老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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国際派日本人養成講座  より転載しています。

零戦が新幹線に生きる。

初めて知りました。多くのお方のご努力があったとは思っていましたが、ここに挙げられている以上の献身的な支えが、あの新幹線を誕生させたのですね。
改めて、技術立国・日本を誇りに思います。



国柄探訪: 新幹線を創ったサムライたち

 世界初の高速鉄道は、無数のサムライ達の
献身的な努力で実現した。


無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/

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 本年最終号をお届けします。一年間のご購読ありがとうござ
いました。新年は1月10日から発信を再開いたします。皆様
と我が国にとって良い年となるよう祈念しております。
(伊勢雅臣)
--------------------------------------------------------

■1.新幹線開発は日本の不朽の功績■

 温室効果ガスを排出する自動車や飛行機に替わって、高速
鉄道がグローバルに広まりつつある。現在、アメリカ、ブラ
ジル、ベトナムなどが導入を計画している。

 この高速鉄道の先駆者が日本の新幹線である。新幹線が開業
したのが昭和39(1964)年だから、すでに45年前になる。日
本の新幹線の成功に刺激されて、その6年後に建設が始まった
のがイタリアのディレティッシマ、さらにその6年後にフラン
スのTGV、ドイツのICEの工事が始まった。[a]

 1960年代と言えば、鉄道は自動車と飛行機にとって替わられ
つつある斜陽産業だと考えられていた。また鉄道技術で先進の
欧州諸国では、試験走行でこそ300キロ以上のスピードを記
録していたが、一度走ると線路が壊れてしまうので、営業運転
などとても無理、と考えていた。

 日本が新幹線を成功させて、そんな常識をひっくりかえさな
かったら、今でも世界は石油をがぶ飲みし、温室効果ガスをま
き散らす自動車と飛行機に頼るほかなかったであろう。

 新しい地球環境文明の大きな柱として高速鉄道を開発した我
が国の貢献は不朽である。そして、それは戦後の復興を賭けて
常識に挑戦したサムライたちの功績なのである。

■2.「線路をまくらに討ち死にする覚悟で」■

 サムライの筆頭が、新幹線建設を推し進めた国鉄総裁・十河
(そごう)信二である。十河は71歳の高齢で、昭和30
(1955)年5月に国鉄総裁に就任したのだが、それには事情があっ
た。

 その数日前、国鉄宇高連絡船が同じく国鉄の貨車航送船と衝
突して沈没、168人の死者が出て、前任の国鉄総裁が辞任し
ていた。当時の国鉄は大量の戦後復員者を抱え、改善の見込み
のない赤字体質、さらに大事故のたびに総裁の首が飛ぶとあっ
ては、誰も進んで総裁になろうという人はいなかった。

 国鉄出身の十河が心配して、民主党総務会長の三木武吉など
に後任総裁を進言していたが、誰も引き受け手がおらず、三木
は「十河さん。そんなにいうんならあんたがやったら」と言い
出した。十河は高齢と健康を理由に固持したが、

 君の祖国である国鉄は苦難つづきで、いま危機に瀕して
いるではないか。君は赤紙(召集令状)を突きつけられて
も祖国の難に赴くことをちゅうちょする不忠者か。[1,p42]

 とまで言われると、明治生まれの十河は返す言葉もなく、
「俺は不忠者にはならん」と引き受けてしまった。

 十河は総裁就任の記者会見でも「国鉄のため、国民のため、
最後の御奉公と思い、線路をまくらに討ち死にする覚悟で」と
思いを述べた。

■3.十河総裁の「討ち死に」■

 十河は総裁に就任するとすぐに、国鉄再建の目玉として、東
海道に広軌新線を敷く案の検討を命じた。東京-名古屋-大阪
を結ぶ高速鉄道こそ、日本の経済発展を支える大動脈になる、
との考えである。それは明治の終わりから大正の初めにかけて、
十河が満鉄時代に仕えた後藤新平の構想だった。

 しかし、今後は飛行機と自動車の時代で、鉄道の衰退は世界
的な流れと考えられていた。たしかに東海道線は切符もなかな
か買えないほど混み合っていたが、それは翌年秋に全線電化が
完成すれば輸送力が増して解決できる問題だと考えられていた。
国鉄内部で広軌新線の案に賛成したのは一握りの人々だけで、
十河は内部の説得に努め、同時に政治家や官僚、財界人にその
必要性を説いて回った。

 ようやく策定された建設計画の投資規模は3千億円を超えて
いた。国家予算が4兆1千億円程度の時代である。またすでに
計画が進んでいた東京-神戸の高速自動車道(後の東名、名神)
の総建設費が約15百億円だった。十河は「すこしぐらいの赤
字ならあとから俺が責任をもって話をつけてやるから」と無理
矢理、投資額を2千億円以下に下げさせた。

