老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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「中国人は台湾人の不倶戴天の敵である。」と語るのは、アメリカ在住の台湾独立派の闘士
である。

中国人に心まで侵食されていく台湾人。
中国人が政治の中心にいる限り、台湾の独立はありえない。
チャン氏の言葉を傾聴しよう。


【論説】台湾人総統の断罪
           アンディ チャン

8月14日、陳水扁が記者会見で、1994年から2004
年まで、二回の市長選挙と二回の総統選挙の選挙費用を虚偽申告し、呉
淑珍夫人が余った資金の一部を海外口座に不正送金したことを認め、台
湾国民に対して謝罪した。続いて翌日の8月15日午後、陳前総統は事
務所を通じて陳水扁氏および呉淑珍夫人が民主進歩党(民進党)を離党
する声明を発表した。

罪万死に値すとはこのことである。いくら謝罪しても弁解しても償える
ものではない。

●恥さらしの「台湾の子」

記者会見で陳水扁が述べたことは、送金は彼の知らない間に呉淑珍夫人
がやったこと、不正送金は他の人もやっている、宋楚瑜の興票案では3
億4千万をアメリカに送金した、李登輝も新瑞都案で10億を送金した、
馬英九や蕭万長も選挙資金の申告に不明な点があるというのだ。

だがいくら他人のことをあげて弁解しても自分の罪状を補うことは出来
ない。台湾人は国民党、蒋系中国人のあまりにもひどい独裁と汚職に不
満で民進党を結成し、陳水扁は「台湾の子」と呼ばれる、清新で正直な
イメージと期待を受けて選出され、市長、総統を勤めたのである。

中国人は台湾を食い物にし、独裁と汚職の限りを尽した。台湾人は中国
人の「黒金」(つまり暗黒政治と金銭汚職)に反対してクリーンな政党と
政治家に大いなる期待をかけたのである。それなのに陳水扁は1994年ご
ろから人民を裏切っていたのだ。

台湾人は中国人と違う、正直で法を守る、だから悪い中国人に搾取され
たのだと皆が思っていた。正直と法の遵守が台湾人の誇りだった。それ
のに、われわれが選出したホープがシナ人と同じ違法で不道徳な奴だと
わかった、やり場のない失望と怒りの無念さである。

●弁解無用、道義上の責任

選挙資金の不正申告は大罪ではない、金を外国に送金することも違法と
はいえないが、脱税の目的または違法な金を外国に送金して証拠を隠滅
する(例えば宋楚瑜の興票案は国民党の金を横領した罪である)のは大
罪である。陳水扁の選挙資金の剰余は疑わしいところもあるが、選挙資
金の残りは誰にでもあるもので軽犯罪である。

問題は違法送金が本当に選挙の剰余だけか、或いは他の不正な収入なの
かということで、この追求はこれから厳しく査問されていくことだから
ここでは討論しない。

台湾人が憤慨しているのは道徳上の問題で、(1)台湾人の献金を横領し
て私有化した、(2)妻に責任を負わせて自分は知らなかったと言う責任
逃れ、(3)李登輝その他の政治家がやったから自分がやったと言う弁解
である。人民を騙した罪、他人のせいにする、あるいは他人を同罪に巻
き込むような態度は卑怯としかいいようがない。

台湾人は悪いやつをシナ人と呼んで軽蔑していた。台湾人はシナ人では
ない、それが台湾人の誇りだったのだ。われわれは中国人と違う国を目
指して独立建国に励んできたのである。それなのに、清く正しい国を創
るはずのリーダーが「シナ人と同じ汚いことをやっていた」のが我慢な
らないのだ。

●民進党の改革

このスキャンダルで最も大きな被害を受けたのは台湾人だが、民進党員
も大きなショックだったに違いない。陳水扁の記者会見のあと、直ちに
轟々たる批判、失望と憤怒の声が渦巻いた。

民進党は選挙に負けて士気が落ち込み、新党首は党の建て直しに苦心し
ている。しかし、党幹部と党首・蔡英文が同意して民進党を離脱した許
信良の9年ぶりの復帰を許可したため批判が起きた。其処へ陳水扁のス
キャンダルである。

許信良は嘗て二回も民進党の党首を務めた男だが、国民党の連戦の金を
受取ったことがわかって党幹部の林義雄がテレビで二度も「許信良、連
戦の金を受取るな!」と叫び、批判されて仕方なく離党したのである。
国民党の不義の金を受取って国民党寄りになり、長年の間中国寄りの発
言をしていた許信良の復党を許すのは民進党のメンツを汚すものでしか
ない。

陳水扁といい許信良といい、如何なる理由があっても除名しなければな
らないのである。それが出来ない民進党は存在の意義がない。民進党は
大改革しなければ解散すべきである。このスキャンダルを契機にして、
民進党党員だけでなく全台湾人がこれまで信じていたことを反省し、醜
悪な中国人、醜悪な台湾人を追放することを真剣に検討すべきである。

●「台湾人総統」断罪計画

いまは陳水扁に対する非難の声が高すぎて民衆は冷静に物事を考えなく
なっているが、ここで指摘しなければならないのは、なぜこの案が発覚
したのかと言うことである。

新聞の発表によるとスイス銀行が陳水扁の嫁・黃睿?の口座にある金の
来源がおかしいから調査した、そしてこの口座を凍結してから台湾の外
交部に調査の援助を求めたと言うのである。これはおかしい。

