老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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伊勢先生が述べておられますように、“「万世一系」の皇室こそが日本文明のエネル
ギーを生み出した源泉である、”と言えるのではないでしょうか。


伊勢雅臣先生の  国際派日本人養成講座  より転載しました

国柄探訪: 日本文明のエネルギー

 人類史に巨大な足跡を残してきた日本文明
の活力、創造力はどこから来たのか?


■転送歓迎■ 無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/

------------------------------------------------------------
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最新版発売開始 定価 \800

 
■1.世界最古の土器■

 世界最古の土器は、日本で見つかっている。最新の発見では
1万6500年前のものだという。それに次ぐのが揚子江中流
域で見つかった約1万4千年前のものである。

 世界の四大文明、すなわちメソポタミア、エジプト、インド、
シナのいずれの文明においても、土器は捧げ物、食べ物を盛り
付けるために使われたのだが、日本の土器は煮炊きのために使
われていた。時期においても、用途においても、日本の土器は
他文明よりも、はるかに進んでいたようだ。

 20世紀最大の先史学者と呼ばれるゴードン・チャイルドは、
土器の発明を「化学的変化を応用した人類最初の大事件」と見
なしている。粘土を焼いて、水に溶けない土器になるという化
学的変化を「人類最初の大事件」としたのだが、土器を煮炊き
に用いる、とは、その特性を最大限に活用した工夫であった。

 さらに粘土は可塑性を持ち、それを焼くことで、自由な造形
や模様づけが可能である。撚糸(よりいと)を土器表面に回転
させて縄目模様をつけた縄文土器、燃え上がる炎の形状を模し
た火炎土器など、芸術性の豊かな土器を、われわれの先祖は生
み出した。

 後のモノづくり大国・日本の遺伝子は、はるか先史時代から
発揮されていたようだ。

■2.世界最古の漆器■

 漆(うるし)の技術も先史時代から、日本で花開いていた。
従来は、揚子江流域の河姆渡(かぼと)遺跡で発見された7千
年前の漆工品が最古のものとされていたが、北海道の垣ノ島B
遺跡から出土した赤色漆が9千年前の物だと判明した。

 上述の土器でも出てきたが、長江(揚子江)文明は漢民族の
黄河文明よりも早く開けたもので、その末裔は現在の中国南方
の少数民族であり、さらにその一部は台湾から日本に渡ってき
たという説がある。いずれにしても黄河文明とは関係がなさそ
うだ。[a]

 約5500年前から1500年間、縄文時代前期から中葉にかけて栄
えた青森県の巨大集落跡、三内丸山遺跡では、直径が30セン
チほどもある見事な漆塗りの皿も出土して、専門家を驚かせた。
現代にひけをとらない漆の技術がすでに存在していたのだ。[b]

 江戸時代には、オランダが長崎で大量の漆器や磁器を買い付
け、ヨーロッパに持ち込むようになった。18世紀のヨーロッ
パでは、日本の漆器が一大ブームとなり、漆器が「ジャパン」
と呼ばれるようになった。日本の漆器は値段が高いために、ヨ
ーロッパで模造品が作られたが、その質においては本物に到底
及ばなかった。[c]

■3.「高天原にとどくほど」■

 我々の先祖は、土器や漆器というような工芸品ばかりでなく、
巨大な建造物についても、世界史に大きな足跡を残している。

 前述の三内丸山遺跡では、約100棟もの堀立柱建物が整然
と配置されているが、それらは直径2メートル、深さ2メート
ルの巨大な柱穴に、クリの巨木を立てたもので、柱の高さは
10メートル以上と推定されている。最大の建物は長さが32
メートル、床面積が100坪もある。[b]

 縄文時代の日本人は毛皮を着て洞穴に住み、狩りをして生活
していたというイメージは、すでに過去のものとなっている。

 その巨大建造技術がさらに蓄積されて作られたのが、出雲大
社であろう。現在の出雲大社本殿は高さ24メートルで、延享
元(1744)年に造営されたものだが、平安時代に建てられた本殿
は高さ約48メートルであり、さらにそれ以前は約96メート
ルもあった、と宮司である千家(せんげ)家に代々伝わる『金
輪造営図』に記されている。

 96メートルというのは事実かどうか分からないが、48メ
ートルの方は物証がある。出雲大社の境内3カ所から巨大な柱
が発見されているのである。それぞれの柱は、直径1.35メ
ートルの杉材3本を金輪で締めて一組にしたもので、さしわた
し約3メートルもあった。