 昭和33(1958)年12月、3年間の努力が実を結んで、新幹
線の着工が正式決定となった日の夕方、十河は青山墓地に行き、
広軌鉄道の先覚者だった後藤新平の墓に、その実現の日がつい
にやってきたことを報告した。

 十河は総裁を2期8年務め、昭和38(1963)年5月に退任し
た。せめて1年4ヶ月後に迫った開業式まで留任させてテープ
カットをさせてあげてはという同情論もあったが、工事費は物
価上昇も含めて38百億円に膨れあがっており、総裁の責任と
してそれは許されなかった。

 総裁在任中、政治家たちが地元利益のために新線建設をさか
んに依頼してきたが、十河はそのような票目当てで経済効果の
ない建設計画を抑え込み、真に国家が必要とする新幹線建設に
予算をつぎ込んだために、敵が多かったのである。

 昭和39(1964)年10月1日の新幹線開業式に十河は招待さ
れなかった。十河はその覚悟通り「線路をまくらに討ち死に」
したが、その志は立派に果たされたのである。

■4.島秀雄の「あえて火中の栗を拾う」決意■

 十河に任命されて、副総裁格の技師長として新幹線建設の技
術開発の指揮をしたのが、島秀雄である。実父が戦時中に弾丸
列車の設計に携わった縁で、「親父さんの弔い合戦をやらんか?」
と十河に誘われたのである。

 島は電車列車方式、ATC(信号方式)、CTC(列車集中
制御方式)など画期的な技術開発を成功させ、欧州の鉄道界が
不可能としていた時速200キロ以上での営業運転を実現した
ばかりか、開業以来今日まで45年間、一度も大事故を起こし
ていないという驚くべき安全性をもたらした人物である。その
足跡は[a]で述べたが、ここでは十河からスカウトされた時の
逸話のみを紹介しておこう。

 島は終戦後、工作局長として国鉄の近代化に辣腕を振るって
いたが、昭和26年8月に国鉄を退職した。その4ヶ月前、京
浜東北線桜木町駅構内で、電気工事のミスから車両火災が発生
し、106人もの焼死者が出るという大事故が発生した。島は
その責任をとるとともに、これだけの大惨事に国鉄内部で責任
のなすりあいをしている姿に嫌気がさして、辞職したのである。

 島はその後、住友金属工業に入り、その技術的手腕で大きな
成果を上げて役員にまでなった。そんな矢先に十河から、新幹
線をやるので、戻ってこいと誘いを受けたのである。

 島は「住友金属にお世話になっているから」と固持し続けた
が、十河は住友金属の社長に会って、島の説得と譲渡方を頼ん
だ。社長からも勧められては、島も断り切れず、「あえて火中
の栗を拾う」決意を固めた。住友金属の役員から国鉄技師長に
転任すると、収入もかなり減ったが、島は冗談交じりに十河に
語っただけで、以後、二度とそのことを口にしなかった。

 十河が総裁を退任した際に、島も一緒に国鉄を退職した。石
田礼助・新総裁から「技術面の責任者としてぜひとどまってい
ただきたい」としきりに慰留されたが、「私は十河さんに呼ば
れて国鉄に入ったのだから、十河さんがお辞めになるんなら私
も辞めます」と断った。新幹線も技術的には99%目処がつい
たという思いがあった。

 島も開業式には招待されず、高輪の自宅から一番列車の出発
を見送った。

■5.零戦の技術が新幹線開発に生きた■

 陸海軍には飛行機や軍艦、兵器などの研究開発に携わってい
た技術者が大勢いたが、終戦後、そのほとんどが軍の解体で職
を失い、路頭に迷うところだった。それを見た当時の鉄道技術
研究所長・中原寿一郎は、運輸次官に対して、

 陸海軍の優秀な技術者をみすみす散逸させてしまうのは
国家にとって大きな損失。国鉄で引き受けましょうよ。

と口説き落とし、約1千人の技術者たちを研究所に採用してし
まった。当時5百人だった研究所が、一挙に3倍以上に膨れあ
がった。

 海軍航空技術廠で飛行機の振動問題を研究していた松平精も
その一人であった。世界有数の研究設備と工場も含めて3万人
もの人員を擁していた海軍航空技術廠にいた松平は、木造のバ
ラック3棟からなる研究所を見てがっかりした。しかし鉄道で
の振動の研究論文を読んでいくと、お粗末なものばかりで、
「これならやることはいっぱいある」と思った。

 この頃の国鉄は脱線事故は珍しくなく、時には100人以上
もの死者が出ていた。昔からの鉄道技術者たちは、レールの蛇
行が脱線の原因と考えていた。それに対して、松平は零戦がフ
ラッター現象(空気流によって機体の振動が増幅していく現象)
で空中分解した事故を研究した経験から、同じ事が列車で起こ
り、それがレールを曲げて、脱線にいたると考えた。