新聞の発表では、シンガポールにあるクレディ・スイス銀行の黃睿?の口
座からスイスのメリル・リンチ銀行に送金した金について調査を始め、
黃睿?と言う人物が陳水扁の家族であると判明したからマネーローンダ
リングの嫌疑で口座を凍結し、台湾に通知したという。

でも、スイスの銀行がシンガポールの黃睿?と言う女性が台湾の陳水扁
の嫁であるとわかったのは「誰かの指図」による以外に可能性がないの
である。実情は「台湾にいる不明人物」が台湾の銀行から送金した陳水
扁家族の名前を調べ、シンガポール、スイスと追跡していったのだろう。

つまり「台湾人が総統となった恨みを中国人は忘れない」から、馬英九
が政権を取り戻した後は直ちに「何が何でも陳水扁を罪に落せ」と言う
指令がでて、それで陳水扁家族の金の出入記録を調べたのだろう。

陳水扁を罪に陥れるために陳一家の銀行帳簿を調べ、台湾から送金した
シンガポール、シンガポールからスイスまでの金の流通経路を調べ上げ、
しかもその経緯を書かず、スイス銀行から台湾の外交部に「怪しいマネ
ーローンダリングの口座を凍結した」と言わせ、陳水扁を罪に落とした
結果、全台湾人が大打撃を蒙った。この陰謀を民衆は詳しく知らなくて
はならない。しかも陳水扁の断罪をしているのは台湾人なのだ。

同じスイスの銀行でも、ラファイエット事件の大立者、?柏村や汪伝浦
(Andrew Wang)、連戦、宋楚瑜などがスイス銀行に設置した口座の調査
は、台湾から調査を依頼しても進捗しないのである。スイスの法廷が台
湾の法廷に送ってきた汪伝浦(Andrew Wang)の資料の「原本」が二年後
に「紛失した」でウヤムヤになっているのである。蒋系中国人の恐ろし
さ、台湾人の不甲斐なさをマザマザと見せ付けられる事件である。

陳水扁の不正蓄財は個人の2千万ドルだが、?柏村と汪伝浦(Andrew
Wang)のラファイエット事件軍艦汚職はフランスからの軍艦購買に際し
て13億ドルが消えた、つまり26倍の桁違いの金額である。国費を横領
して中国の高官フランス高官にも分け前を与え、軍艦に搭載すべき武器
を中国に引き渡した、この罪は陳水扁の罪とはちがい、反逆罪と通敵罪、
汚職、そして台湾とフランスにおける合計20人以上の証人の不審死を馬
英九政権は不問に附しているのだ。

●不倶戴天の敵

中国人は台湾人を敵と思い、奴隷と蔑視する、だから8年も政権を握っ
ていた陳水扁は絶対に許さない。彼のほかに前政権の官僚も逐次罪に陥
れる計画が出来上がっている。

もちろん陳水扁の犯した罪は、それが道徳上の罪、軽犯罪であっても許
されるべきではないが、台湾人がこの事件からシッカリ学ばねばならな
いことは「中国人は台湾人の不倶戴天の敵」と言う事実である。

台湾の民衆は新聞のスキャンダルの踊らされて真相が見えないようだが、
事件が少し収まれば目が醒めるかもしれない。中国人は台湾人の不倶戴
天の敵である。中国人が居る限り台湾人が政治に介入することはできな
いし、独立運動も只のガス抜きに終わってしまう。

陳水扁の罪は許されないが、中国人の陰謀に気付くべきである。蒋系中
国人が居る限り台湾人の「出頭天(世に出ること)」はありえない。この
ことを全台湾人にわからせるべきである。陳水扁の罪は消えないけれど、
このエネルギーを中国人に向けるべき、その運動を開始するのは今をお
いてない。

今こそ、台湾の正名・制憲運動の展開を。
台湾人よ!がんばれ!日本人が支持している!


【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(18)
    台湾人医師の直言

(転送転載自由)



第3章 台湾から見た台湾および台湾人 

3、中華民国は「シナ共和国」であって台湾ではない

●台湾は法理的には主権独立国家ではない

 二〇〇〇(平成一二)年三月の台湾総統選挙で民主進歩党(以下、民進党)の陳水扁が中国国民党(以下、国民党)の連戦に競り勝ったことにより、独立綱領を掲げている民進党が政権の座を獲得し、選挙キャンペーン中「台湾独立万歳」と何度も口にした陳水扁が台湾の新しい指導者になった。

 陳水扁政権下の台湾は、これからさらに完全な独立の方向へ突き進むに違いないと、大部分の民進党支持者は期待した。しかし、政権の安定を最優先に考えている陳水扁は、国民党路線の継承を選んだ。それは「中華民国体制」の承認と継承であり、「中華民国体制」の打倒を目指している支持者を見事に裏切ったのである。

 台湾では、中国との併合を希望する人はごくわずかで、大多数の台湾人は「現状維持」の選択肢を選んでいる。しかし、現状はどのような状態なのかについて、いくつかの違った見解が台湾のなかに存在する。

