老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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2011.01.04    編集

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前回好評を得ました「天皇への道」下をお送りします。

国際派日本人養成講座 より。

国柄探訪: 天皇への道(下)~ 皇太子を御護りした人々
 皇太子は、なんとしても皇室をお護りしよう人々
の思いを受けとめながら、成長されていった。



■1.「月の沙漠を はるばると」■

 アメリカ軍が皇太子殿下を本国に強制拉致する可能性がある、
との情報に、高杉善治・陸軍中佐は、万一の場合、殿下に会津
若松に避難いただくという対策を立てた。

 その上で穂積侍従長に「私どもが生きてある限り、絶対に殿
下のご安泰をご守護申し上げます所存ゆえ、どうぞご安心下さ
い」と力強く申し上げた。この時の心中を中佐はこう語ってい
る。

 このとき、私のからだ中に熱い血がかけめぐるのを覚え
た。その責任の重大さ、その光栄、わが20年の軍人生活
のうちに、皇室から受けたご恩寵にお報いできる最後の機
会である。また軍人として死所を与えられたという悦びと
勇気とが、火の玉となって私のからだをかけめぐったので
ある。[1,p93]

 生徒らの動揺を避けるため、この計画は極秘のうちに準備さ
れ、いざという場合には、いつでも実行できるようにしておい
た。

 奥日光の八月末は、夜ともなると冷え込むので、夕食の後は
生徒たちは食堂のストーブを囲んで、『月の沙漠』などの歌を
歌った。

月の沙漠を はるばると
旅のらくだが 行きました

 森閑とした山奥で、少年の澄みきった声が響くとき、高杉中
佐は、月の夜に殿下が馬に乗られて会津落ちされる光景を想像
して、胸を締めつけられる思いがした。

 殿下は、そんな計画など知るよしもなかったが、ときどき歌
をやめ、うつむいて何か物思いにふけるように考え込んでおら
れた。

■2.小金井の御仮寓所へ■

 奥日光にも占領軍がやってきたが、昭和天皇が「戦争遂行に
伴うすべての事に全責任をとる」と言われてマッカーサーを感
動せしめられた事も手伝ってか[a]、高杉中佐らが心配したよ
うなことは起こらなかった。

 いよいよ東京に帰る算段をしなければならなかったが、殿下
のかつてのお住まいであった青山御所内の東宮仮御所は空襲で
灰燼に帰していた。殿下お一人だけでなく、約50人の東宮職
の職員がいたので、彼らを収容する場所を考えなければならな
かった。しかし陛下からは、多くの国民が防空壕生活をしてい
る時に、住まいを新築するなど絶対にならぬ、と言われていた。

 そこで葉山御用邸の近くにあった供奉(ぐぶ)員宿舎を武蔵
野の小金井に移築して、仮の御所とすることになった。

 昭和21(1946)年5月、殿下は移築された御所に入られた。
古い家を使ったものなので、きわめてお粗末であり、周囲の垣
も節穴だらけの板塀一枚で、節穴から御座所が覗けるありさま
であった。

 軍事教官だった高杉善治中佐は、陸軍の解体とともに軍職を
退いたが、引き続きご警衛係として、殿下のお側でお仕えする
ことになった。

■3.御所の自給自足■

 こうして住まいの方は何とかなったが、食糧難の方は深刻で
あった。配給食糧だけではとても足りないので、一般の国民は
農村に買い出しに行って、ヤミの食糧を補充していた。しかし、
御所の職員は職業柄、そんな事はできず、御料(殿下のご食糧)
にも事欠く状態であった。

 そこで御所の周辺の空き地を畑にして、食糧を自給自足でき
るようにしようということになった。職員たちは勤務の余暇に
にわか百姓となって、空き地の開墾を始めたが、草を刈り、根
を掘り返す重労働に、手は豆だらけ、体はくたくたになってし
まった。それでも手に包帯を巻きながら、作業を続けた。

 最初に主食となるジャガイモを植えた。近所の農家から種ま
きや除草のやり方を教わり、侍従や侍医も暇さえあれば、農作
業に精を出して、6月にはどうやら第一回目の収穫が出来た。
皆で自作のジャガイモを掘り出して、リュックに詰めた時のう
れしさは忘れられないものとなった。

 殿下も放課後に慣れないお手つきで鍬(くわ)を持って、畝
を切ったり、種まきをされた。また朝には作物の成長をご覧に
なって、楽しんでおられた。

 御所の近くに横山正次さんという篤農家がおり、一家総出で
殿下用の御料畑の種まきから手入れまで、指導しながら手伝っ
てくれた。さらに3男坊の三衛君(当時16歳)を専属でつけ
て、御料畑の手伝いをしてくれた。農家育ちの16歳の少年は、
サツマイモ、小麦、スイカ、キュウリ、大根なども見事に育て、
主食と野菜はどうやら自給できるようになった。