 松平がいくら説明しても、フラッター現象などという新しい
概念を鉄道技術者たちは受け入れなかった。論より証拠と、松
平は円形の無限レールの上で車両を高速走行させ、その振動状
況が観察できる試験装置を開発した。ある速度になると突然、
車輪が左右に揺れだして、松平の仮説が正しかったことが誰の
目にも明らかになった。

 この試験装置から、高速走行しても横揺れしない車両の開発
につながった。かつての零戦の技術が、新幹線の誕生に役だっ
たのである。

■6.新丹那トンネル工事に挑む■

 路線建設工事は工期が長く、技術的にも難しいトンネルや橋
梁から始められた。新幹線ルートはできるだけ最短距離を通る
ようにしたため、トンネルが多くなった。総延長515キロの
うち、トンネルの総距離は69キロに達した。

 なかでも最長は熱海の先の全長8キロの新丹那トンネルで、
最初に着工された。近くを通る東海道本線の丹那トンネルは、
大正7年に着工されて16年近くを要し、67名もの犠牲者を
出して、完成されたものである。

 戦争中の弾丸列車計画で、昭和16(1941)年から新丹那トン
ネルが着工されたが、戦局の悪化に伴い、昭和19(1944)年6
月に工事が中止された。戦後の新幹線では、この未完成の新丹
那トンネルでそのまま工事が再開されることになった。

 戦争中のトンネル工事で熱海側の工事区長だった青木礼二は、
工事中断後もずっとトンネルの保守を続けてきた。新幹線建設
で15年ぶりにトンネル工事が再開されると、今度は三島側の
工事区長として、取り組んだ。

 工事途中で、断層から大量の出水があり、掘削中止に追い込
まれたが、水抜き坑を別途掘るなどして、半年後に工事を再開
し、4年4カ月で完工にこぎ着けた。青木はこう語っている。

 新丹那トンネルは旧丹那と50メートルしか離れておら
ず、地質もよく似ている。そこで私は新丹那トンネルの工
事を再開する際に、『丹那隧道工事誌』という旧丹那トン
ネル工事の精密な記録をくり返し熟読し、難所や問題点は
すべて頭の中に入れておいた。このため工期はわずか4年
そこそこで、直接の事故は全くなかった。これは全く丹那
トンネルを完成した先人のおかげだ。[1,p219]

 ちなみに、新丹那トンネルから出る大量の水は熱海市の水道
に利用され、その3分の2ほどをまかなっているという。

■7.「鉄道に入って糞尿の調査とは」■

 新幹線の開発に必要だったのは、こうした最先端の技術ばか
りではない。もっと泥臭い開発も必要だった。その一つが糞尿
の処理である。

 当時は、乗客の糞尿は走行する車両からそのまま線路にまき
散らされていた。そのため、飛散する汚物で沿線の民家の洗濯
物が汚れるなどの問題が起きていた。このまき散らしの方式だ
と高速の新幹線では、どれだけ被害が広がるか分からない。

 そのために、糞尿を車両床下のタンクに貯め、それを車両基
地で処理する方式が考えられた。これは日本のみならず、世界
でもはじめての試みだった。

 糞尿処理施設の設計のもととなる基礎資料づくりを命ぜられ
たのが、国鉄に入社して間もない鎌田覚だった。「鉄道に入っ
て糞尿の調査とは」とぼやいたものの、誰かがやらなければな
らない、と思い直して、調査に乗りかかった。

 東海道本線の列車のトイレに糞尿のタンクを仮設し、朝7時
半に大垣を出てから、東京に行き、22時半に大垣に戻るまで、
トイレのそばに陣取って、乗客の使用回数と時間を調べた。大
垣ではタンク内の糞尿の量を量り、サンプルをとって、夜行で
東京に戻り、内容の分析をする。

 こうした鎌田の献身的な調査から得られた基礎データに基づ
き、世界で初めて列車の糞尿処理の問題が解決したのである。

■8.サムライたちの努力の結晶■

 このほかにも、地上げ屋との不眠不休の戦いを続けた用地買
収係員、品川駅で新幹線のためのスペースを空けるために、複
雑な在来線の線路や架線、信号、施設の付け替え工事を、まる
で心臓手術のように、綿密に着実にやり遂げた工事担当者、等
等、縁の下の力持ちの仕事に、無数の人々が寝食を忘れて取り
組んだ。

 世界初の高速鉄道がいきなり登場して、驚異的な安全性と事
業としての成功を達成したのは、ひたすら新幹線の成功のため
に、それぞれの使命に献身的に打ち込んだ無数の人々の努力の
賜物なのである。

 サムライを「公のために主体的、献身的に努力する人」と定
義すれば、まさしく新幹線は無数のサムライたちの生き様の結
晶である。

 JR東海は、超電導磁気浮上式リニア新幹線を2025年頃に完
成させる計画を進めており、有人での世界最高時速581キロ
を達成している。この壮大な計画には、また多くのサムライた
ちが献身的な努力を続けているのだろう。その姿こそ「大和の
国」すなわち「大いなる和の国」の強みである。
(文責:伊勢雅臣)
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