国際派日本人養成講座 よりの転載です。
国柄探訪:
アインシュタインの見た日本 アインシュタインが日本で見たもの、それは
人びとが慎み深く和して生きる世界だった。 皆様にも御購読をお勧めします。
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■■■ 伊勢雅臣 講演会「国際社会と日本の国柄」 ■■■
日時 :5月25日(日)14:00〜17:00
場所 :大阪府吹田市「吹田市民会館」2階宴会場
参加費無料(先着30名)。本メールの返信にて申込み下さい。
この講演会に参加しませんか。小生も参加します。
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■1.アインシュタインの感動■
大正11(1922)年11月17日、アインシュタインを乗せた
日本郵船の北野丸は、瀬戸内海を通って、神戸港に近づいた。
フランスのマルセイユを出てから、1カ月以上の船旅だった。
瀬戸内海の景色について、アインシュタインはこう記している。
私の好奇心が最高潮に達したのは、「北野丸」が日本の
海峡を進むとき、朝日に照らされた無数のすばらしい緑の
島々を見た時でした。[1,p140]
景色ばかりでなく、その時に同乗していた日本人船客らの態
度も、アインシュタインを感動させた。
しかし、いちばん輝いていたのは、日本人の乗客と乗組
員全員の顔でした。いつもは朝食前にけっして姿を見せた
ことのない多くの華奢なご婦人たちは、一刻も早く祖国を
見たいと、ひんやりとした朝風も気にせず6時ごろにはい
そいそと甲板に出て、楽しげに歩き回っていました。私は
そうした人々を見て深く感動しました。
日本人は、他のどの国の人よりも自分の国と人びとを愛
しています。・・・[1,p140]
これが、アインシュタインの40日以上に渡る日本滞在の始
まりだった。
■2.「神秘のベールに包まれている国」■
アインシュタインの来日は、改造社の山本実彦社長からの招
待によるものだった。
山本氏(改造社)から日本へ招待いただいた時に、私は
数ヶ月を要する大旅行に行こうとただちに意を固めました。
それに対する私の説明しうる理由というのは、もし私が、
日本という国を自分自身の目で見ることのできるこのチャ
ンスを逃したならば、後悔してもしきれないというほかあ
りません。
私が日本へ招待されたということを周囲の人びとが知っ
たその時、ベルリンにいた私が、あれほどまでに羨望の的
になったことは、いまだかつて、私の人生の中でなかで経
験したことはありませんでした。というのも、われわれに
とって、日本ほど神秘のベールに包まれている国はないか
らです。[1,p140]
当時の日本を限りない愛情を込めて西洋に紹介したのは、ラ
フカディオ・ハーンであった[a,b]。アインシュタインはハー
ンの著作を読み、日本への期待を抱いていた。来日後、彼は次
のような手紙を親友に認めている。
やさしくて上品な人びとと芸術。日本人はハーンの本で
知った以上に神秘的で、そのうえ思いやりがあって気取ら
ない。[1,p117]
当時のヨーロッパは、第一次大戦が終わったばかりの荒廃し
た状態だった。多くのヨーロッパ人は、現代西欧文明の精神的
な行き詰まりを感じていただろう。それに対して日本はいまだ
「神秘のベールに包まれている国」であった。
■3.熱狂的な歓迎■
11月17日に神戸に上陸したアインシュタインは、京都で
一泊。翌朝、東京に向かった。
朝、9時から夕方7時まで雲ひとつない空の下、展望車
に乗って東京まで汽車旅行。海、入り江を通過。雪に被わ
れた富士山は遠くまで陸地を照らしていた。富士山近くの
日没はこのうえなく美しかった。森や丘のすばらしいシル
エット。村々は穏やかで綺麗であり、学校は美しく、畑は
入念に耕されていた。・・・
東京に到着! 群衆に取り囲まれ、写真撮影で凄まじい
フラッシュを浴びた。無数のマグネシウムをたく閃光で完
全に目が眩む。[1,p17]
この情景を翌日の大阪毎日新聞は大きな写真入りで、こう伝
えた。
東京駅で人びとが絶叫----「アインシュタイン!」「アイ
ンシュタイン!」「万歳!」怒濤のごとく群衆が博士に殺
到し、東京駅は大騒ぎとなった。日本人の熱狂ぶりを見て、
駅に博士を出迎えたドイツ人関係者らは喜びのあまり目に
涙を浮かべる人さえいた。[1,p19]
この熱狂的な歓迎について、アインシュタイン自身こんな談
話を残している。
私の生涯に、こんあことはありませんでしたよ。米国に