 これらの柱は、『金輪造営図』で記されている図とよく一致
しており、また科学分析の結果、宝治(1248)年に造営された本
殿跡の可能性が高いとされている。

 神話によれば、大国主神(おおくにぬしのかみ)が天津神
(あまつかみ)に国譲りをした時に、天津神が大国主神の住居
を造り、「高天原にとどくほど千木(ちぎ、屋根の上で交叉さ
せた2本の木)を高く聳(そび)えさせる」と約束したという。
大国主神を祀る出雲族との平和的統一を実現しようという狙い
があったのだろう。

 大国主神を祀ることを命ぜられたのが、天照大神の第二子
・天穂日命(あめのほひのみこと)だが、現宮司の千家尊祐氏
はその84代の子孫にあたる。ちなみに第一子の天忍穂耳尊
(あめのおしほみみのみこと)の子孫が現在の皇室である。

■4.世界最大の陵墓■

 木造建築技術とともに、日本全国に数万基あるといわれる古
墳は、古代の土木建築技術の蓄積を物語っている。その最大の
ものが、大阪府堺市にある仁徳天皇陵である。

 全長が486メートル、高さ34メートル、取り囲む二重の
濠を含めた総面積は34万5480平米である。秦の始皇帝陵
墓の底面積11万5600平米の3倍、エジプト最大のクフ王
の大ピラミッドの底面積5万2900平米の6倍以上である。

 大林組の試算によれば、土を盛り上げるために10トンのダ
ンプカーで25万台分の土が運ばれたという。1日3千人ほど
の労働力で15年8か月もかかったであろうと推定されている。

 この古墳の埋葬者とされる仁徳天皇は第16代天皇で、記紀
によれば西暦400年前後に崩御された。その記述では、仁徳
天皇は次のように語られたという。

 そもそも天が君(天皇)を立てるのは、まったく百姓の
ためなのである。従って君は百姓をもって本とする。それ
だから、昔の聖王は、一人でも飢えこごえる者があれば、
反省して自らの身を攻めたのである。[1,p33]

 人家のかまどから炊煙が立ち上っていないことに気づいて租
税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替
えなかった、という有名な逸話も伝わっている。

 さらに日本書紀によれば、天皇は河内平野の水害を防ぎ、開
発を行うため、難波の堀江の開削と茨田堤(大阪府寝屋川市付
近)の築造を行った。これが日本最初の大規模土木事業だった
とされる。その他にもいくつかの土木事業を行われた。 [2]

 こうした仁徳天皇の善政は、当時の国民の心を掴んだ。天皇
の宮室造営の命が下った時に、こう書かれている。

 百姓は、みずから進んで、老人を扶(たす)け、幼児を
携えて、材料を運び、簣(き、もっこ)を背負って、昼夜
を問わずに、力を尽くして競いつくった。[1,p36]

 全国に数万もあるという古墳は、それ自体が日本民族の先祖
崇拝の証であろう。そして皇室こそ、民族の宗家であった。天
皇陵とされる古墳だけでも80近くあるという。古代の国民は、
肉親の情を持って、歴代天皇をお祀りするために、古墳を作り
続けてきたのであろう。

 秦の始皇帝は中国を統一して初めての皇帝となったのだが、
巨大陵墓などの大土木工事によって民衆の反乱を招き、わずか
一代で滅んでしまったのとは、まことに対照的である。

■5.美しき最古の木造建築、法隆寺五重塔■

 再び、木像建築の分野に戻るが、現存する木造建築として世
界最古のものが法隆寺である。その五重塔は高さ32メートル
余、総重量は1200トン。心柱は直径2.5メートルで、樹
齢2千年以上の檜(ひのき)材を用いている。

 通説によれば、推古天皇9(601)年、聖徳太子が法隆寺を建
立された。『日本書紀』には670年に焼失したという記事があ
ることから、その後に再建されたという説もあるが、五重塔の
心柱は年輪年代測定によって591年のものと判明している。い
ずれにせよ、これだけの建物が600年頃に建てられたという事
実は動かない。

 その後、1400年間、記録に残っているだけでも40回以
上の地震が畿内にあったが、倒壊せずに残っている。マグニチュ
ード7.2の直下型地震に襲われても、塔は蛇のような動きを
して衝撃を分散して、倒壊しないという、高度に合理的な構造
設計がなされている。[d]

 また、法隆寺のデザインの秀逸さについて、国際美術史学会
副会長の田中英道・東北大学名誉教授は、こう評価している。

 右手に雄大な金堂を配し、左手に高秀な塔を置き、さら
にそれを取り囲む回廊が、見事な統一性をつくり出してい
る。左右に並ぶ独特な配置による、金堂、五重塔の黄金分
割による比例美は、中国・朝鮮にも存在しない。[1,p49]

