老兵の独り言

八尾市をはじめとする全国での左翼情報チェックと真正保守の陣営拡大を願っています。 国連をはじめとする人権条約を基礎とする国内法の点検と法破棄運動も行っています。

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私が愛読している、日本戦略の研究会 の発行するメルマガより転載します。
考えさせられます。



★ 表題: 1951年以降のチベットをモデルにして、沖縄の危険な将来を予測する       グェン・バンカイ
                  鈴木良吾 

◇ China チベット自治区の中心都市・ラサにおいて、2008年3月14日午後、
仏教僧侶を中核とする大規模なデモ(北京共産党政権支配に対する抗議行動)
が発生しました。多数の住民がデモに参加して、投石・放火・打ち壊し行動が
拡がり、鎮圧に出動したChina の公安(警察)・軍隊との間で、争乱となりま
した。

 (注) チベット自治区: China 西南部に拡がる平均海抜4000mの高地、住
民の90%をチベット族が占めていたが、道路整備や「青蔵鉄道」の開通で、多
数のChinese がラサに移住し、風習と所得水準の差異で、トラブルが激増中。


 1951年: China 人民解放軍がラサに進駐
 1959年3月: China 軍が、大規模デモ(チベット動乱)を鎮圧、チベット
族の多数が殺傷・弾圧され、チベット仏教の最高指導者・ダライラマ14世がイ
ンドに亡命し、「亡命政府」を樹立
 1965年9月: 北京共産党政権が、チベット自治区を創立
 1989年10月: ダライラマ14世が、ノーベル平和賞に決定


◇ 北京共産党政権側の発表(被害を最小限に縮減)と「亡命政府」側の情報
には、非常に大きな差異があり、人的・物的被害の真実が、定かではありませ
ん。しかしながら、デモ等の騒動・争乱が、チベット自治区だけに留まらず、
周辺の雲南省・四川省・青海省にも拡大していることは確実であります。

◇ 北京共産党政権は、北京オリンピックが迫っている現況を重視して、目先
は、穏便に行動する可能性が高いと申せます。しかしながら、オリンピックが
無事に済めば、軍隊出動を要請してでも、デモ・騒動・争乱を容赦なく(極め
て激しく)弾圧すると予測して置くべきであります。


◇ 日本国家・日本民族としては、遠く離れたChina 西南部に位置する奥地の
事件であり、関心が薄いと思われます。しかし、China のランドパワーとして
の止まるところを知らぬ「領土=支配地域拡大欲」を勘案すと、「沖縄の危険
な将来」と対比して考え抜いて置くことが、極めて肝要であります。


◇ 沖縄の県民(住民)は、米軍の駐留を心底では、嫌っております。米国は
、対アジア戦略の第一線をグアム・ハワイ・日本本土の一部へと移動させる方
向性を明確に打ち出しています。

◇ 正確な時機は未定としても、米軍が沖縄から全面的に撤収することは、近
未来に現実となります。その理由の第一は、武器装備(ミサイル・イージス艦
・戦闘機等)の高度化です。第二は、米国の方針が、アジア離れ(共産China
に対する警戒意欲の減退)をしているのです。


◇ 沖縄は徳川時代末期に、薩摩が制圧し傘下(配下)に組み入れるまで、相
当長期にわたって、China (明朝・清朝)の傘下(貢ぎ物を献上し、冊封=爵
を受ける・王権を安堵される関係)にありました。

◇ 沖縄の経済は、米軍が駐留することで成立していると言っても過言ではあ
りません。米軍に雇用されている従業員の人件費は、日本が負担している支出
が中心であり、米軍存在自体の(米国本国から持ち込む)支出も侮ることはで
きません。


◇ 米軍が沖縄から完全に立ち去り、日本政府の沖縄財政支援が、衰退して行
けば、沖縄住民の不満が高まります。私共は、北京共産党政権による、かかる
不満を逆手に取った「甘いささやき」(秋波)及び、日本側への「沖縄分譲要
請」が、極めて高い確率でやって来ると予測しております。

