久しぶりに、日心会のメルマガより転載してお送りします。
日本の心を伝える会メールマガジン vol .146♪
【転送歓迎】
楠木正成と七生報国楠木正成の物語は、戦前は、少年なら誰もが知る歴史大活劇だったのですが、最近では、知る人もほとんどいなくなってしまったようです。
まだ、お読みになっていない方は、是非一度、この楠木正成の物語をご一読ください。
楠木正成の物語は、戦前は、少年なら誰もが知る歴史大活劇だったのですが、最近では、知る人もほとんどいなくなってしまったようです。
幼少のお子様をお持ちの皆様はお子達に読み聞かせて下さいませんか。中・高校生の子供達なら印刷してお渡しくださればと思います。
≪楠木正成と七生報国≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-589.html
これ↑を開いてくだされば、全文お読みいただけますが、ここに出だしだけでも若干ご紹介します。
「生命尊重のみで。魂は死んでもよいのか。」
冒頭、いきなりお堅い言葉となりましたが、この言葉は、三島由紀夫の「激」にある言葉です。
誰だって死にたくはない。
しかし、日本人としての魂を失って、なんの意味があるのか。
そのことを、楠木正成の物語の中で考えてみたいと思います。
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楠木正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての河内の武将です。
鎌倉幕府に抵抗し、最後まで勤王をつらぬいたことから、明治以降「大楠公」(だいなんこう)と称されました。
楠木正成の出自は、まるで謎です。
日本史上、非常に有名でありながら、これほど出自が謎に包まれた人物はほかにいない。
楠木正成が、確かな実像として捉えられるのは、元弘元年の挙兵から建武3年の湊川での自刃までのわずか6年ほどの間の物語に過ぎないのです。
楠木正成は、もともとは河内一帯を中心に、水銀などを流通させていた豪族のようです。この水銀の利権をめぐって幕府と対立したことがきっかけ、という説もあるようですが、真偽は不明です。
時は、鎌倉時代末期です。
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