 陳水扁政権の見解は「台湾は主権独立国家であり、国名は中華民国だ」というものである。「中華民国」すなわち英語名で表記すれば国名に「リパブリック・オブ・チャイナ」(Republic of China)と「チャイナ」が付いているが、台湾は中国と異なった独立した存在だと強調している。この実質的主権独立国家論は、台湾は独自の制度や軍隊を持ち、有効な法的支配を施していることを根拠としている。

 しかし、これは国家成立の四大要素「人民、領土、主権、国際承認」のうち、二つの点で大きな欠陥がある。

 一つは、法的支配地域ははっきりしているものの、自国の領土と主張している領域には中国とモンゴルも含まれており、一九九一年の憲法改正で統治権は台湾、澎湖、金門、馬祖以外に及ばずと宣言したが、領土主権については依然として矛盾が残っていることだ。

 もう一つは、台湾が国際社会で国家として承認されていないことである。現に、国際連合憲章ではいまだに「中華民国」が加盟国名になっているものの、中国を代表する合法政権は中華人民共和国だとして、中国は安全保障理事会の常任理事国のポストを「中華民国」の国名のまま継承しており、国際社会では「台湾=中華民国」との法的根拠はまったく存在していない。

 また実際、オリンピック競技やAPEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)などの国際会議には、台湾は「中華民国」ではなく、「チャイニーズ タイペイ」の名義で参加している。台湾ではこの「チャイニーズ タイペイ」を「中華台北」と訳しているが、英文的には中国と中華の区別はなく、「チャイニーズ タイペイ」は「中国の台北」や「中国人の台北」とも訳せるのだ。

 いずれにしても、「チャイニーズ タイペイ」では主権国家の国名とは言いがたく、また国際社会ではすでに「中華民国」は死語になっているのである。したがって、陳水扁政権の「台湾は主権独立国家であり、その名は中華民国である」との解釈は、台湾国内向けの自慰的な意味しかない。単なるポーズでしかないのが実態なのである。

●台湾は中国の一地方にすぎないと自ら教育する矛盾

 ところが、台湾政府は、台湾は主権独立国家と主張しているにもかかわらず、教育の場では台湾人を中国人として教育しているのである。政府が出版した教科書の国語は「中国語」、本国歴史は「中国歴史」、本国地理は「中国地理」であり、教育現場では「われわれは五千年の栄光をもつ偉大な民族である中国人だ」と、台湾人の子供たちに中国ナショナリズムを吹き込んでいるのだ。

 この蒋介石時代から始まった中国人化政策は、学校から一般社会まで、徹底的に実行されており、戦後生まれの台湾人はこの民族浄化に匹敵する洗脳政策に強く影響されている。

 李登輝前総統はこの歪みを正そうとして、台湾の子供たちに台湾の歴史と地理を認識させるため、中学生用の補助教材として『認識台湾』という教科書を台湾の教育部(文部省)に編集させた。しかし、陳水扁政権下の教育部は、この教科書を二〇〇二年九月の新学期に廃止し、李登輝時代からの台湾化政策を逆行させている。

 教育部は、台湾に関する歴史は「郷土教育」の教科書に編入し、その比重は決して低くなったわけではないと弁解しているが、『認識台湾』の編集責任者だった台湾師範大学の呉文星教授は、「台湾史の部分は小学校低学年で学ぶ郷土教育に編入され、多感な中学生に本国史として中国歴史を教えることによって、台湾は中国の一地方にすぎないという錯覚を意図的に子供に与えようとしている」と厳しく批判している。
 
なぜ中国との併合を拒否しながら、それに逆行するような矛盾が台湾内部に存在するのか? 親台湾的な日本人はよく、それは外省人(戦後、台湾に移住してきた中国出身者とその子孫)の陰謀だと解釈してくれる。確かに台湾総人口二三〇〇万人の一三パーセントにすぎない外省人が、軍、警察、教育、マスコミなど、各分野の重要ポストを占めており、その影響が絶大であるため、台湾社会は中国の呪いから脱出できないでいる。

 しかし、この見方が真実であるならば、八七パーセントを占める本省人(戦前からの台湾住民)は強権を恐れ、保身的で、国造りの気概をもたない人種になってしまう。実際、軍も警察も、そして政府官僚も上層部こそ外省人が多いが、全体の出身比率はほぼ人口に比例している。約一〇〇万人を擁する国民党の党員の八割は本省人で、約二三万人の民進党党員も九割以上は本省人である。本省人はすでに差別され迫害されている人種ではなくなっているのだ。

 また、独立か、統一か、現状維持かの路線論争は、出身の違いによる闘争というより権力闘争の一つの材料にされており、台湾の野心家に利用されていると見た方が真実に近い。

 事実、統一派の政治家も独立派の政治家も、権力を手に入れたとたん、統一も独立も口にしなくなり、現状維持の多数意見にすり寄る。独立派政治家と見なされていた陳水扁の変身ぶりはその典型的な例だ。

●内部から脱中国化することこそ台湾独立の第一歩

「現状維持」とは独立状態であると解釈する人もいるが、台湾の教科書の本国歴史は中国歴史であり、台湾政府官庁内に掲げている本国地図はモンゴルも含めている旧中国の地図だ。これでは、台湾はその一部にすぎないと台湾政府自ら認めているようにしか見えない。

