恒例の「時局心話會代表 山本善心」先生の
今週のテーマ
見捨てられた拉致問題 2006年4月、拉致被害者家族の横田早紀江さんは、ホワイトハウスで
ブッシュ大統領と面会した。ブッシュ大統領は拉致被害者救出の象徴「ブ
ルーリボンバッジ」を胸に「信じがたいのは国家として拉致を許したことだ。
指導者が拉致を奨励するのは心がない。今後は(問題解決へ)働きかけ
を強める」と力強く語りかけたものだ。
大統領は横田さんに「思いは理解しています。頑張っていきましょう。悪と
闘うのです」と強調。その後も事あるごとにこの問題を関係者に語りかけ、
北朝鮮の姿勢を批判した。
しかし今年6月18日ライス国務長官は演説で、「大統領はテロ支援国家
指定リストから北朝鮮を外す意向を議会に通告することにする」と衝撃的な
発言を行った。同盟国の日本や被害者家族は、突然の変節に驚きを隠せ
ない。
あせるブッシュ政権
ブッシュ政権はなぜ今頃になって拙速な対応を取ったのか。「拉致家族を
守る」とあれほど強く発言を繰り返してきたが、大統領の突然の裏切りに、
日本国民は強い衝撃を受けている。ブッシュ大統領の任期中に北朝鮮問題
の決着を図りたいとの意図が読み取れよう。
これまでブッシュ政権の外交には何の成果も見られず、イラク戦争の長
期化も失敗だったと評価されている。オバマ候補はそれに批判的で「外交
成果は何もなかった」と全否定の構えだ。ブッシュ政権は、残された任期中
に何らかの成果をあげることが肝要であり、その間に米朝国交正常化を成
し遂げて歴史に名を刻みたいとの思いがある。
北朝鮮の核保有問題と、日本の拉致問題の解決で、ブッシュ政権に対し
て何らかの起死回生策が求められていた。その実態は後述するとして、ま
ずブッシュ大統領を取り巻くライス国務長官とヒル次官補による対北解決案
は、寧辺の5000キロワット黒鉛減速炉の冷却塔爆破による決着であった。
しかしこの演出は迫力に欠け、見事な失敗に終わる。
何もない核施設
それでは、問題の核施設と核開発の状況はどうなっているのか。07年7
月15日、北は寧辺周辺にある核5施設の稼動停止を発表した(朝鮮中央
通信)。下記の弊誌147号「北朝鮮の核施設停止問題」(07.8.30)を参
照していただきたい。
「北朝鮮の核施設はすでにプルトニウムを抽出し、役目を終えたとみられ
る。それゆえ老朽化した旧式の5施設を監視・廃棄されても痛くも痒くもな
い」。しかし寧辺に代わる核兵器製造工場や核実験場の所在を検証しない
のは、なぜなのか。
ライス国務長官の発言は、核兵器の扱いは「第3段階」の問題だ、とのあ
いまいなものであった。米高官によれば検証はあくまで爆破された廃棄跡
の寧辺核施設に限定され、他の施設に移転したプルトニウムや核兵器は
含まれないと言明した。これでは北朝鮮の核保有を事実上容認するもので
はなかろうか。
意味不明の指定解除
まことに残念ながら、現段階の北朝鮮問題はすべてが矛盾だらけで進行
している。北朝鮮は6月26日、核計画の申告書を6か国協議の議長国・中
国に提出した。しかし肝心要な核兵器の情報、高濃縮ウランの開発、シリア
核開発との関係などには蓋をしたままだ。しかも拉致事件を放置して指定
解除に踏み切るなど、まったくあいまいで不透明な申告であるが、これを各
国は認めるというのか。
元北朝鮮の核技術者である朴元哲氏(仮名・2005年亡命)に対し、ジャ
ーナリストの恵谷治氏がインタビューした。朴氏は「寧辺にある党委員会近
くの建物の部屋に置かれている核爆弾を見た(08.6.26産経新聞)と証言
している。米国の指定解除とは、すでに廃棄された施設を爆破して決着とし、
核爆弾や核開発は追及しないとすでに述べてきた。
一方、拉致問題は事実上米朝から放置され、具体的な進展がないにもか
かわらず、日本政府は問答無用で制裁の一部を解除した。これは福田首
相による日本の対北政策の軌道修正と見てよい。しかし安倍前首相による
強硬政策を切り崩すのは、一歩道を誤れば日本が孤立化する危険な賭け
に他ならない。
米国アジア戦略の失敗
思い起こせばクリントン時代、カーター元大統領は平壌入りして、金日成
主席との間で寧辺のプルトニウム施設閉鎖の合意を取り付けた。そこでク
リントン政権は1994年の枠組み合意として施設の凍結、8年間毎日の査
