老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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欧米の個人主義に基づく家族観が、日本社会を瓦解し始めてきた。
いまこそ日本的家族観の再確立を強く願うものです。
 欧米の個人主義こそ、日本社会をいろんな側面から崩壊させている元凶である。


国際派日本人養成講座 より転載しています。

国柄探訪: 日本人の家族観

 先祖から子孫への連綿たる生命のリレーの
中間走者として自分がいる。

■転送歓迎■ H20.07.13 ■ 38,373 Copies ■ 2,891,505 Views■
無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/


■1.「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」■

 秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前
で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いき
れない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざ
から崩れ落ち、頭をうなだれ、土下座するような形でそのまま
動けなくなった。

 両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的
責任はある、というのが、日本人の常識的な感覚であろう。

 かつて神戸で中学生が小学生を殺し、その首を校門の前に晒
す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家の
加地伸行・大阪大学名誉教授は、こう書いている。

・・・もし私が加害者の中学生の父であったならば、自裁
(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親
は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧
米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。そ
れに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する
可能性さえある。[1,p6]

 殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、
日本人の感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見な
さない。

 加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一
体感」と呼び、「欧米流個人主義の立場からは絶対に生まれな
い感覚や意識」だとする。

 こんな所からも、日本人の家族観が現代においても欧米とは
まったく異なるという事が窺われるのである。

■2.家族観の違い■

 日本と欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に
姿を現す。

 たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まっ
てきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするの
は良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、
どうにも違和感がある。日本人の普通の感覚では、「契約」と
は他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われ
るというのは、どうしてもなじめない。

 欧米のキリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間の
契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖な
ものなのだ。

 また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、
もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人
した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」など
と語るシーンが出てきて、こういうセリフは日本人では思いつ
かないな、と感じたことがある。

 当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければなら
ない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち
得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。

 実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、
キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、そ
れが家族の基盤をなしていたのである。それは古代の日本も同
じであり、現代日本人の家族観はその伝統を色濃く受け継いだ
ものである。

■3.先祖の霊は「草葉の陰」で子孫を見守っている■

 古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀し
てくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。
日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのであ
る。

「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間を不安にする
疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともに
ある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。

 また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖
父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の
悲しみを和らげてくれる物語であった。

 先祖祭祀というのは、先祖をキリスト教的な唯一絶対神とし
て祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、
という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道と
なり、中国においては儒教に発展した。

 キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国
か地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない
限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。

 よくキリスト教や仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは
未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、
ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、とい
うだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるもの
ではない。

■4.インド仏教と先祖祭祀の生死観の違い■

 魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、と
する古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国や日本に入って
きた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。

 インド人にとって見れば、魂は他の人間か動物に生まれ変わ
るか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。
だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これ
が本当の火葬である。

 日本で火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に
収める。これは本来の意味の火葬ではなく、土葬の変形なので
ある。古代中国では、人間の精神を支配するものを「魂」と呼
び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間が死
ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地
下で大切に守るのがお墓である。

 これと同様の感覚を日本人も持っており、遺骨には死者の
「魄」を感じる。戦後、アジアや太平洋の島々にまで戦死者の
遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄
を供養できないと考えるからだ。

 これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航機よ
ど号をハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループのリーダー
田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋め
たい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日
本の家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されること
になったという。

 共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと
「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人の
死生観が根づいている証左である。

■5.拒否された仏教の死生観■

 輪廻転生を信ずるインド仏教が中国に入ってきた時、遺体は
焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる
中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。

 そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼
び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。

 わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖
祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的
抵抗は少なかった。

 それでも日本にも仏教の輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。
鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞は阿弥陀仏の衆生を救おうと
いう本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却
できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。

 しかし、親鸞の弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先
祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓
を作り、葬儀や先祖供養を行っている。

 今日の日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・
葬儀、先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱を仏教
に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人
の心の奥底に根付いているのである。

■6.仏壇に向かう■

 仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国に
おいては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物
を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)
や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。

 日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそ
こに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各
家に仏壇を置くという習慣は、中国や朝鮮にもない、日本独特
のものであるそうだ。[1,p191]

 仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊
が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのもので
ある。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてき
て、位牌に依りつく。

 そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して
「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願
い申し上げます」などと挨拶をするのである。

 今日、自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先
祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分も家族の
ため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これ
が先祖祭祀に基づく生き方だろう。

 核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏
壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもととも
に、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜
んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だ
ということを教える何よりの機会である。

■7.「出家」と「在家」の衝突■

 もう一つ、インド仏教が中国や日本の先祖祭祀と衝突した点
は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、
財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求め
ることである。

 しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀
る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の
霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場から
は、とんでもない「不孝」と考えられたのである。

 そこで中国や日本においては、「在家」すなわち家族の実生
活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子は在家の
長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家の
女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた
「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。

 前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、そ
の在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日で
も日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。

 オウム真理教はインド仏教を受け継いで、出家して修行を積
めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じ
て家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。
これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。

■8.家族制度は利己心の抑制力■

「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、
まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行っ
て、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。

 しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられ
て、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族
の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活
を送る事も、そもそも不可能なのである。

 さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その
恩返しとして今度は自分の子どもを立派な人間に育てる義務を
学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義
務の心のない人間は、自由を与えられても、自分の利益しか考
えない利己主義者になってしまう。

 西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の
自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会にお
いては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転
化する抑止力となってきた。

 わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、
家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視
する思潮がある。

 しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力
となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制
を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑
踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。

■9.「なぜ生命は大切なのか」■

 こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切に
しよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。

 それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生
命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たち
から何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教
えることができるのである。

 先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬
式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人
たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫
へと連綿とした生命のリレーの中で人間を捉える伝統的な家族
観が生きている。

 その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片
付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的
混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。

 これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。
(文責:伊勢雅臣)
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