老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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裏から見えてしまった (その3)


【日英博覧会とパイワン族】
 「人間動物園」と字幕つきで祖先を紹介された、パイワン族の牡丹郷高士村の方々も、同じ村出身で、嘗ては牡丹郷の郷長をなさった民俗学歴史学の研究者でもある華阿財さんが中心になって抗議文を提出されました。華阿財さんは、お兄さんが華愛さん。華愛さんは、戦後先住民としては初めての立法委員になられた人で、15年間勤めておられますが、随分前に中央放送局の国際放送で私が担当していた番組「フォルモサ便り」に登場いただいた事があります。最近では酒井充子さんの製作映画「台湾人生」にタリグ・ブジャスャンさんというパイワン族のお名前でご登場されましたが、惜しいことに2008年7月にご病気で亡くなられました。
 華阿財さんの話では「人間動物園」なんてとんでもない。100年も前に英国まで行った人たちのことは村でも栄誉な事として伝えられており、その後英国から植物学者が来たこともあって、村の年寄りたちが歌っていた英語の歌を私も聴き覚えで今も覚えていますよ」と歌まで口ずさんでくださった。村の人たちが晴れがましく感じて、美しい思い出としているものを、なぜ聞いたこともない「人間動物園」などという屈辱的な報道をして、私達を辱めるのか、きちんとNHKの担当者に説明してもらいたいということでしたが、その後、NHKはホームページに発表したのと同じような、植民地を持つ外国では「人間動物園」として殖民地の民を見世物にしていたことなどを長々と説明し、「パイワン族の方々、高士村の方々にとっても心地良くないできごとですが、現代とは状況や価値観が異なる、およそ百年前の事実として伝えたものだということをご理解下さい」としています。
NHKの説明には、東京朝日新聞からロンドンへ派遣された、長谷川如是閑記者の言葉を引用して【台湾村については、観客が動物園へ行ったように小屋を覗いている様子を見ると、これは人道問題である】と伝えています。
また、【1911年(明治44年)1月、帝国議会で立憲国民党の蔵原惟郭は、パイワン族の姿をロンドンで自ら確認した上で批判します。蔵原は、「観覧料を取って見せ物にしたということは人道上の大失策である」と発言しています。】
と説明していますが、それならなぜ、台湾総督府の出している「台湾日日新報」の、1910年(明治43年)9月29日、30日の二日にわたる記事を参考にしなかったのかと不思議に思います。この新聞はある台湾の少数民族研究者からいただいたものですが、今からおよそ百年前のこの新聞には「見世物にされたは不感服」という小見出しで、

【此の日英博には「小日本」と云ふ日本の各種職業を網羅した一部落がある 又「宇治村」と云ふ農業者から成り立つた一部落があつて共に六片(ペンス)の入場料で見世物となつて居る 生蕃館もアイヌ館も同様一の見世物に過ぎない キラルヒーなる博覧会代表者の欲深い猶太人が此等のものを呼物として博覧会を繁昌させる手段に供せられたので我々は此の仕打に甚だ不感服であるが 今更後悔しても取り返へしの付く話で無いから泣寝入りの外はない 尤も「愛蘭村」もあつて愛蘭人も見せ物になつて居るではないかと言ふ人もあるが此の愛蘭村は個人の興行物に過ぎない 寄席や芝居と性質を同じくして居る 苛しくも堂々たる官吏が監督者となつて英国まで見世物にされて居るのは餘り善い心持はしない 是も日英博覧会の性質を誤解した結果と思ふ 然し生蕃は一日二志(シリング)(我が一圓)宛の日當で旅費食料はシンジゲート持ち、外に絵ハガキ抔(など)の収入もあり 倫敦まで見物が出来るのであるから大きに仕合せであらう】

