老兵の独り言

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拝読して祭祀簡略化の策謀が日本の国体の変更へと続くものであり、危険極まりないものであることが腹の底に落ちました。
目から鱗です。
皆様にご紹介します。

□□───────────────────────□□
 斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.87
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 前号の私の呼びかけに、たくさんの読者が応えてくださいました。ありがとうございます。

 さらに多くの方が、天皇に関する理解を深め、そして目下、ご負担軽減の名のもとに、進められている祭祀簡略化について問題意識を共有してくださり、正常化への気運が高まっていくことを、心から願いたいと思います。

 当面、心配されるのは今年秋の新嘗祭(にいなめさい)ですが、これには非常に難しい、天皇に関する本質的な問題があります。今日はそのことについて、少しお話しします。




 1 祭祀王の本質と関わる「新嘗祭」ご負担軽減

▽2時間のあいだ、ずっと正座

 まず、いま進行中の祭祀簡略化がなぜ始まったのか、について考えてみます。雑誌「諸君!」の昨年7月号に載った渡邉允(わたなべ・まこと)前侍従長のインタビューから、その経緯が明確に浮かび上がってきます。
http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/shokun0807.htm

 前侍従長が説明するのは、祭祀とりわけ新嘗祭の肉体的、精神的なご負担です。

 陛下のお祭りは秘儀ですから、詳細を述べることは差し控えなければなりませんが、アウトラインを申し上げると、夕刻、神嘉殿(しんかでん)にお出ましになった陛下は、数々の神饌(しんせん)を作法にしたがって、時間をかけてご自身でお供えになります。

 拝礼のあと、神社の祝詞(のりと)に当たるお告文(おつげぶみ)を奏され、さらにご神前で米と粟(あわ)の新穀、白酒(しろき)・黒酒(くろき)の神酒を召し上がり、この直会(なおらい)がすむと、神饌を順次撤下(てっか)され、一通りの神事が終わります。

 これが「夕(よい)の儀」で、3時間後、ふたたびお出ましになり、「夕の儀」と同様の神事が繰り返されます。これが「暁(あかつき)の儀」です(八束清貫[やつか・きよつら]『皇室祭祀百年史』)。

 渡邉前侍従長がインタビューで語っているように、「侍従長と東宮侍従長は外廊下で2時間、正座して待っています」が、慣れていないからでしょう、立ち上がるときは必死の思いだと吐露しています。さらに「陛下もずっと正座なのです」と、そのことがさも簡略化の直接的な理由であるように前侍従長は説いています。


▽侍従長の負担がご負担にすり替えられた

 しかし、このインタビューで言及されているように、神事をみずからなさる陛下が身動きもせずに、ただじっとしているわけではないのは、いわずもがなです。また、能楽師などのように、幼少のころから板の間に正座して稽古に励む人たちもいますから、畳の上での長時間の正座が難行苦行であるかのように断定的に解説するのは正しくありません。天皇と国家・国民の命のよみがえりを図る、という儀礼の本質を、忘れるべきでもありません。

 そうはいっても、ご高齢で療養中の陛下にとって、長時間の祭祀が激務であることは間違いありません。

 第2の理由として、前侍従長は、いかにも官僚らしく、昭和の先例を引き合いにします。

「昭和天皇の例では、いまの陛下のご年齢よりもだいぶ前から毎月の旬祭を年2回にされ、69歳になられたころからは、いくつかの祭祀を御代拝によって行われたりした。私も在任中、両陛下のお体にさわることがあってはならないと、ご負担の軽減を何度もお勧めしましたが、陛下は『いや、まだできるから』と、まともに取り合おうとはなさいませんでした」

 しかし、この説明は間違いです。拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』でも、このメルマガでも繰り返し申し上げてきたように、昭和の祭祀簡素化は昭和天皇のご高齢が理由ではなく、入江相政(いりえ・すけまさ)元侍従長の祭祀嫌いに発しています。

