老兵の独り言

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その2を先にお知らせしました。
ご勘弁下さい。

日常的な信仰から見つめ直す「日本人の天皇」
──島根県松江市・美保神社の巻 その1

 今月中旬、出雲(いずも)大社(島根県出雲市)で同社最大のお祭りである「大祭礼」が3日間にわたって行われました。

 13日の前夜祭に始まり、翌14日には天皇のお使いである勅使(ちょくし)をお迎えして、例祭が執り行われました。

 伝統の装束に身を包んだ勅使の山田掌典(しょうてん)らが陛下からのお供え物を納めた唐櫃(からひつ)を御仮殿まで運んだと伝えられます。

 ご存じの通り、出雲大社は古い歴史と同時に、高い格式を持つ神社です。たとえば、平安時代にまとめられた「延喜式(えんぎしき)」という古い格式に関する書物には3000社近い全国の神社の名前が載っていますが、そのなかで「大社」と記されているのは出雲大社(杵築(きづき)大社)だけです。

 皇室との歴史的関わりが深いことはいうまでもありません。国土を皇室の祖先にゆずった大国主(おおくにぬし)大神の国譲り(くにゆずり)神話がそのまま出雲大社の起こりとされ、大神の子孫が同社の神事を代々、奉仕してきたといわれています。

 そんな歴史と信仰の世界に触れてみたいと思って、10年前に島根県を取材したことがありますが、あまりの奥深さに圧倒され、百分の一のこともまとめられなかったことをいまも覚えています。

 それから10年、私の知識や思索が何ら深まったわけではありませんが、今週からしばらくのあいだ、神社と皇室について書いてみようと思います。私たちにとって天皇とは何か、私たち日本人は何を信じてきたのか、を日本人の日常的な信仰のシンボルとしての神社から問い直してみたいからです。


▽小泉八雲が書き残した聞き慣れない神事

 私が10年前に島根を旅したのは、美保(みほ)神社の横山宮司さんから珍しい神事について取材にこないか、と誘われたのがきっかけです。

 美保神社は、兵庫県の西宮神社(西宮市)と並んで、全国のえびす信仰の総本社として知られています。つまり日本の海の信仰の中心地です。

 ところが、宮司さんによると、海の民の神社であるはずの美保神社に稲作のお祭りがあったというのです。その証拠に、いまも「御種(おたね)」という名で小さな袋入りの種籾が参拝者に配られています。

 そのころの私は日本人の主食であるコメについて強い関心があり、日本のお米の文化を集中して調査取材していました。それを知って、横山宮司さんは誘ってくれたのでした。

 取材旅行の前の下調べが始まりましたが、民俗学者として知らない人のいない和歌森太郎先生の『美保神社の研究』を読んでも、国譲り神話と関連する有名な青柴垣(あおふしがき)神事(4月7日)や諸手船(もろたぶね)神事(12月3日)についてはやたらに詳しいのに、宮司さんが教えてくれた「種替(たねかえ)神事」と呼ばれる神事のことは見当たりません。

 神事のことが書かれてあったのは、日本研究家の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が来日後の印象をつづった最初の著作「知られぬ日本の印象」でした。

 八雲が島根県松江市に移り住んだのは明治23年で、わずか1年あまりの滞在でしたが、古代の日本文化を伝える「神々の国の首都」をこよなく愛し、第2の故郷と考えたのでした。


▽農民の願いをなんでもかなえてくれる

 八雲は3度、島根半島を旅行し、美保神社を参拝したといいます。そして「種替神事」について書き残しています。

「神社で売っているもののなかでもいちばん面白いのは、米粒を入れた小さな包みである。祈りを唱えながらこれを蒔けば、なんでも望みのものが生えてくるという。竹でも、綿でも、豆でも、ハスでも、スイカでも何でもかまわない。種を蒔き、そして信じれば、望みの作物が生えてくるのである」(第10章美保関、奥田裕子訳。適宜編集しています。以下同じ)

 神社でくばられる「御種(おたね)」は、農家の願いをなんでもかなえてくれる、じつに不思議な稲種だったようです。

 いまは絶えてしまった種替神事が行われたのは節分の夜でした。江戸末期にまとめられた『出雲国式社考』という本には、祭りのようすが次のように書かれています。

「この神社の祭事のうち、種替神事という奇異な神事がある。それは節分の夜に、大きな桶(おけ)に種籾(たねもみ)を盛っておく。それを遠近の農家が、代わりの籾を持ってきて『何々の種をください』というと、神職が受け取り、桶にある籾を取って渡す。やがて代わりの籾も桶に混ぜ入れる」(『神祇全書第五集』所収。適宜編集しています)

 美保湾を目の前にのぞむ、さほど広くない神社の境内(けいだい)には、御種から生えたと伝えられる竹やぶが複数あります。聞くところによると、竹を望んだ農民が、受け取った御種をよく見ると稲籾だったので、怒って袋を破り捨てたところ、そこから竹が生えてきたのだそうです。

 八雲が「晴れた日に、蒸気船で松江から美保関へ渡るのはすばらしい」と書き、「日本でももっとも趣のある町のひとつである」と絶賛する美保関を、私は10年前の晩秋、東京から夜行列車に乗って訪ねました。翌朝、到着した米子駅のホームは雪がちらつくほど、冷え込んでいました。(次週に続く)
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