島薗教授は近著『国家神道と日本人』の本文において、教育勅語をめぐる様々な論議や事件があったことを述べておられます(P41)。

 そして、拙論に対しては、くり返しになりますが、こう述べておられます。

「国家神道や教育勅語が今日、批判されなければならないのは、対外的な攻撃的政策に関わったからだけではない。国内の思想・良心の自由を制限する方向に機能したことにもよっている。佐藤さんの議論は、こちらの側面についても意識されてはいるが、あまり踏み込んでいないように思える」

 ここは大変重要なご指摘です。

 帝国憲法のもっとも権威ある解説書は伊藤博文『憲法義解』ですが、井上毅の筆になったことは明らかにされています。したがって、帝国憲法・『憲法義解』・教育勅語は順接で結ばれています。つまり、近代史を理解するには三者を総合的に検討する必要があります。


◇1 精査されていない戦前の重要文書

 しかし島薗教授の研究には、戦後の諸研究が踏襲されることはあっても、戦前の重要文書が十分に精査されていないように見えます。

 たとえば、昭和戦前期を象徴する天皇機関説排撃を考えてみます。渦中の人である美濃部達吉『憲法撮要』『逐条憲法精義』を読むと、じつのところ『憲法義解』に副ったものであることが分かります。

 明治憲法に精通している中川八洋筑波大学名誉教授も「“明治憲法のコメンタリー”として、学問的に一流で、おかしなところなどどこにもない天皇機関説」(『山本五十六の大罪』P325)と記しています。

 ゆえに美濃部達吉のいわゆる天皇機関説は帝国憲法・『憲法義解』、そして教育勅語と順接で結ばれているといってよいと思います。

 その天皇機関説排撃から国体明徴運動となり、文部省『国体の本義』『臣民の道』が出版されました。したがって、『国体の本義』『臣民の道』は帝国憲法・『憲法義解』・教育勅語と逆接の関係です。

 島薗教授は『現代日本の思想』から久野収の「顕教・密教」論を第4章に引用(P177)されていますが、帝国憲法に「顕教=天皇絶対君主説」は存在しません。帝国憲法第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬し、此の憲法の条規に依り之を行ふ」がそれを示しています。

 さらに島薗教授は、福田義也『教育勅語の社会史』から、帝国憲法・教育勅語では天皇は神ではなく、『国体の本義』では天皇は現人神(あらひとがみ)であった、ということを引用されています。

 帝国憲法・教育勅語と『国体の本義』は逆接ですから、その通りです。天皇現御神(あきつみかみ)論と天皇御親政論は前者になく、後者に特徴的です。

 統帥権干犯論から五・一五事件となり、天皇機関説排撃から二・二六事件が起きました。テロに襲われた要人は帝国憲法遵守派でした。

 そして本当の意味で思想・良心の自由が制限されたのは、統帥権干犯論や天皇機関説排撃で憲法蹂躙(じゅうりん)時代となった昭和戦前ではないでしょうか?

 教育勅語がそのように機能したのではなく、教育勅語の曲解が、そして教育勅語に違背した『国体の本義』『臣民の道』が人々の自由を制限したのではないでしょうか?


◇2 国家神道の発生原因は詔勅解釈の誤りにある

 『国体の本義』は、詔勅解釈の誤りが反映されています。現御神は宣命(せんみょう)において、「現御神止(と)」と「止」がついて、「現御神と天下(あめのした)しろしめす」と用いられています。「現御神止」は「しろしめす」の副詞であり、天皇=現御神という意味に解釈すべきではありません。

 以上のことは、本居宣長『続紀歴朝詔詞解』『直毘霊』、池辺義象『皇室』、木下道雄『宮中見聞録』に明らかです。木下道雄の「自称」は思い違いですが、天皇が自らを現御神と宣言されたものは一つも存在しません。詳細は私のホーム・ページの「人間宣言異聞」に書きました。
http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/ningensengen.html

 また、島薗教授の『国家神道と日本人』の第五章には戦後の天皇不親政論が紹介されていますが、帝国憲法下においても、前述のとおり憲法第4条から天皇御親政論は誤りです。

 つまり『国体の本義』は帝国憲法を蹂躙(じゅうりん)し、教育勅語に違背したものだとの分析が説得力をもつと思います。明治中期以降の誤った詔勅解釈を踏襲した著述者たちが、『国体の本義』をまとめたことが原因です。

 「教育に関する勅語」と「新日本建設に関する詔書」(いわゆる「人間宣言」)の誤った解釈が戦後の我が国を支配しています。

 国家神道や天皇現御神(現人神)論の発生原因は詔勅解釈の誤りにあった、と言っても過言ではないと思います。今こそ詔勅学の構築がなされるべきではないでしょうか?

 『国家神道と日本人』の第一章に記されている、勅語渙発(かんぱつ)後におきた「不敬事件」等は、やはり残念なことだったと思います。しかし柏木義円や新渡戸稲造の教育勅語観からすると、問題の本質が勅語の内容にあったとは思えず、やはり極端な神格化に原因があったと思います。


◇3 神道指令の「国家神道」解明こそが最優先課題

 さてそれでは、いま学問的に何が求められているのでしょうか?

 GHQ職員のウッダードはのちに次のように述べています。

「日本の政治学者や思想家は、日本の「国体」にさまざまな解釈を与えた。しかしわれわれの関心は、(1)一九三〇年代および一九四〇年代初期に極端な超国家主義者と軍国主義者が「国体」について行った解釈、(2)警察国家の権力によって日本国民にカルトとして強制された「国体」の教義および実践活動、に限られる」(『天皇と神道』P9)。

 GHQが考える「国家神道」は時代がきわめて限られています。

 他方、島薗教授の『国家神道と日本人』第二章(P80)で語られている1908年の帝国議会で用いられた「国家神道」は小田貫一の発言ですが、「国家的神道」とも言っており、内容は同じです。しかしそこに「世界征服」思想はありません。神道指令の国家神道とは明確に区別するべきかと思います。

 『国家神道と日本人』の対象とする広い意味の国家神道(私が思うに国家的神道)と私が追求した神道指令の国家神道とは、そもそもターゲットが異なります。

 神社行政史から国家神道を追及すると、島薗教授のいわれるように、「制度史に力をおいて考えていくと、イデオロギーをも含んだ国家神道の歴史はわずか数年ということになってしまう」というのはよく理解できます。上のウッダードらの発言を重要視すれば、必然的にそうなるでしょう。

 神道指令の国家神道こそ、いま解明すべき最優先のテーマであると思います。


◇4 杜撰(ずさん)な政教関係裁判に拍車をかける

 島薗教授の『国家神道と日本人』では全体として、きわめて批判的な国家神道研究の先駆者である宗教学者の村上重良『国家神道』を評価されていますが、それは日本の宗教学研究の停滞を示すだけでなく、政教分離裁判の混迷に拍車をかけるものといえます。

 たとえば、次のA・Bいずれが村上重良の文章かわかるでしょうか?