◇ 日本国家・日本民族は、血を流して(戦火を交えて)まで、沖縄を死守す
る気概・覚悟・武力拡充実行を持ち合わせていますか?。

◇ 沖縄がChina の傘下(支配下)に完全に組み入れられた場合、沖縄住民に
対する待遇は、現状のチベット住民類似の水準まで、転落するとの覚悟が必要
であります。

(日本の進路、No.0392、1951年以降のチベットをモデルにして、沖縄の危険
な将来を予測する、完)


この記事を読んだあと、
香港との観光、経済交流促進に期待
◎定期航空便が5年ぶり復活

 香港−沖縄間の定期便が4月3日から就航する。香港の航空会社、香港エクス
プレス航空が実施するもので、同区間の定期便は、日本航空が2003年4月に
運休して以来、5年ぶりの復活となる。香港からの観光客数とともに、沖縄の野
菜や果物、物産品の香港への輸出の増加が見込まれるほか、香港を拠点とした中
国市場進出というビジネス・チャンスも期待される。

http://www.worldtimes.co.jp/j/okinawa/kr/kr080329.html
定期便のあとが予測されますね。
杞憂に終わればよいのですが・・・。

驚く不当判決の一部をお読みください。


━━━━━━━━━
大阪地裁の不当判決
━━━━━━━━━


         阿比留 瑠比

本日(3月28日)、大阪地裁は沖縄集団自決訴訟をめぐり、被告で作家の
大江健三郎氏を勝訴させるという不当な判決を下しました。これまでの
法廷での議論などを通じ、原告側は間違いなく勝つつもりでいたでしょ
うから、さぞや驚き、失望したことと思います。

それでも原告側は当然控訴し、舞台は高裁へと移ることになるのでしょ
うが、判決文の要旨を読んでいて、ひっかかることがありました。いや、
はっきり言えばひっかかるところだらけなのですが、その中で1点、次
の部分を取り上げます。

《原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言はその経歴等に照らし採用できず…》

この照屋氏に関しては、私も昨年12月に沖縄でインタビューし、12月27
日付の「詳説・戦後 沖縄の言論」という特集記事で、次のように書き
ました。

《(前略)取材を受けないまま、地元メディアに一方的な記事を書かれ
た点では、戦後の琉球政府で旧軍人軍属資格審査委員として軍人・軍属
や遺族の援護事業に携わった照屋昇雄氏(83)も同様だ。

照屋氏は昨年8月(※平成18年)、産経新聞の取材に対し、「遺族たち
に戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令というこ
とにし、自分たちで書類をつくった」と証言し、当事者として軍命令説
を否定した。

それに対し、沖縄タイムスは今年(※19年)5月26日付朝刊で、慶良間
諸島の集団自決をめぐり、当時の隊長らが作家の大江健三郎氏らに損害
賠償などを求めている裁判での被告側主張を引用。

「『捏造』証言の元援護課職員 国の方針決定時 担当外 人事記録で
指摘」などと、4段見出しで大きく報じた。証言を否定する趣旨の記事
で、名指しこそしていないが、すぐに照屋氏だと分かる書き方だ。

しかし、照屋氏は当時の琉球政府辞令、関係書類などをきちんと保管し
ている。被告側が提示した記録について、照屋氏は「人名の上にあるべ
き職名が伏せられていたり、全員、庶務係となっていたり不自然だ」と
指摘するが、こうした反論は地元メディアには取り上げられない。

照屋氏は渡嘉敷島に1週間滞在して住民の聞き取り調査を実施しており、
「隊長命令があったと言った人は1人もいない。これは断言する」と述
べている。「捏造」と決めつけた沖縄タイムスから謝罪や訂正の申し入
れは一切ないという。》

この沖縄タイムスの記事には、《被告側は同職員の採用時期が証言にあ
る昭和20年代後半ではなく昭和30年で、援護課職員ではなく中部社会福
祉事務所職員として採用されたことなどの人事記録を証拠として提出、
「元職員の証言は信用できない」と反論した。》