この記事には他にも村で婚約したカップルが、ロンドンで結婚式を挙げたことなど、非常にほほえましい記事や、パイワンの人達はすぐ簡単な英語を覚えて、当地の方々と友好的だったこと、何よりも【英国皇帝皇后の両陛下が御来館】されて一同と撮影なさったことは彼ら一代の面目を施した日であると書かれています。【英国皇帝ともあらう高貴の方が護衛なしに二三の侍従のみを従へさせられ自動車で来られた】そうで、パイワンの人々も驚いて、英国の天子様ではあるまい偽者だろうとまで語ったそうです。
 結局「観看料」はどのブースでも一律に6ペンス払う仕組みになっており、それは博覧会の主催者側の方針であり、台湾日日新聞によれば日本側はこの制度に「不感服」の立場をとっています。またこの記事からは、今から100年前、日本内地の人でも海外旅行ができたのは稀な時代に、海外へ行けることだけでも栄えあることで、明治43年に一日一圓というのは高報酬でもあり、このほかにも絵葉書を売ったお金も収入になっています。お金も貯まりお土産をいっぱい持ち帰ったと言いますから、当事者だけでなくクスクスの村全体にとっても晴れ晴れしい名誉なこととして語られたようです。それがどうして「人間動物園」などという蔑まされた紹介になってしまったのかと、聞いたこともない言葉に、華阿財さんや、インタビューを受けた方々が戸惑いと怒りを感じておられることがわかりました。(ここで「生蕃」という言葉ですが、明治政府は、初め清国が用いていた山地に住む先住民を「生蕃」、平地に住む先住民を「熟蕃」という言葉をそのまま使用していました。少数民族研究者の人から聞いた話では、大正12年4月、昭和天皇が摂政の宮の時台湾へ行啓なさり、阿美族の舞踊を見て、「こんなに優雅な舞踊をする民族をどうして「生蕃」などと呼ぶのか?」とお傍の人にお訊ねになってから、後に台湾の先住民のことを「高砂族」と呼ぶようになったという話です)

【悲しいねの意味】
 チャンネル桜が三回目に取材に来たとき、短い時間の中を強行軍で屏東県牡丹郷の高士村を訪れ、日英博覧会に参加した許進貴(チャバイバイ・チャバリトゥ)さん、その妹さんの高許月妹(チャバイバイ・ヴァヴア)さん、陳清福(パラル・ロンシン)さんから話を聞き、「悲しいね」というのは、お父さんの写真を見て、悲しくなるほど懐かしくて「悲しい」といったと聞いています。また「人間動物園」ということをNHKは一言も言わなかったそうです。これはいったいどういうことなのでしょうか。
NHKはここのところを次のように放送しています。

――台湾南部、高士村。パイワン族が暮らす村です。およそ100年前、日英博覧会に連れて行かれたのは、この村の出身者でした。

――博覧会の会場で売られていたパイワンの人々の写真です。裏には、高士村から来た、と記されていました。展示された青年の息子、許進貴(85)さん。そして娘の高許月(79)さんです。父親の名は、チャバイバイ・プリャルヤン。チャバイバイさんは生前、博覧会のことについて子供達に語ることはありませんでした。
高許月:
「(字幕)悲しいね。この出来事の重さ語りきれない」
その横から声(日本語):
「悲しいね、語りきれないそうだ。悲しい、この重さね、話しきれないそうだ」
――

