老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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日本李登輝友の会が李登輝元総統の講演内容を掲載されました。
台湾近代化の基礎をつくりあげた時代について、講演されています。

新年早々の刺激的なお話でした。ご紹介します。
==================================


 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 年頭にあたり、改めて日本と台湾はどのような関係にあるのかを知るために、昨年10月
6日、李登輝元総統が台湾大学で開かれた「台湾大学シニアカレッジ」で行った講演を掲
載します。

 李元総統は台湾百年の歴史を三段階に分け、どのように発展してきたのかについて解説
し、混迷する台湾の現状を踏まえ、台湾を変える原動力とは何か、「台湾精神」とは何か
を切々と訴えています。

 なお、いささか長い講演ですので2回に分けてご紹介します。      (編集部)
--------------------------------------------------------------------------------
台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係(上)

                              元台湾総統 李 登輝

 JTB及び台湾大学の共同企画による「台湾大学シニアカレッジ」にご参加の皆様。こ
んにちは! 只今ご紹介を受けました講師の李登輝です。

 台湾と日本は同じく西太平洋に位する島国国家であり、北から南まで島々が連なってい
ます。両国は最も近い近隣関係にあり、人的交流は勿論のこと、経済関係も非常に密接で
す。しかし、相互関係の理解という点では近くて遠い国ではないかと思います。

 台湾の人が日本の歴史文化を良く理解しているとは言い難いのと同じように、日本人も
台湾の歴史文化の特質を了解しているとは言えません。日台両国は共にその外在の物的環
境だけを重視し、内在的精神の了解に欠けているといえましよう。これが今、台湾と日本
の文化交流における大きな問題となっているのです。

 私が本日お話しをするテーマ「台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係」は台湾の立場
に立ち、この百年来の両国の歴史発展を中心に、政治文化の面から三段階に分けて説明す
ることにします。第一段階は一八九五年から一九四五年までで、台湾の日本植民地時代に
あたり、台日関係は一国家の内部問題に属していました。第二段階は一九四五年から一九
九〇年まで。即ち、国民党が統治していた時代の台湾と日本の関係です。第三段階は一九
九〇年から現在に至るまでです。この三段階における様々の変化は台日問の歴史発展にど
のような影響をもたらしたかを説明しましよう。

一、日本統治下の台湾は近代社会に邁進

 日本は台湾を五十年間統治しました。この時期の最大の変化は、なんと言っても、それ
は台湾をして、伝統的農業社会から近代社会へと邁進させたことです。日本は台湾を領土
に組み入れた後、近代工業資本主義の基礎を作り、新しい経営観念を導入しました。「台
湾製糖株式会社」の成立は、台湾の初歩的工業化の発展となり、台湾銀行を設立すること
によって近代金融経済を取り入れました。また、度量衡と貨幣の統一は、台湾各地の流通
を早めました。一九〇八年には縦貫鉄道が開通し、南北の距離が著しく短縮され、嘉南大
しゅう(灌漑水路)と日月潭水力発電所の完成は農業生産力を高め、工業化を大きく発展
させました。

 行政面では、全島に統一した政府組織が出来あがり、公平な司法制度が布かれました。
これら有形の建設は台湾人の生活習慣と観念を一新させ、台湾は新しい社会に踏み入るこ
とが出来ました。日本はまた台湾に、新しい教育を導入しました。伝統的な書房や私塾は
次々と没落し、台湾人は公学校を通して新しい知識である博物、数学、地理、社会、物理、
化学、体育、音楽等を吸収し、徐々に伝統の儒家や科挙の束縛から抜け出すことができま
した。そして世界の新知識や思潮を了解するようになり、近代国民意識が養成されました。

 一九二五年には台北高等学校が成立し、台北帝国大学は一九二八年に創立され、台湾人
は大学に入る機会を得ました。ある者は直接内地である日本に行き、大学に進学しました。
これによって台湾のエリートはますます増え、台湾の社会変化は日を追って速くなりまし
た。

 近代観念が台湾に導入された後、時間を守る、法を守る、金融、貨幣、衛生、新しい経
営観念が徐々に新台湾人を作り上げました。

二、台湾意識の台頭と日本に対する反抗

 近代化社会において、近代化観念の影響の下、台湾人は新しい教育を受けたため、徐々
に世界新思潮と新観念を吸収し、日本統治下において、台湾人の地位が日本人より低いこ
とを悟り、台溶意識が芽生えました。台湾意識が日増しに強くなるのに連れて、台湾運命
共同体を形成するようになり、これが対日反抗の原動力となりました。

 一九二〇年頃、台湾人は西側の新思潮の影響を受けて、様々な社会団体を作り、議会民
主、政党政治、社会主義、共産主義、地方自治、選挙、自決独立など様々な主張をし、日
本は台湾人に当然の権利を与えるべきだと要求しました。こうした台湾人の政治運動と主
張は、日本の制圧により、成功しなかったものの、「台湾人の台湾」という考えが生まれ、
台湾人の一致した主張となりました。これは戦後、国民党に対抗する理念とカの根源とな
ったのです。

 政治的社会運動の波瀾に押されて、台湾文学、台湾美術、台湾歌劇なども続々と成立し
ました。台湾人意識を主体とする台湾文化が逐次樹立されました。

 日本は国勢を拡張するため、台湾を日本の南進基地とし、中国華南地域や東南アジアに
進出しました。台湾は一九三六年の後、戦争に巻き込まれ、日本は大東亜戦争のため、台
湾の言論結社の自由を取り締まり、台湾人の主張は圧迫されて沈黙するようになりました。

三、戦後、国民党は「日本化」を取り去り、「中国化」を導入

 一九四五年に国民党政府が台湾を接収した後、「日本化」を取り去る政策を行い、台湾
人は日本語を話すべからず、日本語を書くべからずと強要しました。日本語の新聞や雑誌、
映画などを制限して、「日本化」を取り去ると同時に、国民党は中国人観点の歴史文化を
注入し、台湾人を中国人に変えようとしました。

 国民党のこのような反日政策のため、一九四五年以後、台湾と日本の関係は急速な変化
を見せ、台湾の若い人達は徐々に日本から離れ、日本を知らなくなりました。日本が台湾
を統治した歴史は、歴史の教科書から削除され、研究者も遠慮して、研究をしなくなりま
した。日本教育を受けた先輩たちが公然と日本を語らないのは、国民党の目を恐れていた
からです。

 国民党の大中華教育のもとで、台湾人の気質も少しずつ変わっていきました。法の遵守、
勤勉、清廉、責任感などの美徳は、次第に薄れ、反対に中国人の投機性や法を知って法を
破る、善し悪しを転倒する、賄賂特権の習性はますます強くなり、台湾人精神も日を追っ
て失われていったのです。

 国民党が主導する政治のもとで、国民党が台湾を代表して日本と結んだ関係は、日本を
して国民党の歴史と観点のみを知るところとなり、台湾人の歴史や台湾人の主張は知りま
せん。ところが、台日間の経済の往来はかなり密接で、両国人民の友誼を強く繋いでいま
す。                                  (続く)
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