A「そしてかようないわゆる国家神道は単なる宗教ではないとして、キリスト教や仏教と区別され、国民はめいめいの信仰のいかんに拘らず神社には崇敬の誠をつくすべきものとされたのである。この状態は明治維新からこの度の終戦まで約八十年間続いた」

B「国家神道は、二十数年前まで、われわれ日本国民を支配していた国家宗教であり、宗教的政治制度であった。明治維新から太平洋戦争の敗戦にいたる約八〇年間、国家神道は、日本の宗教はもとより、国民の生活意識のすみずみにいたるまで、広く深い影響を及ぼした」

 Aは昭和24年、岸本英夫東大名誉教授が「神道とは何か」のタイトルで書いたものです。そしてBが昭和45年、村上重良『国家神道』にあるものです。

 岸本英夫は渋川謙一元神社本庁事務局長から「どちらかというとGHQの側から活動した人」といわれたGHQの日本人助言者でした。Aは昭和24年の段階で、さしたる根拠もなく、漠然と書かれたものだと推測できます。

 おそらくは、先に引用したダイクGHQ民間情報教育局長の次の談話が根拠だろうと推測できます。

「誤った他民族に対する優越感を與へてゐた『神の子』として侵略その他の蛮行がすべて合理化されたのは明治以来の官製神道の教義によるものである」ダイク(「朝日新聞」1945年12月17日)。

 しかし明治維新から「世界征服思想の教義」をもつ国家神道などあるはずがありません。

 以下は昭和四十六年五月に下された「津地鎮祭訴訟」の名古屋高裁判決(違憲判決)にあるものです。

「昭和20年(一九四五年)の敗戦に至るまで約八〇年間、神社は国教的地位を保持し、旧憲法の信教の自由に関する規定は空文化された」(神社本庁『津地鎮祭裁判資料集』)

 しかし法令上に国教が存在しなかったことは同裁判の最高裁判決(合憲判決)に明記されました(同)。

 この名古屋高裁判決の文章の根拠がダイクや岸本英夫を受け売りした村上重良『国家神道』にあるといわれて否定できるでしょうか?(名古屋高裁は『国家神道』を証拠として採用しました)。

 バンスGHQ宗教課長は、のちにインタビューに答えて「ケン・ダイクの在任中に行った政策では、神道指令が最高だったと、彼自身、後になって言っていました」と語りました(竹前栄治『日本占領』)。

 神道指令は今日に至るまで多大な影響を及ぼしています。GHQは国家神道の主な聖典は教育勅語だと断定しました。その教育勅語と国家神道との関係がなぜ研究されなかったのか、私には知る由もありません。

 我が国の政教関係は混迷の度を増しています。やはり神道指令の国家神道を解明しない限り、実のある政教論争とはならないのではないでしょうか?


◇5 史実の整理では「教育勅語後遺症」を克服できない

 教育学者の貝塚茂樹武蔵野大学教授は『現代教育科学』平成22年6月号において、「急がれる「教育勅語後遺症」の克服」を書かれました。

「道徳教育には目標となる道徳的価値(徳目)が必要である。たしかに、学習指導要領にも道徳的価値は列挙されているが、教育勅語が十分に清算されず、戦後教育がこれに正面から向き合うことがなかったために、戦後教育は総じて道徳的価値(徳目)を明確にすることに否定的であり、これを「教える」ことには極めて消極的である」(P115)

 まさしく「教育勅語が十分に清算されず」に今日まで至ったことは、我が国知識人全員の怠慢であると思います。

 島薗教授の『国家神道と日本人』をはじめ、これまでの国家神道論では、歴史上に起きた事柄が正確に整理され、かつリアルに著述されています。しかし今やその事柄の原因を正しく解明する時期にきていると思います。

 おそらくは「教育勅語の十分な清算」が、徳育問題や政教問題を混迷から救う唯一の道になるのではないかと考えています。

 以上、島薗教授から頂戴したご指摘3点について、深い感謝の意を込めつつ、私なりにコメントさせていただきました。最後になりましたが、ご研究の今後の発展を心から願ってやみません。(おわり)



私共、家族の絆を守る会は、8月10日、外務省に赴き、人権人道課に、以下の意見
書を手交しましたので、お知らせします。
http://familyvalueofjapan.blog100.fc2.com/

「児童の権利委員会『最終見解』への、日本政府及び外務省の対応に関する意見書」

NPO法人 家族の絆を守る会
理事長  古賀俊昭
副理事長  渡辺 眞
事務局長  岡本明子

児童の権利委員会から出された「最終見解」に関して、私達、家族の絆を守る会は、
外務省人権人道課を通して、日本政府及び外務省に対して意見を申し上げます。
尚、左記の意見書に関しての対応と見解を、文書にて回答下さるよう、お願い致しま
す。

児童の権利委員会は、日本政府の第三回報告書を審査し、六月二十日に「最終見解」
を発表しました。この「最終見解」に記載された提案と勧告に対し、条約の第四十五
条(d)に則り、日本政府は意見を述べる権利があります。今回は、以下に述べる委
員会の公正さを欠く「最終見解」に対して、政府は日本を代表して意見を述べる義務
があると、私達は考えています。私達が公正さを欠いていると指摘するのは、以下に
述べるとおりであります。

今回、児童の権利委員会は、一度出した「最終見解」内容を、日本に何の通告もな
く、一方的に差し替え、また委員会審査の場で議論に至らなかった、或いは全く議題
にも上らなかった歴史教科書の問題、「少数民族」への差別問題を、勧告として追加
しました。これについて私達は、公正さを欠くものであり、児童の権利委員会を傍聴
した者として、また日本国民として、非常に遺憾に思っております。

又、この勧告内容変更については、児童の権利委員会委員長である韓国籍を持つ李亮
喜氏の意向が強く働いたものであり、利害・見解をめぐり係争中の当事国出身の者
(李委員長)が、その職や地位を利用して、相手方の当事国に、係争中の問題につい
て、一方的な断罪を公的に下すなどということは、絶対にあってはならないことであ
ると思っております。
私達が李氏の意向が強く反映したと断じたのは、韓国の「聯合ニュース」の報道によ
るものです。聯合ニュースは六月十六日の報道で、李氏が前回第二回日本審査の担当
者で、「今回も歴史教科書と朝鮮学校差別問題を積極的に提起した」と李氏自身の言
葉も交えて伝えました。ところが今回、李氏は日本国審査には参加しておらず、李氏
が自身の意見を提起する機会は、審査後、或いは最初の「最終見解」発表後しか無
かったからであり、今回の日本担当者が作成した「最終見解」の内容を変更するに際
して、「委員長」の職権を以て、李氏の意向を強く反映したためであろうと思いま
す。

日本政府・外務省は、児童の権利委員会に対して、まず「最終見解」の変更の経緯を
質し、委員会、李亮喜委員長の公正さを欠く行為に対して、断固抗議すべきであると
考えます。
  平成二十二年八月

外務省 人権人道課 志野課長殿

NPO法人家族の絆を守る会(FAVS)
事務局長 岡本明子
FAVSブログ http://familyvalueofjapan.blog100.fc2.com/
会費振替先
郵便振替番号 00160-4-412032
加入者名 NPO法人 家族の絆を守る会
正会員  年会費  5,000 円
団体会員 年会費 10,000 円
賛助会員  一口 10,000 円以上


前回は、島薗進・東大大学院教授の批判が掲載されましたが、当の佐藤雉鳴様は如何に反論なさるのか、楽しみにしていましたが、今回から3回にわたって反論がご紹介されるようです。
楽しみです。互いの主張と理解の深まりが見られるのも、研究者の心意気を感じて、拝読させていただくものとして、これ以上に興味が高まるものはありません。非常に高興です。


斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」
 (「斎藤吉久の天皇学研究所」メールマガジン)
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 前回は、畏友・佐藤雉鳴氏の教育勅語論「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」に対する島薗進・東大大学院教授の批判を掲載しました。

 今号からは、3回にわたり、佐藤さんの反論を載せます。


 1 島薗東大大学院教授の3つのご指摘に答える by 佐藤雉鳴

   第1回 教育勅語の「中外」を「国の内外」と解釈するのは無理がある

◇1 起草者の意図を示す確実な文献があれば

島薗進・東大大学院教授から教育勅語と国家神道に関する拙論に関し、丁寧な3つのご指摘をいただきました。島薗教授ならびに当メール・マガジン発行者で天皇学研究所の斎藤吉久所長に対し、深く感謝申し上げます。

 そのうえで、ご指摘の3点についてコメントしたいと思います。それがご多忙のなか、拙論に目を通し、ご批判くださったことへの礼儀だと考えるからです。

 今回はご指摘の第一点、教育勅語の冒頭にある「中外」の語が、「宮廷の内外」という意味だけなのか、という指摘に対して、反論します。

 島薗教授の近著『国家神道と日本人』(岩波新書)は、第一章4「宗教史から見た帝国憲法と教育勅語」に教育勅語の解説が述べられています。

「国家神道とは何かを知る上で教育勅語がもつ意義は、いくら強調しても強調しすぎることはない」(P38)

 GHQのスタッフは教育勅語を国家神道の「聖典」と断定しましたから、おっしゃるとおりだと思います。そのうえで教授は「中外」を含む文章を次のように解説されています。

(之ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラズ)
「しかし、他方、それは日本という限定された範囲を超え、普遍性をもつものだ、とも主張されている」(P38)

 教育勅語は公開文書ですから、解釈は読み手に委(ゆだ)ねられます。解釈は原則として自由です。しかし私のテーマは、起草者の意図と解説書の解釈との違い、そしてそれがもたらした甚大な影響の追求です。

 私は文献資料から「中外」を解釈しました。したがってこれを否定する起草者の確実な文献資料等が示されれば、再検討しなければなりません。


◇2 明治以前の詔勅では「宮廷の内外」の意味がほとんど

 島薗教授から、明治天皇の詔勅では「中外」が大部分「国の内外」の意で用いられており、教育勅語の「中外」を「宮廷の内外」とするのは無理があるのではないか、とのご指摘がありました。そのことについて、補足させていただきたいと思います。

 拙著『国家神道は生きている』において、「中外」には主要な2つの用例があることを述べました(P124)。「宮廷の内外」と「国の内外」です。

 「中外」に「宮廷の内外」の意があることは、現在ではあまり知られていないので、拙著では少なくとも「国の内外」だけではないことを示しておきました。

 そこで、この機会に明治天皇以前の詔勅から「中外」を「宮廷の内外」「朝廷と民間」として用いた例をあげてみます。

 『みことのり』(平成7年錦正社版)から以下に引用します。

第857詔
仁明天皇承和2年『皇子を臣籍に降下せしめ給ふの勅』
「宜しく中外に告げて、咸(ことごと)く聞知せしむべし」

第870詔
同承和5年『皇太子恒貞親王の御元服に際して下されし詔』
「承和四年以往言上の租税の未納なるものは、咸(みな)免除に従へ。普(あまね)く中外に告げて、此の意を知らしめよ」

第1210詔
仁孝天皇天保15年『皇太子統仁親王御元服の詔』
「高年八十以上及び鰥寡(かんか=妻のない男と夫のない女)孤独にして自存すること能はざる者には、数を量りて物を給へ。普く中外に告げて、此の意を知らしめよ」

 これらの「中外」は数々の詔勅にある、「普く遐邇(かじ)に告げて」の「遐邇(遠い所と近い所)」と同じ意味であり、文脈から「宮廷の内外」「中央と地方」、転じて「全国(民)」です。内政に関することであり、外国は関係がありません。

第1247詔
孝明天皇安政3年『藤原尚忠に万機を関白せしめ給ふの詔』
「良相朝に升(のぼ)れば、則ち陰陽自ら其の燮理(しょうり)に適ひ、元臣事を立つれば、則ち中外遍(あまね)く其の調和を被る」
(良き宰相が朝廷に昇れば、即ち対立するものはやわらいで整い、優れた臣下が事をなせば、即ち朝廷と民間はあまねく調和する)

 この「中外」は文脈から「朝廷と民間」と解釈して妥当です。「国の内外」では意味が通じません。

 じつは、明治天皇以前の詔勅では「中外」は「宮廷の内外」の意で用いられているものがほとんどです。「中外」が「国の内外」の意味で用いられはじめたのは、明治になって諸外国との関係が深くなってから、と考えてもよいほどです。


◇3 明治前半期における要人たちの「中外」

 教育勅語渙発(かんぱつ)までの間に書かれたもので、宮中近くにいた要人たちの文章から「中外」を読んでみます。

「十二月二十九日同僚相議して、曰(いわく)勤倹の旨、真の叡慮に発せり。是(これ)誠に天下の幸、速(すみやか)に中外に公布せられ施教の方鍼(ほうしん)を定めらるべしと」(『元田永孚文書』第一巻P176)

 明治11年8月30日から同年11月9日までの北陸東海両道巡幸から戻られた天皇は、各地の実態をご覧になったことから、岩倉右大臣へ民政教育について叡慮(えいりょ)あらせられました。侍補たちは明年政始の時に「勤倹の詔」が渙発されることを岩倉右大臣に懇請しました。上はその時の文章です。

 あくまで国内の民政教育についてです。「速に中外に公布」は「すみやかに全国(民)に公表して知らせる」です。これは教育勅語の「中外」と同じ用法であり、どう読んでも外国は関係がありません。

「大臣の奉勅対署は大臣担当の権と責任の義を中外に表示する者なり」(稲田正次『明治憲法成立史 下』P55)

 井上毅(いのうえこわし)による、いわゆる憲法の初稿説明にある文章です。法律と勅令に関する大臣の副署についての説明であり、大臣の副署のないものは詔命としての効力はないというものです。その副署は大臣の権と責任を「宮廷の内外」「全国」に表示するもの、と解釈して妥当です。文脈からこの「中外」を「国の内外」と解釈する根拠がありません。

「而(しか)して其一策たる、聖上還御の前に当て間を請ふて天皇に謁見し、憲法制定の今日に止むべからざる所以を具状し、更に内閣外に就て憲法制定論の賛成者を求め、中外の声援に依て其制定の議を断行する、是れ也。(中略)即ち在廷官吏の鏘々(金へんに将。そうそう)たるもの及び在野負望の士にして其影嚮(えいきょう)を内閣の議に及ぼすに足るべきものを求むるを謂ふ也。(中略)是を以て今我党に於て朝野の賛成者を求むるの策最も之が巧妙を尽し、厳に後患を予備せざるを得ず」(『小野梓全集』第三巻P144)

 大隈重信とともに立憲改進党を組織し、東京専門学校(早稲田大学の前身)を創設した小野梓の「若我自当(もしわれみずからあたらば)」(明治14年)にある文章です。文脈から「中外の声援」と「朝野の賛成者」は整合しますから、「中外」は「朝廷と民間」です。

 小野梓には「勤王論」もあって、幕府について語っているところでは「中外皆な関東の人士を以て之を制し」(同P186)と記しています。「中外」は「中央と地方」つまり「全国」です。外国はイメージされていません。

