老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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裏から見えてしまった (その2) ところがNHKは、その後の中山元文部科学大臣の再質問への回答としてこの所を、
――4月10日のやりとりは次の通りです。柯さんから「私のもとにクレームを入れてくる人たちは『NHKの背後に中国政府の意向がある』と言っているが、それは本当ですか」との問いかけがあり、それに対して「そんなことは決してありません」と述べ、さらに柯さんから「あなたはそのことをクレームを言ってくる人たちに対しても同じように言えますか」と問いかけが合ったのに対し、「もちろん言えます」と述べたものです。―― とあります。
 私は柯徳三氏に直接この点もおたずねしましたが、NHKの番組を見て、「これはひどい、まるで中共の息がかかったような番組だ」とご自身で感じたから、電話で濱崎氏にその通りを言ったもので、決してクレームを入れてくる人たちが入れ智慧したものではないし、あの時点でそのようなことを言う人はいなかったそうです。NHKのこのような回答の仕方自体が、まるで柯徳三氏に圧力をかけて言わせている日本の勢力があるように匂わせるようなやり方です。
 その後に続く
――「上述した柯さんとの電話のやりとりについては、「再質問状」を受理した後、柯さんに確認し、「それでよろしいです」という返事を頂いています。繰り返しになりますが、柯さんがNHKに対して憤っている、という事実はありません。また、NHKは柯徳三さんから抗議を受けていません。今回、「再質問」を受理した後、NHKは柯徳三さんに確認したところ、柯さんは「NHKに対して抗議するような気持ちはありません」とおっしゃっています。――
と回答しています。
 ところが問題は、NHKは中山元文部化学大臣の再質問状を受理した後、柯徳三氏に確認して「それでよろしいです」という返事を貰ってはいなかったのです。これは柯徳三氏自身がおっしゃっていることだから間違いない事実です。
NHKのあの番組に対してはご本人はまったく納得しておられないということでした。ご本人に確認の電話をしていないのに、公開質問の回答で平気で嘘を言うなんて、これが公共放送のやることかしらと正直ビックリいたしました。
「憤っているという事実はありません」とNHKは回答していますが、これに対して柯徳三氏自身は「怒ってはいませんよ、もうあきれて物が言えないだけです!」とはっきりおっしゃっています。もともと、藍昭光さんも「(NHKの偏向ぶりに抗議するという)そういうことはあなたたち日本人がやることでしょう!私達はNHKがデタラメな番組を作ると批判はできても権利はありませんよ!」という言葉に代表されるように、台湾の日本語世代の方々は、日本人でなくなった今、日本がやることに対して抗議するというのは差し出がましいという遠慮というか、奥ゆかしさがあるわけです。取材を受けた台湾の方々が、本人の言わんとしたことを歪曲されて、誤解を蒙ったことに対する戸惑いと悔しさを感じておられるのに、NHKの番組責任者はいとも簡単に「抗議は受けていません」と嘯いています。

柯徳三氏は日本にも知り合いが多いから放送後問い合わせの電話や電話での取材がきて、一日20回もそんな電話が来ると精神的にも疲れてしまいますとおっしゃっていました。四月に柯徳三氏のお宅で話した時は「夜も眠れないときがありますよ」と、当惑しきっておられました。奥様も「去年は四回も手術をしましたからね、ただ身体のことが心配で。」と涙を浮かべながらため息をついておられました。
柯徳三さんとしては悪口も言ったので、日本人が聞いて気を悪くされるようなところがあればという意味で、「適当に切ってくれたらいいよ」と言ったそうだけれど、ご本人の意に反してその悪口の部分だけが放送されて、良い事は全てカットされた」と話しておられました。
同窓会の時だけでなく、柯徳三氏のお宅まで訪問して、柯徳三氏は八田与一氏の作った烏山頭ダム、そして用水路の嘉南大圳のこと、また後藤新平のインフラ建設、また日本時代の教育の徹底していて素晴らしかったことなど滔滔と話し、ほとんど一日がかりの取材だったのに、結局は、柯徳三氏のお父さんが日本人の通う小学校へ入学したのを、違法だと言って退学処分にしたという古い文書を「こんなことがあったのを知っていますか?」と見せ、それに答えた言葉の一部が番組で放映されました。