 この場面からは、視聴者は父親が人間動物園で見世物にされたから「悲しいね」と言い、「この出来事の重さ語りきれない」と暗澹たる気持ちで嘆いておられると胸の塞がる思いがするはずです。私自身がそう受け取りましたから、多分他の方々も同じように受け止めたことと思います。
 ところが問題は、ご本人はそういう意味で言ったのではないということです。
 このたび機会があって、片倉佳史さんと9月6日に屏東へ行き、華阿財さんと合流して、華さんの運転する車で、クスクス村を訪れました。お兄さんの華愛さんからお話を聞いていたクスクスには一度行ってみたいと前から思っていましたが、それが叶ったわけで、しかもNHKで発言した方々と直接真実のお話が聞けることに、期待で胸を弾ませる思いでした。恒春半島の熱帯の美しい景色を車窓に眺めつつ、華阿財さんの造詣深い先住民族の歴史に耳を傾け、また片倉佳史さんの各所での紹介や二人の会話に、台北だけにいてはとうてい知ることのできない最南部の台湾を満喫しながらの旅でした。
牡丹郷はその昔「牡丹社事件」のあったところで、今では子孫の方々と恩讐を超えた交流がなされています。牡丹郷高士村は、山の中へ入った大自然に育まれた美しい所です。
私たちが到着すると、許進貴さんが「ようこそいらっしゃいました。どうぞどうぞ!お入りください!」と大きな声でおっしゃいました。耳がほとんど聞こえないので、対話は難しいのですが、自分が思うことを話したり、文字を読むことはできます。インドのガンジーのような風貌をしておられ、姿勢もよく、華阿財さんの話では昔警察官をしており、またリレー選手として活躍なさったそうです。妹のヴァヴアさん(日本名はま子さん)も小柄な少しはにかみ屋の女性。NHKはヴァヴアさんの中国名を「高許月」として間違って紹介し、「高許月妹」に改正しようともしませんが、正しくは高家にお嫁に行った許月妹さんですから、高許月妹と書くわけです。月妹さん(ヴァヴアさん)は、日本語はかなり話せるのですが、あらたまると陳清福(ロンシン)さんの通訳に頼ってしまわれます。ロンシンさんは小柄ですが矍鑠とした方で、その昔は槍投げの名人で、スポーツ万能選手だったということです。学校の教員をしておられたそうで、いかにも真面目一徹といった好感の持てる方です。ヴァヴアさんは、お父さんが亡くなって何十年も見なかった写真を突然見て、懐かしさの余り心が痛くなった。つまり懐かしさと切なさに泣きたくなったそうです。ロンシンさんの話では、「NHKの人が写真を見せて、それでもう懐かしい気持ちでいっぱいになって、NHKの人が何を言ったとしてもヴァヴアさんの耳には入らないよ。頭の中はお父さんのことでいっぱいだ。しかしあの時人間動物園なんて言わなかったし、そんな説明もなかった」とおっしゃり、「私たちは正直にまっすぐに話しているのに、あれたちがまっすぐなものを曲げて嘘を言うのは許せない!」と真面目一徹の身体から当惑と怒りを発しておられました。浜崎氏たちは三日もこの村へ通ったそうで、いくら日本語の語彙が適切でないところがあったとはしても、虚心に相手を理解しようと思えば、その心や気持ちは十分に伝わってくるはずです。ヴァヴアさんやロンシンさんの心や気持ちを全く無視して、「人間動物園として見世物にされたから悲しい、この事の重さ語りきれない」という方向に勝手に持っていった捏造は許せることではありません。
 ロンシンさんは旧クスクス村にあった、クスクス神社跡へも案内して、神社再建の話を熱く語ったそうですが、勿論それも全く出ませんでした。ロンシンさんは、精神の拠り所として昔の神社跡に、それに似たものを再建してクスクス(現在の高士村)を再び神様がお守りくださるようにという夢を持っておられました。
 NHKはロンシンさんを「通訳です」と説明していますが、ロンシンさんは通訳の報酬は貰わなかったそうです。