 入江の工作のもう1つの理由をあげるなら、昭和天皇ではなく、入江自身の加齢でしょう。入江の負担が天皇のご負担にすり替えられたのです。渡邉前侍従長が「ご負担」を強調するのと構造的に似ています。

 前回、申し上げたように、ご負担軽減を理由に祭祀を「簡素化」しながら、昭和天皇・香淳皇后のアメリカ、ヨーロッパ公式訪問が行われたのは矛盾です。しかしその矛盾を、官僚的な先例主義で引きずっているのが、渡邉前侍従長であり、いまの宮内庁です。


▽「退位」を口にされた昭和天皇

 入江元侍従長は祭祀の本質をほとんど理解できずに、「お上(かみ)のお祭、来年は春秋の皇霊祭と新嘗祭。御式年祭もおやめに願い、再来年にはぜんぶお止め願うこと、植樹祭、国体はやっていただく」(入江日記、昭和56年11月7日)などと公言してはばからない俗物でした。

 入江は祭祀の「簡素化」を皇太子(今上天皇)の発議、皇族の総意によって進めようという工作までしたようですが、祭祀の空洞化は、すでにご承知の通り、「無神論者」富田長官が登場し、厳格な政教分離主義が台頭して本格化します。

 これに対して、昭和天皇が同意されるはずはありません。それどころか、陛下は「退位」を口にされました。入江日記にはこう書かれています。

「11月3日の明治節祭を御代拝に、そして献穀は参集殿で、ということを申し上げたら、そんなことをすると結局、退位につながる、と仰せになるから……」(昭和48年10月30日。適宜編集しています)

 この年の入江日記からは、昭和天皇が幾度となく退位、譲位について語られたことが読み取れます。祭祀こそ天皇第一のお務めであるという大原則に立てば、入江らが工作する無原則の祭祀簡素化がどれほど受け入れがたいことだったでしょうか。

 そしてその一部始終を皇太子のお立場でご覧になっていた今上陛下がいま、先帝と同様の状況におかれています。側近たちが昭和の先例を持ち出して、祭祀の簡略化を迫るのを、陛下が「まともに取り合おうとはなされなかった」(渡邉インタビュー)のは当然でしょう。


▽新嘗祭だけは御代拝ができない

 天皇の祭祀には御代拝の慣習があります。戦前の祭祀令には、大祭・小祭のうち、元始祭や紀元節祭など大祭の場合、天皇がみずから親祭になれないときは、皇族または掌典長に祭典を行わせる、と明記されていました。

 祭祀は形式ですが、単なる形式ではありません。茶道などでもそうですが、所作の形に意味があるのであって、形を破ることは神への冒涜につながります。それなのに入江が「簡素化」したのは、単なる形式だと考えるからでしょう。もしご健康に不安があれば、祭祀の簡略化などせずとも、御代拝で十分なのです。

 けれども、新嘗祭だけは御代拝ができない、という考え方があります。明治になって成文化された祭祀令では、新嘗祭も大祭に分類されていますから、御代拝でもいいはずですが、そうではないというのです。

 それは祭祀王たる天皇の本質そのものと関わっています。

 天皇は私を去って、ひたすら国と民のために祈ることで、この国を治め、民をまとめ上げ、社会を安定させてきました。拙著に書いたように、稲作民の米と畑作民の粟の新穀をともに捧げ、神人共食の直会をなさる新嘗祭は、天皇がなさるからこそ意味を持つ国民統合の儀礼です。皇族や掌典長による御代拝では意味をなしません。

 したがって昭和天皇が、入江侍従長から新嘗祭の簡素化を進言されて、退位を口にされたのには、それだけの理由があります。

 順徳天皇の『禁秘抄』(1221年)に「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事をあとにす」とあるように、歴代天皇は祭祀こそ最大のお務めと考えてきました。昭和天皇も今上陛下も同じお考えでしょう。その天皇から祭祀を奪うことがどんな意味を持つか、拝察するのもはばかれます。


▽天皇の祭祀は「私的な活動」?