柯徳三さんは「どこから穿り出してきたのか、家族も知らない事の古い秘密書類を私に見せたんですよ。親父は公学校へ入り、その後は祖父が日本の拓殖大学の前身で、台湾語を教えたので、日本へ行って日本で教育を受けています。祖父が「一高を受けろ、一高でないとだめだというもので、三回も受けて失敗して、とうとう、専修大学へ進学した。もちろんこれは日本人と同等に入試で入ったんです」とおっしゃっていました。
まる一日がかりで取材して、結果はご本人も知らなかったお父さんの小学校入学時の退学問題の書類を見せられて、日本政府が台湾の人々の教育に対して差別していたことを強調しています。(大正8年12月に日本人と台湾人の共学は認められており、それまでの法規では日本人と台湾人、先住民の小学校教育に共学の例は無かったようです)
また取材の時に当時の一中、現在は建国中学へも行って、建国中学の高校生たちとの座談会まで設け、学生にも意見を発表させたのですが、その場面は少しも出なかったこと。また、五十嵐幸枝さんという台湾生れの女性が建国中学の優秀で家計の苦しい学生達に、ご自分の退職金をそっくり寄付して(当時1000万円ほど)三十年近くも毎年奨学金を受ける学生達と心温まる交流をしていることも、ちょうど五十嵐さんが来られてもいたので説明したけれど、それもまったく無視されたと不満を言っておられました。
五十嵐幸枝さんのことは随分前に柯徳三さんからお聞きし、1991年に建国中学へ来られた時にインタビューさせていただいたことがあります。
柯徳三さんと五十嵐さんのお兄さんの五十嵐力氏が同級生だったそうです。戦争中に兵隊となり南方へ行かれ、戦後捕虜となり、パラチフスで亡くなられました。敗戦まで行動を共にした部下の李坤乾氏は先に台湾へ帰り、このことを知らなかったのですが、台湾へ帰ってからもしばらくは日本へ出ることもできず、やっと九州での会合に出席してこの事を知り、せめてお墓参りでもしたいと東京の五十嵐さんの所を訪ねました。その後五十嵐幸枝さんは、李坤乾さんに連れられて、お兄さんの埋葬された地を訪れ、その冥福をお祈りなさいました。五十嵐さんはこのことにとても感謝されて、銀行を退職された時に退職金をそのままお兄さんの母校である現在の「建国中学」に寄付し、家庭の貧しい優秀な学生への奨学金としました。それもお兄さんと李さんとの友情を記念して「五十嵐力と李坤乾友誼紀念奨学金」と名づけて二人の友情を讃え、また奨学金を受け取る学生達の一人一人を、まるでご自分の子供か孫のように心にかけて、毎年来台されて自ら手渡され、卒業後までも関心を寄せておられます。
五十嵐さんは、「私は退職しても会計事務所を開いて働けますから生活はなんとかできるから」と笑っておられました。彼女は敬虔なクリスチャンでもあり、台湾の奥地まで廻って、伝道活動もしておられました。昨年の年賀状には、「早く仕事を打ち切って故郷でのんびりしたいけれど、なかなかできません。今年八十歳になります」と書いておられました。台湾で生まれ育ち台湾を故郷と懐かしがる湾生のお一人であり、今も台湾のために尽し続けておられる女性です。このような話こそが、今も続く日台の昔からの深い絆を知らせてくれる良い例の一つで、聞く人の心を暖かくさせ、台湾と日本の深い結びつきに目覚めさせてくれると思うのですが、それもまったく無視。つまりあの番組の目的に合わなかったからとしか考えられません。

NHKの担当者は、この番組が放映された後、インタビューを受けた台湾側の人々からの苦情も予想しながら、その不満を慰撫し安心させようとしたのか、
視聴者からの反応を柯徳三さんの所へ届けました。それを今度の同窓会で配ろうと、コピーしたのだけれど、その後すぐ浜崎氏から電話があって、「コピーしたものを皆に配らないで欲しい。公表しないで下さい!」と頼まれたそうです。「自分で送ってきておいて、公表しないでくださいなんて、おかしなことを言うね。どうも都合が悪いことがあるんだろう」と柯徳三さんはおっしゃいました。
