老兵の独り言

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小生にとって人生の、日本再生・保守活動での師と仰いでいる千葉県のS氏がある月刊誌に投稿された論文を、師にお願いし公表させていただきました。
皆様にご紹介します。


「田母神論文について

田母神氏の10期先輩にあたるという、千葉県在住の防衛大学OBのOOOO先生からメールを頂いたので紹介し、この田母神論文について考えてみたい。
まずは、以下の文章をご覧頂きたい。OO先生が防衛大学同窓会に寄稿し、掲載を拒否されたという文章である。
      
   平成20年11月28日    航空O期生 OOOO


田母神俊雄空幕長更迭問題
 田母神俊雄空幕長が更迭されてから、早一ヶ月が経過しようとしている。
めまぐるしく変る世相に、メディアにおける本件のニュースバリューもピークを過ぎた感もあるが、それでも本日(11月28日)の産経新聞3面に田母神氏のインタビュー記事が掲載され、また26日発売の雑誌WiLL「1月新年特大号」に「田母神論文どこが悪い!」と題して、100ページの総力大特集を編纂しているからまだまだ余波は続いているともいえる。
 
さて今回の更迭問題に対するメディアや与野党も含んだ政治の対応は、予想されたこととはいえ実にお粗末なものであった。
その少し前、中山成彬氏が日教組を批判し(その他の発言もあったが)国土交通相の椅子を5日間で棒に振った事件があった。
この二つの出来事には通底するものがある。
村山談話に象徴される歴史認識問題といい、教育界における日教組問題といい戦後の日本という国家の在りようや、日本人の精神構造に大きな歪みをもたらしたものであるが、その共通の淵源こそは「東京裁判史観」そのものであるといえるからである。つまりこの二つの出来事は、左翼が多用する「自由・平等・平和・人権」といった類の甘美な言葉に浸ったまま、その本質的意味合いを問うことも忘れ、結果として東京裁判史観を超克することも出来ず、「商人国家」どころか「小人国家」に堕した国民に、鋭く警鐘を鳴らしたものであったといえよう。

しかしながら我が国の政治家やテレビ・商業紙などのメディアは、事の本質を論ずることなく「言葉狩り」で幕引きをしたのが一連の出来事の顛末であった。しかし世間はそう捨てたものではないと思はしめたのが、中山成彬氏や田母神俊雄氏の真意を聞こうとする民間団体の動きや、田母神論文を正論と評価する一方、村山談話を批判する知識人の声が多数挙がっていることである。

私事で恐縮だが、中山成彬氏の発言を一過性のものに終らせないために、日教組批判の講演会を今月の24日に企画主催し、また都内の若手企業家のグループから田母神氏を呼んで話を聞きたいと、仲立ちを依頼されている。
 このような世間の動きに意を強くしつつも、極めて奇異に感じることがある。それは防衛大同窓会も、航空自衛隊OBの翼会もそしてまた(役職のほとんどが防衛大OBである)隊友会も、本件について何らの動きも発言もないことである。
 
これは一体どうしたことなのか。 田母神氏が防衛大15期の同窓の仲間であるから、何が何でも一切の批判なしに支援
すべきだというつもりはない。しかしながら先ほどのWiLL「1月新年特大号」の広告を見ると、中西輝政京都大学教授の「田母神論文の歴史的意義」の小見出しに、「村山談話で自衛官を教育せよ、制服組の人事に政治が介入せよ、という朝日社説こそぞっとする」と書かれている。 
また知ってのとおり防衛省は、空幕と第6航空団に対して一歩間違えば思想統制とも言うべき防衛監察を実施している。
このようなあり得べからざる状況を目の当たりにして、無言のOBの存在とは一体如何なる存在なのかを問いたいだけである。

同じWiLLに、評論家の西尾幹二氏が「何に怯えて『正論』を封じたか」と題して寄稿しているが、それになぞらえていえば「何に怯えてOBの組織は『無言』を通しているのか」といいたい。いやもっといえば、怯えているのであればむしろ多少とも救いがある。何故なら、そこには「本当はこうしたい」との思いがあるのだろうと、読み取れるからである。
まったくの無関心、問題意識の無さ、功なり名を遂げた故の益々の自己保身、或いは高みに立ったつもりの評論家気取りでないことを祈るばかりである。
下記の論文は、東洋学園大学准教授の櫻田 淳氏が「空幕長論文の正しさ・つたなさ」と題して批判を展開されていたので、「真の近現代史観」懸賞論文事務局へ、田母神論文の所感に寄せて反論したものである。既存のメディアや政治家の口汚い罵りは、個人的感情のレベルでは腹が立つがある意味折込済みである。しかし櫻田 淳氏の正面切った批判には、きちんと反論する必要があると思い綴ったものである。 
大方の防衛大同窓生諸兄の批判を仰ぎたい。


