老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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「人権を疑う」

正にその通り。
事件のあとに、精神状況が問われ、異常が確認されれば罪を認めても、罰を受けないこととなる。結構ですが、それなら罪を作らないために日常から隔離されているのなら納得できる。

日常生活で放置されて、事件発生の結果罰を受けるとき精神異常でしたはないでしょう。
そのように考えます。


被告不在の法廷…遺族の思い届かず 2園児殺害判決

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090220-00000658-san-soci

上記の記事の中に、以下のような部分があります。

私には、死刑を回避するための作病のような気がしてしまいます。
もちろん確固たる根拠があるわけではありません。
しかしながら、ご遺族があまりにも気の毒です。

「鄭被告は1審の初公判で「刺したのは人間ではなく、砂人形」と陳述。
法廷でつばを吐いたほか、床を転がったり、不規則発言を繰り返した
りして、たびたび裁判長から退廷を命じられた。」

『正和さんは閉廷後、武友若奈ちゃんの父、利光さん(32)と連名で寄
せたコメントで「この判決に納得できません。突然大切なわが子の命
や未来を奪われ、最も重い刑罰が下されるべきです」と悔しさをにじま
せた。刑が減軽される心神耗弱を定めた刑法についても「二度と何の
罪もない人が命を落とさないよう、真剣に見直しを考えなければならな
い」と訴えた。』


この事件を目にして、「人権を疑え!」(洋泉社)(宮崎哲也 編著)
の中にある、定方晟氏の「人権を疑う」を思い出しました。
皆様も、もしお時間があれば、ご一読いただきたく存じます。
氏は、仏教学者の立場から、鋭く「佐賀西鉄バス乗っ取り事件」
(当時17歳の少年が、一人を殺し数人を傷つけた事件)に切り込
んでおられます。

その中に以下の部分があります。
以下引用

この不合理は何故

今年(2000年)2月、東京都町田市でトラが人を殺した。トラは檻にいて、
もはやそれ以上、人に危害を加えるおそれはなかったが、毒殺された。
今年の5月、佐賀の17歳の少年が西鉄バスを乗っ取り、1人を殺し数人
を傷つけた。少年はなおも刃物を振りかざし、さらに殺傷を続ける姿勢
を示したが、射殺されなかった。

少年が射殺されなかったのは、人権という言葉が警察当局の頭にあっ
たに違いない。危害を加える恐れがないトラが殺され、危害を加える少
年が殺されない。この不合理を生み出す人権という言葉について考えて
みたい。


ヒトと人間

まず、「人権」の「人」について考えてみたい。そのため三つの言葉、「ヒト」
「人間」「ひと」を使い分けることにする。
「ヒト」は生物学的な概念であり、脊椎動物の哺乳綱に属する一つの種を
意味する。

「人間」は教育を受け、社会の一員として生活する力を身につけた「ヒト」を
意味する。
「ヒト」と「人間」は対照的な概念として用いることにする。「ひと」は「ヒト」と
「人間」を区別する必要のないときに用いることにする。

(中略)

佐賀の少年は服を着て、二足で歩き、言葉を喋っていた。野生児と違い、
人間そのものに見える。野生児ですら、すなわち「ヒト」ですら、われわれは
射殺することをためらう。人間の姿をした少年を射殺することをわれわれが
ためらうのは当然である。

だが、服を着て、二足で歩き、言葉を喋るだけではまだまだ人間というには
足りない。人間とは、想像力を持ち、他人の心を推量する能力を身につけ、
そのことによってたがいの欲望を調和させる必要を理解し、そのための社
会のルールを知り、それを守る力を身につけたもののことである。

自分の都合でひとを殺したということは、かれがまだケモノのレベルにあること
を示す。われわれは人間をはっきり定義し、佐賀の少年は人間ではないと
いうことをしっかり自分に言い聞かせよう。服を着て、二足で歩き、言葉を
喋れば人間だと思う偏見から脱却しよう。

(中略)

殺人を犯したひとが、精神鑑定の結果、責任能力なしとして罪を問われな
いことがある。
たしかに、人間として認められないものに、責任を問うことは出来ないだろう。
それならば、これは危険なケモノとして、監禁するか、射殺しなければならな
い。

殺人者をヒトとみなすか、人間とみなすか、二者択一でなければならない。
罪を勘案するときはヒトとみなし(つまり責任能力なしとし)、罰を勘案する
ときは人間とみなす(つまり処分を保留する)のでは首尾一貫しない。
人間でなければどういう扱いを受けるか、子どもにしっかり教えてやることが
必要である。

(後略)
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