《被告側は「(19)58年10月まで援護事務に携わる援護課に在籍してい
ない元職員が、渡嘉敷島住民から聞き取りをしたり、援護法適用のため
自決命令があったことにしたとは考えられない」と指摘した》とありま
す。

つまり、大阪地裁は、この照屋氏よりも被告側が出してきた証拠書類を
信用できると判断したということでしょうか。判決がいう「その経歴」
とは、何のことなのでしょう。私は納得ができません。

そこで、照屋氏が今も保管している当時の辞令などの写真(コピー)を
改めて見ると、上の記事と明らかに矛盾し、照屋氏が昭和27年10月から
援護事務に就いていたことが分かりますが、裁判官はこっちの方が、偽
物だとでも言いたいのか…。

明日(29日)の新聞各紙は、この判決のことを大きく取り上げるでしょう。
特に、地元紙2紙は、判決がどう出るかにびくびくしていたでしょうか
ら、大喜びして鬼の首を獲ったかのように大騒ぎすることでしょうね。

そこで、ついでに琉球新報の社是。ここにある「不偏不党」「公正」
「品格」などの言葉が、本当であるのかどうか、29日の紙面を見ればよ
く分かることだと思います。阿比留瑠比氏ノブログより。2008/03/28
12:44(あびる るい氏は産経新聞東京本社政治部記者)
http://abirur.iza.ne.jp/blog/

ここ数年、沖縄の人には幻滅を感じることばかりである。
沖縄だけが被害者か!
甘えるのもいい加減にしろ!と叫びたくなる。
 

自決があったのは沖縄だけではない! ―――――――― 


また沖縄で米兵による婦女暴行事件が発生して、毎度変わらぬステレオタイプ
の反応が報道されています――――。

夜中のあんな時間に、水商売でもない高校生の女が繁華街をウロウロしている
というのもどうかと思われる行動ですが、買物に出るという場合もあるでしょ
うから、それはさて措いても、

外人であろうが日本人であろうが、夜中に見も知らぬ“男”の誘いにノコノコ
と随いていく・・・そんなバカ女が、起るべくして起した事件を、待ってまし
た!と政治的に利用する反日日本人ども!

頭カラッポのバカ女と、反日日本人どものことを書いても胸クソが悪くなるば
かりですが、ーーーところでその、沖縄だけが何故?と

ーーー感じているのは OJIN だけではなかったようです。


┌──────────「加瀬英明氏」―― 杜撰な沖縄集団自決論 ――

昭和20年4月にアメリカ軍が沖縄に上陸して、日米両軍が激戦を展開した時
に、日本軍が沖縄住民に集団自決を「強要」したということが教科書に記載さ
れていたのが、その証拠がないことになると、文科省が介入して、集団自決に
「関与」したという表現に改められた。その是非をめぐって論争がたたかわさ
れている。

なんとも奇怪なことだ。このような政府と文科省に、教育という国家の大事を
委ねてよいものだろうか。

それよりも、どうして住民の集団自決の議論を沖縄に限定するのか、私には理
解できない。

アメリカ軍は、沖縄に上陸する10ヶ月前の昭和19年6月に、サイパン島に
来攻した。サイパン島には2万人の邦人住民が居住していた。アメリカ軍が来
攻する前に、老幼婦女子の内地送還が実施された。

しかし、第1船のアメリカ丸、第2、第3船の千代丸、白山丸がアメリカ潜水
艦によって撃沈されたので中止された。3回の疎開船とも生存者がなかった。

サイパン島の面積は、東京23区の4分の1弱に相当する185平方キロであ
る。わが軍は、アメリカ軍が上陸してから31日間に渡って、他のアメリカ軍
を迎え撃った島嶼と同じように敢闘したが、武運つたなく島を敵手に委ねた。