 田母神俊雄前空幕長論文を読んでの所感

 数年前全国の中学校で一番多く使用されているT書籍の歴史教科書を精査したことがある。
 政治・外交的に微妙な近現代史については、特に極力一次資料に当たることを心がけつつ検証した。
 その結果は予想していた通り、東京裁判史観を踏襲した内容に終始していることが裏付けられた。
 つまり日本の中学生は、政治的意図を秘めた中国・韓国の対日歴史歪曲を、受け入れ易くする役割を担っているとしか言いようの無い教科書で自国の歴史を学んでいる。小学校・高等学校も実態は同様である。これが税金で以って購われている公教育の教科書の恐るべき実態である。

 さて田母神論文であるが、多くの文献に当たりつつ展開される史実に基づいたその歴史認識は、私のささやかな経験・知識に照らしても何ら違和感は無く、高く評価するものである。
今回田母神氏が空幕長の職を更迭された理由は、政府見解に反した廉であるがその政府見解とは「村山談話」を指しているので、「村山談話」に反した罪(?)ということになる。
そうであるならば政府の高位高官を首にできるほどの根拠となる「村山談話」とはそも、如何なるものであるかが今回の更迭問題の本質として議論の対象にならなければならないと考える。

しかし現実にはそのような本質論は等閑視され、その結果当然の帰結として、手続きの瑕疵に矮小化された議論や、政府の高官が政府に異を唱えるのはシビリアンコントロールに反するという、これまたシビリアンコントロールの本質とはかけ離れた浅薄な議論に終始した。「村山談話」は、我が国を侵略国家と断定している。つまり先の「大東亜戦争」は侵略戦争であったと世界に宣言したのである。ならばこの宣言に当たって過去政府は、総力を上げて大東亜戦争の検証をした結果であると言えるのかを問わなければならない。
当時村山首相は「侵略戦争」であったとの国会決議を目論んだが、500万余もの国民の反対署名運動が起こったためこれを諦め(小堀桂一郎東大名誉教授コラム、11月5日付産経新聞)、抵抗の少ない首相談話にすり替えて結局今日の「政府見解」が生れたのである。

署名運動の機会に浴さない国民も多くいたであろうから、反対の輿論が実際はその倍以上であろうと推定してもそれほど見当はずれでもあるまい。民主主義国家の首相が、500万以上という大きな輿論を無視して宣言した「村山談話」の出自のいかがわしさと、検証も経ずして軽々に「侵略国家」であると断定したそのいかがわしさを併せ持つ「村山談話」が、政府の高官を更迭する根拠になり得るのか甚だ疑問である。

 「村山談話」で日本は侵略戦争をしたと宣言したことは、政府自ら反日の歴史観を高々と掲げているという世界に例を見ない醜悪さを晒したことになり更には、お国の命令で愛する家族と別れ戦地に赴き勇敢に戦って戦死した国民と、非人道的な原爆や無差別爆撃で亡くなった銃後の国民の尊い死は、「犬死」、「無駄死に」であったと政府自身が言っているに等しく、犠牲者の御霊を冒涜するに止まらず遺族や後の国民を辱め、屈辱感を負わせる犯罪行為にも匹敵するものである。  

 さて田母神論文への評論として櫻田 淳氏が、「空幕長論文の正しさ・つたなさ」と題して11月7日付産経新聞正論コラムに寄稿されている。田母神論稿は「正しさ」を含んでいるが「賢明さ」を備えていないと、いかにも櫻田氏らしい鋭い指摘であるが、その「後者」の指摘には異論がある。櫻田氏は、二・二六事件時の幼年学校校長であった阿南惟幾の例を引き合いに、歴史認識に触れるのは武官の本分として疑義があると述べている。旧軍を引き合いにされたので、軍(自衛隊)の「士気」の問題を例にとって櫻田氏の疑義に応えたい。古来軍は、軍律厳しく士気高くなければ存在の意義がない。 