その内容は58名に及ぶ大学教授とか、歴史研究所とか、評論家などの肩書きの多い名前は伏せた人達の、「素晴らしい番組だった」というコメントばかりです。「持って帰ってゆっくり読んだらいいよ」と私にくださいましたので、帰りMRTの中でこれを読み、「素晴らしい内容で歴史研究の参考にさせてもらう」などのコメントには空恐ろしい気持ちになってゆきました。日本に知り合いも多い柯徳三さんは、番組に対する賛辞ばかりのこのコメントを、勿論そのまま信じてはおられませんし、これを遥かに上回る爆発的な抗議のコメントがNHKに届いていることもご存知で、NHKのこのようなやり方を卑怯だと思っておられます。

 美しい日本語を後続の世代に伝えたいという気持ちを持たれた日本語世代の方々が組織した「友愛グループ」は現在130人余りの会員を持ち、毎月一回の日本語による集いを楽しみにしている人たちですが、「友愛グループ」から「JAPAN・プロジェクト」の番組に対する抗議文を提出したのに続いて、インタビューを受けられた柯徳三さん、藍昭光さん、張俊雄さんご夫妻(奥様は改名で、自分の姓を残したいとおっしゃった方、林福泉さんご夫妻の六人がNHKに抗議文を提出されて、あの番組が偏向していること、殊に四つの点(人間動物園、台日戦争、中国語、漢民族)の説明に納得できない旨を表明されました。創立40年を越える「台湾歌壇」のメンバーも抗議文を提出しています。
 蒋松輝さんは、父上のことを紹介してもらっているし、抗議文までは書かないけれど、しかしあの四つの問題点は訂正して欲しいと、「ご参考まで」という文書を藍さんとの連名でNHKへ提出しておられ、あの問題については「NHKは間違っている」と今でもおっしゃっておられます。 
続いて日台の民間交流では最大規模の台湾高座台日交流協会も抗議書を提出しました。戦争末期に学びながら働くという名目で日本へ赴いた8000人以上の「台湾少年工」の方々は、日本で敗戦を迎え、苦労して台湾へ帰っていますが、今も1000人近い会員で、毎年大会を行い日本との交流を行っています。

 【なぜ公開説明会を行わないのか】
 日本では6月25日にこの件で裁判史上最多数の人々による集団提訴が行われることになりましたが、そのすぐ前の6月21日から24日頃まで、NHKの浜崎ディレクターと、田辺プロデューサーが訪台して、驚いたことに柯徳三さんなどの抗議書を出した人を個別訪問しようとしました。21日には柯徳三さんを訪れるのに、「あなた以外にほかの人はいないでしょうね」と念を押してから「今は私だけだが、今日は藍昭光さんが三時ごろ来ることになっている」と答えると、「ああ、藍さんならいいです」と言って、21日の午後二人は柯さんを訪問し、ご迷惑をおかけしましたと涙ながらに謝ったそうです。柯徳三さんが「私に謝っても仕方がない。チャンネル桜にちょっと謝って話し合えばすむじゃあないか」というと、「いやそれはできません」と答え、浜崎氏は子供までが「あれが浜崎の子だ!」などと言われて、身の危険を感じて警察に保護願いまで出した(真偽は怪しい)とか、跪いて謝るなど泣き落としにかかったそうで、シビアでロジカルな言論をなさる柯徳三さんではあるけれど、心根が優しい方なので、面と向って話せば情が移るとおっしゃって、NHKの回答説明はまるでうなぎのようにぬらりくらりと逃げて要を得なくて納得できないが、一応これだけの資料を探して回答したということで、頼み込まれて止むを得なく二人が用意した書類に署名したということです。しかし納得はしていませんよと私にはっきりおっしゃっていました。しばらくして藍昭光さんがNHKが来ていることを知らずに柯さんを訪問したら、田辺、浜崎の両氏が「柯さんはこのように署名してくれましたが、あなたもこの様な文章に署名してください」と頼んだそうです。そこで、藍さんは「人間動物園にしても日台戦争にしてもNHKの説明にちっとも納得していない」ことをはっきり述べたそうですが、相手も引き下がらず「明日まででいいですから考えてください。明日あなたのお宅へお伺いしますから」と言って、田辺プロデューサーが「このような内容で書いてください」とサラサラと参考文を紙に書いて、藍さんに渡したそうです。藍さんは、翌日浜崎氏から電話があったときに「私は署名するつもりはありませんから、家に来ないでください」ときっぱり断ったそうです。