 また「今政十宜」では藤原氏や平氏その他の特定少数者による政治の専有を批判し、「聖上登祚(とうそ)ましませし以来?々(しばしば)明詔を垂させ給ひ中外の衆庶に詔示し給ひ、衆庶も夫の明詔に薫陶せられ深く其切なるを感銘したるものなれば、……」(同P160)と記しています。「中外の衆庶」は「全国の人々」と解釈して妥当です。

 明治20年8月12日付の板垣退助による上書にも「中外」が用いられています。

「また伊藤に対しては、総理大臣宮内の長官を兼ね陛下の威福を藉(かり)りて中外に号令し専恣(せんし)の欲を遂げ一人の利をなさんとす」(稲田正次『明治憲法成立史 下』P484)

 伊藤博文はどちらも初代の総理大臣でありかつ宮内大臣でした。府中と宮中の長だから、「中外に号令し」は「宮廷の内外」に「号令し」です。もし「中外」が「日本と外国」とすると、少なくとも「外国に号令」はあり得ませんから、この解釈は成立しません。


◇4 「国の内外」と解釈する明確な根拠はあるか

 私の調査では、起草者の井上毅と元田永孚(もとだながさね)の教育勅語に関する資料に「中外」を「国の内外」とするものは見つけられませんでした。また「樹徳(徳を樹[た]つる)」が五倫五常の「徳目の樹立」であるとすることの根拠も見つけられませんでした。

 これまで教育勅語の解釈に言及した研究者たちは、以下の2つの文章を読み誤ったと断定しても過言ではないと思います。

「五倫と生理との関係」(『井上毅伝』史料篇第三)
「勅語衍義-井上毅修正本」(『國學院大學日本文化研究所紀要99』は解説付)

 これらは非常に誤解されやすい文章ですが、平成20年3月、國學院大學日本文化研究所から『井上毅伝』史料篇補遺第二が出版されました。詳細は省きますが、この中に「倫理ト生理学トノ関係」(「梧陰文庫B―三〇二五」)及び「梧陰文庫!)―四五九」が公開されて、誤解は解消されることとなりました。

 教育勅語に関心のある方々に、教育勅語の「中外」を「国の内外」とする明確な根拠があればぜひ教えていただきたいと思います。なお起草者の意図ですから、井上毅と元田永孚らの資料に限ることはいうまでもありません。


◇5 「中外」の解釈に批判がなかった理由

 島薗教授からは、「井上哲次郎を初めとして、多くの人々が「国中と国外」と「解釈し、それが正面から批判されてこなかったという歴史的事実がある」とのご指摘もありました。

 ご指摘のとおり、批判がなかったことは確かに歴史的事実です。大正初め、市村光恵法学博士は上杉慎吉を批判してこう語りました。

「唯勅語なるが故に完全無欠なりと唱えて、勅語の神聖を主張せむとするものあるに似たり(中略)勅語の導きは独り夫れが勅語たるの点にのみ止まらず、又実に其の内容が、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外に施して悖(もと)らざるに因る」(大正ニュース事典)

 当時、勅語だから(=天皇のお言葉だから)正しい、との言説のあったことが分かります。

 またその後の教育勅語の解説者たちは、唯一天覧に供し、官定解釈とも公定註釈書ともいわれた井上哲次郎著・芳川顕正叙・中村正直閲『勅語衍義(えんぎ)』を妄信したに過ぎないと思います。

 のちの研究者たちが奉戴(ほうたい)したのは、明治大帝の教育勅語よりも、この『勅語衍義』だといっても過言ではないと思います。現在の人々が国民道徳協会の口語訳文を無批判に奉戴していることと同じです。

 加えて勅語渙発記念講演等において、金子堅太郎や杉浦重剛らが「中外」を「国の内外」と広めましたから、批判の生ずる余地はなかったのかもしれません。

 昭和14年に一度だけ訂正の機会がありました。しかし議論は権威におもねる和辻哲郎によって封殺されたことが記録に残っています(『続・現代史資料9』P399)。

 実際のところは終戦まで、誤った解釈でも問題は生じませんでした。そして戦後は日本国憲法において、詔勅は効力を有さないとされました。以後今日まで、「成立史」の研究はあるものの、教育勅語の「解釈」については先行研究をなぞるのみで、新たな知見は発表されませんでした。

 元田永孚は明治24年、井上毅は同28年に他界しましたから、教育勅語のその後については知る由もありません。明治天皇は「勅語衍義稿本」にご不満であり(『明治天皇紀』巻七P807)、井上毅は否定的でした。


◇6 日本人の謝った解釈を鵜呑みにしたGHQ

 GHQは「之を中外に施して悖らず」が世界征服の表現だと見なしました(神谷美恵子著作集9『遍歴』P233、『続・現代史資料10』P276ドノヴァンの覚書)。日本人の解釈を鵜呑みにして、「国の内外」としたのです。

 教育勅語の「之」=「斯の道」が「徳目」から「肇国(ちょうこく)の理想」へと変遷し、それを「四海に宣布」=「中外に施して悖らず」だったのですから、GHQがいうのも無理はありません。

 井上毅は帝国憲法第28条(信教の自由)に抵触しないよう慎重でした。そこで元田永孚への書簡に、「斯道也の下、実に、の一字不可欠」と記しました。

 「斯の道」が哲理や信念ではなく、歴史事実であることから「実に」に固執し、「中外に施して悖らず」(全国(民)に示して道理に反しない)という草案にした、と考えて妥当ではないでしょうか。

 井上毅は教育勅語の草案を金子堅太郎に見せ、「君だけは憲法制定の頃から一緒にやってきたのだから」(『教育勅語の由来と海外における感化』P13)と相談しました。

 教育勅語が政事命令と受け取られないか、憲法に抵触しないかどうかと訊(き)いたのです。しかし金子堅太郎は教育勅語の徳目がキリスト教の教義に悖らないかどうか、の相談だと誤解しました。

 それが証拠に、井上毅や元田永孚に教育勅語の徳目とキリスト教の教義を比較検討した資料はありません。

 島薗教授は拙論に対して、「中外」は「朝廷の内外」の意味だけか、と指摘されました。「中外」には「国の内外」と「宮廷の内外」の2つの意味があり、もちろん前者と解釈すべき用例もあります。けれども、教育勅語に関しては、教授がおっしゃるように「宮廷の内外」と解釈することに無理があるのではなく、「国の内外」と解釈することこそ無理なのです。


 ☆斎藤吉久注 筆者の了解を得て、ネット読者の便宜を考慮し、見出しを付け、改行を増やすなど適宜、編集を加えています。

下記の質問書を人権政策課へ送信しましたのでお知らせします。



八尾市人権政策課御中



暑中ものともせず、公務に勤しまれご苦労様です。小生の質問に対して8月6日付けで回答をいただきました。基本的には人権政策課としての回答と納得できる部分もありますが、なおかつ、再確認したき諸点がありますのでお尋ねします。



問1 八尾市はセンシティブ情報と位置づけていますが、法(個人情報保護法)にこの「センシティブ情報」についての規定はないものと思量しています。すなわち事業者の自主性に任されている性質のものといえます。八尾市も法に則って規定していませんね。八尾市も、事業者の自主性に任されている分野にまで個人情報と牽強付会して個人にまで適応しようとしていませんか。



