加地先生は、この中でこのように申されています。(少し古い記事ですがご紹介します)
「私はこの知と徳の双方を備えた人を「君子」であると考えた。その「君子」がすなわち「教養人」なのである。では「小人」とは何か。知識しかない人のことである。
そんな人は他者の幸福を達成することはできない。そこで「小人」を私は知識人と呼んでいる。」
「古典のこころー論語」 <知識人ではなく教養人に>
古典を理解する上で大切な漢文について語学的な重要さを話したい。言葉は感性にかかわるものと、知性にかかわるものとがある。日本語の構造は明治以降大きく変わり、その後に現代文になってきたが、現代文を支えてきたものは、古文であり、漢文であった。
そのうち古文の方は日本人の感性の部分を担ってきた面が強かった。だが、感性だけでは言葉は成り立たない。もう一つ論理的な組立が必要で、それを漢文が担った。
漢文の書き下ろし文、すなわち「漢文脈」が明治以降の日本語の論理的展開の骨格を形成していった。
例えば、少なくとも昭和20年以前の公文書はすべて漢文脈だ。当時の裁判所の判決文を見ればよく分かる。法律は論理が第一。その論理をどう伝えるか。それに使われたのが漢文脈だ。明治、大正期のものを読もうとすれば、漢文の力がないと理解できない。日本語の形成に漢文脈が大きな役割を果たしたことを知っていてほしい。
「論語」の「語」を「ご」と発音するのは呉音で、「ぎょ」と読むのは漢音(かんおん)である。「ろんご」と読むのは一般的ではあるが、かっては漢音は漢文を読むときのオーソドックスな読み方で、ルールになっていた。また「論」を「ろん」と読む時は「議論をする」を意味し、「りん」と読むときは「筋道の通ったこと」を意味する。論語は筋道の通った言葉の集まりであるから、本来は「りんぎょ」と読む。
言葉の解釈というのはとても大事で、私が上梓した「論語全訳注」で最後まで悩んだのが「君子」という言葉。私は「教養人」と訳すことで、やっと全訳注が完成した。孔子の弟子たちは多くが為政者や官僚となっていったが、孔子は弟子たちに「知だけでなく、徳を備えて初めて他者の幸福を達成できる」と説いた。
私はこの知と徳の双方を備えた人を「君子」であると考えた。その「君子」がすなわち「教養人」なのである。では「小人」とは何か。知識しかない人のことである。
そんな人は他者の幸福を達成することはできない。そこで「小人」を私は知識人と呼んでいる。
これは今日の日本の世相を見ても良く分かる。知識人は多いが、いかに教養人の少ないことか。お金儲けのためには、消費者を欺き、長年の信用を平気で傷つけ、違法な株取引にうつつを抜かしながら、テレビで堂々と「カネを儲けてなぜ悪い」と開き直る人たち。皆さんは、ぜひ教養人になってほしい。
(加地伸行 大阪大学名誉教授 産経新聞平成20年4月13日)
コメントを投稿