南雲忠一長官以下、高級将官が自決した後に、残存していた将兵と在郷軍人、
警防団員、青年団員などの邦人合わせて3千人あまりが最後の突撃を行った。

多くの邦人女性が、迫るアメリカ軍を前にして、最北端のマッピ岬の断崖から
母は乳児を抱いて、あるいは親族や友と手をつないで、南の海へ身を投げた。
集団自決だった。

アメリカ軍が海上から望遠レンズを用いて撮影した、痛ましい動画の映像がの
こっている。悲劇のマッピ岬は今日「バンザイ・クリフ(クリフは断崖)」と呼
ばれ知られている。サイパン島を訪れる日本人観光客が必ず訪れる、不謹慎な
ことだが、観光スポットの1つとなっている。

だが、沖縄住民の集団自決については、「日本軍による強制」とか「関与」を
問題にしてきたのに、いったい同じ集団自決であったのに、どうしてサイパン
における邦人住民の集団自決が取りあげられることがないのだろうか。

年末にイギリス人の畏友が、新年の休暇のためにマックス・ヘイスティングス
著『ネメシス 日本との戦い 1944―45年』ハーパースプレス社、ロンドン)
と題する本を送ってくれた。

「ネメシス」はギリシア神話の復讐、あるいは天罰を降す女神である。対日戦
争を1944年から克明に記録した674ページにわたる大著である。著者は
イギリスでよく知られた歴史作家である。

沖縄本島には、1200隻の艦艇に分乗する17万のアメリカ軍が来攻した。
我が軍と陸海空において凄惨な血戦が繰りひろげられた。先の本から引用しよ
う。
┌--------
一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。特に沖
縄戦がそうだった。(アメリカ軍兵士の)クリス・ドナーはこう記録している。

「地面に、15歳か16歳と思われる少女の、美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、やはり両脚を開いて、
膝から曲げてあがっていた。
仰向けにすると、少女の左乳房を銃弾が貫いていたが、何回にもわたって強姦
されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった」

しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが丘の上から敵によって狙撃されて倒れ
た。その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に遭遇した。

兵たちが口々に「あのビッチ(女)を撃て!ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」
と叫んだ。兵がいっせいに射撃した。女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって
立ち上がると、手離した赤児のほうへよろめきながら進んだ。

兵たちはさらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。
└--------

アメリカ軍は戦闘中に、しばしばこのような残虐行為を働いた。こうした戦慄
すべき事実は、目撃した住民によって我が軍戦線の背後にいた住民に伝わった
はずである。

ヘイスティングスは本書のなかで、アメリカ兵が日本人を人間だと思わなかっ
たので、故国への土産(スブニール)として日本人の頭蓋骨を蒐集したが、ヨー
ロッパ戦線において、ドイツ兵については、頭蓋骨をそのように扱うことはな
かったと述べている。日本人の頭蓋骨を飾り物として珍重したのだった。

私はこれまで、アメリカ人による太平洋戦線の記録のなかで、アメリカ兵が残
虐行為を働いたという、多くの記述を読んでいる。

教科書の沖縄戦中の住民の集団自決についての記述から、アメリカ軍の存在が
なぜなのかすっぽりと抜けている。沖縄戦はいうまでもなく、アメリカ軍が沖
縄に侵攻したことによってもたらされた。なぜアメリカ軍が不在なのか。当然
アメリカ軍が「関与」していたはずである。

教科書の執筆者や文科省の担当官は、沖縄住民がアメリカ軍を恐れていたこと
に頭が回らなかったのだろう。どうしてアメリカ側の記録を調べる熱意が欠け
ていたのだろうか。杜撰[ずさん]なことだ。教科書は正確な記述を期さねばな
らない。

サイパン島が失陥した12日後に、アメリカ軍はテニアン島に来攻した。

テニアン島には、15000人あまりの邦人住民が居住していた。ここでも、
一般邦人は国軍によく協力して勇戦した。沖縄と同じように、男子住民も祖国
の弥栄を祈念して最後の突撃に加わった。そして、多くの婦女子が自決した。