 この寺院の中で、1400年後の現在も修行僧たちが勉学を続け、
四季折々の行事を続けている事も、その美しさに花を添えてい
る。

■6.ブロンズ像の傑作、奈良の大仏■

 世界最古の木造建築・法隆寺と比肩するのは、現存する中で
世界最大級の木造建築である東大寺大仏殿である。正面の幅
58メートル、奥行き51メートル、高さ実に57メートルに
達する。

 この中に鎮座まします奈良の大仏は、これまた世界最大のブ
ロンズ像とされている。創建は天平勝宝4(752)年。当時の大
きさは高さ16メートル、重量250トンと計算されている。

 大仏は二度の大火に遭い、創建当時の姿は唯一焼け残った大
仏蓮弁の線刻から窺い知ることができるとされているが、それ
を見ると、現在の大仏と同様に、顔、首、肩にかけての豊かな
肉付き、前方に掌を向けた右手の一本一本の指の関節にいたる
までの自然な動き、ゆるやかな衣服のひだ、などがリアルに表
現されている。

 大仏建立の中心となった仏師は、国中連公麻呂(くになかの
むらじきみまろ)であり、前述の田中英道教授は公麻呂をミケ
ランジェロ、古代ギリシャのパルテノン神殿の建築と彫刻を残
したフェイディアスとともに、世界三大巨匠としている。単に
最大のブロンズ像というだけでなく、芸術的にも人類史に残る
ものである。[e]

 大仏建立を発願された聖武天皇は、次のような詔を出してい
る。

・・・三宝(仏法僧)の威光と霊力に頼って、天地共に安
泰になり、よろずの代までの幸せを願う事業を行って、生
きとし生けるものがことごとく栄えることを望むものであ
る。・・・ただ徒に人々を苦労させることがあっては、こ
の仕事の神聖な意義を感じることができなくなり、あるい
はそしり(悪くいうこと)を生じて、かえって罪に陥るこ
とを恐れる。・・・国・郡の役人はこの造仏のために、人
民の暮らしを侵し、乱したり、無理に物資を取りたてたり
することがあってはならぬ。[1,p75]

 大仏は国民の安寧を願う聖武天皇の大御心の産物なのである。

■7.現存する世界最古の博物館■

 天平勝宝8(756)年、聖武天皇が崩御されたのだが、光明皇
后の嘆きは深く、天皇の遺品を東大寺に献ぜられた。その品々
は約1万点にも及び、それぞれに由緒、来歴、造作、形式など
を正確に記載した『国家珍宝帳』が作成された。

 その内容は仏具、武具、文房具、楽器、遊戯具、調度、食器
類、装束、文書類など、美術品のみならず文化人類学や民俗学
的資料に及んでいる。また唐代の遺品も数多くふくまれ、さら
に遠く中近東・ギリシャ・ローマにつながるものも少なくない。

 このようなコレクションは世界でもほとんど例がないために、
正倉院の宝物は、世界中の人々から驚異の眼差しで称賛され、
人類の宝とまで呼ばれている。

 宝物の保存状態も、時代の最先端をいっていた。まず建物が
檜材を井桁状に積み重ねた「校倉(あぜくら)造り」で、空気
の吸入、排出の作用があり、湿度が調整される。檜材の放つ芳
香が、室内の空気を清浄にし、殺菌の効果を持っている。さら
に宝物は杉の唐櫃(からびつ)に入っており、湿度は70パー
セントに保たれ、空気に触れることも少なかった。日本の古代
からの木造建築の技術が活用されたのであろう。

 貴重な文化財を国家が管理・保存し、展示するという「博物
館」の概念は、16世紀フィレンツェのウッフィチ美術館、
18世紀中葉の大英博物館、同世紀末のルーブル美術館などを
通じて確立されたものだが、この意味で正倉院は現存する世界
最古の博物館と言って良い。

■8.日本文明のエネルギーの源泉■

 以上の日本文明の足跡を見れば、世界最古とか世界一がかく
も多いことに驚かされる。これ以外にも、[1]には我が国が世
界一を誇る文物が多数、紹介されている。国土としては小さな
国なのに、このような文明の活力、創造力はどこから湧いてき
たのだろう。

 本稿で紹介した項目を通して見ると、以下の2点が言えるよ
うに思う。

・我が国は古代から豊かな自然環境の中で、国内が早くから皇
室を中心に平和にまとまり、そこで蓄積された富と技術を用
いて先進的な文明を育んできた。その中には、皇室自身が主
導的な役割を果たしたものも多い。

・皇室がひたすらに国民の安寧を祈り、それを受けて国民の間
にも国家公共のために尽くそうという公共心が充溢していた。
それが、利己的な国民には及びもつかないような文明の産物
を生み出した。

 こう考えれば、「万世一系」の皇室こそが日本文明のエネル
ギーを生み出した源泉である、と言えるのではないか。
(文責:伊勢雅臣)
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