こうしてみるとNHKの取材はいったい何のためであったのかと疑うばかりです。番組に出た台湾のほとんどの人が、びっくりするような内容になって居るということは大いに問題があります。台湾の日本語世代の方々は、NHKを見るのが好きなわけで、朝からNHKを見ている人が多いのです。台湾のテレビを見るよりも、美しい画面を見て、日本語を聞くほうが心が安らぐからなのです。ところが「JAPAN・デビュー」は、そんな日本語世代の方々の心を裏切る内容だったのです。
 日本人になりたかったかと聞かれて「厭だね!馬鹿にしおって!」と涙を見せたSさんは、「つい最近の齋藤大使の台湾の帰属発言で、日本の外務省はすぐあれは政府の見解ではなく、齋藤個人の発言であると発表したでしょう。これでも分かるように、日本は頼りにならん。日本にも失望した。アメリカにも失望した。陳前総統にも失望した。馬政府にも失望した。そこで我々は新しいことを考えている。軍隊のときに金門から泳いで大陸へ逃げた林という人が北京政府で出世し、現在世界投資銀行で活躍している。この人間を呼び戻して馬総統と競走させて総統にでもなれば、台湾は平和的に統一する。国民党がお金を持っているといっても中国の方がもっと大きいからね」という考えを持っておられました。つまり台湾共産党をつくればいい、ということで吃驚しました。
 そのSさんにしても、「昔の日本人は強かった。そして賄賂を取らない清廉潔白だった」と語っておられました。「あの時は、一中四年生の時に苛められた日本人の同級生のことを思い出して、あんなことを言ってしまったが、泣いたところが映ったのですか、何ともお恥ずかしい」と言っておられました。
 柯徳三さんも言っておられましたが、「不満があるとしたら戦後の日本にです」という台湾の日本語世代の方々の心の内を思いやることが大切ではないでしょうか。
 

NHK問題はまだまだこれからも続くのでしょうが、裏から見たときに如何にいい加減な編集で情報を伝えているかということ、NHKという世界中で利用されている権威あるテレビ局が、こんなデタラメな編集の仕方をしていいのかと、大いに疑問に感じました。間違った報道がどんどん一人歩きしてゆく例を見てしまったのです。台湾の日本語世代の人々が、もちろん批判はしながらも、しかし「日本人は清廉潔白だ」「正直だ」「責任感がある」「約束を守る」などと心の中で信じておられる気持ちを、完全に裏切る行為であったのです。これでは過去を見つめても、将来に役立つはずがありません。
裏から見えてしまったことに心寒々としたものを感じつつも、この件に対して一万人を越える日本の方々が集団提訴されたことなどで、まだまだ救いがあるとも感じています。
                   (終わり)


【日英博覧会とパイワン族】
 「人間動物園」と字幕つきで祖先を紹介された、パイワン族の牡丹郷高士村の方々も、同じ村出身で、嘗ては牡丹郷の郷長をなさった民俗学歴史学の研究者でもある華阿財さんが中心になって抗議文を提出されました。華阿財さんは、お兄さんが華愛さん。華愛さんは、戦後先住民としては初めての立法委員になられた人で、15年間勤めておられますが、随分前に中央放送局の国際放送で私が担当していた番組「フォルモサ便り」に登場いただいた事があります。最近では酒井充子さんの製作映画「台湾人生」にタリグ・ブジャスャンさんというパイワン族のお名前でご登場されましたが、惜しいことに2008年7月にご病気で亡くなられました。
 華阿財さんの話では「人間動物園」なんてとんでもない。100年も前に英国まで行った人たちのことは村でも栄誉な事として伝えられており、その後英国から植物学者が来たこともあって、村の年寄りたちが歌っていた英語の歌を私も聴き覚えで今も覚えていますよ」と歌まで口ずさんでくださった。村の人たちが晴れがましく感じて、美しい思い出としているものを、なぜ聞いたこともない「人間動物園」などという屈辱的な報道をして、私達を辱めるのか、きちんとNHKの担当者に説明してもらいたいということでしたが、その後、NHKはホームページに発表したのと同じような、植民地を持つ外国では「人間動物園」として殖民地の民を見世物にしていたことなどを長々と説明し、「パイワン族の方々、高士村の方々にとっても心地良くないできごとですが、現代とは状況や価値観が異なる、およそ百年前の事実として伝えたものだということをご理解下さい」としています。
NHKの説明には、東京朝日新聞からロンドンへ派遣された、長谷川如是閑記者の言葉を引用して【台湾村については、観客が動物園へ行ったように小屋を覗いている様子を見ると、これは人道問題である】と伝えています。
また、【1911年(明治44年)1月、帝国議会で立憲国民党の蔵原惟郭は、パイワン族の姿をロンドンで自ら確認した上で批判します。蔵原は、「観覧料を取って見せ物にしたということは人道上の大失策である」と発言しています。】
と説明していますが、それならなぜ、台湾総督府の出している「台湾日日新報」の、1910年(明治43年)9月29日、30日の二日にわたる記事を参考にしなかったのかと不思議に思います。この新聞はある台湾の少数民族研究者からいただいたものですが、今からおよそ百年前のこの新聞には「見世物にされたは不感服」という小見出しで、