 しかし現実にいま、宮内官僚たちはご負担軽減と称し、昭和の先例を持ち出して、祭祀の簡略化を敢行しています。

 それほど陛下のご健康問題が深刻であるなら、法的根拠があるわけでもないご公務を削減すればいいものを、ご公務の件数はいっこうに減らないどころか、ますます増え、外国ご訪問まで計画されています。

 逆に、半月にもおよぶ海外旅行に耐えられるほどご健康であるならば、天皇第一のお務めであると歴代天皇が認めてきた祭祀をなぜ簡略化されなければならないのでしょうか。

 これでは筋が通りません。

 なぜ理不尽なことが起きるのか。それは天皇の本質をどう見るかにかかっています。陛下は祭祀王の立場にあります。しかし官僚たちにとっての天皇は、政府すなわち官僚の意思のままに動く近代的な国家機関に過ぎません。

 渡邉前侍従長は先のインタビューでこう語っています。「宮中祭祀は、現行憲法の政教分離の原則に照らせば、陛下の『私的な活動』ということにならざるを得ません」

「つねに国民の幸せを祈るというお気持ちをかたちにしたものとして祭祀がある」と語るほど、祭祀への理解が浅からぬ前侍従長ですが、それでも、天皇の祭祀は私的行為であり、ご公務が優先されるという憲法解釈から抜け出せないのでしょう。

 官僚たちが考える天皇は、悠久なる歴史的上の存在としての天皇ではない、ということでしょうが、もしそうだとすると、公務員の立場で渡邉前侍従長が天皇の私的な宗教行為である祭祀に介入するのは、官僚たち自身の政教分離主義に反することになります。自己矛盾です。


▽天皇の祭祀を正常化させる方法

 さて、渡邉前侍従長は指摘しています。「皇室に関わることで、国論が二分する事態だけは避けなければならないというのは、陛下の基本的なお考えだと思います」

 なるほど、祭祀簡素化問題をめぐって国が二分するようなことは、陛下は望まれないでしょう。多様なる国民を多様なるままに統合することが天皇のお務めであれば、なおのことです。しかし、祭祀簡素化問題が国論を二分することがあるとすれば、その可能性の原因を作ったのは、渡邉前侍従長たち自身であることを忘れてはなりません。

 前侍従長はインタビューの最後に、憲法論に言及し、「今上陛下はご即位のはじめから現憲法下の象徴天皇であられた。陛下は、そのような立場で何をなさるべきかを考え続け、実行し続けて今日までこられた」と述べています。

 現行憲法には、天皇は日本国の象徴、日本国民統合の象徴である、と規定され、陛下は会見などでしばしばこのことに触れられていますが、前侍従長とはニュアンスが異なるのではないか、と私は思います。

 簡単にいえば、前侍従長はあくまで現行憲法を起点とする象徴天皇論ですが、陛下は歴史的な背景を十分に踏まえたうえでの議論だと思います。それは当然なことで、古来、祭祀の力で国と民をまとめ上げてきた長い歴史があるからこそ、象徴たる地位があるのです。

 国論を二分せずに天皇の祭祀を正常化させる確実な方法があります。それは社会を動かすまでに世論が高まり、渡邉前侍従長のようなエリートたちが祭祀正常化の先頭に立つことです。そのためには、現状を憂える国民がまず声を上げなければなりません。

 官僚たちが進めるまったく理屈の通らないご負担軽減で、これから何が起きるのか。間違いなくいえるのは、天皇がますます単なる「象徴」という存在になり下がるということでしょう。それは日本の文明に対する破壊行為です。

 今年の新嘗祭まで、あと5か月です。皆さん、どうぞ声を上げてください。皆さんご自身の問題なのですから。
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