 また、近所のお百姓さんたちも、野良着のまま御所にやって
きて「おらが畑でとれらもんだで、東宮さまに召し上がってい
ただこうと思って、持ってきやんしたでがす」と、野菜や果物
を献上しれくれたこともたびたびだった。

■4.ヒヨコを育てる■

 ある時、殿下が高杉氏にこんな相談を持ちかけた。いかにも
力のないお声だった。

 このまえ皇居にいったとき、あちらでは鶏を飼っていて、
毎朝卵を産んでいるので、ここでも飼いたいと思って、事
務のほうへ相談してもらったけれど、予算がないからだめ
だと断られたの。僕は鶏が好きで飼ってみたくてしようが
ないんだが、なにかうまい方法はないかしら。

 高杉氏は「なんとか工夫してみましょう」と答え、事務所に
行って交渉してみたが、「予算がないからとてもできない」と
いう。当時の殿下の内廷費(私生活および学習等の一切の費用)
は年額わずかに1万円と、高杉氏の給料より少ない金額だった。

 この終戦下の時代でも、金持ちの中にはヤミで銀飯(白米)
を食べている者も多数いるというのに、殿下が鶏の5羽や10
羽飼うことができないとは情けない、と高杉氏は思った。

 立川の農事試験場に相談に行くと、そういうことなら、と元
気なヒヨコを10羽分けてくれた。代金を払おうとしたが、ど
うしても受け取ってくれない。

 思いがけぬ試験場の好意によって得られたヒヨコを、高杉氏
は板きれで作った小箱に入れて、殿下にお見せした。殿下は小
躍りせんばかりにお喜びになって、ヒヨコを掌に載せると、そ
の体をいつまでも撫でておられた。

 事務所が飼料の予算を出してくれないので、御料の畑でトウ
モロコシを作り、それを餌にすることにした。横山少年の献身
的な世話で、ヒヨコも順調に育っていった。

 彼はおしゃべりもせず、いつもただ笑顔で、黙々と陰ひなた
なく、誠実に働いた。毎朝、鶏舎を訪れる殿下の嬉しそうなお
顔を見て、心ひそかに満足しているようであった。

■5.勤労奉仕の青年男女■

 当時は皇居の焼け跡片付けに、全国から自主的に多数の青年
男女が上京して、勤労奉仕をしていたが、殿下の御所にも毎日
十数人の奉仕者がやってきた。

 終戦直後で物資が不足し、交通機関も混乱していて移動する
だけでも難儀なときに、はるばる青森や九州から、皇居や御所
の復旧のために、食糧持参で来るのである。

 勤労奉仕の人々が作業を終えて帰るときは、殿下も学習院の
制服姿でお出ましになり「ありがとう、ご苦労様でした」と、
心のこもった感謝のご挨拶をされるのが常であった。

 奉仕者たちは、殿下のお姿を拝し、直にお言葉を聞く光栄に
感激するとともに、この荒れ果てた御所での質素なご生活を目
の当たりにして、なかには涙を流して顔をあげられない者もい
た。

■6.竹中青年の志■

 そんな奉仕者の一人に、岐阜県出身の竹中太郎という青年が
いた。彼は一行と共に勤労奉仕のため御所にやってきて、奉仕
の仕事をしたのだが、御所のあまりにもお粗末な様に心を痛め
た。そこで各地から集まった青年たちと話し合って、高杉氏に
次のような申し出をした。

 全国の農村青年が各県から数人ずつ一か月交替で奉仕し
て、日夜、殿下のお顔を拝しながら、修養と農業研究に励
みたいということになりました。費用はもちろん自弁で、
米、みそ、しょうゆなども持参してきますから、宿泊する
ところだけ貸していただければ結構です。この御料農園を
われわれ農村青年の聖地として奉仕したいのです。

 高杉氏は竹中青年たちの忠義の志には感激したが、侍従た
ちとも相談した結果、アメリカ軍の占領下で、皇太子殿下を
中心に全国青年が結集する事はあらぬ疑いを招く、と考え、
そのむねを竹中青年に説明した。

 竹中青年は「よく分かりました」と納得したが、「青年団
として無理だったら、私個人の資格で許していただけません
か」となおも食い下がった。郷里の田畑は妻に任せ、自分は
助手の青年と御所に住み込んで奉仕をするという。