問2「人種・民族・出生地・本籍地など、社会的差別の原因となる情報」については、一般的に「センシティブ情報」とされており、慎重な取り扱いをしているところです。と回答しています。 本市においても、同和地区かどうかの問い合わせについては、このセンシティブ情報に該当するものとして、その取り扱いに配慮しております。と回答しています。



なるほど「センシティブ情報」に該当するとして、禁止しているのではなくて「配慮している」と表現を変えたのですから、禁止していないことを確認しました。間違いありませんね。従って今回の住民からの問い合わせには禁止しているが如きニュアンスでの回答はしていないでしょうね。そうでないなら越権行為といわざるを得ません。



問3 ところが、同和地区かどうかの問い合わせについては、何故「社会的差別の原因となる情報」なのか一向に理解できません。法とか条例に「人種・民族・出生地・本籍地などが、特定の個人への社会的差別の原因となるのは理解します。しかし、実際には出生地、本籍の問い合わせに比較して同和地区かどうかの問い合わせが特段に多いことは自明のことながら、法の具体例にも記載されていないことは、根底から「社会的差別の原因となる情報」に該当しないこととして、しかも個人情報ではないという認識を法は持っていたからと考えざるを得ません。このことを認められますか。



問4 ここに先ほど指摘した牽強付会があるのです。例えば「××が同和地区である」ことを公然と行政が公表することができないから、個人とまったく無関係なことまで「個人情報と」と牽強付会して、それを理由として、公表できないことと便宜上しているだけではありませんか。「同和地区かどうかの問い合わせ」は特定の個人に対する個人情報とは無関係な牽強付会以外の何ものでもありません。

あえていうなら、八尾市の○や××が同和地区であることは、これまでの解同と行政が特定の地域に被差別住民を閉じ込め、固定化させてきた結果であり、住民に「地域を聞くな」と質問した側に責任を負わせるようなことは、筋違いでもあります。



明確に言えばいいのです「××地域は同和対策特別法失効以後同和地域ではありません.八尾市には同和地区は存在していません」と。このように回答することはできませんか。



問5 同和地域かどうかの問い合わせは「人の生命、身体、財産等の保護」とはまったく無関係であります。問い合わせが「人の生命、身体、財産等の保護」と大いに関係がある個人情報であることを証明してください。「その他公共の安全と秩序の維持に支障が生ずると認められる個人情報」とありますが、「同和地区かどうかの問い合わせ」のどこに「公共の安全と秩序の維持に支障が生ずると認められ」ますか。回答ください。「認められる」と言う表現は、意図的に「認めよう」とする意志がが働かない限りが認識できない判断です同和地区かどうかの問い合わせは別の問題です。



問6 この度の事象では、「同和地区に小学生の子どもと引越しするのは不安だから」という内容の発言をされており、忌避意識を示した内容であるため、「差別につながる」と考えております、と行政は考えているということなのでしょうが小生にすれば、住民があるいは転居予定者がその意識を持つのは当然のことだと思っていますです。最近は身近に部落解放同盟とそれに組織されている集団が、恐ろしい集団であるという経験をしていませんのでこれまで感じていた感覚が若干変化していることはありますが、不安に感じるのは至極当然のことであって、その意識が「差別につながる」からと決め付ける行政はいったい何様のつもりでいるのかと問いたいものです。小生としては、生命の危機を感じた暴力利権集団部落解放同盟から「矢田教育差別事件」に巻き込まれ集団糾弾を受け恐怖に苛まされた四十数年前の経験を持つ身としては、少なくとも「同和地区に小学生の子どもと一緒に引越しするのは不安だから」と言う意識は当然至極といいたい。それに対して「差別につながる」とお上面した行政の言い分は絶対に許すことはできない。発言の撤回を求めるものです。



問7 先の回答に「関係者各位との協議も含め、最終的には当課において「差別落書き」と判断した事象を報告作成しております」とありますが、関係者各位と協議しているとのことですが、関係者とは具体的にどのような人か教えてください。まさか暴力利権革命集団部落解放同盟員と協議していることはないでしょうね。



問8「差別落書き」と一般的な「落書き」との違いは何処にあるのですか。の質問に、「直接的な蔑称・賎称語、またはそれらに類する、想定させるような表現といった「差別性の有無」に違いがあると考えております」と回答いただきました。

直接的な蔑称・賎称語とは具体的になんでしょうか。昔なら判るのですが、最近は当事者以外には通用・判明しない言葉はありません。すぐに判明できる昔ながらの「「直接的な蔑称・賎称語」は使われていないでしょう。そこで編み出した表現が、『類する、想定させるような表現といった「差別性の有無」』と言う言葉を使い、具体性のない抽象的な表現でごまかそうとする魂胆が見え見えであります。結論は一般的な落書きそのものであることの逆証明でもあるといえるのではありませんか。

あえて言うなら「差別落書き」などの例示をあげて差別が無くなっていないことを例示したい特定の団体、行政のつくり事でしょう。東京とか福岡で一世を風靡した「差別はがき」「差別落書き」と同じ類でしょう。公開請求しても公開しないで隠し通すところに正体がばれるのを恐れるからと言いようがないが違いますか。







問9「外国人児童のいる学校の学力」に関する回答に、「事実誤認に基づくものがあり」と断定されていますが、この説明では当事者以外に判断、納得出来るものではありません。いかような事実誤認があったのですか。どのような事実誤認が忌避意識につながるのか具体的に説明してください。との問いに



→学力低下の理由が全て外国人児童の存在に起因している、つまり外国人児童がいれば他の児童の学力が下がってしまう、他の児童に悪影響を及ぼすとの認識が事実誤認にあたると考えております。との回答ですが、外国人の児童が存在していても、児童の学力が下がるというのも、児童に悪影響を及ぼすと考えるのも、事実誤認であるなら、例えば学力の低下は事実誤認という実例を数字で挙げていただきたい。

また、当課及び関係各課により、発言者本人に対し、後日事情聴取した際、発言者本人からも、発言の趣旨について、コミュニケーション不足に起因する地域での生活上の様々な問題点や課題があるという点を説明できなかったとの返答を得ております。しかし、そのときの問答の記録もなく、冷静な立会い者もいないのでありますから、行政のこのような説明は一方的なものとしか理解できません。今後は冷静な第三者同伴の上での調査をされるのが通常とされるようお願いします。以上質問するものです。15日以内の回答をお待ちしています。

         平成22年8月10日


                         







この古森さんの記事お読み驚愕しました。
今でもアメリカにロシアにスパイが暗躍していたと言うのだ。
何故日本にスパイ防止法がないのか。中国や北朝鮮へ輸出禁止物を輸出して逮捕されている日本人や在日・朝鮮人がウヨウヨと居るのに。おまけに民主党革命政権内にも多くのスパイが入り込んでいると考えられるのに、「好きなようにスパイしてください」これが似非保守自民党・民主党革命政権の実態です。
スパイ防止法で一網打尽にしたいものです。
在日が総理選出に一役買うようになって居るのですから。


中国のスパイ活動の実態は
―アメリカでロシアスパイ10人逮捕―

       古森 義久

アメリカではロシアのスパイ10人が突然、逮捕され、国内に衝撃波を広
げました。ロシア政府による対米スパイ活動というのは、もうソ連共産
党体制の崩壊とともに、終わってというような認識が一般レベルでは強
かったためです。

ところがソ連共産党が崩壊し、アメリカとの対決が終わり、ロシアも一
応の民主主義体制となってから10年ほどが過ぎてもなお、ロシアはアメ
リカに対する大規模なスパイ活動をひそかに続けていた、というのです。