【此の日英博には「小日本」と云ふ日本の各種職業を網羅した一部落がある 又「宇治村」と云ふ農業者から成り立つた一部落があつて共に六片(ペンス)の入場料で見世物となつて居る 生蕃館もアイヌ館も同様一の見世物に過ぎない キラルヒーなる博覧会代表者の欲深い猶太人が此等のものを呼物として博覧会を繁昌させる手段に供せられたので我々は此の仕打に甚だ不感服であるが 今更後悔しても取り返へしの付く話で無いから泣寝入りの外はない 尤も「愛蘭村」もあつて愛蘭人も見せ物になつて居るではないかと言ふ人もあるが此の愛蘭村は個人の興行物に過ぎない 寄席や芝居と性質を同じくして居る 苛しくも堂々たる官吏が監督者となつて英国まで見世物にされて居るのは餘り善い心持はしない 是も日英博覧会の性質を誤解した結果と思ふ 然し生蕃は一日二志(シリング)(我が一圓)宛の日當で旅費食料はシンジゲート持ち、外に絵ハガキ抔(など)の収入もあり 倫敦まで見物が出来るのであるから大きに仕合せであらう】

この記事には他にも村で婚約したカップルが、ロンドンで結婚式を挙げたことなど、非常にほほえましい記事や、パイワンの人達はすぐ簡単な英語を覚えて、当地の方々と友好的だったこと、何よりも【英国皇帝皇后の両陛下が御来館】されて一同と撮影なさったことは彼ら一代の面目を施した日であると書かれています。【英国皇帝ともあらう高貴の方が護衛なしに二三の侍従のみを従へさせられ自動車で来られた】そうで、パイワンの人々も驚いて、英国の天子様ではあるまい偽者だろうとまで語ったそうです。
 結局「観看料」はどのブースでも一律に6ペンス払う仕組みになっており、それは博覧会の主催者側の方針であり、台湾日日新聞によれば日本側はこの制度に「不感服」の立場をとっています。またこの記事からは、今から100年前、日本内地の人でも海外旅行ができたのは稀な時代に、海外へ行けることだけでも栄えあることで、明治43年に一日一圓というのは高報酬でもあり、このほかにも絵葉書を売ったお金も収入になっています。お金も貯まりお土産をいっぱい持ち帰ったと言いますから、当事者だけでなくクスクスの村全体にとっても晴れ晴れしい名誉なこととして語られたようです。それがどうして「人間動物園」などという蔑まされた紹介になってしまったのかと、聞いたこともない言葉に、華阿財さんや、インタビューを受けた方々が戸惑いと怒りを感じておられることがわかりました。(ここで「生蕃」という言葉ですが、明治政府は、初め清国が用いていた山地に住む先住民を「生蕃」、平地に住む先住民を「熟蕃」という言葉をそのまま使用していました。少数民族研究者の人から聞いた話では、大正12年4月、昭和天皇が摂政の宮の時台湾へ行啓なさり、阿美族の舞踊を見て、「こんなに優雅な舞踊をする民族をどうして「生蕃」などと呼ぶのか?」とお傍の人にお訊ねになってから、後に台湾の先住民のことを「高砂族」と呼ぶようになったという話です)