田辺プロデューサーが書いた文を藍さんは電話で読み上げてくださいましたが、その内容は「NHKに対して抗議文を書いたけれど、NHKからの説明で了解しました。今後NHKに対して抗議するつもりはありません」というものでした。また藍さんを通じて張俊彦さんも訪問したいと言われたそうですが、張さんは「そんなものに署名する気はちっともないから来なくていい!」ときっぱり断られたそうです。張さんは「親父が判任官で、日本人は六割の加俸があるが、同じ仕事をしても俸給に差別があった」と言っていた人で、チャンネル桜の二回目の訪問の時には、「あまりに悪いことばかり聞くもので、私は気を利かせて言ったんだ。他の国の植民地と比べて、日本がどれほど良心的だったか、インフラ建設、教育を徹底したかを。だがそういうことはちっとも出していない」とおっしゃっていました。
 このことが分かったのは、次の日の6月22日、午前9時過ぎに蒋松輝さんから「NHKが10時に私の家へ来るそうだから、三宅さんも来ませんか?」というお電話をいただいたからです。「私が行っても構わないのでしょうか」と遠慮していましたら、「構わないよ。両方の話を聞けばいいだろう」とおっしゃるので、それではと大慌てで用意して、永和市までタクシーで駆けつけました。ところが10時過ぎてもNHKの人は来ません。そうしているうちに電話があって、蒋さんが台湾語でしばらく話しておられました。私は90歳になられるという奥様と話が弾んでいて、電話には注意していなかったのですが、蒋さんが「NHKは来られないそうだ」とおっしゃって、また三人でおしゃべりしていました。蒋さんの奥様は日本人で、お二人が上海で知り合ったこと、上海で結婚して終戦になってから台湾へ帰ってこられたこと、父君の蒋渭水氏の思い出話等など、蒋松輝さんのお話も奥様のお話も面白くて、ついつい時を忘れていました。すると途中で、電話がリーンと鳴って消えます。「おかしいね、電話が切れたね」と奥様。またしばらくしてもう一度「リーン」で終わる。「電話どうかしたのかしらん?」と奥様。蒋さんは「いや、いいんだ」と平気な顔。そうこうしている内に正午近くになってしまったので、慌てて御いとますることにしました。その時も蒋さんは「NHKは座談会でもするんだろう、その時にはまた報せてあげるよ」とまで言ってくださったのです。その日の夕方、蒋さんからのお電話で「眼鏡を忘れたでしょう。取りにいらっしゃい」 どうやら眼鏡をソファに置き忘れたらしいのです。
 次の日出かけたついでに、寄り道をして蒋松輝さんのお家へ眼鏡を取りに行き、「今日はここですぐ失礼します」と入り口で失礼しようとしたら、奥様が眼鏡を持ってきて渡してくれながら「きのうね、あれからNHKさんが来たのですよ!」とおっしゃった。「え、そうなんですか?」と言いつつもその日は早々に帰りましたが、帰り道、「ああ、あのときの電話は、合図だったのか!」と謎が解ける思いでした。NHKは私が蒋さんの家から去るのを待っていたのでしょう。それは紛れもなく第三者が居ると都合が悪いことを話しに来たかったからにほかなりません! 蒋さんはそんなことおくびにも出さず、私に早く帰りなさいともおっしゃらなかったのですが。
 この憶測が更にはっきりしたのが、柯徳三さんと藍昭光さんのお話を聞いた後でした。蒋さんの家でこんなことがあったのですよと、柯徳三さんに電話したので「ああ、私の所へも来たよ」と教えてくださったのです。NHKはホームページで編集に間違いは無かった、正しかったことを表明し、抗議文の回答書にも、報道の正当性を繰り返しながら、なぜ蔭でコソコソ個人的に謝ったり泣きついてまで、自分たちに有利な証言をとろうとするのでしょうか? 蒋松輝さんが言ったようになぜ堂々と公開で座談会を開いて台湾の皆様に説明するなり、質問を受けるなりしないのでしょうか?
 この訪問は台湾のインタビューを受けた方々を再び戸惑わせ、後味の悪い思いをさせる結果となりました。一体どこまでこの方々に迷惑をかければ気が済むのでしょうか。なぜ柯徳三さんがおっしゃるように、「ちょっと謝ればいいじゃあないか」という意見を聞き入れないのでしょうか?或いは私たちには計り知れない隠された秘密、陰謀があるからなのでしょうか? 
             (ここまで その2)
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