老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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これが共産主義の実態です。
理論は、実際を粉飾するための衣です。


~誰よりも中国を知る男が、日本人のために伝える中国人考~

石平(せきへい)のチャイナウォッチ

http://www.seki-hei.com

  ■ ポスト胡錦濤への死闘とその背景 ■



10月5日のメルマガでは、
中国建国60周年記念日前後で露呈してきた
共産党政権内の権力闘争の様子をリポートしたが、
今回は、ポスト胡錦濤へ向けての権力争いの背景と
今までの経緯を簡単にまとめて皆様に伝えようとする。

実は、後継者問題を巡る胡錦濤総書記と江沢民氏との対立は、
中国政治の内幕から見れば、「太子党」と「共青団派」
との勢力争いとしての側面がある。

「太子党」とはすなわち、建国に貢献した
「革命第一世代」の子弟たちの形成する政治勢力である。

彼らは父親世代の影響力を背景にして政治の世界で
順調な出世を果たして、「革命の血統」を受け継いだ自分たちこそが
政権の正統なる継承者だと自負している。

それに対して、いわば「共青団派」幹部のほとんどは
普通の平民や知識人家庭の出身である。
彼らには頼るべき「親の七光り」もなければ
「革命の血統」をもっているわけでもない。

唯一頼りにしているのは、党幹部の予備軍を用意するための
「共産主義青年団」という組織である。
彼らはこの組織の中で頭角を現して政界入りの糸口をつかみ、
個人的な努力で出世の階段を一つずつ上がっていくのである。

このような異なった政治的背景のなかで、「太子党」と「共青団派」はそれぞれ、
まったく性質の違った政治集団を作り上げている。

「太子党」は、「革命の血統」を共通項にして
独特の人脈を作って連帯感を強めているのに対し、
「共青団派」の幹部たちは共産主義青年団を母体にして
強い連帯意識と共通した利害関係をもつ一大派閥を作っているわけである。

出自も帰属意識もまったく異なったこの二つの集団は
中国の政界においてそれぞれの勢力を形成していると、
いわば勢力争いが生じてくるのは当然のことである。

それに加えて、二大勢力の間には感情的対立も甚だしい。

「太子党」の人たちは

「俺たちの父兄が血を流して作ったこの政権をお前ら平民の倅に渡すもんか」

と思えば、「共青団派」の幹部からすれば、

「自分の能力だけを頼りにしてここまでやってきた俺たちにこそ
政権を受け継ぐ資格があるのではないか。
親の七つ光に頼って出世したお前らだけには負けたくはないぞ」

という気持ちになるのである。

このように、「太子党」と「共青団派」との勢力争いと対立は、
現代中国の権力構造を形作った主軸の一つとなっているが、
今や渦中の人物となっている習近平国家副主席はまさしく、
「太子党」の代表格なのである。

彼の父親である習仲勳は1928年に草創期の中国共産党に
入党した古参幹部で、建国後には中央宣伝部長・国務院副総理・
政治局委員・全人代副委員長を歴任した大物政治家である。

習近平本人は1979年に、父親の習仲勳と同世代の古参幹部である
耿(当時は国務院副総理・党中央軍事委員会秘書長)の秘書を
務めることから政界入りして、それ以来、アモイ市副市長・福州市党書記
福建省長・上海市党書記と出世の段階を順調に上がって来た。

そして、07年秋に政治局常務委員に昇任して
ポスト胡錦濤への最有力候補となると、
彼はまた、「太子党」の厳然とした次世代領袖格と目されるようになった。

習近平の政治局常務委員就任は、江沢民氏と江沢民派幹部が
強く推したことの結果であることは前述の通りだが、
実は、もともと平民出身の江沢民氏は政界入りの初期段階から、
すでに「太子党」と手を組んだ。

1985年6月から89年5月まで、江氏は上海市副党書記・上海市長
・上海市党書記を歴任していた時、腹心幹部の一人に曽慶紅氏がいた。

この曽慶紅氏はまた筋入りの「太子党」である。

彼の父親の曽山氏は共産党の紅軍時代からの古参幹部で
建国後には内務部長(大臣)という要職を長く務めた。

江沢民の上海時代、曽氏は上海市党委員会秘書長・副書記の要職にあったが、
その時、単なる職務上の関係を超えた
緊密な結盟関係が二人の間に結ばれたと見られる。

89年6月の天安門事件後、失脚した趙紫陽氏の後釜として
共産党総書記に任命された江沢民が北京へ赴任した時、
連れていった唯一の上海幹部はすなわち曽慶紅氏であったことは、
二人の関係の深さを十分に現している。

そして江沢民が党の総書記に就任した後に、中央政界ではまったく人脈のない
新参者の彼を大いに助けたのは他ならぬ曽慶紅である。

曽氏は「太子党」の人脈を使って江沢民への長老たちの支持を固めて、
権謀術数を弄じて江沢民の政敵を倒してその権力基盤の強化に大いに貢献した。

こうした中で、曽氏自身の政治的地位も徐々に上昇して、
北京入り当時の党中央委員会弁公室副主任という事務方の職務から
政治局常務委員・国家副主席にまでのし上がって国家的指導者の一員におさまった。
それで曽慶紅氏はまた、「太子党」の当然の領袖格となった。

そういう意味では、89年から十数年以上も続いた江沢民政権は、
まさに江沢民と曽慶紅との一蓮托生の結盟関係を主軸とした
上海閥と太子党との「連立政権」としての色合いが強い。

少なくとも、江沢民の派閥と太子党との間には切って
も切れない緊密な利益共有関係があることは確実である。

2002年、総書記を二期以上務めた江沢民は党の規則にしたがって
このポストから退いた時、彼は本来、自分の腹心幹部で
「太子党」領袖の曽慶紅氏に自分の跡を継がせたかったはずである。

しかし、カリスマ的指導者のトウ小平が生前、共青団出身の胡錦濤氏を
ポスト江沢民の後継者として指名したから、
トウ小平の遺命に逆らえ切れない江氏は不承不承しながらも結局、
総書記と国家主席のポストを胡錦濤に譲った。

それで出来上がったのは、すなわち現在の胡錦濤政権であるが、
権力を握った後に、かつては共産主義青年団第一書記を務めた胡錦濤は
共青団時代の子飼い部下たちを次から次へと中央に抜擢してきて、
共青団を母体とした一大派閥を作り上げた。

まさにこのような経緯から、中国の政界を二分する「太子党」と「共青団」の
二大派閥が出来上がったわけだが、この二つの派閥の形成は、
最高権力の移譲とは密接な関係にあったことは上述の通りである。

ある意味ではそれは、派閥を作り上げて総理総裁の椅子を狙うという
政権党時代の自民党内の政治的力学とも似ている面がある。

ただし中国共産党の場合、日本の自民党の総裁選のような
民主主義的選挙制度やルールがまったく確立されていないから、
総書記の椅子を巡っての争いは結局、水面下での陰謀だらけの暗闘となるのである。

( 石 平 )

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