行った時も大騒ぎでしたが、とてもこんな赤誠はありませ
んでした。これは日本人が科学を尊ぶためでしょう。ああ
愉快だ、心からうれしい。[1,p17]
■4.「6時間におよぶ講演に聴衆が酔った」■
11月19日には、アインシュタインは長旅の疲れをものと
もせずに、慶應義塾大学にて6時間もの講演を行った。読売新
聞はこう伝えている。
6時間におよぶ講演に聴衆が酔った----慶應義塾大学で
の日本初の講演は内容は「特殊および一般相対性理論につ
いて」。1時間半から3時間の講演後、1時間の休憩をは
さみ、講演が再開され8時半に閉会。実質6時間の長講演
にもかかわらず、2000人以上の聴衆は一人として席を立た
ず、アインシュタインと通訳石原純の一言一言に静粛かつ
真剣に聞き入っていた。理屈が理解できる、できないにか
かわらず、皆アインシュタインの音楽のような声に酔いし
れたという。[1,p20]
その後も、東京帝国大学での6回連続の特別講演、東京、仙
台、京都、大阪、神戸、博多での一般講演などが続いたが、ど
の会場も盛況で、千人単位の聴衆が集まり熱心に聞き入った。
アインシュタインがいかに分かり易く説いたとしても、これ
だけ多くの一般的な聴衆が、相対性理論をよく理解し得たとは
思えない。東京駅での熱狂的な歓迎、そして講演での熱心な聴
講態度は、何が原因だったのだろう。
■5.「外国の学者に対する尊敬の念」■
12月10日、京都に戻ったアインシュタインは、講演後、
京都御所を訪問し、「御所は私がかつて見たなかでもっとも美
しい建物だった」との感想をもらした。
中庭からは即位式用の椅子がある即位の間が見えた。そ
こには約40人の中国の政治家の肖像画があった。中国か
ら実のある文化を日本にもたらしたことが評価されたため
である。
外国の学者に対するこの尊敬の念は、今日もなお、日本
人のなかにある。ドイツで学んだ多くの日本人の、ドイツ
人学者への尊敬には胸を打たれる。さらには細菌学者コッ
ホを記念するために、一つ寺が建立されなければならない
ようだ。
嫌味もなく、また疑い深くもなく、人を真剣に高く評価
する態度が日本人の特色である。彼ら以外にこれほど純粋
な人間の心をもつ人はどこにもいない。この国を愛し、尊
敬すべきである。[1,p95]
「外国の学者に対するこの尊敬の念」は、日本人の伝統だが、
近代西洋科学への尊敬はまた格別の念があった。富国強兵は、
世界を植民地化しつつある西洋諸国から国家の自由と独立を護
るための日本の国家的課題であった。そして経済力にしろ、軍
事力にしろ、その根幹は近代西洋の科学技術にあったからだ。
そしてアインシュタインこそ、その西洋近代科学の最高峰を
体現する人物であった。当時の日本人が、彼を熱狂的に歓迎し、
その講演に陶酔したのは、「外国の学者に対する尊敬の念」と
いう伝統と共に、近代西洋科学の国家的重要性を国民の多くが
感じ取っていたからであろう。
■6.「微笑みの背後に隠されている感情」■
日本は明治以降、ヨーロッパに多くの留学生を送り、西洋近
代科学を学び取ろうとしていた。アインシュタインは来日前か
ら日本からの多くの留学生と出会い、ある印象を抱いていた。
われわれは、静かに生活をし、熱心に学び、親しげに微
笑んでいる多くの日本人を目にします。だれもが己を出さ
ず、その微笑みの背後に隠されている感情を見抜くことは
できません。そして、われわれとは違った心が、その背後
にあることがわかります。[1,p140]
日本滞在中、講演と観光の合間を縫って、アインシュタイン
は多くの日本人と会った。長岡半太郎や北里柴三郎ら日本を代
表する科学者、学生、ジャーナリスト、そして一般家庭の訪問
まで。そして「微笑みの背後に隠されている感情」が何かに気
がついた。
もっとも気がついたことは、日本人は欧米人に対してと
くに遠慮深いということです。我がドイツでは、教育とい
うものはすべて、個人間の生存競争が至極とうぜんのこと
と思う方向にみごとに向けられています。とくに都会では、
すさまじい個人主義、向こう見ずな競争、獲得しうる多く
のぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いがあるの
です。[1,p141]
全世界の植民地化、そして1900万人もの死者を出したと言わ
れる第一次大戦は、この「熾烈な闘い」の結果であろう。
■7.「日本人の微笑みの深い意味が私には見えました」■
それに対して、日本人はどうか?