└──────────「メルマガ頂門の一針より引用」
            http://www.melma.com/backnumber_108241/


沖縄ばかりでなく、民間人の住む地域で戦場となったのは、サイパン島もテニ
アン島もそうですし、満州・樺太・千島、ウカウカしてたら北海道や東北地方
の北部も、蹂躙される危機一髪の瀬戸際にありました。

樺太や千島なんか、日本が降伏した3日後に襲われ、抗戦することもできずに
殺されていったのですから、潔く自決することができた人々よりもさらに悲惨
ともいえるでしょう。

樺太で、列車を利用して突撃してくるソ連軍・・・その列車の機関車の前部に
日本軍の弾避けにと全裸で括りつけられていた日本婦人は..生きていたのか既
に死んでいたのか・・・・‥‥‥ 沖縄の人々よ!

そのとき前線で敵軍と対峙していた人々も、銃後にあって支えていた人々も、
同じだったのではないのですか? 数の問題ではありませんが、あなた方は、

ーーー軍の命令で自決させられた!と吠えているようですが、

内地の空襲で..広島長崎の原爆投下で..何十万の人々が..自決よりもっと不本
意な状況で死んでいかなければならなかったか、に、、思いを致したことがあ
るのですか?ーーー自分たちだけが軍の命令で自決しなければならなかった哀
れな犠牲者・・・それでは、

覚悟を定めて自決された方々をも冒涜している、ことになるのではないのか?

満州の曠野で、

┌──────────

ーーーソ連軍が急追してくる。さらに現地人たちが匪賊のように襲ってくる。

軍の根こそぎ動員によって屈強の者がいないと分かると、それまで親しんでき
た満人の友さえも加わり、暴徒となって日本人難民に波状攻撃をかけてくる。

屈強の男無く武器も無い開拓団は、それでも、レンガや鍋、釜を割っては投げ
つけ応戦する。十五、六歳の少年達までが斬り込み隊となって戦い、最後には
全員が自決した。

この老人のグループは、祖国日本は降伏したに違いないとの考えに至る。その
ことがいっそう絶望的な気分を蔓延させ、誰もが無慈悲になり、疲労困憊した
者や負傷者を置き去りにするようになっていく。

取り残された場合には、やがてソ連軍の攻撃や現地の暴民によって皆殺しにさ
れることを知って、逃れようと皆は必死の思いで歩き続ける。

何度も何度も暴民や武装匪賊の襲撃に遭遇し、すべてを奪われ乞食以下となっ
た日本人の行列に、中国人が「子供を売ってくれ、女の子は500円、男の子
は300円でどうだ」と声をかけてくる。それは執拗そのものだったという。

そして、最も悲惨だったのは子供たちだ。多くの子供が力尽きて野垂れ死して
いった。こうして疲れ果て、絶望した開拓団の集団自決が、8月20日を過ぎ
た頃から始まる。

守ってくれるべき軍隊もなく、包囲されて脱出の望みを絶たれた人々にとって
は、最後に残された選択肢は死だけとなる。人は忍耐の限度を越えると、生き
ていることも苦痛になるのでしょう。

8月25日午前4時過ぎ、満州東部のある開拓団では、夜明けの空を震わせて
自決の銃声が響き渡る。一足お先に‥‥‥‥と、子を両手に抱え、または胸に
抱きして、涙で顔をグシャグシャにしながら引き金が引かれていく‥‥‥‥。

妻を‥子を‥親を‥知人を‥

火葬場と決められた馬小屋は、絶え間なく銃声が続き屍が折り重なってゆく。

読経が低く流れるなか、泣き叫ぶ子を抱き抱えた母親も、目を血走らせて銃声
の中へと消えていく。

└──────────「満州回顧録:満州開拓団の惨」より
            http://chinachips.fc2web.com/repo1/015012.html


そのときは沖縄だけではなかったのだ!


どうして、沖縄だけが声高に叫ぶんだ?


沖縄は恥を忘れた自虐想妄の民なのか!