 台湾政府はこのような内部矛盾を徹底的に見直さない限り、国際社会にいくら「台湾は主権独立国家であり、国名は中華民国である」と主張しても、はなはだ説得力に欠ける。

 しかし、中国との併合を強く拒否している台湾社会の最大公約数は「現状維持」である。それは「中華民国」という国名の下での独立状態とも解釈できる。実際、陳水扁政権になってからの台湾社会では、台湾独立の声が聞こえなくなった。

 しかし、前述した矛盾を解決しないかぎり、完全な独立状態からはほど遠い。「中華民国」が主権独立国家と主張するためには、まず領土範囲をはっきりさせなければならないのだが、それも一朝一夕にはいかない。「現状維持」という意識が憲法改正や新たな憲法制定へ向かう力を殺いでいるからである。

 時間はかかるが、実は台湾人を台湾人として教育し、内部から徹底的に脱中国化することこそ、台湾独立の第一歩なのである。「台湾は主権独立国家であり、国名は中華民国である」と主張しているだけでは、台湾人の独立の意志を麻痺させ、台湾を完全な独立国家とする目標が見失われることになる。

「中華民国」とは「リパブリック・オブ・チャイナ」であり、直訳すれば「シナ共和国」であって、決して台湾ではないのである。






(次の連載8月25日)9

中国という国の国民の対日観をじっくりお考えください。
台湾ほど日本にとって必要不可欠な国家はありません。


【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(17)     台湾人医師の直言

(転送転載自由)

著者 林 建良


第3章 台湾から見た台湾および台湾人 

2、台湾人と中国人の対日観の決定的な違い

●中国人は日本をどう見ているか?

 私が日本に来て一番驚いているのは、日本人の中国人観である。日本人からよく「中国人は非常に心が広い寛大な民族で、懐も深くおおらかで、道徳心が高く、信用を大事にする」というような話を聞く。

 このような中国人観を聞くたびに驚くとともに、果たして日本人は中国人のことをどこまで知っているのだろうかと疑問に感じざるを得なかった。というのも、中国人の実態をつぶさに見ざるを得なかった台湾人からすれば、日本人の中国人観とすべてにおいて正反対だったからである。

 中国人を知るためには、中国人が日本をどう見ているのかを知ることが一つの大きな手がかりになる。その対日観を比べてみれば、中国人と台湾人の違いもよくわかるはずである。

 中国人の対日観はおおよそ次の三つの要素から成り立っている。

(1)日本に対して優越感を抱いている。
(2)日本に対して劣等感を抱いている。
(3)日本に対して被害者意識が強い。

 中国は国の名前のとおり、自分たちが世界の中心と考えている国で、中国人は、自分たちこそ四千年の歴史を持ち、中華文化というもっとも優れた文化を持っている国だと考えている。

 だから、中国人はよく「日本文化は所詮、中華文化の亜流にすぎない」と言う。日本の漢字にしても中国から伝わってきたものではないかということで、日本に対しては文化的、民族的な優越感を常に抱いている。

 このような考え方は国家にも反映され、国際舞台のあらゆる場面において、日本には中国以上の発言権を与えないよう常に企図している。

 それを象徴しているのが二〇〇五年四月の反日デモだった。中国は、日本が国連の安全保障理事会のメンバーに加入することは中国の優位性を脅かすものであり、絶対に容認できないと考えている。自分たちこそが世界の中心であると考える中国は、日本に対しても絶対的優位に立たなければならないと考え、それこそが対日観の原点なのである。

●常に先を行く日本への劣等感

 では、自分たちこそ世界の中心と考えている中国が、なぜ日本に対して劣等感を抱いているのか?

 これは、中国は四千年来、周辺諸国を東夷、西戎、南蛮、北狄と分け、征服と朝貢の対象と考え、あらゆる近隣諸国に兵を出して侵略をくり返してきた。例をあげればキリがないが、最近では、一九五〇年のチベット侵略や一九七九年のベトナムへの懲罰戦争がある。

 しかし、その長い侵略の歴史のなかで一度たりとも征服できなかったのが、東夷にすぎない日本だった。しかも日本との戦争で勝利したことがなく、一八九四年の日清戦争で負け、大東亜戦争でもほぼ連戦連敗だった。

 ところが、中国は第二次世界大戦の戦勝国として国連の安全保障理事会の一員となり、確かに日本より優位に立ったかに見えた。しかし、日本は明治維新という革命を成功させ、アジアで最初に西洋国家の仲間入りを果たした国であり、大東亜戦争では負けたものの、いち早く経済を復興させて先進国入りし、世界第二位の経済大国となった国だ。

 中国は、日本に対して常に優位に立たなければならないと考えているにもかかわらず、日本は常に先を行く。そこで劣等感を抱かざるを得なくなってしまったのである。中国にとっての日本はまさに「目の上のたんこぶ」なのである。

 中国人が日本に対して被害者意識が強いことは、いわゆる「南京大虐殺」のような世紀のウソを捏造してまで被害者意識を増大させていることによく現れている。

 これは戦時賠償金を放棄した中国が、何とか別の形で日本から賠償金相当あるいはそれ以上の額面を引き出すためという現実的な要請もあったが、基本的には近現代の歴史に負うところが大きい。劣等感と出どころは同じで、戦争で負けつづけた歴史意識の産物である。