日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易
に親しくなれるひとつの理由があります。それは、みずか
らの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも落
ち着いて、ことをそのままに保とうとするといった日本特
有の伝統があるのです。
ですから、性格上おたがいに合わないような人たちであっ
ても、一つ屋根の下に住んでも、厄介な軋轢や争いになら
ないで同居していることができるのです。この点で、ヨー
ロッパ人がひじょうに不思議に思っていた日本人の微笑み
の深い意味が私には見えました。
個人の表情を抑えてしまうこのやり方が、心の内にある
個人みずからを抑えてしまうことになるのでしょうか?
私にはそうは思えません。この伝統が発達してきたのは、
この国の人に特有のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっ
と優っていると思われる、同情心の強さゆえでありましょ
う。[1,p142]
「不思議な微笑み」の背後にあるもの、それは「和をもって
貴し」とする世界であった。
■8.「自然と人間は、一体化している」■
日本人の「個人の表情を抑えてしまうこのやり方」のために、
アインシュタインは日本滞在中も、その心の奥底に入り込むこ
とはできなかった。
けれども、人間同士の直接の体験が欠けたことを、芸術
の印象が補ってくれました。日本では、他のどの国よりも
豊潤に、また多様に印象づけてくれるのです。私がここで
「芸術」と言うのは、芸術的な意向、またはそれに準じ、
人間の手で絶えず創作しているありとあらゆるものを意味
します。
この点、私はとうてい、驚きを隠せません。日本では、
自然と人間は、一体化しているように見えます。・・・
この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかで
あり、自然を通じてあたえられたものと密接に結びついて
います。
かわいらしいのは、小さな緑の島々や、丘陵の景色、樹
木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念
に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家屋、
そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、
そして人びとが使用しているあらゆる家具等々。
・・・どの小さな個々の物にも、そこには意味と役割と
があります。そのうえ、礼儀正しい人びとの絵のように美
しい笑顔、お辞儀、座っている姿にはただただ驚くばかり
です。しかし、真似することはきません。[1,p142]
「和をもって貴し」とする世界で、人びとは自然とも和して生
きてきたのである。
■9.アインシュタインの警告■
明治日本が目指した富国強兵は、西洋社会の闘争的世界に、
日本が参戦することを意味していた。国家の自由と独立を維持
するためには、それ以外の選択肢はなかった。しかし、闘争的
な世界観は「和をもって貴し」とする日本古来の世界観とは相
容れないものであった。
また富国強兵を実現するために、明治日本は西洋の科学技術
を学んだ。しかし、近代科学の根底には、自然を征服の対象と
して、分析し、利用しようとする姿勢があった。それは自然と
一体化しようとする日本人の生き方とは異なるものであった。
西洋近代科学を尊敬し、アインシュタインを熱狂的に歓迎し
た日本国民の姿勢は、彼が賛嘆した日本人の伝統的な生き方と
はまた別のものであった。両者の矛盾対立について、アインシュ
タインはこう警告している。
たしかに日本人は、西洋の知的業績に感嘆し、成功と大
きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。けれど
もそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来もっ
ていて、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素
さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保っ
て忘れずにいて欲しいものです。[1,p144]
科学技術の進展から、人類は核兵器を持ち、地球環境を危機
に陥れてきた。アインシュタインが賛嘆した人間どうしの和、
自然との和を大切にする日本人の伝統的な生き方は、いまや全
世界が必要としているものである。
(文責:伊勢雅臣)
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