 高杉氏は竹中青年の熱意に動かされて、申し出を受け入れ
た。竹中青年は助手とともに、粗末な納屋に寝泊まりして、
毎朝5時に起きては、御料農園の農作業に打ち込んだ。

 無報酬の奉仕作業だったが、竹中青年は時折、殿下から
「ありがとう」と声をかけられるのを無上の光栄と感じ、そ
の感激を繰り返し高杉氏に語るのだった。

■7.人々への思いやり■

 多感な少年時代に、このように自分のために誠心誠意尽く
してくれる人々に囲まれて成長されていった事で、殿下は人
びとへの思いやりの心を一層、深められたのだろう。

 ご通学の際は、御所の東門から出られるのだが、ある日の
朝、いつものように東門を出られると、そこに立っている皇
宮警手が敬礼をした。殿下は答礼をなさって少し歩かれてか
ら、高杉氏に「きょうは星野はどうしたのかしら?」と聞か
れた。

 そう聞かれて高杉氏が振り返ってみると、たしかにいつも
東門に立ち番をしている老警手の星野氏ではなく、別の人が
立っていた。

 昭和24年12月28日夜、冬休みに殿下が葉山の御用邸
に泊まられている際に、小金井の御所が全焼するという事件
が起こった。ご食堂の引き込み線の漏電が原因であった。火
の手が上がってから、数人の宿直員が必死に消火にあたった
が、間に合わなかった。警衛の一人、八十島三郎氏は火の海
になっていた御座所に飛び込んで、殿下の身の周りの品を取
り出そうとして、顔面に火傷を負った。

 葉山の御用邸で殿下は弟君の義宮様ととトランプをしてい
る最中に、その知らせを受けられた。びっくりしたようなお
顔をされたが、まず第一に仰ったのは、「それでけが人はな
かった?」ということであった。人命には異状のなかったこ
とにホッとされて、「いま勝負の途中だから、あとで詳しく
聞くから」と再びトランプを続けられた。

 殿下にしてみれば、大切なアルバムや記念の品々などがす
べて灰燼に帰してしまったわけで、さぞや残念な思いをされ
ただろうが、そのお気持ちをご表情に出してしまうと、関係
者に責任を感じさせてしまう。そういう思いやりが、とっさ
の間にも働くように、皇太子殿下は成長されていたのである。
御年17歳のことであった。

■8.初めての御外遊■

 昭和28年、殿下は初めてのご外遊に出られた。アメリカ
を経由して欧州に渡り、イギリスでエリザベス女王の戴冠式
に、天皇陛下のご名代として参列されたのである。また欧米
の12の国々を歴訪されて、各国首脳、官民と親しく接せら
れて、親善を深められた。

 わずか19歳、一般の子弟で言えば、高校を出たばかりの
青年である。しかも、その前年にサンフランシスコ講和条約
が発効して、日本の独立回復直後の大役であった。

 列車で北米大陸を横断される際には、沿道の各駅には日本
人の居留民が出迎えた。そうした際には、日中はもちろん、
真夜中でも殿下は必ずホームに下りたって、お応えされた。

 4月16日午前5時頃、汽車がカナダのフォー・ウィリア
ムズという駅についた時のことである。雪であたり一面銀世
界となった零度以下の夜明けであった。殿下はお疲れで休ん
でおられたが、ホームでざわざわと大勢の人声がするので、
ふと目が醒めて外を見ると、ホームには2百人あまりの在留
邦人がお出迎えに集まっていた。

 殿下はパジャマの上に外套を引っかけて、窓からお顔を出
して、手を振ってお応えになられた。人々は思いがけないお
出ましに涙を流して、万歳を連呼した。戦争中、また戦後も
敵国民として冷たい視線のもとで暮らしてきた在留邦人にとっ
て、祖国とのつながりを感じた一瞬であったろう。その思い
を殿下はじかに感じとられていたはずである。

■9.思いやりの循環■

 終戦直後は皇室にとっても危機の時代であった。その皇室
を、多くの国民がひたすらに国を思う無私の心から支え続け
た。

 多感な少年時代に、そうした国民の思いを受けとめながら
成長された今上陛下は、いよいよ国民統合の中心としての役
割を果たそうとの御覚悟を固められたのだろう。その御覚悟
は、即位後の20年間に180回以上のご巡幸で全都道府県
514市町村を訪問された御足跡に現れている。[b]

 国民が皇室を護り、皇室が国民の幸福を祈る。そうした互
いへの思いやりの循環こそ、我が国の国民統合の基盤である。
(文責:伊勢雅臣)
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