 その歴史意識と、日本が隣国でなかったら中国はもっと発展していたはずだという責任転嫁の心理が、被害者意識として結実したものと考えられる。

 有り体に言えば、悪いのは加害者(日本)であって、被害者(中国)は悪くない。加害者が被害者に金を出すのは当たり前だと考えること自体、中国の被害者意識であり、弱者の論理なのである。

●反日思想なのに日本に来たがる中国人

 このように中国人は、日本に対して優越感と劣等感と被害者意識という矛盾する三つの意識を併せ持っている。

 中国には日本を表現する言葉の一つに「小日本」(シャウズーべン)という言葉がある。今でもよく使われているが、「小さい日本」「ちっぽけな日本」「チビの日本」という日本を蔑んだ言葉だ。大中国としての優越感にあふれた言葉である。

 それともう一つは「日本鬼子」(ズーべンクエズ)という言葉である。中国人からすれば日本人は「鬼」のような存在ということで、軽蔑よりも恐怖感を表した言葉である。これはまさに優越感と劣等感と被害者意識が混じり合った言葉と言えるだろう。

 しかし、ほとんどの中国人は日本人と会ったこともなければ見たこともない。それにもかかわらず、中国より先んじて先進国の仲間入りを果たした日本の存在自体を許せないと考えるのが中国なのである。だから、中国の反日意識は日中戦争とは関係ないと私は見ている。もし日本が中国より遅れている国であれば、おそらくなんの問題も起こらなかっただろう。

 中国はまわりの国をすべて軽蔑している。しかし、中国のなかに反日思想が蔓延しているという話は聞くが、反露思想や反韓思想あるいは反越思想や反印思想が蔓延したことがあるとは聞いたことがない。つまり、中国からすれば、このような国々は遅れている国という認識であり、それに比べて日本だけが先進国として中国の上位にあるということで、中国にとっては許すことができないのである。要は、中国の妬みなのである。

 また、中国では「美国」と呼ぶアメリカに対して、国策として「打倒美帝」(米国帝国主義を打倒せよ)という国家による反米政策はあったものの、民間では反米思想が蔓延したという話もあまり聞いたことがない。これは日本よりも先を行くアメリカなので、嫉妬する対象ともなりえないほどの格差を意識しているからだろう。

 では、反日思想を抱く中国人だから日本を大嫌いかというと、決してそうではない。中国人は実利を大切に考える民族である。そこで、日本のような先進国で暮らせるとなれば、平気で国を捨てて日本にやって来る。法務省の統計によると、日本国籍を取得している外国人でもっとも多いのは「韓国・朝鮮」で、次に多いのが中国人であり、年間、四〇〇〇人以上の中国人が日本に帰化している。その「韓国・朝鮮」とはほとんどが在日の二世や三世のことで、生活の基盤はそもそも日本にあることを強調しておきたい。

 日本に対して最大の反感を抱いているのが中国人であり、日本人になろうと一所懸命なのも中国人なのである。

 これに関連して、残留孤児についても触れておきたい。
 幼いころ中国に取り残された残留孤児には日本人の血が流れている。外見上は中国人と何ら変わらないものの、ほとんどの残留孤児は母国日本に行きたいと願っている。私自身も残留孤児の家族と付き合いがあり、その思いはよく理解できる。

 そして、残留孤児が帰国すると、その家族五、六人が一緒に来日することになる。そのなかには子供の配偶者もいて、それは中国人だ。その中国人が反日思想にどっぷり浸かっていたとしても、ほとんど例外なく日本での永住を希望し、一緒に来日するのである。ここにも、中国人の非常に実利的な本質が現れている。

 この残留孤児のなかには書類を偽造して来日している人もいると仄聞する。あってはならないことだが、それもまた実利に重きを置く中国人ならではの発想と言えるだろう。

●靖国問題でわかる台湾と中国の違い

 台湾人は中国人ではない。台湾人は五〇年間、日本人と一緒に暮らしてきた民族であり、またその子孫である。中国人より日本人の本当の姿を知っている。

 それでは、台湾人と中国人の対日観の違いはどこにあるのか? それは日本の優れた文化や文明を、同じアジアの一員として素直に認められるかどうかということにある。つまり寛容の心があるかないかということである。

 台湾人の対日観は、中国人のような屈折したものではなく、日本が台湾の先生であることを素直に認めていることに基づく。そして、日本人の美学や日本文化を謙虚に学ぼうとしているところに特色がある。

 その象徴的な人物が李登輝前総統であり、「老台北」こと蔡焜燦氏だ。李前総統は、日本の「わび」や「さび」といった文化や美学、日本に残されているサムライ精神、武士道精神を非常に高く評価している。松尾芭蕉の「奥の細道」をたどってみたいという思いも、実際に歩いて日本文化を実感したいからで、このような思いは台湾人に共通していると言ってよいだろう。