察、施設の封印、約8000本のプルトニウム燃料棒をコンクリート製の施設
に格納するなど、具体的且つ厳しい取り決めが行われたものである。
その後オルブライト長官が金主席と会い、完璧な合意に持ちこむまでの
動きは、鮮明に筆者の記憶に残っている。しかしブッシュ政権になって、そ
れらの経験がすっかり忘れ去られたかのような印象は拭えない。いくつか
の事例を見ても、米国は東アジアの過去を忘れやすく、それゆえ未来の判
断に対して間違いが多い。これはアジアの歴史、民族、精神性に対する理
解が欠けているからではないか。
1992年に「北朝鮮が1〜2個の核を保有している」と米国CIAが発表し
て、今年で16年になる。その間北が核を持っているか否か世界の注目を
集めているうちに、核保有国であるかのような錯覚を世界に与え、北の立場
をいっそう強めてしまった。
北朝鮮経済にテコ入れ
今まで北朝鮮は中国を通じて対米交渉を行ってきたが、一向に前進する
気配が見られない。米国も対北交渉を中国に委ねてきたが、中国の北へ
の影響力に限界を感じていた。つまり米朝は対北外交には中国が重要であ
ると考えてきたが、中国は米朝の期待に応える力もなく、積極性もなかった。
北朝鮮は中国の一方的な経済援助から脱却して、自力で経済再建を実
現したいとの思いが強い。今回の指定解除により国際金融資本導入を実現
し、資金を確保したいところだ。指定解除が実現することで、法的な障害が
なくなる。
北はあらゆる核燃料の保存・移転作業を完了することで、米朝間の共通
利害を模索した。ヒル次官補との合意点は、米朝経済関係の構築である。
北が決して中国の言いなりにならないのは、中国は信用できない数々の問
題が多々あるからであろう。
イデオロギーより実利主義
ある専門筋の話によると、中朝国境の湾岸整備や平壌に至る高速道路な
どのインフラに対して、2007年9月6日に米国企業との間で460億円の融
資が決まり、調印された。これはヒル次官補の口利きで、米国企業の「馬得
利集団」が投資。北朝鮮はウランとレアメタル(希少金属)など鉱山、鉱脈
の宝庫である。また戦略的にも北朝鮮は重要な地域であり、北との経済関
係の拡大は米国にとって実利と国益の山だ。
北朝鮮の経済開発に米国の手を借りて指定解除すれば、世界からの融
資解除は目前にある。さらに米国が経済参入することで、日本企業は競っ
て北市場になだれを打ってくる。それに加えて、北は日本に戦後賠償金とし
て5兆円(日本側の提示額は1兆円)を要求するつもりだ。
北朝鮮を取り巻く国際情勢は、イデオロギーから経済実利主義の時代を
迎えている。韓国の李明博、台湾の馬英九も「経済と生活」をキャッチフレ
ーズで当選した。そうした波は北朝鮮にも押し寄せている。米朝協議は北
朝鮮の経済問題が中心であり、今回双方の利害は完全に一致したと見ら
れる。その反動として、拉致と核開発問題は完全に見捨てられたということ
だ。
米国の裏切りと変節
北朝鮮側は「拉致は解決済み」と言いながら、一転して今後調査するとし
て米国の顔を立てた。ライス国務長官は「米国は日本人拉致事件を無視し
たり忘れたりはしない」(08.6.25産経新聞)と述べている。しかしライス
長官とヒル次官補にとって、拉致問題は二の次であった。一方我が国政府
は「北側が再調査を約束する」という一言で、あっさり北にすり寄るような政
治決断を行うとは、いかにもお粗末ではなかろうか。
日本の基本的問題である拉致事件は、米国の都合で遠くに押しやられて
しまった。「テロ支援国家指定解除」というカードを切った以上、拉致問題に
実質的な解決や進展は考えられまい。北の目は米国にだけ向いており、そ
の米国が日本を見限ったのは確かだ。
今回の米国の決断に、多くの日本人はショックを感じている。拉致家族が
最も頼りとし、我が日本国民が安全保障面で頼りにしている米国が期待を
裏切ったからだ。日本の安全を米国が守ってくれる、という神話が崩れた一
瞬だった。ここに来て米国の決断は、日本人に「安全と生存維持」を覚醒さ
せる機会を与えてくれたと思いたい。
次回は7月10日(木)
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