武力集団としての自衛隊も当然そのことを要求される存在である。その士気高揚は、自衛隊の本来的任務である戦闘行為の帰結としての戦死が、国家によって最高の栄誉・名誉として扱われるか否かと無縁ではない。
軍人の社会的地位と名誉が高く保たれていた戦前と、「侵略戦争」であったと戦死者を貶める首相談話を、「政府見解」として憚らない現在の自衛隊を取り囲む社会環境の天と地ほどの違いを櫻田氏は無視している。「靖国で会おう」を合言葉に戦死した英霊の深い思いを蔑ろにし、後世の人間の論理で国立追悼施設を云々するご都合主義を、自衛隊の若き隊員は目の当たりにしているのである。

「村山談話」といい「靖国問題」といい、戦死者の栄誉をいとも簡単に貶める現在の政治のあり方に、国家危急存亡の秋、全自衛官が果たして士気高く立ち上がるのか、今回も含めて過去に歴史認識に触れた政治家を安易に首にした歴代政府の事なかれ主義の対応が、自衛隊に深刻な問題を内包させる遠因になりはしないかと危惧するものである。

田母神氏は航空自衛隊のトップリーダーとして、その率いる組織を規律厳正にして士気高き存在にする任務を負う立場にあった。その田母神氏が、自衛官の士気を損ないかねない「村山談話」を通しての歴史認識に言及するのは、櫻田氏のいう「勇気ある問題提起」の範疇であり、職務とは関係のない個人の歴史認識の類で賢明さに欠けるという指摘は、あまりにも皮相的な見方に過ぎよう。
 
賢明さを欠く第2の理由として櫻田氏は、田母神氏の行為が内外の疑念に晒されながら黙々と実績を積み重ねて得た自衛隊への信頼を揺るがせるならば、その代償は誠に大きいものがあろうとしている。田母神氏が自己の信条は正しいと思っても、それとは相容れない立場の人は存在するであろうから、その指摘はある意味重く受け止めなければならない。
しかしながら戦前を引き合いにした自衛隊に対する内外の疑念の払拭を、自衛隊だけに負わすのは如何なものであろうか。
むしろそれは政治の世界が負うべき事柄ではないのか。
これほどの武力集団をいまだに軍隊ではないとする政治の虚構は、国民を愚弄し国際社会にいらざる疑念を抱かせ、日米同盟の真の運用を損ねるばかりではなく、自衛隊を宙ぶらりんな状態に放置し続けたことになる。

田母神氏がその不健全さを、「村山談話」に異を唱える形で指摘したと考えれば、これもまた現場を預かる者の「勇気ある問題提起」といえないことは無い。
一般論として政府の高官が、根源的問題を内包すると思われる政府見解に異を唱えることすら許されないとするならば、言論の自由を持ち出すまでも無くそのこと自体極めて不健全であり、国を危うくするものであると考える。
現職、つまり特別国家公務員の立場での発言を問題にする意見も聞かれる。それも一理あるが、一方退職し安全圏に入って発言するのは如何なものかとする立場の意見もある。
公務員の肩書きで行動することを安易に良しとはしないが、本件のように政治の不作為による、自衛隊の抱える根源的問題を表出するには、現職の立場で言明することに意味があると思われる。

その証拠に政府は慌てふためき、野党は興奮し、メディアも待ってましたとばかりに、国際社会の常識とはかけ離れた代わり映えのしない持論を展開した。もともと東京裁判史観を信奉している野党とメディアは「村山談話」に賛成であり、
政府は近隣諸国への過度の配慮という事なかれ主義でこれを踏襲しているいわば同じ穴の狢とも言うべき関係にある。
選挙を意識して田母神氏を国会参考人招致にしたが、あまり本音を喋られては困ると利害が一致し茶番劇に終わり、「村山談話」の胡散臭さを浮き彫りにさせる結果となったのは皮肉である。

メディアもこれに一枚噛んで国会中継をせず国民の知る権利に応えなかったのはジャーナリズムとして致命的ミスを犯したと思うが、公共放送のNHKの日頃の言動を思えば民放も含め、情けないもののさもありなんとの気もする。
田母神論文は、冒頭述べたように「村山談話」の素顔を露にする本質的展開にはならなかったが、戦後長く日本人を呪縛してきた東京裁判史観を顧みるよすがとなったことは否めない。」

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