 蔡焜燦氏にしても、その思いは同じで、著書である『台湾人と日本精神』という表題からもそれが見てとれる。そのなかで「われわれ台湾人にとって、また台湾という国家にとって、威風堂々たる日本がアジアのリーダーとなってもらわなければ困るのである」と書き記している。

 台湾人はこのようにきわめて高く日本を評価し、尊敬できる民族として日本を位置づけ、日本文化は学ぶべきであると強く意識しているのである。

 さらに、台湾人と中国人の違いは、日本人の死生観や心の問題に理解があるかどうかに顕著に現れている。そのよい例が靖国神社に対する考え方だ。

 中国は、日本の靖国神社は軍国主義の象徴だと言って非難している。しかし台湾人は、李登輝前総統も靖国神社に参拝したいと表明しているし、蔡焜燦氏をはじめ、戦時中、高座海軍工廠で戦闘機の生産に携わった台湾少年工出身者など多くの台湾人が来日のたびに参拝している。

 しかし、同じ台湾人で原住民出身の立法委員(国会議員)である高金素梅が靖国に祀られている台湾出身戦歿者の御霊を台湾に持ち帰ろうとしたり、訴訟を起こしている。これはどういうことかというと、父親が中国人で、母親が台湾原住民の彼女の背後には中国が存在し、彼女自身も台湾にある中国人団体の代表をつとめている。つまり、彼女の行動はまさに中国人の考え方に基づいた行動であり、決して台湾人の考え方ではないということだ。

 この高金素梅と靖国問題に関しては後述するが、台湾人と中国人の対日観の決定的な違いは、まさに靖国神社への対応となって現れてきているのである。



(次の連載8月18日)

中華民族主義の中国との連携を唱える「在台中国人」との交流は一切必要ない。
草の根の運動を着実に繰り広げている台湾人との交流が、今の日台にとって重要事項となってきている。

台湾での日本との交流を願う人々が多数を占めるのが早いか
日本での台湾との交流を願う人々が多数を占めるのが早いか

この活動に身を投じていきたい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


永山先生のご奮闘を祈念します。


台湾紙が尖閣問題で正論をみごと掲載

          永山英樹

ブログでは関連写真も↓
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-459.html#comment

尖閣諸島の領有権を主張して、台湾は日本人の信頼を失いつつある。日本と台湾
の離間を戦略上の課題としている中国を喜ばせる展開だが、この問題で反日を煽
っているのが中華民族主義で中国と提携する外省人(在台中国人)の政治勢力な
のだから、実に暗示的だ。だから台湾人はその反日煽動に危機感を抱いている。
そうしたなか台湾で最大発行部数を誇る自由時報は七月二十九日、尖閣の日本帰
属を明らかにする論文を掲載した。

「釣魚台」ではなく、はっきりと「尖閣」と表記するこの論文。それは台湾人が
、在台中国人が行ってきた尖閣領有権の主張に疑いを持ち始めていることを示す
ものだ。韓国紙なら日本の竹島領有権を認める論考を載せることはないだろう。
「竹島」の名称自体、掲載しようものなら国民が許さない。

さて、論文の筆者は米大手シンクタンク、ヘリテージ財団のジョン・J・タシク
JR上級研究員(元米国務省情報調査局中国分析部長)。日本でも中国・台湾問
題の研究家としてよく知られている人物だ。論文のタイトルは「米日同盟の尖閣
暗礁」。非常に参考になる内容なので、ここで簡単に紹介したい。


タシク氏

次のように書かれている。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////


二〇〇四年三月、つまり尖閣群島(台湾では釣魚台と称する)の争議が起こった
とき、米国国務院のスポークスマンは「一九七二年以来、尖閣群島は沖縄の一部
分。日本に返還されて以来、その列島は日本政府の行政管轄下にある」ことを明
らかにし、続けて「一九六〇年に締結した日米安保条約第五条は、同条約は日本
管轄下の領土に適用されるとしており、そのため第五条は尖閣群島にも適用され
る」と述べた。だから、米国が尖閣群島の究極の主権の問題で立場を示さないと
しても、どこを支持しているかは言わずとも明らかなのだ。国務省が口に出せな
いでいるなら、私に明らかにさせてもらおう、尖閣群島は日本のものだ。

尖閣群島は行政上、琉球列島の一部分だ。サンフランシスコ講和条約第三条では
「南西諸島」内に組み込まれている。第二次大戦後、米国が占領し、二十七年間
管轄し、一九七二年にその主権は沖縄返還の一環として日本へ返した。

日本は一八九五年一月に初めて尖閣群島の主権を宣言した。これは同年の日清戦
争に関する協議に基づく日本の台湾領有事件とは関係のないものだ(※下関条約
で日本に割譲された台湾の付属島嶼に尖閣諸島が含まれていたとする中国・台湾
側の主張は正しくない、の意)。

一九六八年以前、北京の中国共産党と台北の国民党は、尖閣群島へのいかなる欲
望も見せていなかった。台湾で一九六九年以前に北京で出版された地図には、境
界線は尖閣群島以西に引かれている。私が収集した地図の中にある一九六九年の
「中華人民共和国分省地図集」の「福建省・台湾省」の部分には、日本名の「尖
閣群島」と表記されている。