【悲しいねの意味】
 チャンネル桜が三回目に取材に来たとき、短い時間の中を強行軍で屏東県牡丹郷の高士村を訪れ、日英博覧会に参加した許進貴(チャバイバイ・チャバリトゥ)さん、その妹さんの高許月妹(チャバイバイ・ヴァヴア)さん、陳清福(パラル・ロンシン)さんから話を聞き、「悲しいね」というのは、お父さんの写真を見て、悲しくなるほど懐かしくて「悲しい」といったと聞いています。また「人間動物園」ということをNHKは一言も言わなかったそうです。これはいったいどういうことなのでしょうか。
NHKはここのところを次のように放送しています。

――台湾南部、高士村。パイワン族が暮らす村です。およそ100年前、日英博覧会に連れて行かれたのは、この村の出身者でした。

――博覧会の会場で売られていたパイワンの人々の写真です。裏には、高士村から来た、と記されていました。展示された青年の息子、許進貴(85)さん。そして娘の高許月(79)さんです。父親の名は、チャバイバイ・プリャルヤン。チャバイバイさんは生前、博覧会のことについて子供達に語ることはありませんでした。
高許月:
「(字幕)悲しいね。この出来事の重さ語りきれない」
その横から声(日本語):
「悲しいね、語りきれないそうだ。悲しい、この重さね、話しきれないそうだ」
――

 この場面からは、視聴者は父親が人間動物園で見世物にされたから「悲しいね」と言い、「この出来事の重さ語りきれない」と暗澹たる気持ちで嘆いておられると胸の塞がる思いがするはずです。私自身がそう受け取りましたから、多分他の方々も同じように受け止めたことと思います。
 ところが問題は、ご本人はそういう意味で言ったのではないということです。
 このたび機会があって、片倉佳史さんと9月6日に屏東へ行き、華阿財さんと合流して、華さんの運転する車で、クスクス村を訪れました。お兄さんの華愛さんからお話を聞いていたクスクスには一度行ってみたいと前から思っていましたが、それが叶ったわけで、しかもNHKで発言した方々と直接真実のお話が聞けることに、期待で胸を弾ませる思いでした。恒春半島の熱帯の美しい景色を車窓に眺めつつ、華阿財さんの造詣深い先住民族の歴史に耳を傾け、また片倉佳史さんの各所での紹介や二人の会話に、台北だけにいてはとうてい知ることのできない最南部の台湾を満喫しながらの旅でした。
牡丹郷はその昔「牡丹社事件」のあったところで、今では子孫の方々と恩讐を超えた交流がなされています。牡丹郷高士村は、山の中へ入った大自然に育まれた美しい所です。
私たちが到着すると、許進貴さんが「ようこそいらっしゃいました。どうぞどうぞ!お入りください!」と大きな声でおっしゃいました。耳がほとんど聞こえないので、対話は難しいのですが、自分が思うことを話したり、文字を読むことはできます。インドのガンジーのような風貌をしておられ、姿勢もよく、華阿財さんの話では昔警察官をしており、またリレー選手として活躍なさったそうです。妹のヴァヴアさん(日本名はま子さん)も小柄な少しはにかみ屋の女性。NHKはヴァヴアさんの中国名を「高許月」として間違って紹介し、「高許月妹」に改正しようともしませんが、正しくは高家にお嫁に行った許月妹さんですから、高許月妹と書くわけです。月妹さん(ヴァヴアさん)は、日本語はかなり話せるのですが、あらたまると陳清福(ロンシン)さんの通訳に頼ってしまわれます。ロンシンさんは小柄ですが矍鑠とした方で、その昔は槍投げの名人で、スポーツ万能選手だったということです。学校の教員をしておられたそうで、いかにも真面目一徹といった好感の持てる方です。ヴァヴアさんは、お父さんが亡くなって何十年も見なかった写真を突然見て、懐かしさの余り心が痛くなった。つまり懐かしさと切なさに泣きたくなったそうです。ロンシンさんの話では、「NHKの人が写真を見せて、それでもう懐かしい気持ちでいっぱいになって、NHKの人が何を言ったとしてもヴァヴアさんの耳には入らないよ。頭の中はお父さんのことでいっぱいだ。しかしあの時人間動物園なんて言わなかったし、そんな説明もなかった」とおっしゃり、「私たちは正直にまっすぐに話しているのに、あれたちがまっすぐなものを曲げて嘘を言うのは許せない!」と真面目一徹の身体から当惑と怒りを発しておられました。浜崎氏たちは三日もこの村へ通ったそうで、いくら日本語の語彙が適切でないところがあったとはしても、虚心に相手を理解しようと思えば、その心や気持ちは十分に伝わってくるはずです。ヴァヴアさんやロンシンさんの心や気持ちを全く無視して、「人間動物園として見世物にされたから悲しい、この事の重さ語りきれない」という方向に勝手に持っていった捏造は許せることではありません。
 ロンシンさんは旧クスクス村にあった、クスクス神社跡へも案内して、神社再建の話を熱く語ったそうですが、勿論それも全く出ませんでした。ロンシンさんは、精神の拠り所として昔の神社跡に、それに似たものを再建してクスクス(現在の高士村)を再び神様がお守りくださるようにという夢を持っておられました。
 NHKはロンシンさんを「通訳です」と説明していますが、ロンシンさんは通訳の報酬は貰わなかったそうです。