各国が表面ではいかに協調の姿勢をみせても、背後ではたがいにスパイ
や謀略の活動を続ける。これは世界の厳しい現実だといえます。

そんな現実といえば、アメリカが脅威を感じているのは中国のスパイ活
動です。アメリカにとっては実はロシアよりも、他のどの国よりも、い
まは中国のスパイ活動が懸念の対象なのです。そのへんの現状を雑誌
『SAPIO』の最新号に書きました。

            ========

アメリカのFBI(連邦捜査局)がロシアのスパイ10人を逮捕したとい
う報をワシントンで最初に聞いたときは、文字どおり時計の針が大きく
逆転した思いだった。

この種のスパイ合戦はソ連共産党体制がまだ機能していた東西冷戦の産
物だと思っていたからだ。いま米露両国はむしろ協調関係にある。国家
同士のイデオロギーの対決もない。

「ロシアがアメリカをスパイするなんて、オバマ大統領はロシア側が望
む自国の秘密はなんでも提供しているのだから、そんな必要はないだろ
う」オバマ政権を日ごろ批判する保守派の論客ラッシュ・リムボウは冗
談まじりにこんなコメントをしたほどだった。

アメリカ一般でもそれほど、ロシアの対米スパイ活動を過去の遺物とみ
なす風潮となっていたのだ。

しかしロシアの対米スパイたちは実在した。

FBIはロシアの連邦対外情報局(SVR)からアメリカに送りこまれ
て、スパイ活動をする秘密の命令を受けていたという容疑で10人の男女
を逮捕したのだ。

長年、じっと潜伏し、いざという時に本国の命を受けてスパイや破壊の
行動をとるスリーパーたちだった。

SVRはスリーパーたちには、「アメリカ政府の防衛関係の高官やシン
クタンクの研究員と親しくなり、情報を取る」「地元の民主党や共和党
の組織に入り、コネを築く」

「活動の究極の目的はすべて祖国ロシアの安全保障に役立つことにある」
などという指示を暗号により多様な方法で送っていた。FBIはそれら
秘密メッセージを証拠として示し、工作員たちもロシアとのきずなを認
めたのだった。

オバマ政権は逮捕した10人をロシア当局が拘束する米側のスパイ4人と
交換をする方針を早々に発表した。そして7月9日にはオーストリアの
ウィーンで実際に交換をすませた。異様なスピードである。

この結果、スリーパーたちが実際にどんな活動や工作を実行したのかは
不明のままとなってしまった。

共和党側ではオバマ政権に対し「この交換はあまりに早急であり、ロシ
アの対米スパイ活動を一般に知らせないようにする政治意図を感じさせ
る」(ピーター・ホクストラ下院情報委員会メンバー)という批判も出
た。

いずれにしても、ここで明示されたのはロシアとアメリカが東西冷戦の
終結から20年ほどが過ぎてもなお、スパイ活動をたがいに続けている事
実である。主権国家相互間の冷徹な現実だといえよう。

しかしアメリカがロシア以上に深刻に懸念するのは中国によるスパイ活
動である。

中国当局が人間のスパイを使い、あるいは米側のコンピューター・ネッ
トワークに侵入するサイバー攻撃によって、軍事の戦略や技術、さらに
は民間の経済や金融の情報を盗むという行為に対し米側の政府も議会も
実際の抗議の声を終始、あげている。

司法当局が中国のスパイ活動を当事者の逮捕や起訴という形で検挙する
ことも多い。この頻度ではロシアの例とは比較にならない。

オバマ政権が誕生した2009年1月から1年たらずの期間にアメリカ側で
表面に出た中国関連のスパイ事件は少なくとも9件あった。

安全保障関連の課題を専門に調査、研究する米国の民間機関「メディア
ス・リサーチ」がこの7月に公表した中国の対米スパイ活動についての
報告は以下のような事例を記していた。

▽2009年1月、米軍の戦車に使われた対中輸出禁止の電子部品を違法に
中国側に提供しようとした人物が逮捕された。

▽同年3月、小型無人航空機の部品を違法に中国に売ろうとした夫婦と
企業が摘発された。

▽同年4月、軍事転用の可能な排気管理、水質浄化のソフトウェアを米
側の環境情報企業から盗んで、中国に売ろうとした元社員が逮捕された。

▽同年5月、ミサイルの照準システムに使う軍事電子部品を中国に提供
しようとした企業代表が懲役5年の刑を宣告された。

▽同年5月、中国の軍事力に関する米国防総省の秘密書類を中国情報機
関に提供しようとした元同省職員が検挙された(2010年1月に懲役3年
の刑を宣告された)

▽同年6月、軍事用途のある赤外線熱イメージング・カメラを中国に違
法に提供する意図で購入した人物が検挙された。

▽同年7月、軍事通信の暗号化技術を中国に違法に売った人物が検挙さ
れた。

▽同年8月、軍事レーダー・システム用の集積回路(IC)400基を中国
に売った人物が懲役3年半の刑を宣告された。

▽同年10月、兵器用部品と電子機器を違法に中国に売った人物と2企業
が検挙された。

わずか10カ月ほどの間に公表された事件だけでも、これほどなのである。
しかもこれらの事例はみな目にみえる具体的な軍事の技術や装備の違法
取得なのだ。

目にみえにくいアメリカの政府や軍の重要情報や戦略を得ようとする中
国側のスパイ活動は同様に活発だとみてよいだろう。

米側ではFBIなどの司法当局も、行政府も議会も、中国のこの種の活
動には警戒を深め、水面下でその防止や摘発に努めている。2009年全体
を通じて米側の司法当局が捜査に着手した中国がらみのスパイ容疑事件
はなんと400件を超えたという。(つづく)


暑い最中ですが、一服の清涼剤にでもなりますならば。

国際派日本人の情報ファイル ■■■■

我が内なる夷狄


 政府は(7月)27日、当初30日に予定していた平成22年版防衛白書の閣議了承を先送りすることを決めた。産経WEB


           ★

 (続き)
 白書では、日本固有の領土でありながら韓国が不法占拠を続ける竹島について、「領土問題が未解決のまま存在」と明記しており、これに対する韓国側の反発に仙谷由人官房長官が配慮し、防衛省に先送りを指示した。日韓併合100年を迎える8月29日以降まで了承を控える。
(終)

■人相が悪い
 日韓併合100周年記念の特別サービスらしいです。この仙石さんは弁護士の出身なのに、政治外交では只管土下座低姿勢を繰り返し、貴重な税金を理屈に合わぬ外国の要求に振りまくのが好きです。

 国内では権利の要求ばかりし、外交では当たり前の要求もしません。これを古来から日本では「内弁慶」と呼びました。

 *加地伸行 「悪相」ぞろいの民主党
 http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/1719346/

■戦争当事国
 ロシアが身びいきな「戦勝記念日」を自国に有利な日に決定し、中国は尖閣諸島や沖縄まで自分の物と主張し、韓国は火事場泥棒的に居座っている「竹島」を、捏造してまでも我が国土としております。この竹島に対する姿勢こそ、尖閣・北方領土と繋がるのでした。

 日本本土も米国の一州と自虐的に考えることもありますが、これは前の戦争で"米軍には"負けたという意識があるから、妙に納得できることもあります。しかし残りの国とは、「戦争を本格的にやった」と学校の歴史の時間には習いませんでした。