北京の人民日報は一九五三年六月、沖縄住民に米帝国主義への反抗を呼びかける
評論の中で、「尖閣」群島を沖縄島嶼の一部分として挙げている。これは北京政
府が朝鮮戦争のさなかでさえ尖閣群島を日本のものと見ていた明確な証明だ。

台北と北京は尖閣群島がいかなる利益を擁しているかをまったく知らなかった。
だが一九六八年に国連のアジア・極東地域経済委員会の報告書の中で地質学者の
エイムリーと新野弘が「石油の世界最大規模の埋蔵の可能性」を指摘すると、台
北の中華民国政府(当時の国連での中国大陸代表)は刺激を受け、尖閣群島と海
底油田への中国の主権宣言を検討し始めた。

台湾の中国人亡命者(※在台中国人)は清朝の西太后が大臣の盛宣懐に同群島を
下賜する「諭旨」が存在すると言ったため、それが台湾と北京に広まり、中国の
同群島領有権の歴史的証拠とされたが、学界では最近、たぶん偽物だろうとされ
ている。なぜならその文書に清朝の風格はなく、印璽も違うし紙の質も清朝が用
いたものではない。台湾の統一派の著名なコメンテーターは「現物は盛宣懐直系
の孫娘がロサンゼルスの銀行に保管している」と今でも言っているが。 

サウジアラビアに匹敵する石油が東支那海に埋蔵されると言う見方は消え、領海
問題は現在ほとんど「面子」の問題となっている。中国は二〇〇六年十月には東
支那海で軍事演習を行った。香港メディアは尖閣群島を武力占領することを想定
していたとのデマを流した。しかし北京の外交手法は巧妙で、東京とは直接敵対
しない。そしてもちろん台湾が尖閣群島の争議に介入することを歓迎している。
中華人民共和国がこの議題を中国人の民族主義問題に変えるのに役だつからだ。

孔子時代に崇敬された中国の戦略家、孫子は「上兵は謀を伐つ、その次は交(外
交関係)を伐つ」と言ったが、尖閣問題は確実に台湾と日本を離間させた。もし
米国が日米安保条約での約束における尖閣群島に関する部分を回避するなら、お
そらく日本の日米同盟への信頼を損ねることになるだろう。もし米国が聯合号事
件(※六月の台湾遊漁船沈没事件)を未成熟な台湾と敏感な日本との間の小さな
仲違いとし、身を乗り出すことを拒むなら、中国が直接東京に圧力を加え始める
可能性がある。

自惚れたワシントンが北京にアジアの主導権の真空を補填させるなど、何のいい
ことももたらさない。日米安保条約は明確に尖閣群島に関係している。ワシント
ンは「同盟国」としての責任を果たし、尖閣問題での明確な立場表明を行うとき
なのだ。

●全文は以下で(漢語)。
http://www.libertytimes.com.tw/2008/new/jul/29/today-p7.htm

台湾人は台湾人であり、決して中国人ではない。
あらゆる場で、このことの声を大にして叫ぼう。

【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(16)
    台湾人医師の直言

(転送転載自由)



第3章 台湾から見た台湾および台湾人 
       
 台湾は中国の一地方に過ぎないと自ら教育する矛盾

1、台湾人は漢民族ではなかった

●台湾人と中国人は同じ民族だと誤解する日本人

 台湾という国を、日本人は知っているようで知らない。どうせ中国と同じ民族なのだから仲良くやればいいじゃないか、と言う人が少なくない。一般の日本人ばかりでなく、台湾について勉強している学者や研究者でさえ、同じようなことを言う。

 つまり台湾人は、二パーセントの原住民、一三パーセントの外省人(蒋介石と一緒に台湾にやってきた人間)、残り八五パーセントの本省人(戦前に台湾に移住してきた人間)なのだから、九八パーセントはもともと漢民族ではないか、と。

 これは誤解でしかないが、ほとんどの日本人が台湾人は漢民族であると考えている。実は、なによりわれわれ戦後の台湾人が「お前たちはもともと漢民族である中国人なのだ」という教育を受けてきたのだから、日本人がそう思うのも致し方ない面がある。しかし、これは間違いなのである。

 台湾が世界史に登場してきたのはつい最近で、一七世紀になってからである。では、それ以前の台湾にはほんの一握りの人間しか存在していなかったのかというと、そうではない。

 台湾が歴史に登場したのは一六二四年で、オランダがアジアとの貿易をするうえでの中継点として登場した。ご承知の通り当時のオランダは、非常に航海技術が優れていて、貿易が盛んだった。今の会社の原型といわれる東インド会社も彼らによってつくられた。当時の彼らは、西洋のものを日本や中国に売り、あるいは東洋のものをヨーロッパに売っていた。オランダはその中継点として、台湾と中国のあいだにある島で、大きさは新潟県の佐渡島の五分の一ぐらいの澎湖島という島を選んだ。

 当時の明朝はその島をめぐってオランダ軍と戦い、結局は和解したが、明朝の条件としては、澎湖島は返してもらう、その代わりに台湾をあげるからというものだった。台湾は中国にとって、そのくらい無用のものだった。そして一六二四年、オランダ人が台湾を統治することになる。それが台湾人が体験した初めての国家としての権力であった。