こうしてみるとNHKの取材はいったい何のためであったのかと疑うばかりです。番組に出た台湾のほとんどの人が、びっくりするような内容になって居るということは大いに問題があります。台湾の日本語世代の方々は、NHKを見るのが好きなわけで、朝からNHKを見ている人が多いのです。台湾のテレビを見るよりも、美しい画面を見て、日本語を聞くほうが心が安らぐからなのです。ところが「JAPAN・デビュー」は、そんな日本語世代の方々の心を裏切る内容だったのです。
 日本人になりたかったかと聞かれて「厭だね!馬鹿にしおって!」と涙を見せたSさんは、「つい最近の齋藤大使の台湾の帰属発言で、日本の外務省はすぐあれは政府の見解ではなく、齋藤個人の発言であると発表したでしょう。これでも分かるように、日本は頼りにならん。日本にも失望した。アメリカにも失望した。陳前総統にも失望した。馬政府にも失望した。そこで我々は新しいことを考えている。軍隊のときに金門から泳いで大陸へ逃げた林という人が北京政府で出世し、現在世界投資銀行で活躍している。この人間を呼び戻して馬総統と競走させて総統にでもなれば、台湾は平和的に統一する。国民党がお金を持っているといっても中国の方がもっと大きいからね」という考えを持っておられました。つまり台湾共産党をつくればいい、ということで吃驚しました。
 そのSさんにしても、「昔の日本人は強かった。そして賄賂を取らない清廉潔白だった」と語っておられました。「あの時は、一中四年生の時に苛められた日本人の同級生のことを思い出して、あんなことを言ってしまったが、泣いたところが映ったのですか、何ともお恥ずかしい」と言っておられました。
 柯徳三さんも言っておられましたが、「不満があるとしたら戦後の日本にです」という台湾の日本語世代の方々の心の内を思いやることが大切ではないでしょうか。
 

NHK問題はまだまだこれからも続くのでしょうが、裏から見たときに如何にいい加減な編集で情報を伝えているかということ、NHKという世界中で利用されている権威あるテレビ局が、こんなデタラメな編集の仕方をしていいのかと、大いに疑問に感じました。間違った報道がどんどん一人歩きしてゆく例を見てしまったのです。台湾の日本語世代の人々が、もちろん批判はしながらも、しかし「日本人は清廉潔白だ」「正直だ」「責任感がある」「約束を守る」などと心の中で信じておられる気持ちを、完全に裏切る行為であったのです。これでは過去を見つめても、将来に役立つはずがありません。
裏から見えてしまったことに心寒々としたものを感じつつも、この件に対して一万人を越える日本の方々が集団提訴されたことなどで、まだまだ救いがあるとも感じています。
                   (終わり)
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