■世界は知っている
 中国も「抗日」と言って、「対日戦」と言わないのは、その辺を認識しているからで、厚かましい国もこの点は"分って"いらしゃいます。韓国も"対日戦争勝利"とも"併合"とも言わず、「植民地支配」と言葉を濁しております。ここらも「後ろめたさ」があるからでしょう。

 わが国民だけが、かの三国に負けたと思い込まされているのです。要するに「頭の中、心の中」を占領されているのでした。

■派手な外交は国民に対する目くらまし
 日本は中曽根大勲位が、戦後政治総決算と大口を叩きながら、中国がケチを付けると靖国神社参拝を直ぐ中止しました。この時より「心の中」の占領が始まりました。現在では、日本国総理大臣が足を踏み入れられない「「中国の占領地」となりました。

 やはりここからやり直さないと駄目でしょう。さもなければ、また日清戦争から始めなければならなくなります。それでは誠に「芸」の無い政治ということになりますね。

■悪霊祓い
 お盆を前にして、心の中で誓うのは、プーチン・江沢民・盧武鉉の「怨霊」退治でした。

 八百万の神々よ、私たちに、悪霊の正体を映す八咫鏡(やたのかがみ)と、悪霊を打ち破る天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と、悪霊をたじろかす八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま)を与え給え。(ドラゴンクエスト風になってしまいました。笑)

 *八尺瓊勾玉 http://www1.ocn.ne.jp/~namaki/hedit1.htm
 *「My日本」を立ち上げた理由
 http://sns.mynippon.jp/?m=portal&a=page_user_top

一体、日本の名誉は誰が守るのか



日韓併合に関して、民主党内閣は、「菅総理の談話」を用意していると言う。
千石某が、「個人補償が足りない」と言いだした。

彼は弁護士で、かつて、私の選挙区、高島平に住んでいたこともある。弁護士であるから、国際法は知っていて当然だ。ところが、千石氏は、当時、国際的に何の問題も提起されなかった「日韓併合」について、今頃、「補償」を持ち出す。
では、日韓基本条約は何だったのか。
日本は、3兆円もの金を払い、朝鮮に残して来た、財産の請求権を放棄している。これで、全ての問題はけりがついたとするのが、国際法の常識だ。
つまり、千石弁護士は、国際法上問題がない、日韓併合、日韓基本条約での締結内容に「まだ、問題は解決していない」と異論を申し立てている。

ハッキリ言えば、これは異論と言うより「暴論」
両国間が合意した内容を、後になって、「いや、違う。足りない」と言うことが可能なら、国際間の条約などは形骸化し、意味を為さなくなる。
常識ではないか。

それも、相手国から言い出すのならともかく、我が方が言い出すとは、千石氏の国籍を疑う。法律的知識も疑う。

いわゆる、従軍慰安婦についても、強制連行についても、日韓基本条約の時には問題になっていない。
いないものを今更言い出す。ところが、それを裏付ける証拠はない。
これが、裁判であるのなら、原告は敗訴と言うより、門前払いになる。

そんな常識が通じないのが、自虐史観派の特徴。

じゃあ、アメリカの、ハワイ併合、ニューメキシコ併合は合法か?
イギリスは、アヘンを中国に持ち込み、「眠れる獅子」と恐れられた清国を亡国とした。
では、英国は「反省」しているか。全くしていない。
北京も「賠償」など求めない。

何故か、それが国際間の「常識」だからだ。
英国の子供でネルソン提督を知らない者はいない。英雄として教えられている。「ネルソンは海賊の首領だ」などと教える教師はいない。
それが常識だからだ。

それが、わが国ではどうだろうか。
国賊に等しい弁護士が、外国に出かけ、日本を断罪。インドネシアでは新聞広告まで出して、「慰安婦に補償をかちとろう」と煽り立てた。その結果、進駐した日本兵を「上回る慰安婦」が申し出た。

こうなると漫画だ。

それ程までに、贖罪したいのなら、千石代議士は、歳費をソウルに送金すればいい。土下座でも何でもして、贖罪するのは個人の自由だ。

しかし、国家には名誉がある。国際法に抵触しない「併合」。国際法で保護されている「基本条約」は守るのが国会議員の務めではないか。
個人の思想の自由はある。であるのなら、個人の領域で始末をつけていただきたい。

証拠もない「従軍慰安婦」問題で、ソウルで国旗を侮辱したのも民主党代議士だ。フランスなら、法律で罰せられる。

更に問題なのは、このような、国家の名誉を毀損する発言に、自民党を含めて、我が創新党などの野党が「抗議声明」すら出さないことだ。
国家意識が全く欠落している。

国家の名誉は命を賭して守ると言う決意がない。

2600年を経て、一体先人の苦労は何だったのか?そう思う。
もうすぐ、8月15日だが、民主党内閣が参拝しないのなら、少なくとも他の政党は「全議員」が代理など立てずに、靖国に参拝すべきだ。

北京が何を言おうが、ソウルが何を言おうが、他のアジア諸国は何も言っていない。そんなに、ソウルが日韓基本条約が気に入らないのなら、3兆円を利子を付け、お返し願いたい。
更に、半島に置いてきた財産は、国際法上「返還されるべき」ものだから、全額を、これも利子を付けて返してもらいたい。同時に、わが国にいる「差別されている」と称する人たちも「祖国」にお帰り願いたいものだ。

国際法違反の東京裁判史観を持ち出されても、違法裁判の効力などない。

それでも「ああだ、こうだ」と言うのなら、別にお付き合いするつもりなどないし、北京など、一番に英国に賠償を求めるべきだ。

国家を侮辱され、何の抵抗も示さない野党、反日勢力と同調する民主政権。
一体この国の政治家のプライドとは何か?

英霊は泣いている。
何のために、命を捧げたのか。
彼等は、犯罪者か?

冗談ではない!
国権の最高機関である国会を構成する議員に、ひとりやふたり筋の通った主張をする者はいないのか!

「恥知らず」とはこのことだ。

【参考:これが日本の朝鮮経営の実態だ。どこが侵略・植民地政策なのか?】

1 朝鮮半島の人口が2倍に増えて
2 24歳だった平均寿命が30年以上伸ばされて
3 人口の30%を占めていた奴隷が解放されて
4 幼児売書や幼児売買が禁止されて
5 家父長制が制限されて
6 家畜扱いだった朝鮮女性に名前がつけられるようになって
7 度量衡が統一されて
8 忘れられていたハングル文字が整備され、標準朝鮮語が定められ
9 朝鮮語数育のための教科書、教材が大量に作成され、持ち込まれて
10 5200校以上の小学校がつくられて
11 師範学校や高等学校があわせて1000校以上つくられて
12 239万人が就学して、識字率が4%から61%に上がって
13 大学(帝国大学)がつくられて、病院がつくられて
14 カルト呪術医療が禁止されて
15 上下水遭が整備されて
16 泥水すすって下水垂れ流しの生活ができなくなって
17 日本人はずっと徴兵されていて戦場で大量に死んだのに
18 朝鮮人は終戦間近の1年しか徴兵されす、内地の勤労動員だけで済まされていて
18 志願兵の朝鮮人が戦死したら、日本人と同じく英霊として祀られてしまって
20 100キロだった鉄道が6000キロも敷かれて
21 どこでも港がつくられて、どこまでも電気が引かれて
22 会社がつくられるようになって、物々交換から貨幣経済に転換して
23 二階建て以上の家屋がつくられるようになって
24 入浴するよう指導され
25 禿げ山に6億本もの樹木が植林され、ため池がつくられて
26 今あるため池の半分もいまだに日本製で
27 道路や川や橋が整儀されて
28 耕作地を2倍にされて
29 近代的な農業を教えられたせいで、1反当りの収穫量が3倍になってしまって