 著名な統計学者である沈建徳氏の著書『台湾常識』によれば、当時の台湾の人口は五〇万人だったという。今から一〇年ほど前までは、台湾では原住民のことを「山胞」、つまり山に住んでいる民族と呼んでいた。しかし、確かに三分の二は山でも、三分の一は平野である。住みやすい平野に人が住まなくて、山にばかり住んでいるなどというおかしなことはない。実は、当時の台湾人のうち二〇万人は山に、三〇万人は平野に住んでいたのである。

 余談だが、当時の台湾でいちばんの資源は鹿だった。台湾産の鹿の皮がとても綺麗だったので、日本の武士は好んで兜の飾りにしていたという。

●台湾に来たがらなかった中国人

 オランダ人は台湾を統治するために、中国から労働者を輸入する。その数は七〇〇〇人から八〇〇〇人で、五〇万人のなかの八〇〇〇人だ。人口の一・六パーセントにすぎない。

 鄭成功が清に負けて台湾に逃げてきたのが一六六一年であるから、オランダの統治は三八年間つづいたことになる。今、台湾人が中国人の子孫であり後裔であるという根拠は、鄭成功が多くの中国人を連れて海を渡ってきたことに求められている。しかし、一六六一年の台湾の人口は六二万人であり、中国からやってきたB成功一族と彼の軍隊はそのなかのたった三万人なのである。

 その一族が台湾を統治したのは二二年間で、清朝によって滅ぼされた。当時の台湾の人口は七二万人になっており、そのとき清朝が連れてきた軍隊はほんの数千人だ。なぜ中国人が台湾に行きたがらないかというと、当時の台湾はまさに瘴癘の地だったからだ。瘴癘とは風土病のことだが、マラリアをはじめ猩紅熱、腸チフス、百日咳など、ありとあらゆる伝染病が台湾に蔓延していた。「台湾に一〇人行けば七人死んで一人逃げ帰る。残るのはせいぜい二人」という中国のことわざが残っているほどだ。

 実際、清朝は二〇〇年間にわたって台湾を統治するが、その間、統治者は三年交替だった。三年交替の統治者で生きて中国に帰れたのはほんの数人、一〇人を超えていない。もちろん統治者としてやって来るわけであるから、いちばんよい食事、いちばんよい環境、いちばんよい住まい、つまりいちばんよい衛生状況を保てたはずだったが、その彼らがほとんど台湾で死んでしまうほど台湾の風土病は怖かった。

 そして、一八九五(明治二八)年に日本が台湾を領土としたときの人口は二五〇万人だったが、そのとき、清朝出身者のほとんどは中国に引き揚げている。だから、このように歴史をたどってみれば、われわれ台湾人が漢民族であるという認識はいかに間違っているかがよくわかるのである。

●税金のために漢民族になろうとした原住民

 清は、いろいろな階級に分けて台湾人を統治した。漢人、つまり漢民族しか苗字を持っておらず、原住民のことは、野蛮人を指す「蕃」を使って「生蕃」「熟蕃」と呼んだ。この戸籍制度は、日本の統治時代まで使われている。

 熟蕃というのは漢民族と一緒に住んでいる、人を殺さない原住民を指す。山に住んでいる原住民は首を狩る。そのことを「出草」という。自分が一人前の男であることの証明として人の首を狩り、狩った首はお飾りとして自分の家の前に棚を作って並べておく。この首の数が多ければ多いほど立派な男ということになる。私のなかでときどき血が騒ぐのは、その遺伝子のせいかもしれない。

 生蕃には重税が課せられ、熟蕃はやや軽い。漢人はいちばん軽い。そうすると、熟蕃は競って漢人になろうとする。そこで、当時の清朝は「では、あなたの名前は林にしましょう。あなたは王にしましょう」と苗字を与えた。苗字のない原住民は競って苗字のある漢民族になろうとしたのである。生蕃もできるだけ熟蕃になろうとした。だから、台湾人が漢民族であるというのは統治者の政策によってつくられた虚像でしかない。要は名前を漢人風にしただけのことであり、表面だけを見て漢人と言っていたのである。

●血液学からも台湾人は漢人でない

 台湾の人口は、一六二四年の五〇万人から一九四五年にはざっと六〇〇万人になった。環境などを考慮すると、その成長率は非常に合理的な数字である。清朝統治の二〇〇年間には、台湾に渡るなという禁止令があった。それは、台湾が非常に長いこと海賊の巣になっていたので、人が増えることは好ましくなかったからで、できるだけ台湾に渡らせないようにしようというのが清の姿勢だった。

 日本が統治した当時の人口は二五〇万人で、もちろん日本統治の五〇年間に中国から台湾に移住してきた中国人はほとんどいなかった。正常な人口の成長で、五〇年間で六〇〇万人になったのである。ただ一九四五年以降、台湾から引き揚げた日本人は約四〇万人いたから、総数としては六四〇万人ということになる。そのなかにもし中国人がいたとしても、ごくわずかなのだ。

 血液学的調査でも、台湾人が漢人でないことは証明されている。台湾の馬偕記念病院の血液学の教授である林媽利先生は人間のリンパ球の遺伝子を調べて、すでに台湾人と漢民族の遺伝子がまるっきり違うことを証明しているのだ。

 台湾人は漢民族ではなかったのだ。