加えて、朝鮮から国会議員も選出し、「洪中将」のように、朝鮮名であっても、中将に昇進させ、更に、貧民の出身であっても、朴大統領のように、優秀な人材は、校長が進学させ、幹部候補生学校で恩賜の金時計を賜った。
これが、「差別」か?
宗教を強制し、日本語を強制した?では、アフリカにある、アフリカーナと言うフランス語はどう説明するのか。また、原始宗教が何故、アフリカにないのか。黒人を「物」として売買したが、それこそ侵略ではなかったのか。

千石由人代議士にお答え願いたい。



ひとつのNGOの動きをご紹介します。
「子どもの権利条約」と日本政府への勧告をご理解できるようひとつのNGOの動きを追ってみました。
われわれが考えている以上に周到で綿密な準備の上でロビー活動と提案をしていることをご理解ください。保守以上の活力と準備で国連をその気にさせて、日本政府へ圧力をかけてきています。
 昨日岡本様は国連児童の権利委員会に関わる左派NGOは、大きく二つのグループがあると紹介されていますが、その一つが、DCI(Defence for Children International)日本支部です。もう一つが 「子どもの権利条約NGOレポート連絡会議」です。

その「子供の権利条約」関連の主要な国内NGOのひとつ「連絡会議」の動きの概要を見てみます。

① 「子どもの権利条約NGOレポート連絡会議」
  2008年4月22日に組織化
    日本政府が国連に対して同条約に関する第3回政府報告書を提出したことを受け、
「NPO法人子どもの権利条約総合研究所が事務局となり「子どもの権利条約NGOレポート連絡会議」を組織し、NGOレポート作成活動を開始。
 
 同連絡会議は、初版のカウンターレポート(「子どもの権利条約の実施に関する第3回日本政府報告書についてのNGOレポート」)を2009年11月13日に、
その改定版を2010年1月に国連・子どもの権利委員会へ提出。

② 予備審査
2010年2月3日国連・欧州本部palais Wilsonで国連・子どもの権利委員会第54会期プレセッション(予備審査)が開催。「子どもの権利条約NGOレポート連絡会議」の代表団が参加し、日本における条約の実施状況と課題についてプレゼンテーション行う。

③ 事前質問票
    2010年3月に、予備審査を受けての日本政府への事前質問票が公表され、NGOレポート連絡会議も「子どもの権利委員会」へ追加情報を提出した。
   第3回日本報国審査  事前質問票(条約)  
   第3回日本報告審査  事前質問票(性的搾取議定書)
   第3回日本報告審査  事前質問票(武力紛争議定書)
第3回子どもの権利条約 追加情報(連絡会議)    2010年5月

④ 本審査
   2010年5月27・28日に「子どもの権利条約」第3回日本報告本審査が行われた。

⑤ 第3回日本政府報告本審査リスト
    ここでは、個人名略し、所属国別のみ。
         エジプト、アルジェリア、ハンガリー、タイ、ドイツ、チリ、ウガンダ、モーリシャス、スイス(議長)。(アフリカ諸国が4カ国)
⑥ 総括所見6月11日に公表。
⑦ 次回の政府報告書提出期限は、2016年5月21日

国連・子どもの権利条約・日本報告審査(略表)


① 第1回報告審査
    1996年5月30日    児童の権利に関する条約第1回政府報告書提出
    1968年5月27・28日  本審査
    1998年6月5日     第1回総括所見採択

② 第2回報告審査
    2001年11月15日    児童の権利に関する条約第2回政府報告書提出
    2004年1月28日     本審査
    2004年1月30日     第2回総括所見採択

③ 第3回報告審査
2008年4月28日     児童の権利に関する条約第3回政府報告書提出
武力紛争における児童の関与する児童の権利に関する条約の選択議定書第1回政府報告書、児童の売買、児童の買春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約の選択議定書第1回政府報告書提出。
   2009年11月        連絡会議・NGOレポート提出
   2010年1月        連絡会議・NGOレポート提出(追加修正版)提出
   2010年2月3日      予備審査
   2010年3月2日      日本政府に対するlist of Issues 公表
   2010年4月        list of Issuesに対する日本政府回答提出
   2010年5月        連絡会議・list of Issues等に関する追加情報提                   
                 出
   2010年5月27・28日    本審査
                  27日10~13時1509会合―条約
                  27日15~18時1511会合―条約
                  28日10~13時1513会合―2つの選択議定書
   2010年6月11日       条約第3回総括所見採択、選択議定書第1回総括所見採択
   20016年5月21日      条約第4回・第5回政府報告書提出期限
                    (2つの選択議定書報告書も含む)




雑誌「正論」9月号岡本明子論考「韓国委員に操られた“赤い国連”の内政干渉」をご紹介します。



この論考は大きく分けて前半部分は国連「児童の権利委員会」での審議の実際と後半部分は民主党政権での児童をめぐる政策について記述されています。



条約締約国が条約の委員会へ報告する政府報告書の本審査と審査のうえで出される「最終所見」(勧告)をめぐる駆け引きがあります。このシステムについて触れていますので、ここをよくご理解頂ければと思います・このシステムは他の人権条約共通のものです。今回の児童の権利委員会へは日本NGOから昨年11月膨大な報告書(カウンターレポート)を国連へ提出し、、勧告要望も110点提出しています。



今回の場合には、本審査に入る前に、委員会は日本の左翼NGOを呼びつけていろんな打ち合わせ、論点の整理などを行っています。その上で、日本政府へ質問票を出しています。この質問票は日本政府への質問ですが、公開された質問に当然左翼NGOは回答文書(報告書)を送っています。今日本の保守陣営で問題となっている教科書是正勧告がなされた経緯についても岡本論考では詳細に触れています。是非お読みくださいとお願いしたいところです。



日本政府代表団長は審査の開始冒頭に、民主党新政権と鳩山前首相賛美の声明をわざわざ読み上げ委員からの「子ども手当て」賞賛の言質を誘導させています。



審査で、委員たちの「子供自らに合わない教育を拒否し、自らに合う教育を選ぶ事が出来る」。「子供は家庭内で問題があるときには、家庭を訴えることが出来る」。「子供は親の意見に関係なく、自らの医療処置などを受ける権利がある」。というように、子供達は、時には親たちの考えや方針と無関係に、自分の意見を主張できる権利が与えられていると委員達は述べているが、小生はこのような委員たちの意見は、事前に意見陳述している日本NGOの意見であると左翼発行の機関誌を呼んでいて確信を持った。左翼は、「委員たちが大方理解してくれた」と自画自賛している。左翼は、条文の理解以上に意見表明権の理解を逸脱させています。



岡本論考は民主党政権の子供・家庭政策についても論を発展させて、「子育ての社会化」を始め民主党の政策は日本社会の「家族の絆」を断ち切る恐るべき政策であるとことを詳細に述べています。ぜひ多くの保守の皆様が「正論」9月号をお読みくださり、国連の左翼政策押し付けシステムをご理解ください。



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